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まとめ記事(コンテンツ)
徳小寺 無恒さん
2007/02/04
重圧 登場S130Z 名車の後は・・北米編
1978年8月。
モデルチェンジは不可能とまで言われていた「Z」が、日産の名将「高木氏」の手によりS130にスイッチされた。
コードネーム 「ZX460」 、エクステリアはキープコンセプトながら、リヤサスペンションが「ストラット」から「セミトレ」に変更された事からも見て取れるように、スポーツカーというよりグランドツゥアラーとしての性格を持って誕生した。
エンヂンは国内仕様には、販売店からの強い要請と社会的な要素(当時は2L以上の税金が異常に高かった・・)で2Lは残され、上級グレードとして2.8Lが用意された。
北米ではもちろん2.8Lオンリーで、そのトルクフルなエンヂン特性が歓迎されて、販売台数も大幅に伸び、79年には年間生産台数が10万台!!を超えた。
本来なら国内の話しから進めるべきだろうが、「Z」といえばもはや北米での活躍、躍進を語らずして先には進めないので、ココではまず北米での「S130」についてコメントしよう。。。
ほぼ日本と同時に登場したS130は、大歓声を持って迎え入れられた。

名車と言われていたS30だが、もはや時代の趨勢には適わず「排気ガス対策」や「安全性」といった部分、そしてなにより「快適性」という観点から限界が見えて来ていたのだった・・・。
それらを踏まえて登場したのがS130だった。。。
限界操縦性などを考えれば、リヤ「ストラット」のサス形状の方が良いが、振動騒音の遮断性などから「セミトレ」が採用され、空調も大幅に刷新された。
L28の豊かなトルクで、まさに北米のフリーウェイなどを走るのには最適であったが、並み居るライヴァル・・・特にポルシェ!に対抗するために、1981年からは、究極の選択「ターボ」がボルトオンされ、ノーマルの135PSから大幅に馬力アップされ180PSを得るまでになった。

S30でも北米では、モータスポーツで大活躍していた「Z」だが、さらにS130になっても盛んにモータースポーツにチャレンジしていた。
俳優ポールニューマンがドライヴしてさらに有名になり、多くのZ専門のチューナーによってIMSAシリーズでモンスターなS130が続々と繰り出された。

一例を挙げるなら、エレクトラモーティブの550PSを誇る280ZX、そして忘れてならないのがボブシャープ・レーシングのZなど・・・鮮やかなカラーリングで多くの観衆を魅了した。

S30で開拓した新しいスポーツカーのジャンルを、S130はさらに推し進め、まさに日本の・・・というよりアメリカに根ざしたスポーティカーとしてますます輝きを増す事になったのだ。

ちなみに北米での活躍が目立つ S130 だが、実は先代のS30同様に、細々とだが欧州にも輸出されていた。
排気ガス対策の緩い欧州では「280ZX-TT」と呼ばれ200PS/5600min-1、31.8Kg-m/4400min-1というとんでもない高性能を発揮していた。
最後の「DATSUN」ブランドの「Z」。
名車と言われたS30の後を継ぐ事は、いかに困難だったかは容易に想像できる。
ある意味でスポーツ性は薄れてしまったS130だが、それが逆に時代の流れに乗りS30をも超える人気を博した事は興味深い。
それではこのS130Zの日本での評価はどうだったのか?次号以降で述べたい・・・
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Posted at 2007/02/04 18:42:08
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