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まとめ記事
御朱印放浪記(神奈川県)
ぎるでぃさん
2017/04/16
2,261
神奈川県での御朱印巡りを(まだ鎌倉周辺ぐらいですが・・しかも電車+自転車移動)
2017年3月25日「總持寺」
3月29日「鶴岡八幡宮」「円覚寺」「東慶寺」「浄智寺」「建長寺」「円応寺」「荏柄天神社」「鎌倉宮」「杉本寺」「報国寺」「浄妙寺」「岩殿寺」「安養院」「長谷寺」「御霊神社」「宝戒寺」「旗上弁財天」
9月16日「勝福寺」「寒川神社」「長谷寺」「光明寺」「星谷寺」
2018年1月20日「弘明寺」
2019年2月24日「江島神社」「江の島大師」「鵠沼伏見稲荷神社」「鶴嶺八幡宮」「三嶋神社」「平塚八幡宮」「高来神社」
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(電車で)神奈川県へと行って總持寺(そうじじ)へと行ってみました こちらは曹洞宗大本山でして・・ちょこっとばかし行ってみたかったので 早起きして出かけてみたのですが あ・・れ・・ 人の気配が^^; 近くに関係者っぽい方に聞いてみたら少々早くついてしまった模様 (9時かららしいので・・着いたのは8時・・・・ まぁせっかくですから境内を散策(^^♪ 今日もいい天気~~~♪(サザエさん風 大祖堂(だいそどう)も 仏殿もお参りをして・・ 若いお坊さんが走り回っているのを眺めたりしてから 記帳をしてもらいました出典:ぎるでぃさん
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有給使って平日に鎌倉へいって彷徨って来ました 以前からこちらへも行ってみたいと思ってはいたのですが 休日だと混みそうな気がしたのと車で行く勇気がなかったので まだ一度も行ってみたことが無かったり・・・ 鎌倉へは電車で鎌倉駅まで行って 以前名古屋へ彷徨ったときは自前の折り畳み自転車で行きましたけれども今回は そこからは鎌倉駅の隣のレンタサイクルで自転車を借りて自転車移動で・・ ・・・東京での徒歩移動での疲れもまだありましたし・・ 鎌倉も坂道がある印象もありましたので 今回は電動アシスト自転車で(^^♪ (は・・・はいぶりっとか~?)」 ではさっそく まずは鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)へ こちらも有名どころですし一ノ宮ですし駅から出たら鳥居からしてこちらに参拝ルートが解りやすくなっているような雰囲気ですし 鎌倉に来たら最初はここからかなぁ・・な・・雰囲気がしましたので さて鳥居をくぐり抜けまして 橋を渡っていくのですが真ん中の橋は柵があって渡れなかったので隣の橋を渡って 参道へ(屋台が準備を始めていましたけれどもこちらも広い参道ですね♪) さらにとぼとぼ ...出典:ぎるでぃさん
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・・・(タイトルが長い・ね)・・ 鶴岡八幡宮の次に円覚寺(えんがくじ)へと行ってみました こちらへは坂道もありますので電車で行った方が楽かもしれませんですが(JR北鎌倉駅がすぐ近くですので) 今回の自転車は電池の力で楽ちんでした(^^♪ こちらは臨済宗円覚寺派の大本山で 鎌倉観音霊場第三十三番 鎌倉地蔵霊場十四番 東国花の寺百ヶ寺 鎌倉11番 鎌倉五山第二位だそうです ただ・・少し周りをうろついてみたけれども駐輪するスペースすら見つけられないありさまで^^; とりあえず横断歩道を渡った反対側のちょっと離れたところにある有料駐輪場を利用してみました さてこちらの総門から 立派な三門(山門)とか 仏殿とかで拝みつつ 妙香池(みょうこうち)を見てみたり こちらの方丈で展示してあった掛け軸を眺めたり拝んでみたりしてみて 総門の方に戻ってから(やっぱり行動が落ち着かない・・) 記帳をしていただきました (御朱印ネタばかり宿題が溜まっていく・・鎌倉編終わってないのにまた遠出するから・・暫く記憶の曖昧な過去編ブログ状態?をちまちまと・・)出典:ぎるでぃさん
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円覚寺の次に東慶寺(とうけいじ)へと向かってみました(徒歩移動) こちらは 鎌倉三十三観音32番 東国花の寺百ヶ寺 鎌倉10番 です こちらから境内へ うぃきの画像ですと参道の梅が綺麗でしたけれども私が行ったときはまだ・・・ こちらの本堂でお参りをしてから(こちらは咲き始めていますね) 宝蔵で記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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東慶寺の次は浄智寺(じょうちじ)へと行ってみました(徒歩移動) こちらは 鎌倉三十三観音霊場 第31番 鎌倉地蔵尊霊場 第12番 鎌倉十三仏霊場 第6番(弥勒菩薩) 東国花の寺百ヶ寺 鎌倉9番 鎌倉江の島七福神(布袋尊) 鎌倉五山第四位 だそうです 中々味わいのあるこちらの石段から 曇華殿(仏殿)で拝んで 布袋像でもなで回したりして 記帳していただきました・・のですが こちらで鎌倉江ノ島七福神巡りの色紙を見かけまして ・・・実は鶴岡八幡宮の旗上弁天社でも見かけてはいたのですが その時は今回はちょっと難しいかな・・と・・思っていたのですが 少し巡れそうな気にもなったので こちらで色紙を購入しちゃったりしました♪(ほかのことに手を出すと収拾が・・出典:ぎるでぃさん
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浄智寺の後 自転車を預けていた駐輪場まで戻って(徒歩)から 来た道を鶴岡八幡宮へと戻る形で 建長寺(けんちょうじ)へと行ってみました(自転車移動) こちらは臨済宗建長寺派の大本山で 鎌倉二十四地蔵9~11番 鎌倉三十三観音霊場28番 鎌倉五山の第一位だそうです 巨福山(こふくさん)と読むらしいです こちらは総門の手前に駐車場もありました 境内に入って参道をとぼとぼ(咲きかけているところでした)と・・ これまた立派な三門(山門)とご対面(^^♪ こちらの仏殿で参拝を・・ 仏殿の背後にありました法堂はこの日は法事のため中には入れませんでした^^; さらに進みますと 唐門が・・ん?・・ここだけ妙に豪華なの・・と思ったら 芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもの。だそうです(ここだけ東照宮っぽい?) さて これまた立派な庭園で(落ち着きがないからちょっぴりだけ)黄昏たりしてから 総門の方に戻って記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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建長寺の次にほぼ道の向かい側にある(徒歩移動) 円応寺(えんのうじ)へと行ってみることにしました ネットで御朱印調べていたらこちらの御朱印が迫力があって興味がわいたっていうのもありますが 閻魔王を本尊に祀っているお寺さんも珍しい気もしますし こちらは 鎌倉地蔵尊霊場 第8番 鎌倉十三仏 第5番(地蔵菩薩) だそうです さてこちらの山門から境内へと入って(撮影禁止でした) 本堂でお参りをして記帳もしていただきました 本堂では閻魔像や十王像等の像を安置しているからなのか 大胆な十王の御朱印ですね出典:ぎるでぃさん
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円応寺の後 今回鎌倉での第一目的地の某お寺へ行ってみようとして移動してみる途中で(自転車移動) ふと鳥居を見かけたので 荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)へと立ち寄ってみました(気軽な寄り道気分で) こちらは菅原道真を祀る神社だそうです この石段を上りまして神門をくぐり抜けまして こちらの拝殿で参拝をして 記帳をしていただきました出典:ぎるでぃさん
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荏柄天神社を出てみたら他の鳥居が目に入ったので 鎌倉宮(かまくらぐう)へと行ってみることに(自転車移動) こちらは護良親王(もりながしんのう)を祭神とするらしいです さて近寄ってみますと 2トーンカラーな鳥居をくぐって境内へ 参道をとぼとぼと・・・ こちらの拝殿で参拝をして記帳をしていただきました出典:ぎるでぃさん
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鎌倉宮のあと杉本寺(すぎもとでら)へと行ってきました(自転車移動) こちらは 坂東三十三箇所・鎌倉三十三箇所第1番札所 鎌倉地蔵尊霊場第4・6番札所 でして・・ こちらも境内は撮影禁止でしたけれども 街道のすぐ脇から石段の参道ですのですぐ近くに自転車を置くスペースすら見つけられなかったり とにもかくにも結構ある石段を上って 今回の鎌倉に来た目的を・・(浮気だ・・) 気が向いたときに少しづつ手を付けようと思っていますけれども 最初ぐらいは出来れば最初の一番札所から手を付けたいなぁ・・と・・ (手を広げすぎて収拾がつかなくなるパターン。。。かも)出典:ぎるでぃさん
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杉本寺の後 報国寺(ほうこくじ)へと行ってみることに こちらは 鎌倉観音霊場 第10番 鎌倉十三仏霊場 第8番(観音菩薩) 東国花の寺百ヶ寺 鎌倉5番 です こちらは境内に竹林があって「竹の寺」とも言われているらしいです こちらでお参りをして記帳をお願いして・・その間にお庭徘徊を・・ 写真撮るのむぢゅかちぃ・・出典:ぎるでぃさん
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報国寺の後に浄妙寺(じょうみょうじ)へと行ってみました(自転車移動) こちらは 鎌倉五山の第五位。 鎌倉三十三観音第9番 鎌倉十三仏霊場 第2番(釈迦如来) だそうです さてこちらから境内へ 庭園(枯山水の庭園だそうです)も眺めつつ こちらの本堂でお参りをしてから記帳をしていただきました出典:ぎるでぃさん
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浄妙寺の次に岩殿寺(がんでんじ)へと(自転車移動) ちこっと距離があったり坂道もあったりしましたけれども電池ぱわぁで何とか乗り切りました (文明の利器って・・す・・すばらしい) こちらは坂東三十三箇所 第2番だそうでして・・ 1番から4番札所までは鎌倉に集まっていますので4番札所までは続けていってみたいところなのですが・・さて・・ 参道を進みますと また石段・・・(ぇ~~) と・・とりあえず・・半泣きになりながら石段を上って こちらでお参りをして・・・む?・・・人の気配が?・・感じられない? ふみゅぅ・・・ とりあえず・・また石段を下って 下で記帳をしていただいたところ・・ ・・・そちらの方が本堂でした・・・(と…乏しい体力が・・)出典:ぎるでぃさん
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岩殿寺の後 安養院(あんよういん)へと行ってみることに こちらは 坂東三十三箇所第3番札所 鎌倉観音霊場第3番札所 鎌倉地蔵霊場24番札所 です 説明の看板の写真ですとツツジが綺麗なのですが この日はまだ季節ではないようで・・ さてこちらの本堂でお参りをして記帳をしていただきました出典:ぎるでぃさん
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安養院の後 長谷寺(はせでら)へと行ってみることに(自転車移動) こちらは 坂東三十三観音4番 鎌倉三十三観音霊場4番 鎌倉江の島七福神(大黒天) です こちらは観光客が沢山いましたけれども(外国の方々も) 人気処なのかしら まぁ・・さてとりあえず こちらの山門の隣の入り口から入りまして 御朱印帳と七福神の色紙を預けて境内へと 途中で地蔵堂で拝んでみたりして こちらの観音堂でお参りをしました 経蔵(輪蔵)とか 阿弥陀堂とか 弁天堂とか 大黒堂とかを眺めたりお参りしたりして 弁天窟に潜り込んだりして その後に記帳していただいた御朱印帳と色紙を拝見しました出典:ぎるでぃさん
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長谷寺の次には御霊神社(ごりょうじんじゃ)へとすぐ近くなので行ってみました こちらは 鎌倉江の島七福神(福禄寿) ということですので色紙に御朱印を頂きたいなぁ・・との下心もありまして・・ こちらから 参拝をして記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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御霊神社の後に本覚寺→妙隆寺→と行ってから(日蓮宗用に購入していた御朱印帳忘れてたの・・) 宝戒寺(ほうかいじ)へと行ってみました こちらは 鎌倉江の島七福神(毘沙門天) 鎌倉観音霊場第二番 鎌倉地蔵尊霊場第一番 萩(ハギ)の名所として知られ、「萩の寺」とも呼ばれる。 だそうです さてさてもう日が暮れかけているので内心ドキドキしながらもこちらの参道から境内へ こちらの本堂へと行きまして 中に入りますと同じ色紙を持っている方々が並んでいましたので お参りをしてから列に並んで記帳をしていただきました(私が最後らしかったですけれども><)出典:ぎるでぃさん
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宝戒寺のあと鶴岡八幡宮へと再び戻り旗上弁財天へと・・(それぞれ写真は朝撮ったものですけれども) こちらの橋を渡りまして・・ こちらの社殿で 再び参拝をして色紙に記帳をしていただきました 後は江ノ島が残ってしまいましたけれども・・ まだ途中までですけれども結構色紙でも絵になっている気がする(カッコイイ・・カモ) (御朱印帳には朝参拝をしたときに記帳していただきました) そして借りていた自転車を返して鎌倉を後にして電車に乗って帰りました(結構巡りまわった気がしますが アシスト自転車のおかげで帰りの電車に乗る程度の体力は残っていて助かるました♡出典:ぎるでぃさん
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ブログのネタもないので(なんて理由だ。。) 久しぶりに御朱印を拝みに行こうかなぁと 勝福寺(しょうふくじ)へと行ってみました こちらは 坂東三十三箇所第5番札所 でして 観音霊場の続きをと思い至りまして(忘れていたわけでは無いのですょぉ・・・時間と予算が無かっただけで まぁ・・さて こちらの仁王門からとぼとぼと この日は予報ですと雨っぽいことでしたけれどもあまり降られずにすみまして 境内に入りますと これまたご立派な大銀杏がお迎えを(^^♪ こちらの本堂でお参りをして記帳していただきました 本堂内の大きい提灯も♪出典:ぎるでぃさん
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寒川神社(さむかわじんじゃ)にも行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 神奈川県中央南部、相模川河口から約7km遡った左岸の低台地上に鎮座する。古代には相模湾がここまで入り込んでおり、神社からさらに8キロ上流の海老名市国分付近に相模国分寺があった。朝廷からも名神大社として崇敬された。相模国における延喜式内社十三社の中でも、大社とされたのは当社のみである[3]。なお、『寒川(さむかわ)』に『佐無加波』の漢字を当てた例もある[4]。 現在も八方除の守護神として関東一円から参拝者が集まり、正月の三が日にはのべ40万人が初詣に訪れる。なお、新年の幕開けとなる元日午前0時には大太鼓の合図と共に八方除祭・元旦祈祷祭が行われ、近年では迎春ねぶたの初点灯も実施されている。一方、テレビ放送の関係者には古くから「視聴率祈願の神社」として知られ、新番組開始前に参拝を行うとされる[5]。高倉健など、芸能人の参拝者も多い[5]。 ・・・(コピペ長いょ) となっていまして・・ 相模国の一ノ宮です さて とちらから境内に(^^♪ 何も考えずに参道をとぼとぼと こちらの神門をくぐ ...出典:ぎるでぃさん
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長谷寺(はせでら)へも行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 長谷寺(はせでら)は、神奈川県厚木市にある高野山真言宗の寺院。山号は飯上山。本尊は十一面観世音菩薩で、坂東三十三観音霊場第6番札所、東国花の寺百ヶ寺神奈川6番札所である。飯山観音とも称される。 ・・・ でして 坂東三十三か所観音霊場の六番目の札所ということになっています さて こちらの参道から参拝へと向かってみたのですが 車で来る途中の道端に観光バスが留まっていたなぁ・・と思っていたら ワタシみたいな軽い気分なのと違って気合の入った本格派な方々が・・^^; と・・とりあえずお参りをしまして記帳を・・・ 団体様の記帳で御朱印帳の山とか掛け軸とかを目撃しつつ まぁ・・なんとか記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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光明寺(こうみょうじ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 伝承によれば702年(大宝2年)に海女が海中から観音像を得たという。その後道儀上人が一宇を建立しこの観音像を安置したのが光明寺の始まりという。 中世には源頼朝の帰依を得、寺領も寄進されている。江戸時代には江戸幕府の帰依を得、1697年(元禄10年)に伽藍が復興されている。明治初期には一時衰退したが、近年復興された。 ・・・ ということでして 坂東三十三か所観音霊場の7番目の札所ということになっています さて こちらから境内へ入りまして こちらの観音堂でお参りをしまして 記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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星谷寺(しょうこくじ・ほしやでら)へと行ってみました こちらもうぃきによりますと ・・・ この寺は、もとは寺の北東にある山頂(現在の座間谷戸山公園・伝説の丘)にあった観音堂の別当寺として建立されたもので、観音堂とともに行基によって創建されたと伝えられる。観音堂は鎌倉時代に焼失し、現在地に移されたと伝えられる。江戸時代には、江戸幕府から朱印状を与えられていた。この寺には、古くから「星谷寺の七不思議」(銅鐘・星の井・楠の化石・咲き分け散りの椿・観音草・根不断開花の桜・下りの紅葉)の言い伝えがある。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三箇所第8番札所となっています さてこちらから境内へ こちらの観音堂でお参りをしまして 無事記帳もしていただけました出典:ぎるでぃさん
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浅草寺の次に周辺を見渡してもお隣さんの神社様はまだ開いていませんでしたので 弘明寺(ぐみょうじ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 弘明寺(ぐみょうじ)は、横浜市南区にある高野山真言宗の寺院。瑞應山蓮華院と号し、横浜市内最古の寺院である。 本尊の木造十一面観音立像(通称「弘明寺観音」)は、国の重要文化財。 寺名は駅名、町名などにも広く使われ、江戸期から明治22年までは一帯を弘明寺村(のちに弘明寺町)と呼んでいた[1]。 鎌倉時代には「求明寺(ぐみょうじ)」と表されていた[2]。 その後、呉音で同じ「ぐ」と読む観音経偈文にある「弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい)」の弘の字を当てて弘明寺に改めたといわれている。 ・・・ となっていまして・・ 坂東三十三観音 第14番 武相不動尊 第18番 です 電車で移動して南下してみましたけれども 弘明寺駅(ぐみょうじえき)駅のすぐ近くに鎮座していまして ・・こちらも電車で行った方が楽ちんでした♪ さてこちらの仁王門から境内へ入りまして こちらの本堂でお参りをしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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2月24日 相変わらずのビート君の慣らしを兼ねた放浪ついでに 以前途中まで進めていてほったらかしで鎌倉江ノ島七福神 も・・・忘れかけていたので・・・ 江ノ島は江島神社へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 社伝によれば、欽明天皇13年(552年?)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。神仏習合により当社は金亀山与願寺と称する寺となった。『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになった[2]。 当社には岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当があり、それぞれ岩屋本宮(現在の奥津宮)・上之宮(現在の中津宮)・下之宮(現在の辺津宮)を管理していた。その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。慶安2年(1649年)に京都・仁和寺の末寺となってからは、岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。三 ...出典:ぎるでぃさん
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2月24日 江島神社の次(といいますか途中)に 江の島大師へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 江の島は、欽明天皇13年(552年?)に海底より隆起して生まれたとされ(江嶋縁起)。弘仁5年(814年)には弘法大師空海が岩屋に参拝し社殿を創建したとのを起源とする神仏習合の金亀山与願寺があった。しかしながら、明治維新期の廃仏毀釈や神仏分離令により、与願寺の神道部分は江島神社となって存続する一方で、寺は廃され僧侶は全員僧籍を離れて神職となった。 江の島大師は、島から仏教寺院がなくなって百数十年を経た1993年(平成5年)、1964年(昭和39年)に廃業した旅館「江の島館」跡地に、最福寺 (鹿児島市)の関東別院として創建された。本尊は不動明王で、室内にある像としては国内最大の高さ6mの威容を誇り、赤不動とよばれている[1]。 ・・・ となっていまして・・ うぃきですと宗派は単立となっていますが 記帳していただいた御朱印には真言宗と見えるような・・はて? まぁ・・さて 境内へと なかは・・・黒くって(視力的な要因で)よく見えなかったけれども なんとか ...出典:ぎるでぃさん
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2月24日 江の島大師(と・・いいますか江ノ島)の次に 鵠沼伏見稲荷神社(くげぬまふしみいなりじんじゃ) へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 1937年(昭和12年)、鵠沼海岸に官幣大社稲荷神社附属稲荷講社鵠沼支部(鵠沼道場)が創立され、同地に隠棲していた元官幣大社稲荷神社宮司高山昇が道場管理者として就任した。其の後、鵠沼海岸では産土神社を創建しようとする機運が高まり、地元総代と高山昇が中心となり準備が開始され、1941年(昭和16年)に神奈川県の認可を受け現在地に境内を設定。1943年(昭和18年)5月12日に官幣大社稲荷神社の御分霊を勧請して鎮座になった。尚、当時は神祇院官制下であり且つ戦時中でもあり、藤沢市鵠沼字中井(藤沢市立鵠沼小学校の北側)に、かつては霊泉の湧く稲荷社があったが、関東大震災後この霊泉が涸れ衰退してしまったので、この神社を移転する形式をとって創立した。創立時の宮司(当時は社掌)は藤沢市鵠沼に鎮座する村社皇大神宮社掌関根公彦が兼務した ・・・ となっていまして クルマは参道脇の駐車場に置きまして 早速 こちらの鳥居から ...出典:ぎるでぃさん
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2月24日 鵠沼伏見稲荷神の次に 鶴嶺八幡宮(つるみね はちまんぐう) へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 鶴嶺八幡宮(つるみね はちまんぐう)は、神奈川県茅ヶ崎市浜之郷にある神社。別名は鶴嶺八幡社。 相模国茅ヶ崎の総社として往古より八幡信仰の本地として名高い[1]。また鶴嶺八幡宮によると、源氏が関東へ進出する際、創建した最初の氏社という。 ・・・ となっていまして・・ 道路脇が駐車場らしいので こっそり駐車。。ひっそり緑色が風景に溶け込んで迷彩っぽく紛れ込んでるかもなビート君。。 (何故かおじちゃんが寄ってきたけれども まぁ・・さて 参道をとぼとと・・ 大銀杏に目を奪われちゃいましたが こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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2月24日 鶴嶺八幡宮の次に せっかく茅ヶ崎に来たのですから? サザン神社へと行ってみました こちらの由緒は・・流石に?うぃきには見つけられませんでしたが 一応参拝もしまして・・御朱印は・・人の気配がないので断念を><(ネットで調べたら御朱印はありそうな感じだったのですが^^。 ま・・・まぁ・・ とりあえず気を取り直して 三嶋神社(みしまじんじゃ)へと行ってみました こちらの方はうぃきによりますと ・・・ 創建時期不明。平安時代の別当寺長楽寺の古文書に「薬師、三嶋明神の本地仏なり」の記録がある。永禄9年(1566年)には小田原北条氏の保護を受け、江戸時代には、伊豆、安房の住人を始め、海路の大山詣ででは平塚須賀港で上陸すると、当神社に道中安全を祈願する習わしであったという(平塚三嶋神社由緒書より)。 ・・・ となっていまして・・ こちらの方からとぼとと・・ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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2月24日 三嶋神社の次に 平塚八幡宮(ひらつかはちまんぐう) へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 平塚八幡宮(ひらつかはちまんぐう)は、神奈川県平塚市浅間町(せんげんちょう)に鎮座する神社で、古くは鶴峯山八幡宮(つるみねさんはちまんぐう)と呼ばれていた。毎年5月5日に大磯町国府本郷の神揃山(かみそろいやま)で行われる国府祭(こうのまち)に参加する相模五社の1社であるが、相模国における式内社ではあらず、また一国一社の八幡宮、鎮地大神と称えられている。 ・・・ となっていまして・・ こちらから境内へ 参道を とぼとと・・ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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