
今日も「寒ぅ〜い朝」がやって来ました!
いったい、この風はいつになったら収まるの?
それとも紀伊半島って、いつもこんな風が吹いてるところなの???
私達の他にはキャンパーさんが3組いましたが、テントはみんな無事だった様子です。というか、昨夜はあの風の中でも焚き火をしている方もいました…。
この季節にキャンプをする人は上級者ばかりでしょうから、キャンプの技術もキャンプに対する気合いも違いますね!
さて、今日の朝ご飯はホットケーキです。
メイプルシロップをたっぷりとつけて、美味しく頂きました。
子ども達にも人気の朝食です!
食後は身体を動かして、
そして、デリカでお出掛けしました。
今日は串本周辺を周る予定です。
まずは本州最南端の地である潮岬へ。本州最南端が和歌山県にあるってこと、知らない人は意外と多いのでは?
ちなみに、岬周辺には広大な芝生が広がっていて、その一部のエリアはキャンプ場になっています。
GWと夏休み、9月の一部は¥600/一人ですが、それ以外の期間は無料です。ただ、オートキャンプはできないので、「旅人」向けのキャンプ場と言えるかもしれません。
私も自転車で旅行していた時にこういったキャンプ場に出会えると嬉しかったですね。オートキャンプ場って、一人料金の設定がないところが多いし、主要道路から外れた場所にあることが多いんで…。
この日、ここにもテントを張っている方が何組かいました。
到達しましたぁ〜!
本州最南端!
まぁ、四国や九州、沖縄の存在を考えると「最南端」という言葉にちょっと違和感があるような、ないような…(笑)。
う〜ん。
この海のずぅ〜と先には、インドネシアがあって、そしてオーストラリアがある訳ですね。
串本に着いた時から気づいていたのですが、海を見ると必ず水平線を大型船が通っているんです。昨日、キャンプ場のお風呂から海を眺めていた時も、「向こうからこっちの裸が見えているんじゃない???」ってくらいの距離を大型船が横切っていました。
本州最南端の岬だから、東京から瀬戸内海へ回り込む船、九州方面へ真っ直ぐ向かう船、どちらも最短コースをとるために、この岬すれすれを通って行くのでしょう。
神奈川に住んでいるので海は身近な存在ですが、海に浮かんでいる船というのは漁船がほとんどです。「大型船を見る機会って意外にないかも?」なんてことに、今更ながら気がつきました。
なので、串本から見る海の眺めはとても新鮮みがあるものでした。
ところで、「潮岬がある紀伊半島の先端って不思議な形をしているな。」って、思っていました。まるで島が紀伊半島にくっついたかのようです。
そこで、こんな説明を見つけました。
やっぱり、潮岬は「島」だったようです。ただ、島が移動してきて紀伊半島にくっ付いた訳ではないみたい。
本州の河川から流出する砂が東西からの沿岸流によって運ばれて砂州が成長し、紀伊半島と島の間に陸地が出来てしまったのだとか。このような地形を陸繋島(りくけいとう)と呼ぶそうです。よって、串本の町があるところは大昔は海だったということですね。
勉強になりました!
「最南端の碑」に向かい合って、顕彰碑と資料館が建っていました。
せっかくなので見学してみるとこに。
ここで知った事実は衝撃的でした。そんな話、全く知らなかった…
『オーストラリアとニューギニア島に挟まれたトレス海峡は真珠貝の生息地で、そこに浮かぶ島々にはこれを採取するダイバー達の基地があった。(ボタンの材料として貝殻を採取するのが主目的で、真珠はむしろついでだった。)』
『明治期以降、高級ボタンや装飾品の材料となる白蝶貝の採取に従事した日本人は約7,000人で、和歌山県出身者がその8割を占めたと言われている。採貝の中心地となった木曜島(もくようとう)では、明治30年頃には同島への日本人渡航者の数は1,000人を越え、一時は全人口の60%を占めるまでに至った。そして、潜水病などで命を落とした日本人は約700人にも達するという。』
『第二次世界大戦ではオーストラリア北部は日本軍の猛攻にさらされ、トレス海峡諸島は防衛と反撃の拠点となった。日本軍は周囲の島の基地などには激しい爆撃を加えているが、木曜島には爆撃は加えなかった。』
『戦後はプラスチックが普及したため、貝殻の需要は激減した。真珠の養殖も行われたが、1960年代末に沖合いでタンカーが座礁、流出した油で海が汚染され、真珠貝は壊滅した。』
※ Wikipediaより要約
写真右の大きな貝に無数の穴が空いているのがわかりますか?
その穴がボタンとなった部分です。ブルーのファイルに並べられているのが、真珠貝のボタンです。
鉄のヘルメット(?)をかぶり、分厚いゴムのスーツを来て、海底を歩き、真珠貝を探した訳です。
水深30Mもある海底を1時間以上、一人で歩いて貝を採取したそうです。
そして、当然ながら酸素ボンベなどない時代ですから、酸素は海上の船からホースで送りました。そして、酸素を送るポンプは手動ですから、海底を歩く人はポンプを回す人に命を託す訳です。よって、ポンプを回す仕事は必ず親族などが行っていたそうです。
100年以上も前に、この果ての海で、日本人がそんな苦労をされていたんですね…。
全くの無知だったところに、この資料館との出会えたことで、また一つ歴史を知ることができました。
さて、串本の町に出て、デリカD:5に燃料を補給。そして、続けてAコープへ。
旅が始まって6日目。冷蔵庫の食材も心細くなってきたので、ここで買い出しをしておきました。(串本を出た後はP泊が続く予定なので、トレーラーを牽いたままスーパー等に寄るのは難しいかも…ということも考慮して、ここで食料を買い込んでおきました!)
そして、キャンプ場に戻ってお昼ご飯。
メニューはスパゲッティです!
さて、午後はキャンプ場のある紀州大島の島内を周ることにしました。せっかく、島に渡っているのだから、島の中を見ておきたいと思いまして。
最初にやってきたのは、白野海水浴場。
夏場は海水浴客が集まる人気の場所らしいです。当然ながらこの季節に泳ぐことはできませんが、砂浜でのんびりと潮風を感じながらおやつでも食べようかな、と思いまして。
しかし…
相変わらず…風が強過ぎて、とてもとてもそんな悠長な事をしていられる状況ではありませんでした。
まぁ、せっかく来たのだから、とりあえずお散歩。
「海に行ってお菓子食べようね!」と期待させて来てしまったので、次女はキャンプ場から手に持って来たお菓子を絶対に手放さず…しかし、歩いている間に強風でお菓子の袋を飛ばされてしまい…回収するのにえらい苦労しました。
長女はデリカD:5の車中で爆睡zzz。
ところで、島の至る所でこんな生け簀を目にしました。
円形のこの生け簀はマグロの養殖らしいです。
ちなみに、本マグロの完全養殖に世界で初めて成功したのが、ここ紀州大島とのことですよ!
紀州大島を西から東へ横断してやって来たのは、樫野埼灯台。
島の東端、道の終点にある駐車場からは気持ちのいい歩道が続き、歩いて10分弱で灯台に到着します。
明治3年に完成した、日本で最初の石造灯台なんだとか。
なぜ、石造灯台になったのかというと…
この地方で古くから建築用石材として用いられていた宇津木石(マグマから出来ており、柔らかく加工しやすい石)が島の対岸にある古座川でで採れたそうです。
そして、古座川で採れた石は川と海を使ってここに運ばれてきた訳ですね。地図で見ると、古座川の河口は島正面に当たるので運搬の利便性も良かったのでしょう。
歴史を知るって、勉強になりますね。
さて、灯台に昇ってみましょう!
眼下を見下ろすと、荒々しい岩肌が白波に打ち付けられています。
そう、ここは1890年(明治23年)にトルコの軍艦エルトゥールル号が遭難した場所なんです。
『横浜からイスタンブールへの帰路についたエルトゥールル号は熊野灘に差し掛かったところで台風の強風にあおられ進退の自由を失った。そして、樫野埼灯台下の岩礁に激突、沈没。その時、島の住民達は村民総出で船員の救助に当たった。住民達は自分達も台風により漁ができず食料の蓄えはわずかだったにも関わらず、卵やサツマイモ、非常用のニワトリまで提供し生存者の救護に努めた。』
という話です。 (※Wikipediaより)
この話は今でもトルコの歴史の教科書に載っており、全てのトルコ人が知っている話です。そして、現在でもトルコが親日的なのは、このことに由来しているそうです。
しかしながら、この話を知っている日本人はどれくらいいるのでしょうか?
また、2009年に起きた「ありあけ」の座礁事故は記憶に新しいところです。
東京から志布志(鹿児島)を経由して那覇(沖縄)へ向かう予定だった大型フェリー「ありあけ」が強風にあおられ、船体が横に最大で45°傾斜。復原力を失い、そのまま三重県の七里御浜に座礁、全損した事故です。
乗客7人、乗員22人は海上保安庁に救助され死傷者がいなかったのが幸いだったことと、船長は最後まで現場で指揮をとり、最後に救出されたことが賞賛された事故でもありました。
現代においてもそのような事故が起きてしまうのだから、熊野灘沖というのは相当な「難所」なのでしょうね。ここ数日の風の強さからしても、それは疑う余地がありません。
灯台の周辺は一面に水仙が咲き乱れていました。
ほんの数本が咲いているだけでもいい香りを届けてくれる水仙なのに、これだけの数が花を開いていたので、それはそれは見事は香りでしたよ。
再び遊歩道を歩いて戻ります。
遊歩道の途中には、トルコ記念館やトルコ軍艦遭難慰霊碑などがあります。
中学や高校の頃、私は地理が大好きで歴史は大っ嫌いだったのですが、最近になって地理と歴史が繋がっている理由がわかってきました。
今回の旅では改めて、机上で学ぶよりその土地に立ってそこに吹く風や香りを感じながら学ぶことの大切さを、痛感させられたのでした。
なんだかんだ、一日動き回ってしまい、キャンプ場に戻ってきた頃にはもう陽が傾き始めていました。
早速、キャンプ場のお風呂で身体を温めました。
やっぱりいいな、このお風呂は。
いつのまにか風が収まっていたので、今日は余計に快適にくつろぐことができました。
キャラバンテントは昨夜撤収してしまっていたので、食後もトレーラーの中でまったり。
二人とも、とてもご機嫌。
次女は滋賀の友人宅から頂いて来てしまった「ねこちゃん」を片時も離さず、可愛がっています。
そんなこんなで、3泊もゆったりと過ごした「本州最南端」でした。
さて、明日はトレーラーを牽いて移動です。
目指すは、今回の旅の最大の目的地、「アドベンチャーワールド」!
次女が楽しみにしていたパンダちゃんに会えるかな?
(つづく)
<備忘録>
12月27日
リゾート大島AC10:20 → 潮岬11:40 → 12:00Aコープ12:25 → 12:40リゾート大島AC13:45 → 白野海水浴場14:10 → 樫野埼灯台15:20 → 15:30リゾート大島AC
本日:牽引有0km 牽引なし44km
累計:牽引有671km 牽引なし152km
総走行距離:823km