2015年07月20日
2015年の「HP600」ノート 《1》
* 本ブログで見たように、2001年にひとつのカー雑誌が「HP600」をテーマにした小特集を組んだ。ただ、その時も「HP」という概念、また、クルマを見たり判断したりする際の材料としての「HP」が一般的に用いられていたわけではなかった(と思う)し、その状況は今日でも、実はあまり変わってはいないのではないか。
* ただ、「HP」という用語、あるいは概念は、たしかに浸透しなかったかもしれないが、クルマにおいて、地表から600ミリ(以上)の「高いHP」がもたらすもの、そしてその恩恵や「実効」が、この十数年で消失してしまったとは思っていない。
* 90年代半ば以降、モデル名を挙げればワゴンR登場以降、日本のマーケットとカスタマーは、高いHP(600ミリ以上)のクルマは身体に「馴染む」ということを、体感的に知った。(HPという言葉が流布しなかったので)理由はとくにわからなくても、「あ、これはイイ……」というやつである。
* そのようにして高めのHPを持つクルマに乗っているうちに、多くの人の背筋や腰のあたりに「センサー」ができた。
* そして、たとえば、そのカスタマーのカー・ライフで最初に買ったクルマが、ブランドはどこであれ「ワゴンR・タイプ」(トール・ワゴン)の中古だったとして、いずれ、その買い換え時期は来る。
* 次のクルマをどうしようとディーラーに見に行ったり、友だちのクルマに触れてみたり……といったことをしていくうちに、その人にとって、どうも“何となく乗りにくい”と感じてしまうクルマがあることに気づく。それは、その人の「背筋センサー」が教えてくれるもので、いま自分が乗っているクルマよりも「シート座面」(HP)が低いと、「背筋センサー」がそれに反応するのだ。
* HPというのはジャーナリズム上でもあまり流通しなかったから、誰もこの言葉は使わないとして、でも、何となくであれ、身体に違和感があるタイプのクルマには乗りたくない。そして、多くの人はそんな違和感を嫌って、同じような感覚で乗れる(乗り継げる)クルマを探す。
* HPと「背筋センサー」との関係で、ひとつ不思議というか興味深いのは、この「センサー」は、それまで体感していた座面よりも高いという場合には、ほとんど反応しないことである。
* ある未知のクルマの運転席に座ろうとして、あるいは座ってみたとして、自分が慣れ親しんでいるクルマよりも「座面」が高い場合には、それに気づかない。多少よじ登る感じがあったとしても、それが試しに座ってみたクルマの拒絶や否定にまでつながることは少ない。
* しかし、いつものクルマより低い場合は、そうではないのだ。その「センサー」は敏感に反応し、乗ってみたクルマの座面がいつもより低いことを人に教える。その違和感の許容範囲には、もちろん個人差があるだろうが、とにかく「これは低い!」ということは明らかにわかる。そして甚だしい場合は、その「低さ」への拒絶にまで至る。
* だから、セダンやハッチバックから、たとえばミニバンに乗り換えることはできても、その逆はむずかしいのだ。「低 → 高」は容易だが、「高 → 低」は困難。「高 → 低」の場合、クルマに乗るというシゴトをカラダにさせるのに、何でこんな窮屈なことをしなければならないんだ? ……と、背骨や筋肉がカスタマーに訴えかける。
* 90年代半ば以降の日本マーケットが示した。顕著なミニバン志向、またSUV志向は、もっとカラダにとってラクなクルマはないのか?……と、多くの人々が“クルマ探し”を行なった、その結果である。
* あるいは、「ワゴンRタイプ」でクルマというものを初体験した人々が、これ以後、トール型ワゴンと同じような感覚で乗れるクルマを(無意識的にせよ)求めて動いた、その結果である。
* この二つの仮説の共通項は、どちらも人々が「高いHP」のクルマ(新ビークル)を求めたということ──意識的にであれ、無意識にであれ。90年代半ば以降のこのマーケット傾向は、以上のように“くくる”ことができるのではないか。
(つづく)
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2015/07/20 06:50:20
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