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まとめ記事

御朱印放浪記(奈良県)

ぎるでぃさん
2017/06/11
874

奈良県での御朱印放浪記を
2017年5月1日「橿原神宮」「壺阪寺」「岡寺」「大神神社」「久延彦神社」「長谷寺」「法起院」「興福寺」「春日大社」「東大寺」「東大寺二月堂」
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葛井寺の次には6番札所である壺阪寺へと・・・ ・・移動していると道路にある案内板に 橿原神宮(かしはらじんぐう) の表記が せっかくですので立ち寄ってみました うぃきによりますと ・・・ 記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された ・・・ ということで・・ さてこちらから 参道をとぼとぼと・・(朝のお散歩じょうたいですが) 拝殿前が広ぉ~~~い(^^♪ こちらで参拝をして記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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橿原神宮の次には壺阪寺(つぼさかでら)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町にある真言宗系の単立寺院。山号は壺阪山。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。703年(大宝3年)創建と伝え、西国三十三所第六番札所。 本尊十一面観音は眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台としても有名。園内には養護盲老人ホーム慈母園がある。 ・・・ となっていまして西国の6番札所と こちらもそれなりの坂を車で上りまして こちらから境内へ 途中の多宝塔とか 三重塔とか眺めつつ 礼堂でお参りをしまして記帳していただきました 眼病に御利益があるからか御朱印の眼鏡がかわいいですね出典:ぎるでぃさん
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壺阪寺の次に 岡寺(おかでら)へと行ってみることに こちらはうぃきによりますと ・・・ 岡寺(おかでら)は、奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺院。山号は東光山、寺号は龍蓋寺(りゅうがいじ)とも称し(寺号については後述)、詳しくは東光山真珠院龍蓋寺という[1]。本尊は如意輪観音。西国三十三所第7番札所 ・・・ となっていまして 西国の7番札所です さてこちらの仁王門から境内へ 境内をとぼとぼと・・(こちらもお花が沢山咲いていますね♪ こちらの本堂でお参りをしまして記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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岡寺の次には 大神神社(おおみわじんじゃ) へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪にある神社。式内社(名神大社)、大和国一宮、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社 ・・・ となっていまして大和の国の一ノ宮です 何気にご案内図を覗き込みますと・・・沢山お社がありますが^^; とりあえず・・ こちらから境内へ 参道をとぼとぼと・・ こちらの拝殿で参拝をしまして 記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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大神神社の次には 久延彦神社(くえひこじんじゃ)へと行ってみました 大神神社のすぐ近くの鎮座していますので ついでに・・・といったら失礼な言い回しになっちゃいカモでしょうけれども さてこちらから境内へ 石段を上りまして こちらの拝殿で参拝をしまして 記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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久延彦神社の次には 長谷寺(はせでら)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺。山号を豊山神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は僧の道明とされる。西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。寺紋は輪違い紋 ・・・ ということで・・西国の8番札所です 漠然と境内の案内図を眺めてみると 登廊とか階段とかが気になるところですが とりあえず…参道をとぼとぼと歩いて さてこちらの仁王門から境内へ こちらの長い登廊を とぼとぼと上りまして こちらの本堂でお参りをしまして 舞台を眺めてみたり(高いところは苦手・・) して 記帳していただきました(いよいよ記憶が曖昧に・・出典:ぎるでぃさん
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長谷寺の次には 法起院(ほうきいん)へと行ってみました 長谷寺で記帳していただいたときにこちらが番外札所で長谷寺からすぐ近くにありますのでと勧められたのが動機ですけれども さて いつものごとくうぃきによりますと ・・・ 法起院(ほうきいん)は奈良県桜井市初瀬に所在する長谷寺の塔頭寺院である。宗派は真言宗豊山派。本尊は徳道上人。西国三十三所番外札所である ・・・ ということで・・ こちらから境内へ(本当にすぐ近くと行ってもいいところに) 開山堂(本堂)でお参りをしまして記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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法起院の次には 興福寺(こうふくじ)の南円堂へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。 ・・・ となっていまして でも今回はこちら側には行かなくて・・ こちらの南円堂でお参りをしまして 記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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興福寺の次に 春日大社(かすがたいしゃ)へと行ってみました 地図で見たときは奈良公園を挟んですぐ近くに見えたので とぼとぼと公園を歩いてみたのですが ・・・なんか歩けども歩けども公園が続き・・ (真っ直ぐ東に歩いているつもりだったけれども・・まさか・・迷子になったのか?) ちと不安を感じつつ・・ 観光案内図を見つけたので近づいてみてみたところ 奈良公園・・広い・・スケール感が・・(まだ遥か手前だったりする軽いめまいが><)無慈悲にも春日大社は案合図の外側 さてうぃきによりますと ・・・ 春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社。旧称は春日神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「下がり藤」。 全国に約1000社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。 ・・・ ということで・・再びとぼとぼと歩こうと・・・が・・無情にもここ ...出典:ぎるでぃさん
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春日大社の後は西国の10番に行くつもりだったのですが・・・ 思っていたよりも広大で間に合わなそうになったので 東大寺(とうだいじ)へと行ってみることにしました (まぁ・・これが思はぬ結果をもたらしちゃったりしましたけれども) さてうぃきによりますと ・・・ 東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。 金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら[1])ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である[2]。現別当(住職・222世)は狹川普文。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古 ...出典:ぎるでぃさん
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東大寺(大仏殿)を出るときに 西国三十三所札所は二月堂で といった説明書きが ・・・・・・ぇ? なにそれきいてない(納経帳に書いていない) そんあこんなで 東大寺二月堂(とうだいじにがつどう)へ行ってみることに うぃきによりますと ・・・ 国宝。旧暦2月に「お水取り」(修二会)が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火には焼け残ったとされているが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。建物は2005年12月、国宝に指定された。 ・・・ だそうでして・・ うーん・・取りあえず行ってみることに こちらの二月堂でお参りをしまして ちと不安のあったので相談をしてみましたところ むむむぅ・・・(高野山もなの?) 番外の一覧表を頂きまして 記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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