2005年12月26日
シザーハンズ (1990)
EDWARD SCISSORHANDS
監督: ティム・バートン Tim Burton
まぁ、皆さんご存知の映画ですな。
クリスマスだったっつー事で
ナイトメアビフォアクリスマスと一緒に久々に見た。
ナイトメア~はまた機会があれば。
この映画はワシのフェイバリットの一つであり、
ティム・バートンを好きになったのもこの映画を見たからなのだが、
久しぶりに鑑賞してみると、今回は今までとは別の印象を持ちましたな。
最初に見た時は、その配色の妙とエドワードの作品にインパクトを覚え、
そのアーティスティックな雰囲気と
切ないストーリーのバランスに感動したものの、
最後に残ったのは
全てはウィノナ・ライダーのせいだ!
だったり(苦笑)
コレでワシはウィノナ・ライダーが嫌いになったからな(苦笑)
それは今でも変わらないのだけれども。
それが見ているうちに
人と触れ合う事や必要とされる事の大切さ
を寓話として提起しているのかな?とか
ちょっとしたスレ違いがもたらす感情の推移の怖さを見せる事で
コミュニケーションの難しさを説いているのかとか、
博士の死のシーンやエドワードの資質とは全く逆の結果を招いてしまう
自分の造り物の身体のギャップ等々、
埋められない溝の深さ
を密かながらも痛烈に揶揄してるのかと深読みしてみたり。
まぁ、色々と考えさせる映画ではありました。
で、今回見てみて思ったのは、
そう言う相互理解の難しさと言うよりも、
その一瞬をどう捉えるのか?
と言う事を言いたかったのかな?
なんて、ちょっと考えが変わってきたのね。
物語の核になる
雪が降るようになった理由
と、それを語るキム
そして毎年雪を降らせるエドワード
この関係性は、出来事の推移は確かに悲劇的な展開をするが、
その後、キムはこのお話を聞かせるまでどう過ごしてきたのか?
そして約束を守るエドワードがその日が来るまで
ナニを考えて過ごしているのか?
そのような部分に焦点を当てると、
:短くても触れ合った事を何処まで大事に出来るのか?
:大切な思い出とその時の気持ち
それを「人」はここまで持ちつづける事が出来る
それを逆に悲劇的な寓話をもって示したかったのか?
と思いながら見てたらもう泣ける泣ける。
無機質なエドワード、故に無感情に人を傷付けてしまう。
その理由も最初解る事が出来ず、それを彼は心に病むが、
そんな事は無い、彼の会話はとても優しい言葉に溢れているのです。
直接的だったり物理的な接点が全てではなく、
その時の「心」を如何に大事に持ち続ける事が重要なのか?
プラトニックを描く映画は数あれど
コレはその「本質」を考えさせられる映画ですよ。
ワシは今までこの映画のナニを見ていたんだ?
コレをほっぺちゃんにプレゼントするよ。
評価 :9点
購入価値:もう1000円で買えるからワシ的には必須
Posted at 2005/12/26 19:22:53 | |
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movie | 日記
2005年12月26日
ティッシュで「こより」を作って
鼻に「クシュクシュ」ってやって
無理矢理くしゃみするのが大好きです。
..............
ヤァ!ワシです。
世の中のカポーゥを呪詛で呪いまくったクリスマス。
みんな不幸だったかい?
え?結構それなりに幸せだったって?
ふーん。
まぁ、クリスマスだっつーのに
みんあみんカラやってるぐらいだから不幸だったに違いねぇ
きっとそうだ...いや、ワシが決めた!
オマイラ不幸!
.....クソッ 妬ましい妬ましい....
でな、9時に今日は自宅を出撃したのだが
通常15分
雪道45分
の通勤ルートで
今日は
4時間
かかりました。
原因は
宇都宮ナンバーのトラックがスリップして道をふさいだ為
だそうです。 ノーマルタイヤだったラスィ。
さすがトラックの運ちゃん「漢」だねぇ
なんていってる場合じゃなく、AMが丸つぶれで
今日の仕事が押すのなんのって。
マジカンベンナ
つー訳で今日は敢えて普通に日常を語り、
尚且つ短いぞ!
どや!?
Posted at 2005/12/26 17:50:17 | |
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