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2016/04/24

老舗 三菱自動車ってなんなんだろう。黎明期から戦後

 2016年4月20日。
 その日は、何の前触れもなくやって来た。 三菱自動車が軽自動車で、燃費試験の不正を行っていたことが大きなニュースとして流された。
 三菱にとって、3G83エンジン、車軸破損のクレーム隠しという大きな問題から、毎回の様に再生を誓っていた筈なのに、また歴史は繰り返された。
 
 しかし僕たちは三菱と言うメーカーをどれくらい知っているのだろうか。
そこから、今回に続く問題を紐解くカギは無いのか、僕なりに三菱の歴史を顧みてみることにした。

 三菱自動車の歴史は意外に古く、遡る事、1917年というから大正6年に三菱造船神戸造船所で一台の国産車が産声を上げた。
 その名は「三菱A型」。


どうだ!日本人にもクルマが作れたんだという自信に満ち溢れた表情が。この初心はどこへ。

 フィアットA3-3を参考にして造られたという、三菱A型は1919年には、恐らくわが国最初の量産車として製造が始まったが、当時の環境下では国産車は売れず、1921年までに20数台を製作したところで三菱の産業転換によって製造が中止された。

 三菱は航空機の製造を主力に移したのだ。

 日産の前身である、快進社自働車工場が1911年、実用自動車製造株式会社が1919年には設立されていたが、まだまだ量産というには程遠い状況であった。


同じころの日産の前進である「ダット自動車製造株式会社」のDAT号

 そうした先進性は、クルマの開発だけではなく、現代にも通じるメカニズムの先取りにも三菱の歴史に見られる。

 その一つが、フルタイムヨンクだ。

 1936年に、「野戦指揮官用全輪起動乗用車」の製造を軍から命じられ「PX33型軍用四輪駆動車試作車」という形で作り上げた。


当時のレヴェルからしてみれば、まったく外観は乗用車然としているが、中身はディーゼルを心臓に持つ、フルタイムヨンクだ!

 残念なことに、このPX33型軍用四輪駆動車は、正式に軍から製造命令が下らず、四台製造されたのみで終わってしまった。

 日本は軍靴が響き、よいよ第二次世界大戦へと突入。ゼロ戦を始め三菱の戦闘機は活躍をしたが、


三菱と言えば「ゼロ戦」が有名だが、その他の軍機も名作が多い。画像は「100式司令部偵察機」

 敢え無く終戦。

三菱は財閥解体によって、1950年には、「東日本重工業」・「中日本重工業」・「 西日本重工業」の三社に分割されてしまった。
Posted at 2016/04/25 08:33:58

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