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tarepa RSのブログ一覧

2011年08月18日 イイね!

スバル・プレオRS(RA-1/2)1998~2004

スバル・プレオRS(RA-1/2)1998~20041998年に大好評だったヴィヴィオの後継として登場。
これまでスポーティな軽自動車だったのが一転、ユーティリティ重視のミニバンスタイルとなり、シフトノブもコラムとなり、ヴィヴィオでスポーティな走りを楽しんでいたユーザーを愕然とさせた。


だが、友人のプレオ開発チームのメンバーに聞いたところ、「VIVIOよりも走りに拘った」そうだ。
因みにその方もVIVIOでダートラに参戦している方だ。

一見、今時流行りのミニバン軽だが、中身はVIVIOのメカニズムを受け継いでおり、スポーツグレードは4輪独立ABS・全輪ディスクブレーキと小型車にも無いような高級メカを搭載し、さらにVIVIO以来の運転席優先設計のシート、特筆すべきは壊れ易いと不評だった自社開発CVT「ECVT」も提携メーカーのものに替えられ、今まで無かったトルクコンバーターを介することにより、当時「ひ弱」と揶揄されたCVTの耐久性が格段に向上した。

さらに、スポーツモデルにはステアリング・シフトが設けられ、「7速マニュアル・モード」での操作も可能だった。

だが、そのマニュアルモードは当時提携していたポルシェ社と相談し作られたが、ポルシェ側から「どうして折角無段階シフトで効率の良いCVTをマニュアル化する必要があるか理解に苦しむ」と苦言を云われたそうだが、スバル側はCVTの無段階だからこそ、その気になれば何速でもマニュアル化可能で、走りに徹したい場合は最適」という考えで開発された。
しかし、その肝心なステアリング・シフトも、まだまだ熟成不足で、高速運転ならともかく、ワィディングでは使い難い構造で、概ね不評であった。

さらに、大きくなった車体は使い勝手は向上したが、走りはVIVIOと比べ鈍重になり、燃費も愕然と悪くなった。VIVIOと比較すると300kg近く重くなったせいである。
しかし、これは1998年の軽自動車安全規格に基づいた車体強化を含んだもので、VIVIOでは配慮されていなかった(必要も無かった)衝突安全構造が、プレオから配慮されている。その為ボディ剛性は向上しているのでVIVIO程過激ではないが走りは良かった。

最初乗った時はVIVIOのような「ドッカーン」なフィーリングは無く、愕然としたが、私もイイ歳こいたオッサンになったので、まあ、乗心地も加速も両方兼ね揃えたプレオに今は満足している。
云わば性格的には、VIVIOは走り優先のインプレッサ、プレオは乗心地と走りを併せ持つレガシィと解釈すれば良いだろう。

前期型で不評だった点は2002年のマイナー・チェンジで改善され、硬すぎたスポーティグレード・RS専用ショックは、ナチュラルなものに換装され、さらに5速フロアミッション仕様も追加。


スバルのスポーツ競技やテスト・ドライブを請け負う「KITサービス」の手によりダート・トライアル参戦も行ったが、結局ヴィヴィオ程、参戦するユーザーは少なかった。


2004年にR2と交代。乗用車仕様は絶版となったが、同時にフロア5速マニュアル仕様のスポーツクレードも無くなり、プレオはスバルのスポーツ軽のマニュアル車では最後の車になってしまった。



Posted at 2011/08/18 06:38:32 | コメント(3) | トラックバック(0) | スバル | クルマ
2011年08月18日 イイね!

プレオRS VS VIVIO・RX-R が出会っちゃった

プレオRS VS VIVIO・RX-R が出会っちゃった偶然お出かけ先で遭遇。残念ながらオーナーには会えなかったが、大事にされている様子。
運転席のレカロが「本気」ですね~。いや~、本当ならまたヴィヴィオ欲しいのです。

こうして見ると、今も色あせない魅力がタップリ詰まった車です。

↓軽自動車でサファリラリー参戦の貴重な映像!出場車は全てKITサービスでチューニングされた。
故・コリン・マクレー氏もVIVIOで参戦したが、惜しい所でリタイヤしたものの、KITサービス所属のケニア人・パトリック・ジルの手により見事A-5クラス優勝という快挙に世界中のラリー関係者が驚いた。
なお、マクレーとジルのヴィヴィオは軽自動車には異例のグループA仕様に徹底チューンされていた。

Posted at 2011/08/18 06:05:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | スバル | クルマ
2011年08月14日 イイね!

スバル・レオーネ4ドアセダン4WDと、国際ラリー4WD化のきっかけ(1977)

スバル・レオーネ4ドアセダン4WDと、国際ラリー4WD化のきっかけ(1977)群馬在住時に、KITサービスの社長(当時)の奥様に私が直に聞いたお話。

1977年、富士重工の社員でテスト・ドライバーで、プライペードでラリーストの小関典幸氏は、突然会社に2か月の有給休暇を申請する。
理由は「ロンドン・シドニー・ラリー」に47日出走する為。

会社は受理したが、その代わり、車両その他必要経費は一切自腹、おまけに帰国後は自分の座る机は無いと告げられ、それでも行くか?と云われ、押し切って仲間三人と出場した。
その仲間はモータージャーナリストの岡崎宏司氏と、ラリーストの高岡祥郎の三人でエントリーした。

最初は、4WD部門に持ち込んだところ、「セダンの小型車が4WD?」と失笑され、誰も信じず、ジャッキアップして駆動したところ、笑いは一気に冷め、興味深くオフィシャル達や他の出場者も集まった。

最初は馬鹿にされていたが、高速ラリーでの安定した走りは他のマシンは真似出来ず、誰もが舌を巻いて爆走するレオーネに注目した。

当時、世界一過酷で長いラリーだったロンドン・シドニーラリーは、オーストラリアのステージでカンガルーに激突され、室内に突入。岡崎氏が負傷。
しかし、そのまま走ったので破傷風になり、今も傷が残っているそうだ。

そして47日の過酷なラリーは、無事完走。総合19位、4WD部門4位という快挙だった。

だが、ゴールは歓声ではなく、罵声と失望の悲鳴で包まれていた。

何故なら、このラリーの主催者が競技中に破産・ラリーを放置し逃げてしまったのだった。

折角の快挙だったのに、静かなゴール。
シドニーから絶望の気分でレオーネを船に載せ、飛行機で帰国した。

しかし、帰国したその先、富士重工では、暖かい歓迎の出迎えが待っていた。
レオーネは帰国後、CMに使われ、東京モーターショーに展示された。

「帰国後、席は無いよ」と云われた小関氏。

残念ながら、会社の席は本当に無くなっていた。

小関氏は、この時、妻と幼い子供の顔を思い浮かべ「なんて事しちまったんだ」と思ったという。

但し、もっとテスト・ドライバーとラリーに専念して欲しいという富士重工の意向で、スバル・テスト・ドライバー請負会社「K.I.Tサービス」を設立し独立するというプレゼントが待っていたのだ。

以後、その活躍はスバル・ファンなら知っていよう。

KITサービス・ホームページ
http://www.kit-service.com/
Posted at 2011/08/14 17:16:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | スバル | クルマ
2011年08月10日 イイね!

スバル・レオーネ・クーペGSR(A22型)1971~79

スバル・レオーネ・クーペGSR(A22型)1971~79今では実用4WD車としてのイメージが濃厚の車だが、実は登場当時はスバル初のスペシャリティ・クーペとして販売されていた。
特に、スポーティ・モデルといえばRXだが、登場当時のスポーツモデルはGSRだった。



ハンドリングが好評だったスバルだったが、このレオーネはスタイル重視で重くなり、強いアンダーステアで非常に曲がり難い車だったが、ダートではFF車の特性と車重を生かし、他社が後輪駆動で空回りしながら走る一方でレオーネはガンガンとスムーズにダートコースをこなした。

☆私が見た記憶は1回だけ。群馬県在住時に太田市の本社工場近くで現役で走っていた。1997年の事なので少なくとも25年は現役っぽかった。今も現役であって欲しい。
画像のはヤマダ製1/22のプラモデルで、実車が新車当時に販売されていたもの。


おまけ。人気テレビ番組「緊急指令10-4-10-10」で使われたレオーネの雄姿
Posted at 2011/08/10 22:25:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | スバル | クルマ
2011年08月09日 イイね!

スバル・ニュー・レオーネ(AB型)1979~84

スバル・ニュー・レオーネ(AB型)1979~841979年にデザインを一新した「ニュー・レオーネ」として誕生。
悪路を走れる乗用車として有名だったが、スポーティな3ドア・ハッチバックの「スイング・バック」、「クーペ」も用意された。

当時はRVブームで「乗用車から乗り換えても違和感の無いRV」として重宝され、バンもワゴン仕様にに負けない豪華装備仕様もあって人気が高かった。
ターボや4WD乗用車初のATミッションが搭載されたのもトピックスだった。

しかし、欠点は中身が先代から引き継いだドライブトレーンのままでエンジンが「DOHCかターボか」と論議されていた世の中に対し、チョーク付OHVエンジンと旧態依然であった。

モータースポーツでは、スバルの試作車テストを請け負うKITサービスがサファリラリーに出場しクラス優勝を成し遂げ、さらにパリ・ダカールにエントリーしたが、残念ながら炎上しリタイヤする。


ダート・トライアルでは4WDならではの悪路走破性を発揮したものの、当時の後輪駆動・前輪駆動のような乱暴な迫力のある走りは出来なかったので人気は無かった。
当時参戦していた先輩の話では直線で安定した走りを見せて”ここでサイド使ってドリフトだ!”と期待した途端、コーナーで減速、ゆっくり曲がって行くレオーネを見て愕然としたと語っている。
理由は、サイド・ブレーキが前輪という、他には無い構造なので他車みたいに豪快にお尻を振る事が出来なかったからだった。頑固なアンダーステアにも悩まされたそうだ。

その代わり、悪路や凍結路をスムーズに走れる乗用車もまたレオーネ位だったので、高速直線が多いサファリ・ラリーでは常勝を極め、海外では「安く買える高速4WDマシン」として人気が高かった
海外でのスバルの人気の高さを表すものとしてアメリカ映画「キャノンボール」(1979)がある。
(広東語で話しているが、ジャッキー・チェンとマイケル・ホイは日本代表という設定である)



☆画像は8年前に撮影したワンオーナー極上車の現役。残念ながら4WDではなかった。
以前、知り合いのスバルの設計の方に「レオーネ・スイングバックみたいな車、また出してよ」と言ったら「あるだろ、インプレッサ・ワゴンが」と云われた事があった。

群馬在住時にKITサービスが所有する、新車で保管されているサファリ・ラリーGr.A仕様を拝見したが、さすが、ホンモノならではの凄みがあったのを覚えている。
製造ラインから直接抜いてきた車がベースなので車台打刻は無く、ナンバーは取得出来ない状態だったが、水平対向エンジンから突き出したキャブレターのファンネルや、内装が全て引っぺがされ、競技車仕様のインパネに換装された状態が「只のレオーネじゃない」事を物語っていた。
話によると、当時、某女優がこの車でサファリに出場予定が直前にキャンセルされたものだったという。
1997年当時の話で今もあるかは不明。写真撮っておけばよかった。



Posted at 2011/08/09 15:31:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | スバル | クルマ

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何シテル?   01/06 23:25
スバル・ヴィヴィオRX-Rと、家族用にキューブに乗っています。主に80年代の車や働く車、飛行機が大好きです。 これまで、1984型・三菱コルディア4WD以来十...
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