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まとめ記事(コンテンツ)
nakabanさん
2015/07/21
愛車履歴でも・・・その4「始めてのマイカー」
さて、4回目にしてようやく正真正銘、自分の所有した自動車の話が出来ますね。
そう、初めてのマイカーです。(マイチャリやマイ原付は置いといて・・・)
テルスターを廃車する少し前から、親から「いい加減に自分の乗る車ぐらい自分で買え」と言われ、まぁ至極当然の話なんで車を探すことに
当時から、周りからの影響(洗脳とも言う)と自分の乗り方(過走行)を考えて「中古は無いよなぁ」と考えていたので色々と見て回った。
で、回ったうちで記憶に残っている車が
・ホンダ オルティア
スタイルなど好みであったが、いかんせんこの頃の自分はセダン党だったので却下
・マツダ 初代デミオ
試乗した感じが1300ATなのによく走るのと車体の大きさからは想像できないラゲッジの広さ、でもセダン党ダッry)
・日産 ブルーバード SSS
いい車だったと思ったが、純粋に予算オーバー
・日産 セレナ ハイウェイスター
車体サイズからくる車重の重さによる、燃費の悪さからミニバンもないなと改めて思った。でもセダry)
・スバル インプレッサ
予算内の1500が思ったよりもいい言い方をすればマイルド、悪い言い方をするともっさりした感じがしたので、候補にはしつつもう~~んとうなった覚えあり。
ちなみに記憶に残っている車の一部にワゴンやミニバンがあるのは、一緒に見に行った兄がワゴン党(兄は当時USアコードワゴンに乗っていた)で、セダンよりもミニバンやワゴンとうるさかったせいもある。
結局、テルスターの廃車のタイミングが想定より早かったことと、メンテナンス等で付き合いがあった近所のマツダディーラへよく行っていた関係で、そこの店長さんに
「これでどう」と
いきなり出された見積りが予算内だったとか、諸々で
後期BHファミリアセダン インタープレイX 1500 5MTになった。
選んだ色は、後期BHファミリアセダンのCMカラーだった「スパークルグリーンメタリック(多分こんな名前)」で、明るい深緑メタリックという色だった。
この色、見る時の明かりによってみた感じの色が変わって見える不思議な色で一番顕著なのが高速のPAなどでオレンジの水銀灯の下でみるとブルーメタリックにしか見えなかった。
この色合いや丸みを帯びたマツダデザインとでもいうのか他の日本車には無い感じがとても好きだった。
あと、この後期BHファミリアは当時のマツダが業績不振のあおりをもろに食らって、内装などは非常にチープな感じだった。
しかし、走りに関しては、今にして思えばフロントヘビーな典型的なFF車だったが、足回りはしなやかで、今に続くマツダテイストな感じがこの頃からあったような気がする。
この車でも、やはり峠とか山とか色々いった、いわゆる酷道と呼ばれるような3桁後半国道など目的地も無く走り回った。
あと、走っただけではなく事故も物損、人身、独り相撲と一生分ともいえるぐらい事故にもあったし、起こした。
おかげでと言うのも変かも知れないが、この後に購入した車では、停車時の後続車からの追突事故以外は事故にあっていない。
まぁ、事故を起こすと言うのは走りもそれなりと言うことで、スピード違反で累積点数で免停、人身で点数加算で免停、等 短期(30日)中期(60日)長期(180日)とそれぞれ経験したのも、この車でだった。
そのせいで、年間5万キロ近い走行距離だったのに、4年半のって手放す時にはなぜか15万キロぐらいだったと記憶している。
この車の最後は、一人相撲だった。遠出して帰りの3桁酷道にて落石を踏んで前輪がパンク、FF車なので無事な後輪を前に持ってき後輪にテンパータイヤを装着して走行するも急カーブにてスピン、そのまま石垣にズドン。
今でも、エアバッグの広がる様と、エアバッグに使われているガスが臭かったのは忘れられない。
警察やJAFを呼んで、現場検証が終ったら遠出から帰宅途中だったので、JAFにレッカーされてJAF提携先の修理工場へ、夜中だったこともありその修理工場のおっちゃんに近所のホテルを紹介してもらいそこへ一泊。一泊する間に保険屋やディーラの担当営業に電話したりした。
さて、このファミリアは当時の車に搭載され始めていた安全ボディ(トヨタはゴア、マツダではMAGMAとか言っていた)で、クラッシャブルボディを採用していた。
この話の流れから想像できると思うが、事故直後は呆然として認識していなかったが、翌朝修理工場へ行って改めて車の状況を見ると、そこには見事にフロント部分がクラッシャブルしているファミリアがあった。


*そー言えばと思い探したら出てきた写真
当然、応急修理で何とかなるレベルではなく、修理工場のおっちゃんにざっと見てもらっても、フレーム修正からミッションその他駆動系の交換、フロント足回り交換等々、修理箇所てんこ盛りであった。
普通なら保険で修理となるが、ここに来てこれまでのつけが一気に来た気がした。
保険屋に電話して話を聞いた時に、今度の事故で保険を使うと間違いなくブラックリストにのりますという。これまでの事故で人身は仕方ないにしても安易に保険を使ってきたつけであったと思う。要は数年で等級が上がりすぎていたらしい。
なので、泣く泣く修理をあきらめファミリアは遠く離れた地で廃車となった。
ちなみ、ナンバーと車検証だけ持って帰れば廃車手続きはディーラでやるとのことだったので、それをはずすついでにこれまた工場のおっちゃんの好意で後付けしていたオーディオやナビをはずして宅配便で送らせてもらった。
車両本体は、そこの工場に確実にこちらで廃車手続きをやると言うことで格安の処分料で引き取ってもらった。
帰りは幸運なことに高速バスが出ているとのことだったのでそれにのり帰宅
帰り着いて、親の一言目は「次の車では、緑色はやめとけ」でした。
たぶん、色々心配してくれて結果何が悪かったのか親なりに考えたのでしょう。
そんなこんなで、残債もあるし仕事の都合でくるまないと困るし、次はどーしようかと思っているとき、ディーラにいって担当営業さん(店長さんね)に廃車手続きをお願いしつつ、事故の顛末を話したりしていたら、「車、どーするの」と言われ「残債あるし、金ないし、荷物積むからそれなりの広さいるし、距離のるから中古は論外だし」と言うと、またもや「これでどう」と出してきた見積りが次にのる最終型の「カペラワゴン」でした。
今回はここまで
ここから先は、ファミリアに決める前に車探しをしていた時の話です。
不愉快な内容かもしれないので読まれる方はご注意を・・・
・車選びの番外編(トヨタ)
トヨタへは何を見に行ったのかも覚えていないが、このときの営業のセリフだけはよく覚えている、この時も当然テルスターでディーラを見て回っていたのだが店内に入って、席に着いてカタログを見せてもらいながら話していた時の営業さんの質問
で
「今は何にお乗りですか?」
と聞いてきたので、素直に
「乗ってきたテルスターに親と共用してます」
と答えたら
「あれ、ひどい車ですよね」
一瞬どころかしばらく考えた・・・
こいつなんて言ったんだろうかと
と覚えてるのはここまでで、記憶では次のシーンは帰っている途中しか思いだせない。
トヨタの車はデザインは抜きにして基本的にはいい車を作ると思ってるしアフターサービスなども確実な感じがしてメーカーは嫌いではないが、いまだにどうしてもトヨタ系ディーラに入るのを戸惑ってしまう原因であろうことは間違いない。
すべての営業さんがこうではないと思う。と言うより、ほんのごくごく一部だと言う事は重々承知なのだが、やはり愛着を持った車を会話の中でいきなりけなされるとは思っても見なかったので、いまだに忘れられない。
そう、初めてのマイカーです。(マイチャリやマイ原付は置いといて・・・)
テルスターを廃車する少し前から、親から「いい加減に自分の乗る車ぐらい自分で買え」と言われ、まぁ至極当然の話なんで車を探すことに
当時から、周りからの影響(洗脳とも言う)と自分の乗り方(過走行)を考えて「中古は無いよなぁ」と考えていたので色々と見て回った。
で、回ったうちで記憶に残っている車が
・ホンダ オルティア
スタイルなど好みであったが、いかんせんこの頃の自分はセダン党だったので却下
・マツダ 初代デミオ
試乗した感じが1300ATなのによく走るのと車体の大きさからは想像できないラゲッジの広さ、でもセダン党ダッry)
・日産 ブルーバード SSS
いい車だったと思ったが、純粋に予算オーバー
・日産 セレナ ハイウェイスター
車体サイズからくる車重の重さによる、燃費の悪さからミニバンもないなと改めて思った。でもセダry)
・スバル インプレッサ
予算内の1500が思ったよりもいい言い方をすればマイルド、悪い言い方をするともっさりした感じがしたので、候補にはしつつもう~~んとうなった覚えあり。
ちなみに記憶に残っている車の一部にワゴンやミニバンがあるのは、一緒に見に行った兄がワゴン党(兄は当時USアコードワゴンに乗っていた)で、セダンよりもミニバンやワゴンとうるさかったせいもある。
結局、テルスターの廃車のタイミングが想定より早かったことと、メンテナンス等で付き合いがあった近所のマツダディーラへよく行っていた関係で、そこの店長さんに
「これでどう」と
いきなり出された見積りが予算内だったとか、諸々で
後期BHファミリアセダン インタープレイX 1500 5MTになった。
選んだ色は、後期BHファミリアセダンのCMカラーだった「スパークルグリーンメタリック(多分こんな名前)」で、明るい深緑メタリックという色だった。
この色、見る時の明かりによってみた感じの色が変わって見える不思議な色で一番顕著なのが高速のPAなどでオレンジの水銀灯の下でみるとブルーメタリックにしか見えなかった。
この色合いや丸みを帯びたマツダデザインとでもいうのか他の日本車には無い感じがとても好きだった。
あと、この後期BHファミリアは当時のマツダが業績不振のあおりをもろに食らって、内装などは非常にチープな感じだった。
しかし、走りに関しては、今にして思えばフロントヘビーな典型的なFF車だったが、足回りはしなやかで、今に続くマツダテイストな感じがこの頃からあったような気がする。
この車でも、やはり峠とか山とか色々いった、いわゆる酷道と呼ばれるような3桁後半国道など目的地も無く走り回った。
あと、走っただけではなく事故も物損、人身、独り相撲と一生分ともいえるぐらい事故にもあったし、起こした。
おかげでと言うのも変かも知れないが、この後に購入した車では、停車時の後続車からの追突事故以外は事故にあっていない。
まぁ、事故を起こすと言うのは走りもそれなりと言うことで、スピード違反で累積点数で免停、人身で点数加算で免停、等 短期(30日)中期(60日)長期(180日)とそれぞれ経験したのも、この車でだった。
そのせいで、年間5万キロ近い走行距離だったのに、4年半のって手放す時にはなぜか15万キロぐらいだったと記憶している。
この車の最後は、一人相撲だった。遠出して帰りの3桁酷道にて落石を踏んで前輪がパンク、FF車なので無事な後輪を前に持ってき後輪にテンパータイヤを装着して走行するも急カーブにてスピン、そのまま石垣にズドン。
今でも、エアバッグの広がる様と、エアバッグに使われているガスが臭かったのは忘れられない。
警察やJAFを呼んで、現場検証が終ったら遠出から帰宅途中だったので、JAFにレッカーされてJAF提携先の修理工場へ、夜中だったこともありその修理工場のおっちゃんに近所のホテルを紹介してもらいそこへ一泊。一泊する間に保険屋やディーラの担当営業に電話したりした。
さて、このファミリアは当時の車に搭載され始めていた安全ボディ(トヨタはゴア、マツダではMAGMAとか言っていた)で、クラッシャブルボディを採用していた。
この話の流れから想像できると思うが、事故直後は呆然として認識していなかったが、翌朝修理工場へ行って改めて車の状況を見ると、そこには見事にフロント部分がクラッシャブルしているファミリアがあった。


*そー言えばと思い探したら出てきた写真
当然、応急修理で何とかなるレベルではなく、修理工場のおっちゃんにざっと見てもらっても、フレーム修正からミッションその他駆動系の交換、フロント足回り交換等々、修理箇所てんこ盛りであった。
普通なら保険で修理となるが、ここに来てこれまでのつけが一気に来た気がした。
保険屋に電話して話を聞いた時に、今度の事故で保険を使うと間違いなくブラックリストにのりますという。これまでの事故で人身は仕方ないにしても安易に保険を使ってきたつけであったと思う。要は数年で等級が上がりすぎていたらしい。
なので、泣く泣く修理をあきらめファミリアは遠く離れた地で廃車となった。
ちなみ、ナンバーと車検証だけ持って帰れば廃車手続きはディーラでやるとのことだったので、それをはずすついでにこれまた工場のおっちゃんの好意で後付けしていたオーディオやナビをはずして宅配便で送らせてもらった。
車両本体は、そこの工場に確実にこちらで廃車手続きをやると言うことで格安の処分料で引き取ってもらった。
帰りは幸運なことに高速バスが出ているとのことだったのでそれにのり帰宅
帰り着いて、親の一言目は「次の車では、緑色はやめとけ」でした。
たぶん、色々心配してくれて結果何が悪かったのか親なりに考えたのでしょう。
そんなこんなで、残債もあるし仕事の都合でくるまないと困るし、次はどーしようかと思っているとき、ディーラにいって担当営業さん(店長さんね)に廃車手続きをお願いしつつ、事故の顛末を話したりしていたら、「車、どーするの」と言われ「残債あるし、金ないし、荷物積むからそれなりの広さいるし、距離のるから中古は論外だし」と言うと、またもや「これでどう」と出してきた見積りが次にのる最終型の「カペラワゴン」でした。
今回はここまで
ここから先は、ファミリアに決める前に車探しをしていた時の話です。
不愉快な内容かもしれないので読まれる方はご注意を・・・
・車選びの番外編(トヨタ)
トヨタへは何を見に行ったのかも覚えていないが、このときの営業のセリフだけはよく覚えている、この時も当然テルスターでディーラを見て回っていたのだが店内に入って、席に着いてカタログを見せてもらいながら話していた時の営業さんの質問
で
「今は何にお乗りですか?」
と聞いてきたので、素直に
「乗ってきたテルスターに親と共用してます」
と答えたら
「あれ、ひどい車ですよね」
一瞬どころかしばらく考えた・・・
こいつなんて言ったんだろうかと
と覚えてるのはここまでで、記憶では次のシーンは帰っている途中しか思いだせない。
トヨタの車はデザインは抜きにして基本的にはいい車を作ると思ってるしアフターサービスなども確実な感じがしてメーカーは嫌いではないが、いまだにどうしてもトヨタ系ディーラに入るのを戸惑ってしまう原因であろうことは間違いない。
すべての営業さんがこうではないと思う。と言うより、ほんのごくごく一部だと言う事は重々承知なのだが、やはり愛着を持った車を会話の中でいきなりけなされるとは思っても見なかったので、いまだに忘れられない。
Posted at 2015/07/21 11:56:36
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