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まとめ記事(コンテンツ)
2018/07/22
「昭和4×年男」の想い出(4)夏休み 前編
アラフィフになった今は、「夏」と聞くと、「暑いのはいいから、早く秋が来ないかな~」と切実に願うようになりましたが、子供の頃は、「いつまでも夏(=正確に言うと夏休み)が続けばいいのに・・・」と考えていました。
私が子供だった昭和50年代前半は、夏といっても昨今のような異常な暑さではありませんでした。実際、8月も20日を過ぎると(晴れても)最高気温が30度に届かない日が増え、プールに行けば、見上げた空の高さと吹く風に秋の気配を感じ、夏の終わりを文字通り体感したものです。
今回、改めて過去の気温を調べてみたら、今年同様に梅雨明けが早く、例年に比べ暑かった昭和56年で、7月の東京の平均気温は26.3℃(今年は、昨日までで早くも28.3℃)、また7月と8月を通しても、猛暑日は0日でした(そもそも当時は、猛暑日という言葉もありませんでしたが・・・)
なので、夏が嫌いになったのは単に年のせいだけでなく、こう連日のように猛暑日が続くと、子供でもうんざりしているのかもしれませんが・・・
とまあ、前置きはこのぐらいにして、当時の夏休みの想い出を。
(1)旅行(帰省編)
当時は、一般的に企業の夏期休暇も3日程度と短く、それもお盆の時期に一斉に取るという時代だったので、小さい頃は田舎に帰省する時も、母親と子供たちだけで先に行き(1週間ほど滞在)、父親は後で来るパターンでした。
因みに、父親はブリヂストンタイヤ(現:ブリヂストン)でエンジニアをしていましたが、土曜半ドンを経て完全週休2日に移行したのは、確か80年代に入ってからの話でした。松下などの一部企業は先行していたみたいですが、70年代は上場企業も役所も殆どが土曜半ドンという時代でした(それも隔週とか)
私の場合、田舎が南九州だったので、毎年帰省するという訳にはいかず、また今と違って飛行機も高かったので、小学校に上がる前は日向までフェリー+国鉄で帰った記憶があります。日豊本線ではホンモノのSLにも乗りました(観光用以外で普通に走るSLに乗ったのは、これが最初で最後)

↑日豊本線のC55(借用画像) トンネルに入る前には、皆で一斉に窓を閉めます。同線が無煙化されたのが昭和50年3月とあるので、乗ったのは49年の8月ですね。

↑途中駅で見掛けたレールバスの同型機(借用画像) それまでは「機関車やえもん」の絵本の中でしか知らなかった乗り物。
因みに、飛行機で帰省した時も、経由便の方が安かったのか、それしか空きがなかったのかはわかりませんが、途中で大分の空港に寄った記憶もあります。
今はネットで直前までチケットが買えますが、当時は切符を買うのも一苦労で、搭乗予定日よりかなり以前に、ターミナル駅にある日本交通公社(現:JTB)まで出向いて行き、買い求める必要がありました。また、LCCどころか、何とか割みたいな格安チケットもなく、飛行機に乗る時は子供でも正装して乗ったものです。
続きはまた。
Posted at 2018/07/22 13:07:05
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