
群馬在住時に、KITサービスの社長(当時)の奥様に私が直に聞いたお話。
1977年、富士重工の社員でテスト・ドライバーで、プライペードでラリーストの小関典幸氏は、突然会社に2か月の有給休暇を申請する。
理由は「ロンドン・シドニー・ラリー」に47日出走する為。
会社は受理したが、その代わり、車両その他必要経費は一切自腹、おまけに帰国後は自分の座る机は無いと告げられ、それでも行くか?と云われ、押し切って仲間三人と出場した。
その仲間はモータージャーナリストの岡崎宏司氏と、ラリーストの高岡祥郎の三人でエントリーした。
最初は、4WD部門に持ち込んだところ、「セダンの小型車が4WD?」と失笑され、誰も信じず、ジャッキアップして駆動したところ、笑いは一気に冷め、興味深くオフィシャル達や他の出場者も集まった。
最初は馬鹿にされていたが、高速ラリーでの安定した走りは他のマシンは真似出来ず、誰もが舌を巻いて爆走するレオーネに注目した。
当時、世界一過酷で長いラリーだったロンドン・シドニーラリーは、オーストラリアのステージでカンガルーに激突され、室内に突入。岡崎氏が負傷。
しかし、そのまま走ったので破傷風になり、今も傷が残っているそうだ。
そして47日の過酷なラリーは、無事完走。総合19位、4WD部門4位という快挙だった。
だが、ゴールは歓声ではなく、罵声と失望の悲鳴で包まれていた。
何故なら、このラリーの主催者が競技中に破産・ラリーを放置し逃げてしまったのだった。
折角の快挙だったのに、静かなゴール。
シドニーから絶望の気分でレオーネを船に載せ、飛行機で帰国した。
しかし、帰国したその先、富士重工では、暖かい歓迎の出迎えが待っていた。
レオーネは帰国後、CMに使われ、東京モーターショーに展示された。
「帰国後、席は無いよ」と云われた小関氏。
残念ながら、会社の席は本当に無くなっていた。
小関氏は、この時、妻と幼い子供の顔を思い浮かべ「なんて事しちまったんだ」と思ったという。
但し、もっとテスト・ドライバーとラリーに専念して欲しいという富士重工の意向で、スバル・テスト・ドライバー請負会社「K.I.Tサービス」を設立し独立するというプレゼントが待っていたのだ。
以後、その活躍はスバル・ファンなら知っていよう。
KITサービス・ホームページ
http://www.kit-service.com/
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Posted at
2011/08/14 17:16:14