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2021/05/03

大国主伝説を巡る旅Part2 番外編 加茂岩倉遺跡

  佐香神社から次は趣向を変えて、なぜ出雲が古事記などの舞台なの?という疑問の答えが推察できる場所へ向かいます。

出雲市=島根県 というと
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とか
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なんて吉田君に自虐ネタで語られるほどの地域ですが、縄文、弥生時代には日本の中心地と呼べるくらい有名だったんです!!
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宍道湖から少し山の中に入っていきます。
目的地は「加茂岩倉遺跡」です。
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駐車場に銅鐸!
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この山道の向こうにあります。
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登りきるとこのような展示ハウスもあります。
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けっこうな山道を登っていきます。
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春真っただ中。
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あと100メートル。(*´Д`)
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到着です。
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ってこの上ですか!!
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とうちゃく!
これは発掘当時の様子を再現した模型になります。
こんな感じで銅鐸やらなんやらがごっそり出てきたそうです。
道路工事の最中だそうです。
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どうやら祭壇のようなものの盛り土に埋められていたようです。
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こんな穴もあったそうです。用途不明だそうです。
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銅鐸は入れ子になっている構造で最近の研究でこれをつるして風鈴のような舌と呼ぶ板で鳴らしていたそうです。
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特筆すべきはその多さ。日本の中でも荒神谷遺跡に並んで数が多いそうです。
そんな力を持った部族が縄文から弥生時代にかけて出雲周辺に暮らしていたのです。
この時代にこのように祭祀を行えるような余裕を持った暮らしができるということは、いかに豊かだったかということでしょう。
ではなぜなのか?
考古学のお勉強の時間です(笑)
現在の日本地図です。
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みなさん わかりますよねー。東京、大阪など大都市は太平洋側に集中しています。
でもこれ日本という国が出来上がって以降の地図の見方なんです。
島根県 出雲市 遠いですよねー。
でも最新の研究から縄文、弥生時代の見方で日本を見ると・・・
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こうなるんです!
そう 大陸から見た日本。出雲なんて目と鼻の先ですよ。日本海は大きな湖と言ってもいいくらい身近です。なので、大陸から人や物が来るとしたら出雲か福岡、金沢辺りなんです!古代の日本では日本海ネットワークと呼ばれる経済圏が存在し出雲はその中心地だった!という仮説が広く知られるようになっています。

事実、日本海側には大きな集落の遺跡が数多く見つかっています。しかも出雲という地理は西や東に向かうには絶好の拠点。中海という宍道湖を中心とした天然の大きな港も完備。間違いなく当時日本の中心地です。

妄想ですが出雲は物流の拠点としてももちろんですが、祭祀を中心とした政治を行っていた神聖国家だったのではないでしょうか?

他部族と激しく戦争することなく交易と女性シャーマンからの神託により異なる意見をまとめ上げて問題を解決するシステムを最初に構築して世に広めたのが出雲だったのでは?

面白い仮説があります。弥生時代に九州北部(福岡・佐賀)辺りは内乱が続いていました。北九州も大陸との交易によって栄えていたのですが、稲作などの食料安定供給ができると富を蓄えた部族を襲ってその支配下に置くという戦争です。困った部族の族長たちは協議し共通の巫女(シャーマン)を立ててその神託に従うという政治を行いました。これにより内乱は鎮まっていったという説です。これがあの「卑弥呼」であると。

おそらく「卑弥呼」は一人ではなく各地の部族に配置されたと思います。この「卑弥呼システム」の最初が出雲!だったらすごいことですよね!

余談ですが「卑弥呼」は大陸での当て字、本来は「日の巫女」=天照大神を祀る巫女という意味という説もあります。

いやーすみません。みんカラで語る話じゃなかったですよね。
止まらなくなるので、この話はまた次回でも。

そんな思いを胸に今日のお宿のある松江に向かいます。
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左奥に街並みが見えてきました。
今日の宿はビジネスホテル。
夕食はコロナのこともあるのでコンビニで買うことにして、数年前にかなわなかった夕日を拝みに行きます!
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雲一つない天気!
期待が募ります。
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おおーっ!
イイねー
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やっと見れました。
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沈みます。
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それではまた明日。

では!
Posted at 2021/05/05 20:11:56

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