鴨川市の教社を見てきました。
千葉県勝浦市に、昔から「おせんころがし」と呼ばれる場所、そして道があります。
おせん を ころがした から、おせんころがしなんでしょうか。
昔から地図に載っています。
明治時代より、約4km程の長さながら交通の難所として知られていました。4kmのうち殆どが改修されていますが、一部旧道のままの場所がありますので、今回はその区間を見てみましょう。
1921年に県道となった後、1969年に廃道となったようです。
いつもお世話になっております
今昔マップ様から見てみてみます。
昭和19年版地図、現代の国土地理院地図の両方に「おせんころがし」の文字が。
どのような場所なのか、行ってみましょう。
まず、赤〇の位置から眺めてみます。
現在地は、国道128号線の旧道です。
1~1.5車線が連続してます。
赤線を引いた場所が、おせんころがしの旧道区間です。
コンクリートの治山工事跡のような道が見えます。ここが1921年まで県道だったという事です。
このまま攻めたい(西側)ところですが、車を置く場所が微妙にないので反対側(東側)に一度抜けます。
東側に抜ける際に通るこのトンネルは「おせんころがしトンネル」という名称となっています。
どれだけ根付いた名前なんだ。
トンネルを抜けた先に駐車します。
ここ(東側)をゴールとして、西に向かい、ここへ戻ってくる事を目標とします。
自転車は持って行くか迷いますが…距離も短いので、今回は徒歩で。
このようなルートで回ります。
まずは、旧128号線を通って大沢と書いてある集落を南下し、おせんころがしを通るというものです。
ちなみに、行川アイランド駅にも「おせんころがし」への案内が描かれているという念の入れようです。
※画像:国土地理院
さて、大沢集落を通ってルートを使って西側に行きましょう。
ここも、国道128号線の旧道です。
1921年に造成されました。
道の脇。階段かな。
これは階段では無い…。
地図の、①にあたる場所です。大沢集落は、この大沢第1トンネルと、第2トンネルの間にある100m程の区間に在ります。
トンネルを抜けて振り返って撮影。
このトンネルの間が、大沢集落です。
家の数の割に、車を停める場所が少ないです。車が入れない道にも多数の戸建があります。
路駐はその為でしょうか。
地図でいう②、この集落唯一の交差点を下っていきます。
現道の真下に出ました。
地図でいう、③の場所です。
この階段を上がると、最初の方に出てきた「おせんころがしトンネル」の近くに出ます。
この階段を上がらずにわき道を入ると、おせんころがし旧道区間スタートです。
冬なので、藪も大してありません。
このガードパイプの向こう側へ。
ただ、ドロボーというか、ひっつきむしというか、くっ付く種が物凄い数がいるのに辟易しました。
レカロシートにくっついちゃうんだよな。
お、視界が開けてきました。
やってきたぜという感じです。
治山工事の際、「おせんころがし」ごとコンクリートで固めた事で道の体を保っています。
道幅はそこそこあるので、歩いている途中で落っこちるという具合ではありません。
そう、ありません、が、なにせガードレールも何もなく、落っこちそうになる錯覚はあります。
振り返ります。
冒頭、おせんころがしを眺めた場所が矢印の場所です。
既に海と空の間を歩き始めています。
ちょっと左に目をやると、堤防にて家族で釣りを楽しむ光景が。
こっちからは動きが良く見えていたのですが、向こうはこちらに気付いていないようです。
気付かれても困るんだけどさ。
高さは20m程と言われています。
良く治山したもんだ…。
もちろん、落っこちる事は出来ませんよ。
とりあえず、固められている上に水はけも良いように作られているようです。
地図でいう④のあたりです。
ちょっと怖いけど、長めの良い快適な道だな。
この調子なら、気持ち良く通れそう。
という感想を一気に打ち消す崩落。
曲がったとたんにこれ。
道自体は大丈夫なのですが、上から降ってきた土砂が堆積して斜めになってしまっています。
一番イヤァンなのは、土砂に乗ったら崩れていって崖下まで持って行かれる事(^-^;
最近の事のようで、この崩落があるという話は聞きません。
もしくは、この程度なんでもないとスルーしてるのか…(笑)
山側を通り、クリア!
崩れたら最後、掴めるところが無い事が緊張感マシマシでしたハァハァ
で、前を向いたらこれ(^-^;
道全体に土砂が堆積し、藪で覆われています。
夏だったらどうなってんの(笑)
足元が見えないので、どこを踏んで進めばいいのか分かりません。
先ほどの崩落の古い版ですね。
写真のタイムスタンプを見ると20分程、登ったり降りたりを繰り返して、どうやって進むか、もしくは撤退するかを悩んでいました。
先人の通り道っぽいのは、やたら崖側を通っていたのでこれは無理!多分、これは人間じゃない。
藪は根が張り、手掛かりになるようでしたが、何せ土砂の堆積ですから足場は基本斜めになっている上に、よく見えません。
また、写真のように道がない所にまで草ははみ出しています。足の置き場は間違えられません。
結局、新しいルートを拓いて通ってきました。
次行く人は、それを通ってください(笑)
あの土砂を乗り越えてからの10数メートルを進むのに、20分使ってしまいました。
買って間もないカメラは、土と草で迷彩柄に。
必死だったけど、気を付けながら歩いてきたんだけどな…。途中撮る余裕は無いし😉
持ってこなくてよかったー。
あとは藪の中を…どっちが前だ?😅
微妙に、先人の跡があります。
時には屈んで、時には漕いで進めば!
塔のモニュメントが見えてきました。
到着!
これが、おせんころがしのゴール。慰霊のモニュメント。
おせんころがしとは何なのか、答えが書いてあります。
昔(詳しい年月日は不明)、お仙と名付けられた、領主の大事な娘がいました。
父である領主は強欲で、領民に重い年貢を課せており、大変な怨みを買っていました。
お仙は父に何度も年貢を軽くするように頼んだり、贅沢を控えるように頼み込みますが、聞き入れてもらえません。
領主の強欲に耐えかねた領民達は、領主の殺害を計画します。
お仙が18歳になった秋祭りの夜、酔いつぶれた領主を領民達が担ぎ出し、断崖へ投げこみました。
翌朝、領民達がどんな様かを確認してみると、領主の衣装を着たお仙が痛ましい姿で倒れていました。
領民達はお仙が領主の身代わりとなっていた事に誰も気付かず、大変な事をしてしまったと悲嘆にくれ、不覚を恥じて領主に詫びを入れました。
さすがの領主も心を入れ替え、ここに慰霊碑を立てて供養し、おせんころがしと呼ばれる場所となりました。
という事で、悲しい民話が地名の基となっています。
おせんころがしは、1952年、連続殺人犯によって3人の命が奪われる事件が起こった悲運の地でもあります。
名前と地図での主張の強さから観光地のように思えますが、面白い要素はありません。
大変無念な場所というのが実際の所です。
心霊スポットとされているのもやむなしという感じ(-_-;)
モニュメント側から行こうとは思わないな(^-^;
前知識が無ければ、道がある事に気付かないと思います。
崖下に、謎の鳥居が見える…。
PLフィルターの使い方を練習していた気がします。
そろそろ、86の方に向かって歩きましょう。
慰霊碑を離れます。この舗装路を歩きましょう。
車止めのパイプが設置してあるところから来ました。。
ホテル行川に行くか、おせんころがしに行くかを選択出来ます。
きみ、怖いよ…。
では、まだ行くところがありますので次へ!