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まとめ記事
御朱印放浪記(山梨県)
ぎるでぃさん
2018/04/23
2,004
山梨県での御朱印放浪記を(自分用のメモ状態ですが)
2018年4月1日「甲斐国一宮 浅間神社」「大善寺」「河口浅間神社」「新倉富士浅間神社」「北口本宮冨士浅間神社」「忍野八海浅間神社」
4月2日「久遠寺」「奥之院思親閣」「日蓮聖人御墓」「武田神社」「山梨縣護國神社」「恵林寺」「金櫻神社」
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4月1日 仕事が暇になってちょっと出かけられそうな時間ができたので ふらりと山梨県へっと行ってみました さて・・そんなわけでとりあえず・・・最初に一ノ宮へとご挨拶をしておきましょうかと考えてみまして・・ (一ノ宮めぐりもしていきたいところですし) ちょこっと調べてみまして 浅間神社へと行ってみることに こちらはうぃきによりますと ・・・ 浅間神社(あさまじんじゃ)は、山梨県笛吹市一宮町一宮にある神社。式内社(名神大社)論社、甲斐国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国にある浅間神社の一社。甲斐国一宮であることから「一宮浅間神社」と通称され、「一宮さん」とも呼ばれている。 ・・・ となっていまして・・ 甲斐の国の一ノ宮です でわ早速こちらから境内へ 随身門をくぐりまして こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました ふと社務所をみまわしてみますと 中々カッコイイ御朱印帳が目に入っちゃったり せっかくの一ノ宮ですし つい・・・・(また増えてしまって。。出典:ぎるでぃさん
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4月1日 浅間神社の次にぶどう寺へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 大善寺(だいぜんじ)は、山梨県甲州市勝沼町にある寺院。宗派は真言宗智山派、山号は柏尾山、本尊は薬師如来である。 正確な創建年代は不明だが、寺伝に拠れば奈良時代に行基の開創を伝え(延慶3年(1310年)「関東下知状」)、本尊である薬師如来像の様式などから創建は平安時代前期と考えられている。薬師堂は天禄2年(971年)に三枝守国による建立とする伝承がある。(天文14年(1545年)「大善寺諸堂建立炎上記」)によれば、在庁官人として甲府盆地東部の東郡地域で勢力を持った古代豪族である三枝氏の氏寺とされる。 ・・・(長いからいろいろ略) ・・・・・・・・・・・・・・・・。となっていまして(説明が雑 こちらの山門から 境内へ で・・こちらの本堂でお参りをしまして 無事記帳していただきまして そのときに桜が見ごろですよと勧められまして 花見もしちゃいました♪出典:ぎるでぃさん
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4月1日 ぶどう寺の次に河口湖方面へと移動しまして 河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)へと行ってみました こちらもうぃきによりますと ・・・ 河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)は、山梨県南都留郡富士河口湖町河口にある神社。式内社(名神大社)論社で、旧社格は県社。全国にある浅間神社の1つ。 「河口浅間神社」は通称で、正式名は「浅間神社」[1]。富士山の北麓で御坂山地を背負い、河口湖越しに富士山と対峙して鎮座する。 「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。 ・・・ となっていまして・・ こちらから 境内へ 参道を とぼとぼと・・ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月1日 河口浅間神社の次に新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ) へと行ってみました 浅間神社巡り状態な気配ですが ・・・・まぁ・・ナビ子ちゃんで上手く見つけられなくって迷子になって コンビニとかとある駐車場整備のお兄さんとかに聞いて何とかたどり着いたわけですが こちらは某ホムペの御由緒によりますと ・・・ 当社の創建は慶雲3年(西暦705年)で、甲斐国八代郡荒倉郷の氏神としてお祀りしたものである。 大同2年(西暦807年)には富士山の大噴火があり、平城天皇(へいぜいてんのう)の命により当社に勅使が参向せられ、国土安泰富士山鎮火祭を執り行った。 この時、平城天皇より三国第一山の称号と天皇の御親筆である勅額・破魔宝面・金幣が奉納された。 戦国時代には武田信玄の父・信虎が北条氏との戦にあたり、境内地である新倉山に陣をとり、当社で戦勝を祈願し勝利したことにより、刀を奉納された。 現在では災除け・家庭円満・安産・子育ての神として地域の人々をはじめ県外に渡って広く信仰を集めており、また、春になると300本の桜が花を咲かせ、富士の眺望とともに人々の目を楽しませている。 ・ ...出典:ぎるでぃさん
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4月1日 新倉富士浅間神社の次に 北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ) へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は、山梨県富士吉田市上吉田にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国にある浅間神社の一社である。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産のひとつである「富士山域」の一部として世界文化遺産に登録されている。 ・・・ となっています でわこちらの鳥居から境内へ 日が傾き始めていましたけれども 参道をとぼとぼと・・ 隨神門(この日は結構温かかったけれどもまだ雪が。。 手水舎 さて・・こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました ふと・・日にちのところををむじゅかしぃ字だなぁ・・とか思って ちコト調べてみましたら・・(またうぃきだのみ。。 ・・・ 朔の瞬間を含む日を朔日という。 陰暦(太陰太陽暦を含む太陰暦)では、朔日を月の始まる日「1日」 ...出典:ぎるでぃさん
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4月1日 北口本宮冨士浅間神社の次に 忍野八海浅間神社(おしのはっかいせんげんじんじゃ)へと行ってみました (浅間神社巡りですねぇ。。) さて こちらは忍野村観光情報によりますと(うぃき見つけられなかった・・) ・・・ 忍草浅間神社は大同2年(西暦807年)に創建されました。桧皮葺屋根・三間社流れ造りの本殿は村指定重要文化財です。本殿には、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・鷹飼(たかがい)・犬飼(いぬかい)坐像の三神像が祀られています。正和4年(西暦1315年)にヒノキの一本造りでつくられた、県内で最古の貴重なご神像といわれています。 ・・・ となっています とりあえず・・・ こちらから境内へ 随神門 こちらの社殿で参拝をしまして・・ 何やら中で宮司様が巫女さんと作法のお話っぽいことをしている雰囲気でしたけれども もう夕方ですし間に合わなかったかな? ・・・とか思いつつ周りをうろうろしていますと ・・・・他の参拝者が宮司様に御朱印のお願いを・・ ゎ・・・ワタシもお願いしてもいい?(おどおど 何とか記帳してもらえそうな御様子 さて 記帳していただくと ...出典:ぎるでぃさん
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4月2日 忍野八海浅間神社を後にしまして ・・・・・流石に夕方になりましたので見延のあたりまで移動しまして某道の駅で車中泊をしまして 翌日 久遠寺(くおんじ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 文永11年(1274年)、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭南部六郎実長(波木井実長)が、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招き西谷の地に草庵を構え、法華経の読誦・広宣流布及び弟子信徒の教化育成、更には日本に迫る蒙古軍の退散、国土安穏を祈念した。 弘安4年(1281年)に十間四面の大坊が整備され、日蓮によって「身延山妙法華院久遠寺」と名付けられたという[要出典]。日蓮は弘安5年(1282年)9月に湯治療養のため常陸(加倉井)の温泉と小湊の両親の墓参りに向かうため身延山を下ったが、途中、信徒であった武蔵国の池上宗仲邸(現在の東京都大田区本行寺)にて病状が悪化したため逗留し、6人の弟子「六老僧」を定めて、同地において同年10月13日に死去した。「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」との日蓮の遺言に従い、遺骨は身延山に祀られた。当地では足かけ9ヵ年 ...出典:ぎるでぃさん
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4月2日 久遠寺(と桜)をざっくりと見回した後 せっかくですので ロープウェイで山の上の奥之院思親閣へと行ってみますことに こちらは某ホムペの境内案内によりますと ・・・ 奥之院の頂上は海抜1247メートルで標高1153メートル。 山頂は、日蓮聖人が身延御在山の折にしばしば登詣され、両親の追善を祈った場所といわれています。麓からロープウェイで約7分で頂上に到着しますが、これが敷かれるまでは、本堂裏から歩いて約2~3時間かかりました。奥之院へは、本堂裏手から上の山を経る表参道、主に妙石坊から追分を経る裏参道の2つがあります。 ・・・ となっていまして・・ いつもの様にとぼとぼと。。 やっぱり石段と・・ 仁王門を通り抜けまして こちらの祖師堂でお参りをしまして・・・ 再び某ホムペのによりますと ・・・ 思親閣祖師堂は“親を思うお堂”という意味で名付けられており、身延町指定文化財です。現在3年任期の別当制が敷かれており、七面山敬慎院とともに久遠寺法主が任命します。 ・・・ だそうでして ・・・・漢字って意味があるのねぇ・・とか普段なぁんにも考えてい ...出典:ぎるでぃさん
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4月2日 奥之院思親閣の次に 日蓮聖人の祖廟でも記帳してもらえるみたいですので ロープウェイで下りまして 行ってみることに こちらも桜が見ごろですねぇ・・とか思いつつ (相変わらずワタシの周りに人がいないなぁ・・トも感じつつ) とぼとぼと・・ こちらでお参りをしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月2日 日蓮聖人御墓の次に 山梨県→甲斐の国→甲斐の虎→武田信玄!・・と行った連想で 武田神社(たけだじんじゃ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 武田神社(たけだじんじゃ)は、山梨県甲府市古府中町にある神社。躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられており、武田信玄を祭神とする。旧社格は県社。 ・・・ となっています さて こちらから境内へ(仮装体験ができるのかな? 鳥居のあたりもお花見な雰囲気ですが 花よりも団子(ご飯?)よりも参拝(御朱印?)を優先しちゃった 風流とは無縁なワタシ。。。 ま・・まぁ・・ こちらの社殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月2日 武田神社の次にすぐ近くに鎮座しています 山梨県護国神社(やまなしけんごこくじんじゃ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 山梨縣護國神社(やまなしけんごこくじんじゃ)は、山梨県甲府市にある神社(護国神社)である。 西南戦争以来の山梨県関係の戦没軍人・軍属の戦死者25039柱を祀る。 明治12年(1879年)、招魂社として市内太田町に建立されたのに始まる。昭和17年(1942年)に現在地に遷座し、昭和19年(1944年)、山梨縣護國神社に改称した。戦後の一時期、山梨宮に改称していた。現在「山梨宮」は、山梨県出身の殉職自衛官などを祀る摂社の名前になっている。 現鎮座地である岩窪は甲府藩主柳沢氏の菩提寺である黄檗宗寺院永慶寺の所在地で、永慶寺は享保9年の甲斐国一円が幕府直轄領化された際に大和郡山に移転された。また、山梨県内有数の桜の名所としても知られている。 ・・・ となっています でゎこちらから 参道をとぼとぼと・・ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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4月2日 山梨県護国神社の次に ふと風林火山な御朱印帳のことを思い出し(なんて理由ですか・・・) 恵林寺(えりんじ)へと行ってみようかなと 改めてナビ子ちゃんで検索してみますと ・・・・・来た時の道端ぢゃぁ・・・ないですか・・・・(チェックが甘いょワタシ・・・) まぁ・・まぁ・・とりあえず 例によってうぃきによりますと ・・・ 恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市塩山小屋敷にある寺院。山号は乾徳山(けんとくさん)。臨済宗妙心寺派に属する寺院である。甲斐武田氏の菩提寺として知られる。 ・・・(長いので以下略 となっていまして・・ とりあえず・・・こちらから境内へ こちらもすっかり桜が満開でした 佛舎利宝塔(三重塔) さて・・拝観をして (ほぼここえ来た動機の一つの)オリジナルな風林火山の御朱印帳を・・と・・ うかがったところ・・・なかったり;;(売り切れっぽい? (つд⊂) まぁ・・うん・・そんなこともあるさね・・そういえば月曜ですし・・・ さてフラフラとしていますと 初体験の うぐいす廊下 結構面白い音が出るのですねぇ さて・・ 墓所はこの日 ...出典:ぎるでぃさん
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恵林寺の次に 積翠寺(せきすいじ)に行ってみたけれども生憎ご不在でして 金櫻神社(かなざくらじんじゃ)へと行ってみました こちらは某ホムペによりますと ・・・ 甲府の名勝、昇仙峡を登りつめた地に鎮座する金峰山を御神体とした神社です。 第十代崇神天皇の御代(約2000年前)、各地に疫病が蔓延した折、諸国に神を祀って悪疫退散と万民息災の祈願をし、甲斐の国においては金峰山山頂に御祭神である少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀ったのが当社の起源となります。 ・・・ となっています 途中に中々の趣もある 山道を通ったりもしまして 一応到着(^^♪ でわさっそく 参道を・・・・って石段が。。。 ゃ・・疲れて足が上がらな・・ ので・・車で上の駐車場へ^^; こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました が・・ふと参道を眺めてみますと なにやら 不思議物体が? さて・・日もくれましたし この後甲府まで戻って ガソリンとほうとうを補給しまして群馬へと帰りました。出典:ぎるでぃさん
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