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2020/05/01

F1日本GPの歴史 Vol.11【1995年鈴鹿編】

過去のF1日本グランプリを振り返るシリーズ『F1日本GPの歴史』は第11弾・・・前回は2年目で最後を迎えた95年パシフィックGPの模様をシューマッハを中心にレポートしました(^.^)
開催されたTIサーキット英田は2003年3月に親会社が民事再生法の適用を申請・・・その後ユニマットホールディングの傘下に入り、岡山国際サーキットと名称変更し、2012年からはアスカ㈱所有となっています!







<これまでの日本グランプリ>
76&77年(in JAPAN)   1987年   1988年   1989年   1990年   1991年   1992年   93年   94年Pacific   94年鈴鹿   95年Pacific









95年の鈴鹿は前週のパシフィックGPでシューマッハのドライバーズタイトルが決定しただけにやや興味が薄れた状態・・・残るは21ポイント差でウィリアムズをリードするベネトンのコンストラクターズタイトルを残すのみでした!








迎えた予選はシューマッハが余裕のポールポジションでしたがアグレッシブな走りを見せたJ・アレジが0.865秒差で2位に入り、以下3位M・ハッキネン(マクラーレンメルセデス)、4位D・ヒル(ウィリアムズルノー)、5位G・ベルガー(フェラーリ)、13位鈴木亜久里(リジェ無限)、14位片山右京(ティレルヤマハ)、19位井上隆智穂(フットワークハート)という結果でした。
なお亜久里はタイムアタック中にスピンし、バリアに激突・・・は背中を強打して病院へ搬送され、決勝は不出場となり、このレースでF1人生を終えました(>_<)









ウェットで始まったレースは予選通りの順位で進むものの3周目にアレジ&ベルガーがフライングの判定でまさかのピットストップペナルティ・・・雨が上がった後はアレジが怒涛の走りで2位に浮上するも、25周目に白煙を上げてリタイアとなりました(^-^;








ドライとなったレースはコースアウトが続出し、トラブルもあって途中ウィリアムズ&フェラーリ勢が続々とリタイア・・・独走となったシューマッハが2位M・ハッキネンに19.337秒差をつけてトップチェッカー、以下3位J・ハーバート(ベネトンルノー)、4位E・アーバイン(ジョーダンプジョー)、5位O・パニス(リジェ無限)、12位井上隆智穂で片山右京は12周目にアクシデントでリタイアでした!








これでシューマッハが年間9勝目を飾るとともにベネトンのコンストラクターズタイトルも確定・・・ベネトンの天下が今後も続くと思いや96年はシューマッハがフェラーリ移籍となりますが続きは96年日本GPで(^_-)-☆
Posted at 2020/05/01 07:28:47

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