タイミングがずれたが
江原先生叩かれてますな。
この問題の部分て何?秋田の人だったのね。
全然知らなかったわ。
で、
反論だそうで。
ま、どうでもいいけど
こんなネタを本気で語る裏には、
「霊視が本当かどうか?」っつーのがある訳で
そんなとこをベースに語る事自体がナンセンスーだからしてwwwwww
唯一面白いのは
スピリチュアルカウンセリングと言いながら、
実際の霊視の部分については「スピリチュアル」が
抜けて「カウンセリング」のみになる点な。
「スピリチュアルカウンセリング」という定義を
どう扱うのか?という意味では非常に興味深い点である。
そこ意識して上記「反論」部のリンクを読み返してみると
また面白い発見がある訳です。
ヤァ! ワシ
つーワケでちょっと↓の話を思い出したのでご紹介
オカルト好きには有名である
マリーセレスト号事件っつーのがある。
要約すると、
1872年11月5日、
漂流しているマリーセレスト号を見つけて中に入ってみたら
誰もいなかった。
ところが、船内には海賊に襲われたような形跡もないし、
火にかけたままの鍋や喰いかけの暖かい食べ物とかがあって
つい今しがたまで人がいた形跡がある。
しかし、「乗員だけ」が忽然と姿を消してしまっていた。
そして血のついたナイフと船長の航海日誌に
「12月4日、我が妻マリーが....」
と言う謎の書置きがあったため、
謎の失踪事件として後々語られる事になった。
と言う事件。
しかし、この話、実は誤情報が原因の噂話であり、
実際は、荷物は確かに充分残っていたが
「救命ボート」はしっかりなくなっていたそうな。
そして血のついたナイフと船長の謎の航海日誌だが、
血のついたナイフは船員の部屋で発見されており、
船長の航海日誌とは関係なし。
また、
「12月4日」
の表記だが、実際は
「11月25日」であり、
笑うのは妻の名前は「マリー」ではなく
「セーラ」
だった。
チョwwwwww
まぁ実際の原因は予測は出来ても生存者がいないので確定も出来ず、
結局 「原因不明の海難事故」として
ちゃんと謎ではなく事故として処理されている事件なのです。
では何故、この事件がこんなに有名になったかと言うと、
コナン・ドイル
がこの事件を題材に小説を書いて、
それが原因で尾ひれがついて
今のようなオカルトネタに至っている件。
このコナン・ドイル、
オカルティストでも有名ではあるが、
このおっさんは、謎解きメインの探偵小説を書いておきながら
「自分が一番引っかかる」
と言うオッサンで、
何でもかんでも見事に信じちゃって本物認定してしまう
困ったお人だったようです。
「妖精写真」なんかも本物認定して、後ほど赤っ恥をかいています。
当時大流行していた心霊術などの影響もあって傾倒していたのだろうが、
ドイルと親交があった奇術師の
フーディーニが、
心霊術に失望して超能力や心霊を暴く側に回ったのと比較すると
なんともトホホな話である。
ちなみにドラマ「トリック」の原案は
このフーディーニから来ているであろうと推察される。
こんな風に繋がっていくのを追っていくのがワシのオカルティの楽しみ方。
いやらしいやろ?
本当は映画「バベル」について怒りのブルグを書こうと思ったが
大人気ないので止めてこれにした。
※自己記憶の確認の為に多数のサイトを確認・引用しましたよ。
Posted at 2008/01/30 12:28:23 | |
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オカルトゥ | 日記