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2018年08月19日

ジオット・キャスピタ

ジオットキャスピタ



この記事は、あれ?エンジンだけだったらキャロッセに展示してなかったっけについて書いています。



ウィキペディアから引用・・・・・・・・・・・


ジオット・キャスピタ

ジオット・キャスピタ(JIOTTO CASPITA )とは、1988年に服飾メーカーのワコールの出資で設立された会社「ジオット」が企画し、レーシングコンストラクターの童夢が開発・製作を行なったスポーツカー(スーパーカー)である。Jiotto Design Inc のチフデザイナーに成った立教大学経済学部卒業、アメリカ・ロサンジェルスのアートセンターを卒業後、GM、OPEL AGのデザイナーでもあった伊藤邦久(Kunihsa Ito )によってエクステリア、インテリアデザインともスタイリング・デザインされた。「公道を走るF1マシン (F1 ON THE ROAD) 」を謳い、斬新な空気力学と美しいデザインは当時のスーパーカーのデザインをリードしたが、1990年代初頭のバブル景気崩壊の影響を受けて量産にはいたらなかった。

ジオット・キャスピタ
1号車(日本自動車博物館の展示車両)
2号車(大阪オートメッセ2014の展示車両)


デザイン伊藤邦久乗車定員2人ボディタイプ2ドアクーペエンジンスバル-モトーリ・モデルニ1235 3.5L F12 
ジャッドGV 3.5L V10駆動方式MR変速機6速MTサスペンション前後ダブルウィッシュボーン全長4,534mm全幅1,996mm全高1,076 - 1,136mm(可変式)ホイールベース2,700mm車両重量1,240kg-自動車のスペック表-

概要

開発開始

1986年、童夢社長の林みのる、ワコール社長の塚本能交、富士重工業(スバル)ラリーチーム監督の高岡祥郎という3人が銀座で酒を酌み交わした際、林がコースターの裏に書いたスポーツカーの絵が計画の発端となる[1]。林は塚本に資金提供、高岡にエンジン供給を依頼した。

ワコール創業者の塚本幸一は当時林の岳父であり[2]、ワコールと童夢はレース活動におけるスポンサーとチームという形で深いつながりがあった。当時、ワコールは事業拡大計画の一環として男性用ブランドを立ち上げ、アパレル・AV機器・化粧品・カメラなど各業種へのライセンスビジネスを展開しようとしていた[3][4]。スポーツカーはそのイメージコアとして、ブランド価値を高める目的を持つことになった。

1988年1月にワコール・スポーツカー・プロジェクト (WASCAP) を発表。スバルとイタリアのモトーリ・モデルニが共同開発するF1用3.5リッター水平対向12気筒エンジンを搭載することも決定した。同年夏に製造母体のジオット社(ワコール出資)、デザイン担当のジオット・デザイン(童夢出資)が設立され、1989年春に最終デザインと「キャスピタ」の名が決定する。社名 (JIOTTO) はイタリアの画家ジョット・ディ・ボンドーネ[5]にちなんだもので、車名 (CASPITA) はイタリア語で"驚き"をあらわす間投詞から命名された[6]。エンブレムは始祖鳥をインカ文明風にデザインしたもの[7]。1988年、ジオット・デザイン(JIOTTO DESIGN INC )のチーフ・デザイナーに成った立教大学経済学部、アメリカ・ロサンジェルスのアートセンターを卒業後、GM、OPEL AGのデザイナーでもあった伊藤邦久(Kunihsa Ito )によってエクステリア、インテリアデザインともスタイリング・デザインされた。1989年の東京モーターショウで公開される。


計画変更・終焉

1号車は1989年9月末に完成し、松本恵二のドライブでシェイクダウンが行なわれた。10月の第28回東京モーターショーではスバルの展示ブースにて参考出品という形で発表され、1991年の市販開始を予定して更なる開発が続けられた。童夢-零では市販化の壁となった運輸省への認可申請も、イギリスで生産する輸入車という形でクリアした。同時期に開発されていたヤマハ発動機のOX99-11とともに、日本初の量産スーパーカーとして期待された。

しかし、エンジン供給元のスバルは、1990年からコローニチームと組んでへF1へ参戦したものの、予備予選を1度も通過できないまま半年で撤退し、モトーリ・モデルニとの提携を解消した。その結果、スバルはキャスピタ・プロジェクトからも撤退し、残されたワコールと童夢は新たなパワーユニット捜しを行わなければならなくなった。

日産製のV6ターボやホンダ製のF1エンジンなど様々な検討が行われたが、結局はイギリスのレーシングエンジンビルダーであるエンジン・ディベロップメント製のF1用ジャッドV10エンジンが選ばれた。元々水平対向エンジンを搭載するよう開発されていた車体にV型エンジンを搭載することになったため、設計変更を余儀なくされた。また、ボディデザインも市販化に向けて一部修正された。

2号車は1992年夏に完成し、イギリスの公道でテスト走行が重ねられた。1993年7月には日本のナンバープレートを取得した状態で再公開されたが、同時に童夢から市販化の予定がないことがアナウンスされた。すでに日本のバブル景気は崩壊しており、高級スポーツカーを少量生産して採算が取れるような状況ではなくなっていた。


その後

1989年に公開されたスバル-モトーリ・モデルニ製F12エンジン搭載車は、石川県小松市にある日本自動車博物館内で保存・展示されている[8]。林の談話によれば、スバルの強い要望によりしぶしぶ実車を渡したところ、気がついたら博物館に寄贈されていたという[9]。ジャッドV10エンジンを搭載した2号車は滋賀県米原市にある童夢の風洞施設「風流舎」内の倉庫に保管されている[10]。


引用ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・

この記事を読んでいると、
スバルの水平対向12気筒を搭載した、キャスピタは…
世界中で1台…、日本自動車博物館で現存…になります。


自分の過去ブログです…
この記事は、続 …北陸ドライブについて書いています。





#スバコミ事務局さんにお願い…

こんな稀少な車が展示してあるところが…
スバルスタンプラリーのスポットにならないのは、
おかしくないですか?




【超希少車】あの伝説のモデル&マシンはいまどこにあるのか!?
https://carview.yahoo.co.jp/news/market/20180817-10334451-carview/?sid=cv
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Posted at 2018/08/19 07:44:10

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