今年のF1はパワーユニットも車体も全面変更で最近では全く類を見ないルール改革のシーズンになり、アウディやキャデラックなど新規参入チームも出てきた中で、アストンマーティンはホンダと組んで期待されていましたが、現状では散々ですね(爆)。
まずは第1回のバルセルナテストの最終日にやっとデビュー出来たと思ったら数周しか走れず、第2回のバルセルナテストでも十分に走れない上に振動でバッテリーが壊れるという不可解な現象でICEも十分に回せなかったようです。
マシンのデビュー時には鬼才エイドリアン・ニューウェイの手による超空力ボディが話題になりましたが、それ以前に満足に走れない状況はちょっと厄介ですね。
開幕戦のオーストラリアでも初日のFPの段階から4基持ってきたバッテリーの内2基がダメになって残り2基(これも壊すと次戦までバッテリーの補充が出来ないよう)になり、決勝戦ではパーツ温存のため数周でリタイヤという噂まで囁かれる有り様でした。
それでも予選ではフェルナンド・アロンソ選手がQ2には進めなかったものの17位となってFPよりタイムを2秒改善しましたし、決勝ではリタイヤしたもののピットインを繰り返しつつレース距離の半分近くを走行したのは一筋の光明でしょうか。
次戦の上海は来週で残り2基のバッテリーを壊したら走行さえ出来ないという最悪の事態は回避出来たようですが、それにしても悲惨な状況である事に変わりはない感じです。
事前テストの時よりも振動問題は若干改善されたようですが、それでもバッテリーを4基しか用意していないのも終わった感がありますね。
エイドリアン・ニューウェイやアロンソ選手のコメントを見ていると第2期マクラーレンホンダ時代のエリック・ブーリエを思い出して結構腹が立ちますね。
そもそも新レギュレーションと言ってもエンジンの基本的骨格は大差ないはずでサクラのテストベンチでの振動は想定内だったかもしれませんが、いざ車体に組み込んで走らせたら振動問題が露見したのは車体組み込み状態でのベンチ試験が出来ていなかったのが原因でエンジンメーカーだけの責任ではない気がします。

噂の域を出ませんが、エイドリアン・ニューウェイの要求によって低重心を徹底するためにバッテリーを2分割した上にMGUーKもそのすぐ近くに配置するという設計変更が後からなされたための振動問題という話もあります。2025年までの構造ならそんな問題は起きなかったでしょう。
しかし、ホンダの撤退を受けて自前のパワーユニット開発を決定したレッドブルが事前の下馬評をひっくり返して十分な競争力と信頼性を発揮しているのに比べるとホンダのパワーユニット開発は準備不足の上にイマイチに思えてしまいます。
現在のホンダは「軽自動車とミニバンの会社」と揶揄される事が多いですが、レース好きの方も多く存在し、経歴を見れば自転車、2輪、4輪で世界選手権での優勝経験やチャンピオン経験のある唯一のメーカーです。それなのにF1に関してはこの体たらくなのは「歴史は繰り返す」を実践している印象がありますね。
そもそも第1期のF1参戦からして、最初はロータスへのエンジン供給の予定がおじゃんになったため急遽車体も作成しての参戦になった経緯があり、よくその状況で優勝が出来たなぁ、とも思えますがおおらかな時代だったのかもしれませんね(爆)。
第2期の参戦もターボエンジンの黎明期に当たり、当初の数年は苦労しましたがその後のマクラーレンホンダの活躍は最近まで破られない記録になっていますね。
しかしその後期間をおいて参戦した第3期はイマイチ成績を出せず、起死回生の車体設計で2009年に復活する予定がリーマンショックで撤退となり、ロス・ブラウンへチームを1ポンドで売却したマシンがメルセデスエンジンでコンストラクターとドライバーのダブルチャンピオン獲得するというビックリエピソードにつながったのも記憶に新しいでしょうか。
そして準備不足で2015年から始めた第4期はマクラーレンとのコンビで辛酸を舐め、レッドブルとのコンビでやっと芽が出て快進撃につながったのが昨年までの流れですね。
しかしその過程でまたまた撤退表明をし、今回のアストンマーティンとのコラボは本来のスタートより1年遅れになってしまっています。これは第4期と一緒ですね。
一旦の撤退表明により第4期を支えたエンジニアの大半はホンダ本社の生産部門へと配属されたり、レーシングチームはヨーロッパのチームへの再就職になったりで、またまた一から出直しに近いスタートですね。
今回はホンダ本社の部門ではなくレーシング部門のHRCでの出発ですが、開始がもう1年早かったら状況は少しは好転していたのでしょうか。
ここまで見てくると、F1に関しては準備不足と見通しの甘さがありありで、何の反省も見られていないようにも思えます。初参戦からの歴史の長さと戦績を考えるとフェラーリに匹敵するほどのレベルのはずですが、全然懲りてないですね。
第1期、第2期、第4期(の後半)は優秀なエンジニアやしっかりイニシアチブを取れるリーダーの元での成果の気がしますが、度重なる撤退によって技術や人材の継続が寸断されてしまうところがホンダの一番の弱点なのかもしれませんね。
それに比べると、2輪のGP最高クラスは若干状況が違う気がします。
1966年の初参戦から苦労してGPの全クラス制覇の偉業を達成したホンダでしたが、そこから石油ショックなどでの4輪への注力のために一旦撤退してしまいます。そこから再参戦した1979年にはある意味とんでもないマシンでの戦いになりました。
2輪のオールドファンならご存じかもしれませんが、この年デビューしたNR500は他社が全て2ストロークエンジンという状況の中で唯一4ストロークエンジンでの参戦でした。

2ストロークに対抗するためにエンジンは長円ピストンのV型4気筒で32バルブ!を20000回転以上回してパワーを出していました。

車体の方もアルミモノコック構造でサイドラジエーター、倒立フロントフォークにスイングアームピボットと同軸のドライブスプロケットに前後輪16インチホイールと、やっと10年後に実用化されるような超最先端装備でした。
スペックだけから見ると超コンパクトで車重も2ストローク並みで馬力も同等、と十分に競争力を発揮出来る予定でしたが、いざシーズンが始まってみるとエンジンは熟成不足でトラブル続きの上に、エンジンを下ろすと構造上車体がバラバラになるなど整備性も最悪で、この車体構造は1年限りでお箱になりました。
しかし通常のフレームに変えた翌シーズンも大幅な重量増しと熟成不足によって戦闘力は望めず、3年目でもトップには全然絡めない成績のためホンダは1982年からは2ストローク3気筒のNS500に切り替え、フレディー・スペンサー選手の活躍もあって1983年には念願のチャンピオンを獲得します。
ところが翌1984年に更なるパワーアップを目指して投入したV型4気筒のNSR500はなんと排気チャンバーをエンジン上に集合させて燃料タンクはエンジンの下、というこれまた先進的なマシンを登場させました。
低重心化を狙ったレイアウトだったのですが、排気チャンバーの熱害や燃料タンク内でのガソリンの動揺によるハンドリングの変化などあって本領を発揮できず(といってもシーズン4勝しているので失敗作という程ではないです)、1985年にはコンベンショナルな車体構成に戻りました。
その1985年型でフレディー・スペンサー選手は500ccと250ccのダブルタイトルという前人未到の偉業を達成する訳ですが、以後のGPマシンは極端な新規軸は避けて堅実な設計をしているように思います。
2002年に始まったMotoGPでもホンダはV型5気筒というある意味変則なエンジンを投入していますがこちらは理にかなったもので終始トップクラスを走って、2006年までに3回チャンピオンを獲得していますし、その後のV型4気筒エンジンでも何度かチャンピオンを獲得していますね。
最近はマルク・マルケス選手の負傷と離脱に伴って低迷気味ではありますが、HRCの社長は「何があってもMotoGPは止めない」と公言していますし、F1と参戦スタンスがかなり違う気がします。
もちろん趣味的な側面がある2輪と違って4輪ではフェラーリやマクラーレン、ポルシェのようにレースばかりに注力している余裕は無いでしょうし色々な経済的理由でF1からの撤退も経営判断としては適正なのかもしれません。
それでもF1に復帰する際にそれまでの経験者を起用せずに「若手に経験の場を踏ませる」という名目で経験の浅いエンジニアを用いるのはホンダの悪しき伝統かもしれませんね。
国内のレースならまだしも、世界一を競うF1で生半可な覚悟で臨んでは、長い伝統を持つヨーロッパのチームやメーカーに伍するのは難しい気もします。せめて第4期のメンバーがもっと残っていれば、と思わざるを得ません。
今週末の上海GPでは使えるバッテリーが2基のようですが、オーストラリアで壊れたものの修理は可能なのでしょうか。振動対策もそれほど功を奏しているようでもなさそうですが。無理を強いてきたエイドリアン・ニューウェイの要求を呑めないところはきちんと説得するのもエンジニアの資質だと思います。
初戦の後のホンダ・レーシング(HRC)渡辺康治社長のコメントはなんとなく第4期初期の
テクニカルディレクターの新井康久氏のコメントを聞いているようでどうもイマイチ信頼感が薄く感じるのは私だけでしょうか(爆)。