
お久しぶりのtak3です。なんとか生きています。前回のブログが2023年の5月でしたので約10ヶ月ぶりのブログです。色々な出来事が起こる歳となり、次々と対応に追われておりましたが、やっと平穏な日常に戻ってこれたように感じています。
私にとっては激動の期間でした。せっかくなので改めて、ここ1年くらいのことを整理して残しておこうと思います。
去年、2023年1月
Fiat500Cを増車しました。BMW340iと人生初のクルマ2台体制になりました。M3での事故の後遺症で遅くていいので楽しいクルマに乗りたいと思い、オープンドライブ+2気筒エンジンを楽しむというコンセプトで選びました。
ドライブするだけで明るい気持ちになれるような車両を買ったのは、日々を楽しく過ごしたいと思う気持ちがあったから。
この時、要介護5の母を自宅介護の生活をしておりましたので、毎日に多少疲れていたのかもしれません。
2023年3月
母が施設に出掛けるタイミングで、BMW C400Xで小浜の銭湯までプチツーリング。
KTMアドベンチャー1290だと持て余すところ、350ccの排気量で走ると等身大でなかなか楽しい、バイクの楽しみの原点に触れた気持ちになりました。
30年ぶりのスクーターは思ったより進化してて面白い。
2023年6月
BMW340iは安穏なドライブから頑張った走りまで懐の深さは絶大ですが、M3の事故以降は安全運転しかしなくなりました。六気筒は回すと気持ちが良いですが、殆どの走行で回さずに乗っていることに気がつきます。完全に宝が持ち腐れています。日本で一番エンジンを回してない340iかもしれません。
そんな中、このままではいけないと刺激を求めて刺激的な中古車を見に行きました。最初はナンジャコレと思ったM3のデザインも最近は見慣れてきて、むしろ彫刻感はなかなかカッコイイと思う始末。
しかしホントにカッコイイ車両見た後に見るとやはりイマイチ。迷いつつ乗り換えは見送りしたもののやっぱりトップグレードはカッコいいなと再認識。
そしてその話をM340i購入店の担当にしたところ、M2やM4ガブを乗らせてくれる有り難きご対応。M2はスタビリティ高く気持ちよく走ってくれるとてもいいクルマでした。最も昔のBMWの印象を現代に受け継いでいるクルマだと感じます。
次いでのM4は屋根が開くってホントにカッコいいし最高のクルマだと思いました。オープンドライブは本当に楽しい!こういったクルマはとても贅沢な選択で素敵だと思います。どちらも心揺さぶられました。しかしそんな楽しい状況はここで終了します。
2023年7月
母との今生の別れ。具合が悪くなって1週間しかありませんでした。母とは生まれた時からずっと同居で、関係も非常に良好でした。お互いに尊敬や尊重があり最大の理解者でもありました。そんな母は5年程前から歩行もできなくなり完全な介護状態でした。晩年は食事も流動食になったりと自宅介護で様々なお世話をさせていただき、形を変えながら親子の時間を過ごしました。妻にも多くの負担を持ってもらいながら自宅で大変な日々を超えてきました。しかし最後は誤嚥をしてしまいました。大変悲しいことでした。
2023年8月
あとのことを私と妻で対応していました。私は一人っ子で父も20年以上前に亡くしているので、葬儀なども二度目の経験でしたが、悲しみであまり何も考えられない時間を過ごしていました。そして葬儀が終わり、これから遺品の整理や母の残した諸問題に対応しているタイミングでもう一つの思いもよらない災いが私に降りかかりました。
私に癌の宣告。信じられませんでした。人間ドックを受けた病院から夜に電話がかかってきました。単刀直入に伝えますとの後に、私の身体に癌があるということを言われました。突然のことで飲み込むこともできず、息をするのを忘れるくらい真っ白になりました。その場でかかる病院を決めて検査の予約をすることになりました。検査は最短で一カ月後、生きた心地のしない一カ月のはじまりです。
電話を切ったあと、何を考えてよいのか分からないのですが、家族や友人や仕事仲間との別れの切符を渡される、そんな気持ちになりました。自分がこれからどうなってしまうのかという不安に押しつぶされそうな気持ちになり、涙も自然に溢れてきて、ぽっかりと心に穴が空いて何から考えればよいのか分からなくなりました。
2023年9月
一カ月の間、検査もできないので、どうすることもできずに、自分が病気によってこの世から居なくなってしまうことも考えていました。自分の人生は自分が居なくなると同時に、仕事も遊びもすべて他人の記憶の中での出来事になるということ、そうやって自分のすべてがなくなることを考えていました。なんともいえない気持ちで妻の手を握り涙を流しました。
精密検査を迎えました。結果がわかるのは更に二週間後です、これ程までに落ち着かない時間も初めてでしたし、悪いことを想像してしまい不安も募ります。もちろんいいことも想像したいのですが、こういう時は良いことは考えにくいものなのだなと感じます。検査結果が出るまでは毎日が不安でしたが、二週間後、癌の大きさと正確な場所がわかりました、幸いにして比較的早期とも言える時期のようでしたが、次は転移がないかの検査も行うことになります。
そこから、また二週間ほどの時間を検査に費やしました。この位の時期になると、慣れからか多少の開き直りも出てきます。また気持ちの中では最悪の事態への覚悟と同時に戦える勇気も湧いても出てきます。子供にも全てを伝えました。
生きてる間には無駄なものに踊らされ、無意味なものに価値を感じて生きてきたなと多くの気づきを得ました。モノも関係も死ぬ前に整理しないといけないなと思うようになりました。
入院の日程が決まりました。少なくとも年内は何もできないことは明らかでしたので、家族で入院までの間に旅行に行こうと思い立ち、家族で白川郷に行きました。
母の居ない旅行でしたが、少し気持ちが整理できる時間でした。
2023年10月
仕事はいつもよりは少しゆとりをもって入院直前まで時短気味に働きました。また、仕事関係者や日頃から親しくしている人など一部の人には病状も伝え、入院手術することも伝えました。優秀な同僚を中心に、昔一緒に働いていた仲間が入院期間は自分のために戻ってきてくれて、すべてを捧げて全力で支えてくれました。
本当に感謝しかありませんでした。これほどに仲間に感謝できたこと、仲間の大切さに心の奥深くから感謝できたこと、一番大切な事に気がつけたのだと思いました。今日の平穏は決して当たり前ではありません。感謝をして生きていく事を己の人生の軸にすると決めたものでした。
2023年11月
手術は4時間ほどの予定でしたが場所の難易度もあり8時間に及んだようです。ダヴィンチを使用したロボット遠隔手術をしていただきました。
手術当日は私の命を守ってくれる手術チームが、一人ずつ私の目を見て、私が○○を担当します。tak3さんをしっかりお支えしますので安心してください。と、ひとりひとり丁寧に挨拶してくれました。言葉にならないほどにあたたかく、その優しさに守られながら手術台まで歩いていきました。案内されたダビンチの横のベッドに寝ると看護師さんが手を握ってくれました。人の温もりを感じながら全身麻酔のマスクをして、記憶が少しづつ白く霞んで消えて行きます。
8時間後、手術は成功し、様々な人の力を借りて延命することが叶いました。目が覚めて2日間はほとんど動くこともできず、ただただ辛い時間でした。
そして私の何度目かの人生のスタートを感じた瞬間でした。まずはしっかり回復を目指してリハビリも頑張りました。入院中には元気づけるためにたくさんのメッセージをくださった友人(
K&
C)に気持ちが救われました。沢山の優しさをありがとうございました。またコロナで面会が難しい中、正面突破する力を発揮して会いにきてくれたみんカラの友人もいました。
心の底から嬉しかったですし、こういう時に人のために自分の時間を使える人間の器の広さと人間観を学ばせていただきました。
病院まで来てくれたお二人(
T&
P)のようなステキな人間になろうと心に決めました。この場を借りてお礼を申し上げます。
2023年12月
二週間ほどの入院を経て自宅に戻ることができました。病院の薄味のご飯、動けなかった管だらけの不自由な日々、今日という日があること、すべてに感謝をする、新しい人生がはじまった気がしました。入院前にも運動として歩いていた道をリハビリとして歩き出しました。慣れた道も初めはキツかったですが、二週間ほどでゆっくりなら歩けるようになりました。
退院後には快気祝いに寿司をごちそうしてくれた友人(
S&
H)もいました。友達のあたたかさを感じました。
2024年1月
年が明け、激動の去年を振り返り、少し落ち着きを取り戻しつつありました。癌の再発のリスクがゼロではない以上、自分の生き方を見直す時間がとても多くなりました。同時に家族との時間や、友達との時間、クルマやバイクと過ごす時間なども見直すことをしました。ここから少しつづ、新しい人生を過ごすためにゆるやかに変化をつけていこうと思います。
2024年2月
これからの人生に向けてリスタートするために、色々なことをリセットして、いるもの、いらないもの、自分にとって重要かそうでないものか、見つめ直すいい機会にもなりました。苦難の上に成り立っている今という時間。神様が授けてくれたこの経験は私にとっての大きな宝です。今日という日が当たり前では無くなった私にとって、今日という毎日は特別なものになっています。
家族、仲間、友、仕事とクルマとバイク。
新しい価値を見つめて歩き出します。