◆「HP600」、その特徴とメリットは?
この「HP600」モデルの長所だが、まずは、乗り降りする際に、身体に余計な負担がかからないこと。メーカー各社は人間工学という視点から、乗降時に頭や首がどう動くかを観察したり、あるいは、身体の各所の筋肉にセンサーを付けたりして、人と椅子との関係を探究したといわれる。そうしたテストの結果、導き出したのが「HP600」だった。
そんな数値を知った後で、試みにHPが低いクルマに乗ってみると、その違いは体感できる。地表から「600」ミリという高さは、とくに腰部、さらには背筋への負担が少ない。
思えば80年代以降、なぜわが国で「RV」と呼ばれる(セダンではない)クルマが注目されてヒットしたか。その理由は、「RV」のHPが低くなかったからではないか。「HP」という言葉はは知らなくても、クルマに乗り降りする際の体感として、多くの人々が「椅子が高い」とラクであることを知った。
とはいえ、あまりにも「椅子」が高いと、今度は、よじ登る感じになって不便でもある。ともかく、そのようにして、ユーザーがいろいろなタイプのクルマに触れていくうちに、自分の身体にとって「いい感じ」の高さというのが、感覚でわかってきた。そして、HPが「低くないことによる嬉しさ」を知った人々が、今日、「RV」と分類されるクルマや、新種のセダン系(“ネオ・セダン”と呼びたいが)を選択しているのではないか。
◆人とクルマの「接触」の仕方が変わってきた?
そして、もうひとつ。以上のような「乗降性」以外にも、「HP600」モデルが受け入れられている理由がありそうだ。それは、車室内に収まった後での、乗員の「気持ち」の変化である。
たとえば、これまでよりも高い位置に座ってクルマを動かすと、何となく「気持ち」がゆったりしないか? 「競走」する以外のことを、車内ではしたくならないか? そして、クルマで走るというのは、何かと「闘う」ためじゃなかったよな……と、フッと気づいたりしないか?
クルマに乗ることで、何か“特別な時間”が始まってほしい! これが80年代までだったとすれば、そんなことより普通に、つまり日常的なモードのまま、クルマとは関わりたい。そんな無意識の願望が、90年代半ば以降、多くの人のココロに生まれているように思う。
これから「非日常」の世界に入るぞ! ……としてクルマに乗ると、どうしても“戦闘モード”で運転することになる? そうではなく、もうクルマを、そうした「闘うギア」として見なさない。そもそも、日常的にケンカをしている人はいないわけで、そういう普段の穏やかな「気持ち」のままに、クルマというものは使いたい。
……たった「15センチ」くらいしか違わないはずだが、HPが高いクルマに乗ると、運転席からの眺めが変わることもあって、ゆったりとクルマを「コロがす」走りが自然にできるのではないか。こうした現実も、高いHPのモデルが支持された理由のひとつだと思える。
◆欧米での、この種の“トレンド”は?
さて、そうした日本列島の状況に対して、欧州のメーカーは、地域的にトラフィック(交通環境)のアベレージ・スピードが高く、また、クルマでは空力を重視すべしということもあるのか、現時点では、こうした「高いHP」でクルマ(乗用車)を作ることについては、一般的に鈍感である。パッケージングを変えた!……と、鳴り物入りで上陸してきたフォード・フォーカスにしても、彼らが新たに設定したという高いHPは「500ミリ」だった。
そしてアメリカは、高いHPのワゴン&バン、またピックアップやミニバンを使うか、あるいは従来のままの(低い)HP(500ミリ以下)のセダンやクーペに乗るか。こうした二者択一、あるいは二極分化の状況になっているようだ。ここでいう“高HPの乗用車”が出現する気配は、いまのところはない。
(つづく)
(「カーセンサー」誌、2001年特集より加筆)
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00年代こんなコラムを | 日記
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2015/07/12 17:02:17