2017年06月01日
「アイサイト」を30年間支え続けた男
スバルの自動ブレーキ「アイサイト」を30年間支え続けた男 SUBARU「アイサイト」/樋渡 穣
週刊ダイヤモンド編集部
樋渡 穣・SUBARU スバル第一技術本部 車両研究実験第四部 部長 Photo by Akira Yamamoto
「ぶつからないクルマ?」。そんなキャッチコピーを耳にしたことがあるだろう。いまや富士重工業の代名詞ともなったアイサイトは、他社にはないステレオカメラ(2台のカメラ)を使った運転支援システムとして有名だ。しかし、そのヒットの陰には、約30年にもわたる日の目を見ない地道な努力があった。
話は1980年代にさかのぼる。東京・三鷹にある同社の研究所で、ある技術が産声を上げた。ステレオカメラでピストンの中のガスの燃焼を立体的に解析するといったものだ。この技術を、何かに応用できないだろうか──。さまざまな可能性が検討された結果、車の安全装置に適用する研究が進められることになる。これが、今のアイサイトの根幹を支えようとは、当時誰も知る由もなかった。
そのころ、樋渡穣は若手の研究者として群馬の研究所にいた。レーザーレーダーを使った自動ブレーキの開発にたった一人で携わっていたのだ。出社しては、外に出て車を障害物にぶつけながらソフトを書き換える日々を送っていた。
そんなある日、三鷹のステレオカメラの試作品ができたので、これを自分の車に付けるよう上司に言われた。レーダーに絶対の自信を持っていた樋渡。「だったら、勝負しましょうよ」と強気の言葉が口を突く。
結局、ステレオカメラとレーダーを搭載した車で実験が行われることになった。「まずまずの結果が出せたな」。レーダーの実験を終えた樋渡は満足感に浸っていた。しかし、ふとステレオカメラの結果を見て打ちのめされる。完璧なデータをたたき出していたのだ。
レーダーは、レーザーの反射を利用して物体を認識する。つまり、横方向などの向きの変化に弱い。それに比べて視野の広いステレオカメラは、立体的な認識力が圧倒的に優れている。「完敗だな」。ステレオカメラのすごさを思い知った瞬間だった。
期待外れに終わった新機能
それでも諦めなかった開発
こうして、ステレオカメラによる運転支援装置の商品開発が始まる。99年、世界で初めてステレオカメラにより車両制御を行うADA(アクティブ・ドライビング・アシスト)が発売された。
だが、期待とは裏腹に、売れ行きは惨憺たるものだった。搭載率はわずか5%。80万円という値段の高さが一因だった。2003年には、改良型を発売したが、機能が増えても値段の高さは変わらなかったため、反応ははかばかしくない。他社からも同じような安全装置が出始める中、ADAが市場で存在感を示すことはなかった。
これ以上開発を続けることはできない──。経営判断によって予算は削減され、開発チームは、事実上の解散に追い込まれた。
だが、開発チームは諦めなかった。命を守る安全装置の需要は確実にあるはずという思いを胸に、技術を断絶させないよう若い技術者が中心となって、ひっそりと研究を続けた。
頼もしいサプライヤーの存在もあった。現在のアイサイトのカメラなどを製造する日立オートモティブシステムズから「一緒に開発を続けましょう」と声が掛かったのは、ちょうどそのころだ。周囲の協力も得て技術に磨きをかけた。
当時は開発チームから外れていた樋渡だったが、現場から「もう一度、ステレオカメラでやらせてほしい」という声が上がっていることを知る。樋渡には迷いはなかった。チームと共に社内でアピールし、経営陣の説得に当たる。そして08年、アイサイトの名前を冠した初代の運転支援システムがこの世に誕生した。
ただ、開発チームには一つ心残りがあった。今のアイサイトの売りである「ぶつかる前に止まる」というプリクラッシュブレーキの機能をこのときは盛り込むことができなかった。自動ブレーキに任せておけば安全だという誤解を消費者に与えるような技術の導入は“ご法度”だったのだ。
しかし、その後、国も規制緩和を進めた結果、09年にはスウェーデン・ボルボが日本で初めて衝突回避機能を搭載した車を発売。プリクラッシュブレーキの時代が本格的に幕を開けた。
社内一丸となった販売で
想定以上の大ヒット
そのころ、富士重はある苦悩を抱えていた。モデルチェンジを迎えたレガシィが米国仕様として大型化し、売りづらくなった国内の販売店から悲鳴が上がっていたのだ。当時国内営業本部長だった(現社長)吉永泰之は、販売の目玉となるものを探していた。吉永はアイサイト“懐疑派”の筆頭だったが、「だまされたと思って乗ってみてください」という周りの説得で試験車に乗り込み、その機能に驚嘆した。「これを売り出そう」。君子豹変した瞬間だった。
10年、富士重として初めて衝突回避機能をうたったアイサイトVer.2が登場。営業がぶち上げた目標は、搭載率30%だった。「冬の時代」を経験している開発チームは、無謀だと思ったが、ふたを開けてみると、大ヒットとなった。
「ぶつからない」という分かりやすいうたい文句、部品の簡素化でコストを削減して実現した10万円という価格戦略が消費者を引き付けた。「技術者だけでなく営業・マーケティングが一丸となって、アイサイトを押し出したことが今の成功の理由だ」と樋渡は語る。現在、Ver.3となったアイサイトの搭載率は約9割。名実共に富士重のブランドアイコンとなった。
世界の自動車の安全技術は進化する一方だ。各社がこぞって自動運転車の開発に力を入れる中、富士重も、今年、アイサイトの機能を進化させ、より多くの速度域に対応した自動追従機能と車線維持機能を持つ自動運転車を投入する。
「人の命に関わる機能だからこそ、安全性をしっかり担保しないといけない」。この30年で培った経験が今も樋渡の自信の源だ。(敬称略)
【開発メモ】アイサイト
ぶつかる前に自動で止まる衝突回避機能や、自動追従機能、車線維持機能などを持つ、富士重の運転支援システム。その特徴であるステレオカメラは、他社が多く採用するレーダーとは違い、画像を立体的に認識し、その物体が何かを識別することが可能だ。ただ、「アイサイトだけに頼った運転は絶対に行わないで」と樋渡は口を酸っぱくして言う。
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Posted at
2017/06/01 14:23:03
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