先日の5月27日(火)は、「ドラゴンクエストの日(ドラクエの日)」だった。
39年前の1986年5月27日にシリーズ第一作『ドラゴンクエスト』が発売されたため、一般社団法人日本記念日協会によって、5月27日は「ドラゴンクエストの日」に認定されているそうだ。
私にとって、ドラゴンクエストとはドラクエ3のことだ。
1988年1月末に私は新卒で入社した会社を3年足らずで退職した。4月1日から新しい会社への入社が決まっていたので、2月と3月の2カ月は長い休みとなった。
4月からの入社に向けて、宣伝会議の通信教育をやったり、映画を観たり、美術館に行ったりするなどして、当初は規則正しい生活を送る予定でいた。封切られたばかりの「ラストエンペラー」を、今はなき梅田東映パレスの最前列で見たのもこの時だ
休みに入って10日めの2月10日(水)にドラクエ3が発売された。人気シリーズの3作目ということもあり、前評判も高く、平日にもかかわらず、お店の前には長蛇の列ができたことがニュースで大々的に放映されていた。私は過去にRPGを一度もやったことがなかったが、どんな内容なのか興味がでてきたので、発売から2週間後の2月下旬に大阪駅前第1ビルの地下にあったファミコンショップで、なんとか手に入れた。
ゲームを始めると、見事なまでに、はまってしまった。上で書いたようにその時は働いていなかったので、日夜問わずにひたすらドラクエ3をやった。同年にデビューした日産セフィーロのキャッチコピーは「くうねるあそぶ (糸井重里作)」だったが、2週間くらいは本当に「くうねるドラクエ」状態で、寝るも惜しんでプレイした。当時付き合ってた今の奥さんが遊びにきても、ほとんどドラクエをやっていた。「規則正しい生活、なにそれ」状態だった。
プレイしてて唯一困ったのが、ラーミアに乗るための「イエローオーブ」の場所がわからなかったことだ。当時はインターネットもパソコン通信もなく、攻略本もなかったので、手当たり次第にいろいろトライするしかなかった。またヘルコンドルのバシルーラでパーティの仲間を飛ばされた時は、本当に泣きそうになった。飛ばされた仲間がルイーダの酒場にいるというのを最初は知らなかったのだ。
エンディングを見た後もひたすらレベルアップを行い、賢者を含むパーティを全員レベル99にした。これはレベルアップをしたいというよりも、ドラクエ3を止めたくなかったという気持ちが強かったのだと思う。
以降ドラクエは4、5、6、7までやったが、4~6はほとんど覚えていない。7はまだ小学生だった息子とやった。これがきっかけとなって、彼はドラクエ大好きになってしまった。
そんなドラクエ3大好きおじさんの私は、現在は「ドラクエウォーク」というスマホのアプリを2019年のサービス開始時からやっている。散歩も兼ねて、楽しく遊んではいるのだけど、毎月お得に遊べるパスを3,000円で買い、ガチャを少しやって、毎月5,000円程度を使っている。
今までに使った金額を単純計算してみたら、「5,000円 X 12カ月 X 5.5年 = 33万」 になった^^; いろいろな人といろいろ場所で楽しい思い出があるとはいえ、約6年で33万の出費にはあらためてびっくり。スマホゲームに年6万は高すぎだ。ドラクエは好きだが、もうお布施する義理はないかな。
写真は当時の部屋のもの。日付は87年だけど、こんな感じの部屋でドラクエ3をプレイしてました。
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Posted at
2025/05/29 14:08:58