私は、このNEWレオーネ・ハードトップは残念ながら新車当時は記憶に無い。見たことも無かった。
映画「キャノンボール」(1979)で、マイケル・ホイ/ジャッキー・チェンが乗る日本チームのレオーネ・スイングバック、そしてRVブームで脚光を浴びていたエステート・ワゴン、北海道では実用的で人気のセダンは普通に見たが・・・。
1992年。高校2年の時、バイトで買った中古のホンダ・NS50で北海道1周旅行に出たとき、長万部の国道5号線の海岸に、鉄骨のアングルに乗せられた、妙にカッコイイ、ダミーパトカーがあった。
それが初めて見たNEWレオーネ・ハードトップだった。
小柄なボディにパトカーには本来相応しくない2ドア、白黒に塗られたボディのルーフに、確かミニパトで使うような小さな角型散光式が左右二つ載せられ、意外とカッコ良かった。
道中知り合った内地のライダーと、あのレオーネについて話が盛り上がった。
私の5歳年上の大学生。
「昔は、あれ、いい車だったんだよ。廃車とはいえ勿体ないな。でもセンスいいよな、あのパトカー作った人。」
いい車だったんだ。そう私の頭の中にインプットされたが、それ以後、この車には出会わなかった。
当時は車検10年経過後は1年車検になり、10年きっかりで、動こうが動かまいが構わず廃車にしていた時代。その時代のせいか。
あのダミーパトカー、1995年には消えていた。海岸に置かれていたせいで腐食が激しく、早々と廃棄されたのだろうか。ネットで調べても情報は皆無で、今や知る由も無い。
1997年。富士重工の期間工員に行く寸前、コンビニで面白そうな本を入手。
当時三菱派だった私にとって最大のライバル・スバルを特集した本だった。(Js Tipo別冊)
これを見た後、新聞にスバルの期間工員の広告・・・・
当時、就職率が最悪だった函館を捨て、群馬へ向かったが、本音は「憧れの内地に住みたかった」
矢島工場で勤め、休みの日は、あの雑誌に載っていたKITサービスへ遊びに行った。
そこには、あのNEWレオーネ・ハードトップの新車、しかもグループA仕様が展示してあった!!
スバル・ラリーの生き字引・Y氏に説明して頂いた。
某芸能人がサファリラリーに出場の為、製作したものの、仕事でキャンセルになり、以後そのまま走らずに眠る続けているそうだ。
試にナンバー取って乗る事は可能か否か聞いてみたところ、笑いながら「ムリムリ、工場で生産ラインの段階でボディだけの状態で引き抜いて、あとは手作りで組んでるから、車台番号の打刻が無いんだ。それに、これは歴史的な車だからね(笑)」
「でも・・・乗りたいんだったら、売り物があるけど?」
店の中古車売り場に行くと、ビッカビカのガンメタのNEWレオーネ・ハードトップRXがあった。
55万円。
一瞬心が動いたが、しかし、「でも、幾ら綺麗でも15年落ちだから維持が大変だよ。それに、君は走るのが好きみたいだから、今のスバル知っててこれ乗ればガッカリするよ。コイツは悪路や氷結路は強いけど、今時のコが峠で飛ばす車じゃないよ(笑)そんなんだからレガシィ作ったんだよ。」
・・・・とりあえず、やめておいた。ま、また出会えるさ(^^)
あれか15年。廃車になった個体すら見ていない。やっぱり珍しかったんだ。
今思うと、あの時買ってればと思う反面、当時の私があの車の走りに納得言って満足して乗ってたかは、正直言って疑問だ。
でも、当時のスバル・サウンドに惚れ込んだ人も多かったと聞く。「レオーネにカーステ?要らねえよ、ボクサー・サウンドの邪魔になるだろうが」
あのガンメタのRXハードトップ・・・・今も大事にされていることを祈ろう。
Posted at 2012/06/29 22:36:11 | |
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