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まとめ記事

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つゆのあとさき☆さだまさし
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永井荷風という文豪がいました。明治の終わりから昭和20年代まで活躍した小説家で、『あめりか物語』『ふらんす物語』『腕くらべ』『濹東綺譚』といった名作を世に残しています。慶應義塾大学文学部の教授でもあり1952年には文化勲章を受賞するなどした立派な人なのです。しかし、私生活でははなやかな女性遍歴をおくった羨ましい男なのです。最後は孤独死でしたが…。 そんな荷風先生に『つゆのあとさき』という題名の小説があります。読んだはずなのですが、全く内容を覚えていません。先に挙げた名作もそうです。学生時代に読んだのですが、どうも波長が合わなかったようです。 「つゆのあとさき」(作詞/作曲:さだまさし)は1977(昭和52)年に発売された、さだまさしの2枚目のアルバム『風見鶏』に収録されています。ほかにも「飛梅」や「吸殼の風景」などのお気に入りの曲が入っていて好きなアルバムです。 さだまさしの詞にもよくわからないものがあります。この歌もそうです。梅雨時にどうして卒業式なのでしょうか…。でも歌詞なんて全てが説明できなくてもいいのです。感じ取れればいいんですよね。梅雨の季節に卒業を思い出して ...出典:ツゥさん
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いよいよ明日は足利花火大会です。天気が心配です。どうも雨のイメージが強いのです。何度かずぶぬれになったことがあります。何とかできるとイイですね。私はというとおそらく行かないと思います。とにかく人混みが嫌いなのです。一緒に行ってくれる浴衣美人もいないしね。 「線香花火」(作詞/作曲:さだまさし)は、1976(昭和51)年に発売されました。さだまさしのソロ・デビュー曲です。 根暗の私はグレープのファンでした。彼らが解散したのはとても残念でした。解散してから約半年後にさだまさしがソロで歌い始めたのはとても嬉しかったです。あまり売れはしませんでしたが私にとっては思い出深い曲です。 学生時代に下宿していたアパート近くの坂を彼女を自転車に乗せていたときに口ずさんだのがこの歌です。カシオペアや白鳥座などの星の知識などなかったのに… NSPの「線香花火」(作詞/作曲:天野滋)も1976(昭和51)年に発売されています。この曲には特別な思いではないのですが、聴くたびに切なくなってしまいます。さだまさしのが11月発売で、NSPのものが8月発売です。同じ頃の歌だなと思っていたのですが、 ...出典:ツゥさん
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3連休の中日です。足利は良い天気です。久しぶりに足利学校に行ってきました。学校門の前にある寒紅梅が咲いていました。 受験シーズンは今がピークです。知人の娘さんのサキちゃんも今日が受験だそうです。受験生とその家族は大変ですね。頑張ってほしいものです。 「飛梅」(作詞/作曲:さだまさし)は、1977(昭和52)年に発売されたさだまさしのソロになって2枚目のアルバム『風見鶏』に収録されています。「つゆのあとさき」「吸殼の風景」「桃花源」なども収録されているお気に入りのアルバムです。 この歌は菅原道真の飛梅伝説がモチーフとなった歌です。 東風ふかばにほひをこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ この和歌は菅原道真が藤原氏との権力闘争に敗れ、大宰府へ左遷されることになった時に詠んだものです。「東風」読めますか?「春なわすれそ」意味はわかりますか?受験生なら知っているはずです。 菅原道真は現在では学問の神(天神様)として親しまれています。大宰府天満宮は一度だけ参拝したことがあります。おとといは福岡でも雪が降ったようです。大宰府も春はまだなのでしょうか…。梅は咲いたので ...出典:ツゥさん
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今日は長崎原爆忌です。 湾曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太 長崎といってすぐ浮かぶ歌手は今は福山雅治なのだそうです。まあ仕方ないですね。でも私にとってはやはりさだまさしです。さてそれではまっさんのどの曲を紹介しましようか。「広島の空」という原爆を歌った曲があります。「長崎小夜曲」という題名に長崎が入った曲もあります。あれこれ悩んだのですがこの曲にしました。 「絵はがき坂」(作詩/作曲:さだまさし)は1977(昭和52)年に発売された「雨やどり」のB面です。「線香花火」につぐソロになって2枚目のシングルです。私が聴いたのはソロ1枚目のアルバム『帰去来』においてでした。 長崎は坂が多い街として知られています。若い頃一緒に長崎に行った女性が「長崎では上り坂と下り坂、どちらが多いか知ってる?」という問いに真面目に考えられて困ったことがあります。またその時にタクシーの運転手さんから「他の街に比べて長崎ではあまり見られないものは何だかわかりますか?」という問題を出されました。わかりませんでした。答えは自転車です。なるほど坂の多い長崎では自転車をほとんど見ませんでした。 長 ...出典:ツゥさん
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GWが終わってしまいました。どこにも行けませんでした。それでもユー君の初節句という嬉しいこともありました。ユー君の眩しい笑顔を見ていると、じぃじもにんまりしてしまいます。人生という舞台に足を踏み出したばかりのユー君です。これからどんな物語を見せてくれるのでしょうか。なるべく長く見ていたいものですね。 「主人公」(作詞/作曲:さだまさし)は1978(昭和53)年に発売されたさだまさしの3枚目のソロアルバム『私花集(アンソロジィ)』に収録されています。さだファンの中でも人気の高い曲です。このアルバムには「檸檬」「案山子」「秋桜」といった私の好きな曲もあります。 この曲を聴いていたら私が一番きらめいていたあの頃に歩いていた学生街に行きたくなりました。あなたに逢えることはないでしょうが、あの時の名残がまだあるかもしれませんから。 総武線の各駅停車はいまだに檸檬色なのかな…。出典:ツゥさん
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さだまさしの曲が好きです。関白宣言の大ヒットにより「軟弱、右翼」など様々なバッシングを受けることもありましたが、私は一貫して歌手さだまさしが好きなんです。グレープ時代が高校時代に重なり、さだまさしとしてソロデビューしたのがちょうど大学生活のスタートと重なります。 「檸檬」(作詞/作曲:さだまさし)は1978(昭和53)年に発売されたさだまさしの3枚目のソロアルバム『私花集(アンソロジィ)』に収録されています。その頃僕は大学生で、文学を志していました。毎日本を読んでいました。音楽活動も始め、小さいコンサートで歌うようになっていました。恋もしていました。この歌はそんな僕の心にすぐに沁みてきました。 「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。」で始まる梶井基次郎の『檸檬』は当然読んでいました。この曲を聴いたときにすぐに「これは梶井の檸檬だ。」と思ったものでした。 大学は千葉でしたので、主に総武線沿線に下宿していました。西千葉、稲毛、新検見川といった駅の近くでした。神田の古書店街にも総武線を利用して時々出かけました。御茶ノ水駅から地下鉄の神田神保町駅あたりま ...出典:ツゥさん
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「風に立つライオン」(作詞/作曲:さだまさし)は、1987(昭和62)年に発売されたさだまさしの12枚目のアルバム『夢回帰線』に収録されています。あの頃は音楽と少し疎遠になり車の中では聴いていたものの、新しいCDはあまり買いませんでした。ですからこの曲を聴いたのはもう少し後だったと思います。その時の感想はこの曲は気楽に聴くたぐいの曲ではないというものでした。その後ほとんど聴くことがなく時が過ぎました。 2013(平成25)年にまた「風に立つライオン」という文字を見るようになりました。小説の題名でした。さだまさし自身によって小説化されたのでした。その時も読んでみようかなと思ったのですが、私は評判の本はすぐには読まないという天邪鬼ですのでその時も見送りました。 今日やっとのことで「風に立つライオン」読了したのです。アフリカで医療に従事する島田航一朗が主人公です。治療した現地の少年ンドゥングは心にも深い傷を負っていました。その少年を全身全霊で受け止めた航一郎は心の傷まで治すことに成功しました。時は経ってンドゥングは日本へとやってきたのでした。 感動しました。涙がすーっと頬を ...出典:ツゥさん
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皆さん、こんにちは。 足利は晴れています。近場を散歩しましたが、風も心地よく気分が少し晴れました。散歩をしている人は間違いなく少なくなりました。悪いことををしているつもりはないのですが、なんか後ろめたい気持ちになってしまいます。散歩を我慢できない私は失格なのでしょうか。 そろそろ精神的に参ってきている人が多くなったような気がします。私も心が荒んできています。音楽はそんな疲れた心を癒やしてくれます。そして免疫力をアップしてくれます。 今日はこんな曲を紹介します。泣いちゃうかな? 「関白失脚」(作詞/作曲:さだまさし)は、1994(平成6)年にリリースされた、さだまさしの50枚目のシングル「ヴァージン・ロード」のB面です。曲名でわかるように「関白宣言」のアンサーソングです。もともとはステージで「関白宣言」を冗談半分で替え歌として歌ったものが評判となり、あらためて作り直した曲だそうです。 亭主関白になりそこねたお父さんたちへの応援歌です。前半は笑わせてくれますが、後半は泣かせてくれます。 今のご時世に頑張っているのは働いているお父さんだけではありません。働いている ...出典:ツゥさん
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湯村温泉郷「杖温泉 弘法湯」に来ています。「甲府詣で」です。関東各地は夏日になったようですが甲府も暑いです。「弘法湯」のぬる湯が気持ちよいです。 今日は母の日です。私には母と呼べる人はもういませんので、ここ数年は母を偲びながら音楽ブログをアップしています。今年はこの曲にしました。 「無縁坂」(作詞/作曲:さだまさし)は、1975年に発売されたグレープの6枚目のシングルです。ドラマ『ひまわりの詩』の主題歌だったようですが、受験勉強に真面目に取り組んでいたのでそのドラマは観ていません。おそらく深夜放送のラジオで初めて聴いたのでしょう。もちろんすぐに好きになりました。 「無縁坂」はグレープとしての最後のアルバム『コミュニケーション』に収録されていますが、『グレープ・ライブ 三年坂』の中のものがとても印象に残っています。『三年坂』が発売されたのは、1976(昭和51)年2月25日にでした。私は一週間後に受験を控えていました。必死に勉強していました。母は年が明けてからこっそりとお百度参りをしているのを知っていました。母のためにも合格したいと思いました。 受験の結果は合格で ...出典:ツゥさん
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昨日、ネットのニュースを見ていると「はらぺこあおむし」という文字が目に飛び込んできました。「あの絵本のことかな?」と思いながら読むと米国の絵本作家、エリック・カールの訃報記事でした。謹んでお悔やみ申し上げます。 「はらぺこあおむし」は、娘たちのために買った絵本の中の一冊です。「ぐりとぐら」や「うさこちゃんシリーズ」などと同様に娘たちのお気に入りでした。今でも家に今あるはずだと探したのでしたのですが見つかりません。妻に訊くと孫の所にあるということでした。 絵本を探しながら口ずさんでいたのがこの歌でした♪ 「童話作家」(作詞/作曲:さだまさし)は、1976(昭和51)年に発売されたさだまさしのファーストアルバム『帰去来』に収録されています。この年の4月にグレープは解散しまいましたが、さだまさしは11月に「線香花火」でソロデビューします。同時にリリースされたのが『帰去来』だったのです。 昭和51年といえば私の学生生活が始まった年です。私が専攻したのは国語国文学でじたが、絵を描くのが苦手でしたので絵本はあまり興味がありませんでした。エリック・カールさんの「はらぺこあおむし ...出典:ツゥさん
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誰か教えてください。プーチン大統領はどうしてウクライナに侵攻しているのでしょうか。ロシアが危機に瀕していたとは思われません。世界中の人に非難されることを何故行っているのでしょうか。 今の時代では戦争も白日の下にさらされてしまいます。ロシア軍のしたことはリアルタイムでスマフォを使って全世界に流されています。情報管理を強化しても抑えることはできないのです。全世界の人が見ています。 今日はこの曲を紹介しましょう。 「防人の詩」(作詞/作曲:さだまさし)は、1980(昭和55)年に発売されたさだまさしの12枚目のシングルです。私が社会人になった年にヒットした曲です。 さだまさしはグレープの時代から暗いとか軟弱と言われていました。「関白宣言」では女性差別だと言われたりしました。何と言われようと私はさだまさしが好きだったのです。そしてこの曲では戦争賛美をするのかと批判されたり右翼とか糾弾されたりしていました。それでも私はさだまさしを嫌いになることはありませんでした。 映画『二百三高地』の主題歌でした。映画はほとんど観ない私ですのでこれも観ませんでした。テレビドラマ『二百三高 ...出典:ツゥさん
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さだまさしは中学1年生の時、ヴァイオリン修行のため長崎から単身上京し葛飾区立中川中学校に通学しました。最初は葛飾区で下宿しましたが、中学3年生からの約20年間は千葉県市川市で過ごしました。私は1976年から4年間千葉市に住んでいたので市川市と千葉市の違いはありましたが同じ千葉県人だったわけです。 当時さだまさしが市川市に住んでいることは知っていました。わざわざ訪ねて行きはしませんでしたが、京成線で市川真間駅を通りかかったときには降りてみようかなと思ったことがありました。また葛飾柴又で家庭教師のアルバイトをしていたのでけっこう近くでうろうろしていたのです。 「木根川橋」(作詞/作曲:さだまさし)は、1979(昭和54)年に発売されたさだまさしの4枚目のアルバム『夢供養』に収録されています。木根川橋は荒川に架かる橋で葛飾区立中川中学校の近くにあるようです。ここに登場する先生は数学の村山秀一先生のことだそうです。 このアルバムが発売された1979年は学生時代最後の年です。就活と卒論で忙しくて音楽もあまり聴かなくなっていました。ですからさだまさしのアルバムも『帰去来』『風見鶏 ...出典:ツゥさん
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「梅一輪酒造」に寄った理由は前のブログで書きましたが、実はもう一つ理由があったのです。「梅一輪酒造」の住所は千葉県山武市松ヶ谷です。この山武市が青春の思い出に繋がるのです。 私が学生の頃には山武市はありませんでした。2006年(平成18年)に 山武郡成東町・山武町・蓮沼村・松尾町が合併して発足しました。同級生にその松尾町に住んでいた女性がいたのです。イトウちゃんという可愛らしい娘でした。今でこそ娘さんというイメージですが、当時は私よりも大人びた雰囲気を持っていました。そんなイトウちゃんが住んでいた街を見てみたかったのです。 駅舎は当時のままのようです。なんか嬉しく思いました。初めて来たのに懐かしさも感じました。ここからイトウちゃんは大学に通っていたのだと考えると切なささえも感じてきました。そんな時に頭に浮かんできたのがこの曲でした。 「驛舎(えき)」は、1981年(昭和56年)にリリースしたさだまさしのソロのなってから13枚目のシングルです。 この歌は社会人としての一年目が終わろうとしていた時に流れていた曲です。学生時代ほどはさだまさしを聴いていませんでしたが、 ...出典:ツゥさん
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皆さん、こんにちは。 足利は秋晴れの一日でした。11月3日、文化の日は晴れの特異日と言われています。今年は大当たりでした。 午前中は文化の日と言うことで図書館に行ってきました。読書の秋ですが、どのくらい読めるでしょうか。ランチは太田市の「希舟航」でした。油淋鶏がメインの中華ランチをいただきました。食欲の秋ですね。 午後は昼寝をしてから足利市総合運動場まで散歩をしてきました。多くの人がジョギングやウォーキングをしていました。スポーツの秋です。気温があがり半数くらいの人は半袖でした。私は長袖でしたが汗ばんでしまいました。 歩いていた路傍を見ると秋桜がありました。半数くらいは花が落ちていましたがまだ咲いているのもありました。思わずこんな歌を口ずさんでしまいました♪ 「秋桜」(作詞/作曲:さだまさし)は、1977(昭和52)年に発売された山口百恵の19枚目のシングルです。嫁ぐ娘とその母を歌った名曲です。 歌の内容から百恵ちゃんの結婚間近の曲かと思っていたのですが、そうではなかったのですね。恋人宣言をしたのが2年後の1979年で結婚式は1980年11月19日でした。21歳 ...出典:ツゥさん
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先日、母校である足高の図書館に入る機会がありました。ほぼ半世紀ぶりでした。 高校入学後に入部した運動部はすぐに退部してしまいました。帰宅部となり遊び惚けいていたのですが、これではいけないと思い学校の図書館に行ってみました。読書は嫌いではなかったのですが、かといって好きでもありませんでした。とりあえず新潮文庫のコーナーに行って文庫本を借りて読むようになりました。夏目漱石の「こころ」など文学品を中心に読みました。三木清の「人生論ノート」などという哲学の本も読みましたがちんぷんかんぷんでした。 高校一年の終わりか二年生になった頃に文学の世界にもっと浸りたいと思い、日本文学の全集がある書棚を覗いてみました。その時に目にとまったのが太宰治全集でした。名前は知っていました。中学校の時に太宰の作品で読書感想文を書いたことがあります。全集を読み進めているうちにすっかりはまってしまいました。いわゆる青春のはしかに罹ってしまったのです。 「道化師のソネット」(作詩/作曲:さだまさし)は、1980(昭和55)年2月に発売されたさだまさしの17枚目のシングルです。 1980年は学生時代最後 ...出典:ツゥさん
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皆さん、こんばんは。 今日の足利は朝から晴れていました。春らしい穏やかな一日でした。太田まで所用があって行ってきましたが、足利・太田の多くの桜が満開でした。今週末まで楽しませてくれそうです。また蒲公英、ヒナギク、ボケ、牡丹も美しく咲いています。まさしく春爛漫です。 今回は音楽ブログです。この人のこの曲を紹介しますが知っていますか? 「春爛漫」(作詞/作曲:さだまさし)は、2004年に発売されたさだまさしの30枚目のアルバム『恋文』に収録されています。このアルバムは持っていません。でもこの曲はなぜか知っているのです。桜の季節になるとふと口ずさんでしまいます。歌詞がイイですね 今日4月11日はさだまさしさんの誕生日です。まっさんも72歳になりましたが、昨年の紅白に出演するなどばりばりの現役です。まっさんの歌を聴くと泣いてしまうこともありますが、頑張ろうという気が起きて来るんですよね。 ほら桜が咲いた♪ 咲いた♪ 咲いた♪出典:ツゥさん
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カミュの『異邦人』を読んだのは高校1年の夏休みでした。部活動にも所属していなかったので何かやろうと学校の図書館に行きました。その一角に新潮文庫がありました。手当たり次第読みました。『異邦人』以外には、スタンダールの『赤と黒』、カフカの『変身』、イプセンの『人形の家』などを読んだのですが、欧米文学は性に合わなかったのでそれ以上は読んでいません。高校時代は太宰治などの日本文学を読み漁ったのでした。 国文学を専攻する文学部の学生となって読書の傍らフォークソングを聴いていました。さだまさしこの曲を聴いた時には『異邦人』をもとに作った曲なのだろうと思って聴いていたものでした♪ 「異邦人」(作詞/作曲:さだまさし)は、1976(昭和51)年に発売されたさだまさしのソロとしてのデビューアルバム『帰去来』に収録されています。このブログでは「線香花火」「童話作家」「絵はがき坂」を紹介しています。 歌詞の最後に「太陽が眩しいから」とありますのでカミュの『異邦人』を意識していたのは間違いありません。しかし、内容はまったく違います。殺人事件などは出てきません。異国の地に死んでしまった恋人の形 ...出典:ツゥさん
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