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まとめ記事
御朱印放浪記(長野県)
ぎるでぃさん
2017/03/18
1,860
長野県での御朱印放浪記を
2016年9月11日「諏訪大社上社前宮」「諏訪大社上社本宮」「諏訪大社下社春宮」「諏訪大社下社秋宮」
10月1日「戸隠神社 宝光社・火之御子社」「戸隠神社 中社」「戸隠神社 奥社・九頭竜社」「善光寺」
10月2日「穂高神社(里宮)」「有明山神社(里宮)」
2018年1月16日「 熊野皇大神社」
2月3日「諏訪大社上社本宮(再)」「諏訪大社上社前宮(再)」「八剱神社」「足長神社」「手長神社」「諏訪大社下社秋宮(再)」「諏訪大社下社春宮(再)」
2019年5月2日「善光寺」「戸隠神社・中社」「戸隠神社・奥社・九頭龍社」「戸隠神社・宝光社・火之御子社」
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タブレット充電用のUSBコネクタを作ってもらったのでその使用感の確認と 御朱印帳がそろそろいっぱいになってきたので(片面ですが 新調しようかなぁ・・と・・思って 諏訪の方にちょこっとばかし行ってみました 高速道路(北関東~関越~上信越~中部横断自動車道)で佐久南で降りて白樺湖のわきを抜けて諏訪へ(ざっくり過ぎる説明だなぁ とりあえず近い方の前宮から行ってみました(4箇所もあるのですね こちらの駐車場に車をとめて押ボタン信号の横断歩道を渡って 鳥居をくぐって案内板を見ると の・・登るの? 気を取りないして歩き出しますと 途中道路に出てちょっと不安になっちゃいましたが 思ったよりすぐ近くに 参拝をして御朱印帳を新調しようかなと社務所へ行って 今回は黒を選択(結構このデザイン気に入った♪出典:ぎるでぃさん
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上社前宮の次に上社本宮に向かいました 前宮と本宮は車ですとすぐにつくことができまして 私はこちらの駐車場に止めて参拝に向かいました 道路を渡って(こちらには信号がなかった) てくてくと 近づいてみると何やら左手側の方から賑やかな雰囲気が ふと見るとそこには お相撲様(雷電為右衛門(らいでん・ためえもん))のお姿が♪ や・・音源はもっと奥の方から・・ で行ってみますと お♪神楽殿が使われてるの初めて見ました(普段祭事を見に行ってないから・・わたし・・) 大太鼓がすごい迫力です さらに お・・御相撲? 神社の土俵が使われるのを見たのも初めてで気分が高揚します 豚汁も振る舞われていましたが町内の方用っぽいのでちょっと心残り・・ さて案内図によると 入口は一旦東参道方向に行くことになるのですね こちらから入って てくてくと・・ こちらで参拝をしました よく見ると奥の方に丸い鏡が♪ (むかぁし某大河ドラマもので武田信玄物とかの時に似たようなの見た気がする・・って独りで興奮していたり・・) さて参拝のあと御朱印を記帳してもらいましたのですが 社務所に数量限定の特別 ...出典:ぎるでぃさん
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上社本宮を後にしてふと御朱印帳を見てみると右下に小さな文字が… 御朱印の記帳するが所が決まっているっぽい感じ? その順番どおりですと次は下社春宮かなぁ・・と思って 次は春宮へと向かいました 上社本宮からですと諏訪湖の対岸側にありまして・ (むかぁし御神渡り見たときの写真・・) 諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへと渡る恋の道が御神渡りとか・・ そういえば以前御神渡りを見に来たときは諏訪大社に寄っていないとゆう… さて(相変わらず話をうまく繋げられませんですが)春宮です 駐車場への道の真ん中に いきなり橋が(下馬橋とゆうらしい)あったりしてびっくりしましたが こちらの駐車場の停めて春宮へ こちらが下社春宮ですが なんか中が騒がしい(?)・・ 近づいてみると むむ? なんか落ちてきたぁぁ(不意打ち過ぎて撮れなかったとゆう失態) そして沸き起こる拍手と万歳(そしてその時まだ状況が解っていないワタシ 行ってしまった (参拝をした後に)社務所の方に聞いてみたら地域の神社の柱で春宮とは関係がないらしい・・です 地域の神社でもやっているのですね・・ さてさて(今度こそ) ...出典:ぎるでぃさん
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さて諏訪大社巡りも残すは下社秋宮に 流石に昼頃になってきたせいなのかと駐車場も混んできていましたので 奥の方(裏口っぽいところ?)の駐車場に止めました 駐車場から社務所前を抜けても入れそうですが ここ話やはり鳥居をくぐっていきたいので こちらから(諏訪についたときはどんより曇り空でしたが晴れてきました♪) ちょっとみ坂道に見えちゃうかもしれませんですがそれほどでもありませんですので楽ちんです 参道をてくてくと歩きますと 境内の真ん中に立派な注連縄がひときわ目を引く神楽殿があります こちらの神楽殿にはお賽銭箱も置いてありまして ここで参拝する方も(私もしましたが) さて 神楽殿をぐるっと回りこみまして こちらの拝殿で参拝をしました(神楽殿に引き寄せられちゃっているせいなのかどうなのか気のせいか参拝する方が少なめ・・・ 参拝をして社務所で御朱印帳に記帳してもらいましたが こちらでも御柱祭期間限定御朱印が上社でも受けられたので 下社のも受けちゃいました(そして今 実家の神棚に並んでいます お腹がすいたので(珍しくコンビニで済まさずに)目の前のお蕎麦屋さんでて ...出典:ぎるでぃさん
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ちょこっとばかし長野に行って戸隠神社へ行ってみました 長野市まで高速道路を使って善光寺の近くを通って坂道を上って まずは宝光社から むむ 最初のお社から石段のお迎えが・・ 何とか石段を登って 無事参拝をして記帳をしてもらって ふと何気なく次に行くつもりの火之御子社の事を聞いてみたら 駐車場が2~3台分しかないのと御朱印はこちらか中社で記帳してもらうことになることになりますと教えてもらいました 歩きで10分ぐらいとのことでしたので たまには歩いてみようかなと とぼとぼと・・ 途中記念碑とかありましたが まぁ・・なんとか こちらで参拝をして 再び車の停めてある宝光社までとぼとぼと・・ 御朱印は中社で記帳してもらいました (戸隠神社って結構上の方にあるのですね・・出典:ぎるでぃさん
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忘れるまえに 長野に行った時の続きから・・・(なんか宿題をため込んぢゃった気分・・ 宝光社を後にしてクルマを運転して次の目的地の中社へ ・・・(事情により車はレヴォーグ君でなくnbox君で行動していますが;;) 再び坂道を暫く登りますと中社が こちらの駐車場は結構広かったです さて中社の社務所に行って火之御子社の御朱印の記帳をお願いしてから鳥居側にまわって 鳥居の向こう側には すぐに大きな三本杉が これはまた素晴らしい存在感・・ で石段を少し登って こちらで参拝をして記帳もしてもらいました ・・・ここまでは比較的楽に参拝できたのですよ・・・出典:ぎるでぃさん
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中社を後にして再び車で移動していよいよこの日の本命の目的地の奥社の方に向かいました 駐車場に車を停めて参道の方に こちらの参道をとぼとぼと・・ 最初は平坦で歩きやすいので楽に歩けます♪ さて途中にあります この随神門をくぐりますと う~~~ん・・・素晴らしい♪ 黒ずみかけている心が浄化されていく気がします(大袈裟 この杉並木を一度は見に来たかったのよねぇ(うまく撮れてないけれども・・ さて見とれながら再びとぼとぼと・・(この辺りまではまだ緩い上りです) が・・ いよいよ石段~~~>< 運動不足な私にはきっつい石段を上りますと やっと目的地の奥社にたどり着くことができました 奥社のすぐ近くには九頭竜社もありますので両方とも参拝をして記帳してもらいました この日は幸い雨は降らずにすみましたけれども 流石にお山は拝めませんでした;; 帰る途中 乳母車を押している方とか赤ちゃん抱っこして歩いている方とかと参道ですれ違いましたけれども ・・・・・・きっと私なんかよりも体力に自信なある御仁なんだろうなぁ・・・(私は自分一人分だけでへと ...出典:ぎるでぃさん
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戸隠神社(奥社)を参拝した後駐車場に向かって歩いてふとお腹がすいたので 駐車場の隣にあったお店でお勧めを聞いたら天ぷら蕎麦を勧められたので 何も考えずにお勧め通り天ぷら蕎麦を食べて一息ついて(ワタシにしては珍しくまともなものを・・・) ・・次は善光寺に間に合うかな? と・・ 善光寺に行ってみました ・・・・まぁ三時過ぎに善光寺に着いたので本堂を拝むのが精一杯でしたのでほぼ間に合っていなかったのですが なんとか本堂には入れて参拝して 「お戒壇巡り」とゆう本堂下の通路を体験しました ・・・・本当に真っ暗闇で怖かったですけれどもこれはまた楽しかったです でもこの辺りで 時間も無くなっちゃったので残念ながら一旦善光寺を後にして 辺りをてっきと~~に迷子になって(やっぱり考えなしの行動・・)何故か高速のPAで車中泊をして翌日ふたたび善光寺へ こちらが本堂です 山門です 仁王門がこちらで 草履が沢山かけられているのは何故なんだろう・・(無知でスミマセン 駐車場が本堂の裏側にありますので順序が逆になっちゃいましたが(素直に参道側に私が回り込まなかったので・・ さてこ ...出典:ぎるでぃさん
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善光寺でお昼ぐらいまで彷徨ってからふと穂高神社(里宮)へ・・・ 高速道路を使って一気に南下して(相変わらず移動に計画性が無い) さてこちらから 鳥居をくぐりますと 神舟「穂高丸」と ぽっぽのお出迎え? こちらは神楽殿が中央にお出迎えする様式なのですね こちらの拝殿で参拝をして記帳していただきましたけれども 道祖神様もお参りして記帳していただきましたが ・・・・驚きのステンレス製・・・ さてこちらは穂高駅のすぐ近くですし平らな所ですのでお気楽に参拝できましたのですけれども ・・・・奥宮もあるのですね(今頃知った・・・どうしよう・・・)出典:ぎるでぃさん
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穂高神社を後にしてこの後どおしようかなぁ・・と・・ 穂高駅のあたりまで徒歩で彷徨ってみますと 観光マップが目に入り しばし観光マップの前で悩みこむ私(まぁ・・ほぼ考えてないんですが で有明山神社とゆう表記が気になって行ってみることに ざっくり(柄にもなく)調べてみたら こちらの山門の彫刻が見ごたえがあるとのことらしいですが 確かにカッコイイ こちらで参拝をして記帳していただきましたが ・・・・こちらも山頂に奥大宮があるのですね・・・ と・・・登山は未経験ですのでちょっと(いやかなり)勘弁してください・・・出典:ぎるでぃさん
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ちと国境線を見てみたくなったので(? 碓氷峠の県境に鎮座しています (以前にも来たことはありますけれども) 熊野神社へとまた行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ かつては長倉神社熊野宮または長倉山熊野大権現と称したが、社地が信濃・上野の境界となり上野国も入ったため熊野宮と名称が短くなった[1]。また碓氷神社、熊野大権現とも呼ばれたが、1868年(慶応4年)に熊野皇大神社に改称したという。 第二次世界大戦後に宗教法人法が制定された際、都道府県ごとに宗教法人の登記がされることになったため、ひとつの神社でありながら県境を挟んで、長野県側が熊野皇大神社、群馬県側が熊野神社という別々の宗教法人となった。そのため、一つの神社だが、宮司や社務所、賽銭箱、お守り、ご祈祷は別々である。 ・・・ でして 一応国境線・・・ まぁ・・とりあえず 石段を 登りまして こちらで参拝をしまして 無事記帳して・・・・ ・・・・・・ 長野県側の熊野皇大神社は記帳していただけたのですが 群馬県側の熊野神社の方はあいにくのご不在で・・ 書置きを頂きました出典:ぎるでぃさん
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御神渡りを見てきた後 せっかく諏訪まで来たのですから 諏訪大社へも行ってみてみました (まぁ・・いつものワンパターンな行動で面白みも無くてつまらないでしょうけれども でも前回来た時と違って すっかり雪景色な参道を・・・ てくてくと・・・滑って転びましたけれども さて いつものごとくうぃきによりますと ・・・ 上社(かみしゃ)は、諏訪湖南岸、諏訪盆地の西南端にある。下社に対しては上流の位置にあたる。 本宮・前宮からなり、下社と異なり二宮は古くは本社・摂社という関係であった。御頭祭・蛙狩神事に見られるように狩猟民族的な性格を有している。 かつては本宮を主として上諏訪の中心地であったが、近世以後は北方の高島城城下町に移り、そちらに甲州街道の上諏訪宿も設けられた。 本宮(ほんみや)は、赤石山脈北端の守屋山北麓に鎮座する。 社殿6棟が国の重要文化財に指定され、社叢は落葉樹からなる自然林で長野県の天然記念物に指定されている。 ・・・ となっていまして・・ 信濃の国の一ノ宮です さて こちらから境内へ 手水が温泉!?(寒い日にはありがたいですね 白い・・白いです ...出典:ぎるでぃさん
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諏訪大社上社本宮の次に 上社前宮へと行ってみました こちらもいつものごとくうぃきによりますと ・・・ 前宮(まえみや)は、本宮の南東約2kmの地に鎮座する。諏訪の祭祀の発祥地とされる。境内には水眼(すいが)川が流れる。 当地には上社大祝の始祖とされる諏訪有員が初めて大祝に就いて以来、大祝の居館が設けられていた。大祝は神体と同視(= 現人神)されていたことから、その居館は「神殿(ごうどの)」と尊称され、周辺は「神原(ごうばら)」と呼ばれた。当地では代々の大祝職位式のほか多くの祭事が行われ、摂末社も多く置かれた。大祝は祭政両権を有したことから、当地は諏訪地方の政治の中心地であった。 のち諏訪氏は兵馬の惣領家と祭祀の大祝家とに分かれ、政治の中心地は惣領家の居城である上原城に移った。そして大祝の屋敷もまた慶長6年(1601年)に移転したが、祭事は引き続いて当地にて行われていた。 江戸時代までは「前宮社」として上社境外摂社筆頭の社格[24]を有して鎮座していたが、明治以降上社の前宮と定められた。上社の祭政一致時代の姿を色濃く残していることから、現在境内は「諏訪大社上社前宮神殿跡」 ...出典:ぎるでぃさん
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諏訪大社上社前宮の次に 八剱神社(やつるぎじんじゃ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 当社は元々、諏訪湖中にある高島の里(当時の高島村のこと。社があったのは現在の高島城がある場所)に鎮座していたが、豊臣秀吉の高島城築城に際し、現在地に遷座した。江戸時代には高島藩諏訪家が居城鎮護の神として崇敬し、明治以降は小和田村の産土神として庶民からの信仰を集め現在に至る。 当社の特殊神事として、御渡神事(みわたりしんじ)がある。「御渡り拝観の神事」として一般に知られているこの神事は、当社の神職によって行われる。(御神渡も参照のこと) 諏訪湖で御渡が観測されると、当社では臨時の総代会を開き、拝観式の日を決める。その後、宮司以下神職、および氏子総代は、自宅の門戸に注連縄を張り、精進潔斎に入る。拝観式当日は、まず社殿で修祓を行い、諏訪湖へ向かう。現地では湖周を周り、一之御渡・二之御渡・佐久之御渡を拝観して下座と上座の湖岸地点の検分を行なう。そして、社殿へ戻り、御渡の状況を祭神へ報告する「奉告祭」が行われる。引き続き、その状況により当年の農作物の作柄、世の中の吉凶、気候等の ...出典:ぎるでぃさん
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八剱神社の次の諏訪護国神社の次に 足長神社(あしながじんじゃ)へと行ってみました こちらもうぃきによりますと ・・・ 足長神社(あしながじんじゃ)は、長野県諏訪市四賀にある神社。諏訪大社上社末社。旧社格は村社。 古くは荻葺きの屋根であったため荻宮と呼ばれていた。桑原城跡山腹に鎮座する。 ・・・ となっていまして・・ こちらの石段から 境内へ こちらは山腹に鎮座していまして ここからも諏訪湖が見え・・ます♪ こちらの拝殿で参拝をしまして こちらの御朱印も手長神社の方で頂けました出典:ぎるでぃさん
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足長神社の次に 手長神社(てながじんじゃ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 創建の由諸は不明であるが、境内の近くには旧石器時代・古墳時代の複合遺跡である手長丘遺跡が、境内上方には茶臼山古墳群があり、周辺には古代から人が住んでいた。 古くは「手長宮」・「手長大明神」と称され、諏訪大社の末社であった。 元は桑原郷の総鎮守で、足摩乳命とともに祀られていた。のちに鎌倉時代に桑原郷が上桑原と下桑原に分けられたとき、下桑原に手摩乳命を祀る手長神社が作られ、上桑原の足長神社とともにそれぞれの鎮守となったとされる。 領主・武家や庶民からの崇敬が篤く、高島城の鬼門に位置することから諏訪藩家中の総鎮守とされた。 ・・・ となっていまして・・ こそぉりと道端の駐車場にレヴォーグ君を停めまして こちらから境内へ とぼとぼと・・ こちらの拝殿で参拝をしまして・・ 御朱印を頂こうと社務所の中を覗き込みましたら ・・・何やらお弁当もそこそこに電話対応であわただしそうな雰囲気でしたけれども ・・・・ 八剱神社 足長神社の分も一緒に 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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手長神社の次に 諏訪大社 下社秋宮へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 下社(しもしゃ)は、諏訪湖北岸、諏訪盆地の北縁にある。上社に対しては下流の位置にあたる。 秋宮・春宮からなり、上社と異なり二宮の地位は同格で、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する。南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり[30]、農耕民族的な性格を有している。 一帯は下諏訪の中心地で、近世には中山道・甲州街道の宿場町として下諏訪宿も設けられた。 秋宮(あきみや)は、下諏訪の春宮の町の東端に鎮座する。東方には承知川が流れている。 毎年8月-翌1月に祭神が祀られている。境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われた[31]。 ・・・ ・・となっていまして 信濃国の一ノ宮です さて こちらから境内へ こちらもやっぱり以前来た時と違って雪景色(まぁ・今回訪問したのは冬ですしね な神楽殿を眺めつつ こちらの幣拝殿で参拝をしまして 無事御朱印を記帳して ...出典:ぎるでぃさん
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諏訪大社 下社秋宮の次に 諏訪大社 下社春宮へと行ってみました こちらもうぃきによりますと ・・・ 春宮(はるみや)は、下諏訪の町の北端、秋宮の北西約1.2kmの地に鎮座する。下社最初の遷座地とされる。西方には砥川が流れている。 ・・・ ・・と・・なっていまして ・・こちらも信濃国の一ノ宮です こちらも前回訪問したことありましたけれども 今回は冬場での訪問となりまして ・・・まぁ主目的が御神渡りの(出来れば)拝見でしたので (ゃ・・御神渡り自体は結構直前気味に決定で出現しなくても行ってみようかなとは思っていましたけれども) 冬の諏訪湖畔は湖が凍るくらいですからとても寒そうな雰囲気がしたので 防寒に気を使って 普段着+チョッキ+ベスト*2+貼るカイロ*3+スバルなつなぎ+心マークなスバルジャケット(の中と外の二枚重ね) ・・・な自称とってもスバルな(?)重装備で歩いていたら(地味な恰好ではないなぁ。。 (・・・暑い・・・) まぁ・・さておき こちらから境内へ うろうろしながら こちらの幣拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただき 今回はこれで諏訪湖から撤収しまし ...出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月2日 新しい元号になりましたことですし 初詣は明治神宮に行ってみましたが 二日目は 善光寺へと行ってみました こちらは以前にも来たことはありますけれども まずはうぃきによりますと ・・・ 善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院で、住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とし、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には、「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになった。今日では御開帳が行われる丑年と未年に、より多くの参拝者が訪れる。 ・・・ となっていまして・・ 西国三十三所(番外) 坂東三十三箇所(番外) 秩父三十四箇所(番外) 西山国師遺跡霊場(客番) です ので・・こちらは坂東の三十三観音のお礼参りもありまして^^; この際一緒にと思っちゃってもいました 散り合えず北側の駐車場に車を停めて お参りをしましてから こちらでもそれなりの行列がありましたが・・ 40分ぐらいと前日に比べればまぁ・・(感覚麻痺 無事記帳もしていただきました あと限定の御朱印も出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月2日 善光寺の次に 戸隠神社中社へと行ってみました こちらも以前来たことはあるのですが まずはうぃきによりますと ・・・ 中社(ちゅうしゃ):現在地への鎮座は寛治元年(1087年)、宝光社と同時期に阿智の祝部[1]が奥社の相殿として創建された。現在の祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。知恵の神ともされる。境内周辺には樹齢約900年の三本杉があり天然記念物に指定されている。火之御子社の上1.5kmほど。旧中院。 ・・・ となっていまして・・ 流石に今回は依然と違いまして 駐車場が満杯で スキー場駐車場の方に案内されまして シャトルバスで移動を こちらから境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳もしていただきました あと 御朱印帳も出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月2日 戸隠神社・中社の次に 再びシャトルバスのお世話になりまして 奥社へと向かってみることに ・・・奥社の駐車場も満杯でしたし 昭を探す手間と 駐車料金のことも考えますと シャトルバスの方がお得感が^^; さてこちらも以前来たことはあるけれども こちらはうぃきによりますと ・・・ 九頭龍社(くずりゅうしゃ):祭神は九頭龍大神。奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。 ・・・ 奥社(おくしゃ):祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。中社から車で2.5kmほど車道を登った後、まっすぐ続く約2kmの参道(車両進入 ...出典:ぎるでぃさん
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令和元年5月2日 戸隠神社・奥社・九頭龍社の次に 火之御子社へと行ってみました こちらも以前来たことはありますが さて・・うぃきによりますと ・・・ 火之御子社(ひのみこしゃ、日之御子社とも書く):創建は天福元年(1233年)。祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。他に高皇産霊命(たかみむすびのみこと)、その娘である栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、栲幡千々姫命の夫である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀る。天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神。舞楽や芸能、また火防の神とされ、宝光社の上1.5kmほどの場所にある。なお、他の4社が神仏混淆であった時代も当社だけは一貫して神社であって、かつての顕光寺とは関係がない。 ・・・ となっていまして・・ こちらは駐車場が2~3台分しかなくって無人ですが なんとか^^;こちらから境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして15:10 ・・次に宝光社へと こちらから境内へ こちらの拝殿で参拝をしまして 宝光社と火之御子社の御朱印を 無事記帳もしていただき ...出典:ぎるでぃさん
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