続きがあります・・・すみません^^;
ココからは結構深く書くつもりなのですが、出来るだけ噛み砕いて書こうと思いますのでお時間があればお付き合いくださいませ。
さて、おほげつを後にした僕・・・
次の目的地は「松陰神社と松下村塾」です。
がその前に。
通り掛かりに見つけました。
この場所はかつて「萩明倫館」という長州藩の学校がありました。
水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つと称される程の学府でした。
今は、明倫小学校の敷地となっていました。
敷地内はこのようになっていました。
ちなみに、ココに入れたのは藩でもある程度身分のある人でした。
かつて高杉晋作もここに通っていました。
これも通り掛りの信号待ちにて・・・松陰先生橋の名前にもなっているんですね。
この場所こそが、明治維新の起爆剤となる人材を育てた「吉田松陰」先生の松下村塾の跡地なのです。
今回、山口県まで旅をしたもう一つの目的地がここでした。
実は・・学生時代から史跡・旧跡を歩くのが趣味だったのですが、
東京の世田谷区若林にある「松陰神社」を訪れた事がきっかけなのです。
とその前に、軽く吉田松蔭先生の事を説明して置かなければなりませんね。
以下は僕の知識だけで書きますが・・
吉田松蔭、諱は矩方(のりかた)と言います。
幼少の頃は、杉虎之助といい、叔父の「吉田大助」の養子になり山鹿流兵学師範の家を継ぎました。ところが、松蔭が5歳の時に叔父が死去した為、同じく叔父の「玉木文之進」が開いていた松下村塾で学びます。
こんな感じだったのでしょうか・・・
そして10歳にして13代長州藩主「毛利敬親」の御前で兵学の講義を行ったといわれています。
こんな感じだったのではないかなと・・思いますが。
ところが・・・お隣、清国が西欧諸国にアヘン戦争で敗北した事を知り、山鹿流の兵学が役に立たない事を知るや、西欧の兵学を学ぶ為に、九州へ遊学したり、
江戸では、信州松代藩士、「佐久間象山」につき兵学などの知識を学んだようです。
イメージはこんな感じかな。
1853年にペリーが浦賀沖に黒船で現れた時に、師の佐久間象山と見学し西欧の文明に心を打たれたと言われています。
ちなみに江戸の町民の間では「太平の眠りを覚ます上喜撰 ( じょうきせん )、たった四杯で夜も眠れず」っていう狂歌があるほどの慌てようだったようです^^
1854年に再来航していたペリーの黒船に乗り密航(当時の日本は鎖国政策を敷いてしたので)を企てようとしましたが、失敗に終わり、密航を拒絶されて送還されたため、松陰は乗り捨てた小舟から発見されるであろう証拠が幕府にわたる前に奉行所に自首し、伝馬町の牢屋敷に送られています。
その後、伝馬町から長州藩の野山獄に送られ、その後牢を出されますが、実家杉家の育(はぐくみ)となり幽閉生活を送りますが、この期間から約1年2ヶ月の間3畳の

このような場所から親や兄弟を相手に講義を始めたそうです。
それがきっかけとなり、だんだん人が集まりだし、座る場所もなくなり・・離れ家に塾を移したのが、有名になったこの建物になります。
長州藩の下級武士である久坂玄瑞や伊藤博文などの面々を教育していったそうです。なお、松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったといわれています。
1858年に幕府が朝廷の許可なしに「日米修好通商条約」を結んだ事に怒り、討幕を決意し、老中首座である間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を計画しますが、同志が集まらず計画は頓挫しますが、長州藩に自首して老中暗殺を自供し、再び野山獄に送られます。
ところが、大老(非常時に老中の上に置かれた職)井伊直弼による安政の大獄がはじまると、江戸に呼び出され再び伝馬町の牢獄に送られます。
そして・・・・伝馬町の牢獄で山田浅右ェ門の手により斬首に処せられ小塚原に晒されますが、後年、高杉晋作らの手により小塚原から遺体を掘り起こされ
長州藩が火事などの際の避難場所として確保していた東京世田谷若林の下屋敷に改めて埋葬された場所が現在の松蔭神社になります。
この神社のスケールを小さくしたのが山口県の松蔭神社になります。
門弟に教えた期間は合わせて2年ちょっとでしたが、ここの門弟達はその教えを胸に、幕末の動乱で(高杉晋作、吉田稔麿、久坂玄瑞、等)ほとんどが動乱で命を散らせてしまいましたが、明治の世に行きて新たな時代を築いていった志士(桂小五郎、伊藤博文、山形有朋)もいます。
吉田松蔭先生の辞世の句
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
僕は、この句を目にした時に是が非でも、松下村塾を訪ねたいと思ったのです。
思想においては、過激な部分を持っていましたが、国を想い自分の身を掛けて
行動し、優秀な門弟を多く輩出した松蔭先生だったのです。
今の国会議員にはそこまでの人材が居ないので国政もダメなのでしょうね(やれやれ ̄_ ̄;)
※本当はもう少し幅を広げて書こうかと思いましたが、これ以上広げてしまうと脱線して収集が付かなくなりそうなので少し省略してしまいました。
もし、吉田松蔭先生の事に興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、
司馬遼太郎 著 「世に棲む日日(一)~(四)が読みやすいかと思います。
Posted at 2009/03/24 00:00:46 | |
トラックバック(0) |
ドライブ | 旅行/地域