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紅の猫のブログ一覧

2018年06月24日 イイね!

新型ジムニー最新情報と「ひだ号」最終章

新型ジムニー最新情報と「ひだ号」最終章












こんにちは(^^)/

大阪に地震があった日、
私のパソコンには『スズキジムニーとシエラ、2018年7月デビュー』のメールが届きました。

まずそのスタイルですが、何かに似てるとはいえ、いや似ているからイイ!と思えるくらい消化されたデザインは,文句のつけようがないのではありませんか。
特にシエラのスタイルは、エスクードの路線変更も受け継いだマッチョなものですね。

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気になるエンジンは

ジムニーの方は最新「R06A型」ターボ仕様
マイルドハイブリッド装着で
64ps/6000rpm
11.0kgm/3000rpm
モーター 2.2/1000rpm
モータートルク 4.1/100rpm
燃費は5MTで16.2 4ATで13.2

一方シエラに積む1.5Lは、現行スズキ車には搭載されていないので詳細は不明。
変速は5MTと4AT

ジムニー、シエラともデュアルセンサーブレーキサポートを搭載
おまけにフロント、サイド、カーテンの各エアバックが付くようです。

気になる価格は
ジムニーが 145~185万
シエラが 176~206万

普段乗りにも十分使える、次世代ジムニー、さっそくカタログ頼んでおきました♪
20年ぶりのフルモデルチェンジ、さすがに立派なものです。
(データーは現段階で各情報から推移したものですので、違いが生じるかもしれません。
ご了承ください)

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さて、乗り倒しひだ号、最終章。

流石JR東海の看板特急列車、お昼のお弁当を買ってホームに上がると、まだ出発の20分以上も前なのにもうその姿をホームに横たえていました。(それにしても大阪での扱いはむごい)

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乗る列車はひだ11号富山行
名古屋を12:48に7両で発車し(シーズンは増結される)高山からは3両の身軽な編成になって、富山到着は16:39。

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方向の変わる岐阜から前面展望ができる10号グリーン車の1-AB席を確保。

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名古屋から岐阜までは後面展望です(車で言えばあおり防止後方カメラ目線)

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名古屋と言えば天むすだがやぁ~(ニコチャン大王)


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☝ 問 このお城は何城でしょう?

単線の高山本線へ列車は進みます。

単線非電化と言っても、立派な本線、最高速度は
岐阜駅 - 下麻生駅間 110km/h
下麻生駅 - 高山駅間 100km/h
高山駅 - 富山駅間 85km/h
と、単線とはいえ高山まではなかなか立派。

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分岐器も進化しました。

下麻生までは②の両開き分岐(Y字分岐)でも110㌔~100㌔で通過していきますもの。
私の知っている両開きは、65~50㌔近くまで減速するのが当たり前だったのに。

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流石に山へ入ると単線ローカル線感が強くなります。


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でもJR東海の管理している猪谷までは保線がしっかりされています。
確かに走る車両もこのキハ85系の他、猪谷までは大型のキハ25系が入ってきますもの。


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高山駅へ入線します。ホームには富山までのお客さんがそこそこいました。

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運転士と車掌が変わってここからJR西日本

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JR西管轄になる猪谷からは保線の基準が変わり、レールのゆがみが肉眼でも確認できるほど。
おかげで揺れる揺れる。


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会社が変わるとこうも変わるものなのね。

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ゆえに雰囲気もしっかり田舎のローカル線。

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すれ違う車両も、かわいいキハ120


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「大きな川を渡りますと富山、終点富山です」


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長の御乗車ありがとうございました。



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では   また    =^_^=








Posted at 2018/06/24 14:30:51 | コメント(4) | トラックバック(0) | 猫列車で行こう | 趣味
2018年06月17日 イイね!

かぶりつき乗り倒し キハ85系特急「ひだ」号 第一弾

かぶりつき乗り倒し キハ85系特急「ひだ」号 第一弾














こんにちは(^^)/
今回もしっかり『みんなで鉄道ライフ』です。

「ひだ」

この名前は遠く昭和33年「準急」として名古屋~富山間(高山本線経由)で運転を開始されたのがその始まり (なぜかその後高岡が終点になっている)
昭和30年代どのあたりだろう、準急色のキハ55「ひだ」を高岡駅で見た記憶がある(幼児期の記憶力)

昭和41年他の準急と合わせて急行に格上げ。
それまで名古屋~富山・金沢間は、準急「ひだ」と急行の「加越」、それと高山、北陸本線を環状ルートで走る準急「しろがね」、「こがね」が走っていた。

昭和43年「特急ひだ」がヨンサントオダイヤ改正で誕生する。
最初は「ひだ」が一本、急行「のりくら」は6~7本という力関係だったが、その後特急「ひだ」は本数が増えていく。

国鉄末期に富山まで来ずに飛騨古川止まりとなる時代もあったが、JR後キハ85系「ひだ」の誕生と共に急行「のりくら」や「たかやま」を吸収して現在に至る。

さて、今回乗車する大阪発~高山行「ワイドビューひだ25号」は昭和41年誕生した大阪~高山間の急行「のりくら」が「くろゆり」「たかやま」と名前を変えて引き継がれてきた、関西と飛騨地方を結ぶ唯一の直通列車である。


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カミンズ社の直列6気筒・排気量 14 L の直噴式ターボディーゼル機関 NT-855系 (350 ps / 2,000 rpm)を1両に2基を搭載し、最高運転速度120㌔を誇るマッチョな車両である。

線形の関係で最高速度を発揮できるのは、東海道本線の名古屋~岐阜間と大阪~岐阜間で、線形の悪い高山本線では、それでも岐阜駅 - 下麻生駅間 110km/h、下麻生駅 - 高山駅間 100km/hで疾走するが、高山駅 - 富山駅間では 85km/hまで落ち、特にJR西日本管轄の猪谷~富山間は、保線の点からか横揺れも激しくなる。


キハ85系も車歴30年を数え、ハイブリッドディーゼル次期特急車両の新製がささやかれてきたので、今回の乗り倒しに相成った。

file:///C:/Users/nyaam/Pictures/000034155ひだⅡ.pdf


乗り倒しというからには「かぶりつき席」確保は必須。
大阪~岐阜間「ワイドビューひだ25号」は普通3号車1のCD席、名古屋から富山までの「ワイドビューひだ11号」では、グリーン10号車1のAB席をゲットできた事で、このツアーはスタートした。


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雑踏する朝のホームをよそに、11番ホームは金沢行サンダーバードが静かに発車を待っていた。
7:40定時で金沢行5号が発車した後、いつまで待っても「ワイドビューひだ25号」入線の案内がない。

やっとホームに小旗を持った駅員が現れた、そして3両の短い編成で控えめにキハ85系が入線してきたのはなんと発車の2分前。


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『焦って乗り込む2分前』
広末のは♬Majiで…♬

いくら間借りとはいえ、数少ないJR東海在来線特急の雄、あまりにも粗末な扱いに驚きながら、慌てて3号車のドアへ駆け込んだ。

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オープンにできている開放的なデッキ回り

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お隣の2号車は青のシート

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3号車1のCD 、おなじみの普通車両かぶりつき席、足元が少し狭い事さえ我慢すればなかなかの展望。

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と喜ぶ暇などない、もう発車の7:58!
動画用カメラをセットせねば。

景品レベルのアンテナ三脚を持ってきたものだから、なかなか高さが定まらず・・・アセアセ
と言う訳で淀川を越えて新大阪駅から動画の撮影開始。


今は昔、山崎の決戦場所

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平日の朝8時台はまだまだ前後に新快速群がひしめき合っているのでマックス120㌔で軽快に飛ばせない。これが日曜だと大阪発が4分遅れの8:02!ところが草津には平日より1分早く到着する快走ダイヤが組まれている。


瀬田の唐橋で有名な瀬田川で先行の321系をとらえる

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とはいっても時間と共にマックスで走れる区間が多くなる。
カミンズエンジン本領発揮だ。


ホテルでモーニングの時間がなかったので朝は駅弁

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大垣を出発して揖斐川を渡ると岐阜はもうすぐ

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2時間足らずで岐阜へ到着、ここで名古屋からのひだ5号をドッキングだ。
まず大阪からのわれら25号が9:56、3番線へ入線、隣の4番線を9:57発車する豊橋行きと平面で連絡。

ここから面白い機回しが行われる。

まず、客扱いを終えた25号が西岐阜方面の待避線へ移る。

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10:00名古屋からの5号が4番線へ入線。

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待避線の25号が逆方向から4番線へ入線、5号と接続する。

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岐阜駅では当たり前なのか、ギャラリーはいなかった

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確認に始まり確認に終わる

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10:11ドッキングした5号、25号は7両になって高山方面へ発車だ。

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 25号を3番線に止めるのは4番線から発車する豊橋行きとホームで乗り換えを容易にするためだが、岐阜駅は名古屋から入線できるホームが456番線に限られている。そのまま3番線で待っていても名古屋からの5号と接続できなくなるので、いったん大垣側へ退避し4番線へ入れ替えて5号と接続させるためのようだ。逆に大垣方面からの入線は123番線ホームに限られている。


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ディーゼルの魅力はスタートダッシュの煙だ、11号も名古屋へ向けて出発

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特急なのか、快速なのか、電車なのか、ディーゼルなのか、分かりにくいのが東海流

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25号に乗ったままで待避線散策もありだったが、この時間名古屋行きひだ4号やしらさぎ5号と優等列車の入線もあり、そもそもそんな面倒な接続が行われているなんて知らなかったからね。


大殿様,頭の上の八咫烏

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次は始発の名古屋から富山行きワイドビューひだ11号に乗車になるので名古屋へ向かうのだが、わたくしこの年まで名鉄にはまったく乗ったことがないので、以外と離れていた名鉄岐阜駅へ向かう事に。


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なになに、名鉄名古屋までが550円。
ん?たしかJRは470円だったぞ、
岐阜~名古屋間は、JRが新快速で20分なのに、枇杷島付近の急カーブと岐阜駅直前の単線が響いて名鉄は快特でも29~30分、
こんなのでお客さん乗るのかしら?


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でも中京圏では名鉄、人気はあるらしいよね。

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ついでに調べてみるとJRの名古屋~豊橋間は1320円で53~56分
対する名鉄は1110円で49分、これなら人気もうなずける。

名鉄は独特な料金体系もあるようなので、まあ地元に人気があるに越したことはありません。


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ただ指定席を350円払わなくても、クロスシートに乗れるので展望席は我慢した。
名鉄の前面展望ビデオ、持っていますからね(^_-)-☆


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三面2線、特異な名鉄名古屋駅、比較的狭い連絡路を通って地上へ、そしてJRへ。

名鉄側は桜通りに出ないとひきがない。
見上げてもツインタワーがよく見えないので、とにかく展望が利くスタバで一服することに。


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田舎者にゃあ、よう、わっからせん(^^;

名古屋から富山までの最終章は、また今度

では、また  =^_^=




最後にお楽しみ

この駅はどこの駅でしょう?



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さぁ、いかがかな(^_-)-☆



Posted at 2018/06/17 15:43:56 | コメント(4) | トラックバック(0) | 猫列車で行こう | 趣味
2018年06月10日 イイね!

旅の点景  京都鉄道博物館~阪急京都線~明治軒~大阪丸ビル

旅の点景  京都鉄道博物館~阪急京都線~明治軒~大阪丸ビル





















これも博物館へ入れてあげましょう。





こんばんは(^^)/

一週間のご無沙汰です。
今晩は、この前の旅の続きのお話をしましょうか。


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京都鉄道博物館、立派になっていたけど一つだけ、いや二つかな、残念な処が。


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一つはプロムナードにあるナシ20の食堂車だけど、プロムナードを歩く人と目線が同じなので、食べている姿が丸見えだし、逆に車内からの景色があまりにもお粗末なところ。


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それと2Fのレストランが、見事に冷凍食品をチンしたものが出されていた事。


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それが子供にとってのママの味なのかもしれないけど、あまりにもお粗末。


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おそろいの制服で仲良く見学する幼稚園児。


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お洒落な制服だしお受験がある学校なのかな、みんな先生の言う事を聞いてお利口なこと。


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博物館を見終わったので、宿のある大阪へ。


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四条行きのバスがあったので、今回は阪急で行くことに。


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家内も思わず『わぁ、きれいな車内』
一番空いている最後尾の車両で座席をゲット


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そう言えば学生の頃京阪間の移動は、待ち合わせ場所の関係もあっていつも京阪。
鴨川の土手を走る車窓は最高だったなぁ。


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スピードはJRの一人勝ちだけど、


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でも山崎の東海道線をアンダークロスするところ、頭の中では特急燕を追い越していた。 


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大阪では新婚旅行の時,大阪空港からフライトの待ち時間にランチへ寄った思い出のお店、心斎橋「明治軒」へ。


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懐かしいオムライスと串カツの定番メニュー


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「ライスグラタン」に思わず^m^


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そして宿も思い出の丸ビル大阪第一ホテルへ


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さすがに周りにあったバラックはなくなったけど昔のままのその姿、耐震は大丈夫なのだろうか。


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丸ビルも「ラピュタ」化が進んでいるよう(笑)



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大阪で整列乗車している。やはり3ドア車になった影響なのか。



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まだ201系国電の残党が走っていた。ラッシュ時だけ出てくるのだろうか。
【森ノ宮電車区に8両編成4本が在籍】



さぁ、11番線へ移ろう。今回の旅の大本命、キハ85系特急「ひだ」乗り倒しの始まりだ。


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キハ85系、キハ80系の置き換えと時間短縮の為、平成元年から使用された、ワイドビューでおなじみの特急用気動車。
ブルーリボン賞を東の雄、651系と競い惜しくも次点にはなったが、大きな窓が特徴の少し国鉄的デザインを残すお洒落な車両。


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30年という車歴から新型ハイブリット車新造の話も出てきたし、一本だけある大阪発が無くならないうちにお邪魔した話は次回。



では また   =^_^=
Posted at 2018/06/10 18:07:44 | コメント(3) | トラックバック(0) | 紅ツアーランド | 旅行/地域
2018年06月03日 イイね!

今日は鉄道博物館、SL万歳(^^)/

今日は鉄道博物館、SL万歳(^^)/























はい、こんばんは(^^)/
6月に入り梅雨が当たり前のようにやってきますが、いかがお過ごしですか。

今宵は先日『キハ85特急「ひだ」号乗り倒しの旅』に出た際、寄り道した『京都鉄道博物館』ネタでお時間をいただきます。「ひだ」の前座という事ですが、と言うには役不足なネタであります。(正しい使い方ww)


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「大人びWEB早割」で金沢~京都は3割引き♪
ここへは梅小路蒸気機関車館の時以来ですから何年ぶりになるのでしょうか、
見上げる山陰本線の高架は新駅建設の真っ盛り、今度来る時は電車かな。

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個人的にはSLが京都、鉄道の歴史全般が弁天町(交通科学博物館)と痛み分けができていた方が好きでしたけどね。



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さぁ今回はEF58や500系新幹線には目を瞑り、SL一本で行ってみましょう(^^)v

1800形 明治14年
京都~大津開業に合わせ同区間の急勾配用としてイギリスより輸入されたもの
鉄道記念物‼



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230形 明治35~明治42年
イギリスの機関車をもとに作られた初の国産機関車



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1070形 大正14年~昭和3年
元車は明治30~33年イギリスから輸入したしたカマ。
それをタンク式に改造したのがこれ。



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8620形 大正3年~昭和4年
平坦で距離の長い路線の客貨両用として設計
九州ではまだ現役で客車を引いている仲間がいる
今日のスチーム号は彼



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C51形 大正8年~昭和3年
大正を代表する旅客用機関車
昭和5年から9年まで東海道本線超特急燕を牽引
さらにお召し機関車として104回の実績を誇るほど、好不調の波がないという事。



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C53形 昭和3年~昭和5年
日本初の3シリンダー(3気筒)機構だったのだが、そもそも3シリンダー機構の理解が不十分で動作不良頻発と起動不能などといった重大なトラブルが頻発した。本来C51に代わる優等列車牽引用となるはずも、状態の悪さからC51が燕を引いたりしたのもそのためである。
ただ適切に調整・保守された物は、振動が少ない広い運転台や、良い蒸気が上がり強い牽引が得られると、乗務員の評判は良かったらしい。


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世界的な流線型ブームに乗り43号機はこんな出で立ちになっている(^^;




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C55形 昭和10年~12年
丙線規格の旅客用機関車  C51の後続機

C57形 昭和12年~22年【山口にいるので写真なし】
C55形後期型改の旅客機 細身のボイラーと大きな動輪から貴婦人と呼ばれていることは有名。
C571号機は「やまぐち」号として、東日本のC57180は「SLばんえつ物語」号として活躍中


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C59形 昭和16年~22年
ボイラーはD51をベースに圧力を挙げた大型旅客機関車



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D52形 昭和18年~21年
東海道、山陽で1200トン貨物を引くことを目的にD51より高出力、日本最大の貨物用蒸気機関車。戦艦大和的発想^m^
ただ戦時設計の為、本来の力が出せないものが多数。除煙板や淡水車の一部に木材が使われたりもした。
その大型ゆえに引退も早く昭和47年に五稜郭ですべて廃止された。



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D51形 昭和10年~20年
通称デコイチ、デゴイチという派閥もある
戦争中の大量生産で総数は日本一の1115両
設計主任 島秀雄 「一番の会心作」自画自賛^m^



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D511号機、通称ナメクジ
煙突、砂箱、給水加熱器を長い囲で覆ったもの
『リックの番は任せろ!』


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C62形 昭和23年~24年
戦後の旅客需要急増と貨物輸送激減に伴い余剰となったD52貨物機関車を旅客用に改造した大型機関車
C622号機スワローエンゼルや129k/h日本SL最高速度保持機の17号機(リニヤ館)、
また。カマの調子が良かった26号機が当時「宮原のエース」と呼ばれていた事などは有名。


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C61形 昭和22年~24年
C62と同じく貨物用D51のボイラーを流用して作られた旅客用機関車

東日本のC6120は 2011年から力行中



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9600形  大正2年~15年
愛称は「キューロク」
大型ボイラーによる高い重心と小さな動輪が特徴



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D50形 大正12年~昭和6年
9600形の後続機
空転が発生しにくく情味員の信頼も厚かったが、昭和の恐慌による貨物減少により製造打ち切り。


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C58形 昭和12年~22年
大正生まれの8620形の速度と9600形の牽引力を併せ持ったオールマイティ車
七尾線でも活躍していた。


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C11形 昭和7年~昭和22年
C10とC54のノウハウ(失敗箇所)を生かし、全国各地に配属され、主にローカル線の列車牽引や入れ替えようと重宝がられ末期まで多数残った機関車。

氷見線,城端線や富山までは本線でも活躍し、高岡古城公園に静態保存されているのもこの機種。



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B20形 
終戦直後の単純化戦時設計の小型車
どうやら富山にあった「立山重工業(現大谷製鉄株式会社)」が最大数製造社らしい



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7100形 
北海道へ向けて、アメリカより輸入
これは1号機 義経  6号機 しずか は小樽市総合博物館に静態保存されています。
2号機の 弁慶 は解体。

なをウエスタンリバー鉄道のコロラドをはじめとする4機の機関車は、似て非なるものなのでご注意を。




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C56形 昭和10年~14年
タンク式C12機関車を比較的距離の長い簡易線用にしたテンダ式小型機
後退の為テンダの両サイドは切れ目があり視界を確保している。
実際後退による運転は走行性能が落ちて脱線が多かったらしい(-_-;

160両中90両もの仲間が戦争の為タイやビルマ(ミャンマー)へ渡って共に戦った。
緊急退却時などは置いてゆかねばならず、カマに爆薬を仕掛け爆発させる際、兵隊の中には「機関車自決」と言って一緒に命を共にする者もいたようだ(‘◇’)ゞ


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この160号機は5/6「SLやまぐち」号、山口線から完全撤退
機関庫を訪れる前日5/27「北びわこ」号運用終了と共に本線運用から引退したばかり。

このC56は平成9年城端線全線開通100周年として、13年には氷見線開通90周年として高岡に汽笛を響かせてくれた

そう、平成3年に七尾線でC571と重連走行も見せてくれた名機、本当に長い間お疲れさまでした。




 

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C622スワローエンジェルがいないと思ったら、こんなところで。


ちなみにDF50 、DD13 は 津山にいますよ(^^♪



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いつ来てもピカピカのボディで迎えてくれるのは、影の力があってこそ。




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フレンチトーストの次がSLというところが、「cat farmⅡ」懐の深さですが、
歴史の一ページを飾った蒸気機関車に改めて敬意を表したいと思います。



では、  また   =^_^=







Posted at 2018/06/03 19:37:15 | コメント(6) | トラックバック(0) | 猫列車で行こう | 趣味

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「頻発する『UREA警告』 キハ308はもう終わりか!? http://cvw.jp/b/1154577/48593649/
何シテル?   08/11 15:33
 こんにちわ、紅の猫です=^_^=  逆わらしべ長者もどきでゴルフ5GTIからスプラッシュへ乗り換えたのを機に「みんカラ」をはじめて10年あまり。 シテ...
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