![さようなら、インテ君(長文) さようなら、インテ君(長文)](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/carlife/images/UserDiary/1386473/p1m.jpg?ct=f7397d9edcaa)
えー、紆余曲折ありましたが、インテ君とおさらばすることとなりました。
4年ちょっとのお付き合いでしたが、色々勉強させて頂きました。
私の不手際でこんな目にあわせてしまい、愛車君には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
板金修理で80万くらいで治るとのことでしたが、フレーム修正も2回目だし、直ってもすぐにエンジン・ミッションのOHが必要であることから、意地で乗り続けるのはお勧めできないとのことでした。
残念ながらお別れです。
私とインテ君の歴史
2001年10月
納車。走行25800km。
当時、この走行距離の98スペは車体価格が200万オーバーは当たり前であったが、なぜか178万でオートテラスに並んでいた。
そんなうまい話があるわけないと店員に詰め寄ったが、
「エアバッグレスだからです!」の一点張りで取り合ってくれなかった。結果的にクルマ自体はノートラブルであった。と、思う。
2002年1月
フロントバンパー当て逃げされる。犯人はおそらく当時の部長。塗装が剥げただけであったがえらいショックだった。
2002年3月
坂道でのUターンに失敗し、フロントフェンダー破損。MT車を買ったことを少し後悔する。
2002年4月
オイル交換を知らないまま6000km走行しているのを指摘され、初めてのオイル交換。なぜか、帰りがけにタイヤホイール・車高調のローン用紙を書いて帰る(あれ?)
2002年10月
狭い道の左折でリアフェンダーに改心の一撃。助手席には当時付き合うか付き合わないか微妙な時期の彼女が乗っており、あまりのカッコ悪さと自分の運転技術の無さに一日寝込む。
2003年元旦
大晦日まで仕事し、徹夜で帰ってきて少し遊び帰りがけに西神戸有料道路の上り口でイン側へ溝落とし。居眠りしました。ごめんなさい・・泣
まあ、対向車へ飛び出さなかっただけ運が良かったと思いましょう。JAFが来るまでの30分間、対向車線を走る
初詣に向かう渋滞の列からの暖かい視線が忘れられない。左前後のロアアーム・アッパーアームはひん曲がっていたが、車高調は生きていた。ミラクル!
2003年9月
サーキットデビュー!2分35秒。デビューにしてはなかなかのタイムと褒められて調子に乗る。
同時に、福岡から熊本へ転勤し、営業車としてもデビューする。
2003年11月
2回目の走行。意気揚々と出走するも、同じ場所で2回もスピンした挙句、左フロントのフェンダーをヒットし、インテに乗っていながら、コーナー恐怖症に。以降一年間、デビューのときのタイムを上回らなかった。
2004年9月
目線やライン取りに修正を加えて努力すること1年。ついに、デビュー時のタイムを上回る。が、一気に5秒も更新してしまい、調子に乗って飛ばしていたら、上りセクションで
大クラッシュ。悲惨な愛車の姿を見ながら、廃車を覚悟する。
2004年11月
愛車復活。一回でも出場を見合すと、トラウマで走れなくなってしまうと思い、懲りずに走行会に出場する。学習能力が無いという暖かいお言葉も。
また、修理中の2ヶ月でインターネットにあふれる色々なパーツ。みんカラに出会う。初めて「ドレスアップ」「スポコン」を知る。以降、カーボンボンに緑のアンダーLEDを身にまとい、怪しい姿で熊本の町を走り回る。
2005年8月
みんカラオフに参加。いやあ、今から思えば参加しといて本当に良かったなあ。この頃には10万kmを目前に控え、ミッションはバキバキ鳴り・サーキットを走ると肉眼で分かるほどオイルが減っていた。まあ、80歳の老人に全力疾走させてるようなものですからな。OHを考え出す。
2005年12月
記録的な大雪の中、
廃ガソスタの壁に散る。ガソリン入れたて、タイヤ買いたて、ローター・パット買いたて。オイル交換したて。
我ながら、素晴らしいタイミングだw
ま、ここまでバカなやつもいないと思いますが、皆様、愛車をいたわっていつまでも乗っていただきたいと思います。
部品取り車として引き取られるのも決まっており、愛車の部品がどこかで生き続けるのなら本望ですな。
さようなら、インテ君!
Posted at 2006/02/27 21:38:28 | |
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