
ちょっと長いドライブに出掛けて来ました。
サムネの写真はその時のヒトコマです。
まず向かったのは、ボクの定番スポットになりつつあるような・・・お城
小峰城(白河城)戊辰戦争において重要な場所でした。

2011.3.11の震災で石垣が倒壊してしまったので調査、復旧工事中で未だに天守に登る事が叶いません。

なので・・・白河羽鳥レイクラインを使って大内宿で蕎麦を食べてと思っていたら・・・かなり手前から渋滞していたのでUターンし次の目的地に向かう事に。

このような未舗装の山道を20分位掛けて登って辿り着いた先は・・・

東山温泉近くにある松平家墓所という場所です。
京都守護職として京都の治安維持に務めた会津藩9代藩主「松平容保」のお墓があります。
以前訪れた時は生憎の大雨で参拝する事が叶わなかったのでようやくという感じです。
下山すると

山から湧き出る水が渇いた喉には美味しそうに見えたのはココだけの話しです^^;

ここは、新撰組3番隊組長「斉藤一(のちに藤田五郎)」一説には、土方歳三が戊辰戦争で会津に従った時に東京の板橋で処刑された新撰組局長「近藤勇」の首を埋葬した場所との事。
というのは、近藤の首は京都の三条河原に晒されたという記録が残っている為、動乱期とはいえ、東北で戦っていた彼らが首を取り戻せたのか謎なのです。
首から下は東京三鷹の龍源寺に埋葬されています。
右の墓標は函館戦争で銃弾に倒れた土方歳三を弔う墓標だそうです。

続いて向かった場所は
滝沢本陣、戊辰戦争の際に藩主容保が白虎隊に戸ノ口原へ出陣を命じた場所です。
ここには戊辰戦争で被弾した弾痕や砲弾の破片が柱や障子に多々残されており、戊辰戦争の激戦を伺い知る場所になっています。

赤く丸が付いている所に砲弾の破片が埋もれています。
ちょっと歩いて

飯盛山から会津市内の眺望。鶴ヶ城も見えますが、どこだか分かりますか?

白虎隊士のお墓にも線香を手向けます。
余談ですが、飯盛山には、さざえ堂という国の重要文化財があります。

このお堂中々面白い構造になっていて、行きと帰りに同じ道を通らない構造になっています。

戸ノ口原の戦いで撤退を余儀なくされた白虎隊士がこの洞窟を通り飯盛山に戻って来たそうです。
飯盛山からは鶴ヶ城が燃えている(ように見えた)隊士20名はこれまでかとここで自刃してしまいました。

移動して、娘子隊(厳密にいうと藩の正規の軍隊ではないのですが・・・)
のまとめ役として会津板下で戦い若くして散って行った「中野竹子」のお墓があります。
大河ドラマ「八重の桜」を観ている方ならば、ピンとくると思います。
山本八重の薙刀でのライバルとなる女性で、会津藩江戸藩邸に生まれ、薙刀を赤沼大助に学び、
文武両道に優れた女性であったようです。

戦場となった柳橋の近くにある石像。
竹子はかなりの美人だったと記録されているのでちょっと違和感があります(苦笑)

連休中で、鶴ヶ城の渋滞もソロソロ解消される時間帯を見計らって県立博物館の駐車場近くにある大河ドラマ館へ。

八重役の綾瀬はるかさんのサインがあったのでとりあえず撮影してきました。

観終わり外に出て見ると、夕焼けで桜が綺麗に咲いて見えます。
というより妖艶という感想を持ちましたが^^;

石垣と桜

橋を入れて桜

天守と桜

マジックアワーに映える鶴ヶ城。

橋を入れてみたら良い感じの風景写真に。

この渦を見ていたら時代に翻弄されてしまった会津の人々とつい重ね合わせてしまったのと同時に今の自分も流れの渦に巻き込まれてしまっている現状に縁を感じてしまいました。
今回、戊辰戦争に関係する所を訪れてみて、妻のルーツが少し分かったような気がします。
妻と子供はまだ、体調が優れずに一緒に行けなかったのが残念でしたが、出発ギリギリまで本人も行きたがっていたので、また機会を作って行きたいと思います。
Posted at 2013/04/29 21:52:20 | |
トラックバック(0) |
ドライブ | クルマ