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まとめ記事(コンテンツ)
「天ヶ淵」~八岐大蛇伝説を巡る旅7~
まず八重垣神社から山を下り、斐伊川を堰き止めている「尾原ダム」に向かいます。
ダムを横切る橋から、
ここも景色がよく、道も走りやすいデスネ。
そしてR314に合流し、三刀屋方面に斐伊川沿いを走っていくと・・・
天ヶ淵に到着です。
確かにオロチ臭がプンプンです。
淵を見るために河原に降りてみましょう!
目の前に広がるよどんだ流れ・・・
上流は・・・
急流のようです。下流は・・・
こちらも流れが速そうです。
つまり、上流、下流に流れの速い場所があり、ちょうどこの正面が流れが急に緩やかに深くなっており、淵を形作っているのです。言われていれば、何かいそうな雰囲気があります。
この淵の正面に「萬歳山(バンザイサン)」と呼ばれる山があり、実は当初、クシナダヒメとその両親、アシナヅチ・テナヅチが住んでいたところとされています。
こんなオロチのいるすぐ側に住んでいたなんて、不幸です。
竹林の向こうに見える山が、その「萬歳山」です。
アシナヅチ・テナヅチはオロチが襲ってくるたびに、娘らとともに、この山に逃げ込んだらしいです。
でも、娘たちは一人、二人と襲われてしまったのでしょう。
この天ヶ淵、地図で見るとよくわかることがあります。
「たたら製鉄」が行われていた「金屋子神社」周辺から陸路や小さな川を船などで下ると斐伊川に合流するのです。そして天ヶ淵あたりで川幅も広くなり大きな船で下ることができそうです。つまり、周りの山で作られた「鉄」を運搬する交通路になっている場所なのです(妄想)。
ということは八岐大蛇(オロチ族)をおびき出すには格好の場所になりそうです。
おそらく、スサノオノミコトはこの辺りで、八岐大蛇の姿を確認し、作戦を実行します。
それは、もっと下流までおびき寄せたんだと思います。
なぜならこの川沿いでは、戦うには狭く、もっと下流の開けた土地までおびき寄せる必要があったからだと思います。船に酒樽をのせて、下って行ったのかもしれません。
クシナダヒメやその両親も一緒だったと思いますので、彼らは生きた心地がしなかったでしょうね。
このあたりの詳しい描写は神楽を見るとよくわかります。(今は現代風にストーリーを変えている劇団もありますが)アシナヅチ・テナヅチが重い酒樽を一生懸命担いでクシナダヒメの座る台の前に置きます。この台、まさしく供物台。生贄の台に見えます。
震えておびえるクシナダヒメの前に大蛇たちが静かに集まってくる場面はとっても怖いですよ。
別の解釈をすると、スサノウノミコトがオロチ族にクシナダヒメを捕らえたので、屋敷で宴会をしようと、持ち掛けたのが荷物の集積場の天が淵近辺だったのかもしれません。
オロチ族の幹部や族長は、山に住んでいたのではなく、おそらく下流の開けた場所に大きな屋敷を構えて住んでいたんだと思います。
そして宴会が始まります。
続きは、次回に!
では!
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