• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

tarepa RSのブログ一覧

2011年07月30日 イイね!

リンク追加・ブログ「ソニカな人」

リンク追加・ブログ「ソニカな人」リンク追加しました。

http://sonicajin.blogspot.com/「ソニカな人」

以前紹介しました会社の先輩で、30年前にダートトライアルに燃えていた方です。

・・・・・・・今は、ダイハツ・ソニカに萌えています。

画像は、私が買う寸前まで行って買わなかったソニカの新登場時。2006年。

値引き・サービス一切なしだったので結局購入しなかった。。。

スバルの営業さんのサービスに負けて、同時期に出たステラを購入したのだが、これでもかと言う位のマイナートラブルに大泣きされる羽目に(泣)
しかも、途中で新人の営業に担当が変わり、全く話が通じず融通聞かずで最終的に大失敗。

今頃、ソニカ買ってたら、どうだったんだろう。いいな~、ソニカのセルシオ・シート。。。

でも、ステラじゃなくてR2買ってたら、また話は違っただろうね(笑)

走りはトルクフルで上品なスタイルなR2が好みだったけど、燃費が悪かったのが欠点。
しかも軽なのにハイオク車・・・後期はレギュラー車になったが、その分トルクが落ちた。


一方ソニカは、スバルのスーパーチャージャーのようなトルク感は無いものの、ターボ車ながら燃費と使い勝手と走りの良さと乗心地、これをうまくバランス良く調和させたのは素晴らしかった。

どちらも甲乙付けがたい位、いい車だった。

・・・・・そういえば、5年前の話なのに、今、これらに匹敵する軽自動車無いな。。。残念。






Posted at 2011/07/30 22:02:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | ダイハツ | クルマ
2011年07月29日 イイね!

ダイハツ・シャレード(G10型)1977~83

ダイハツ・シャレード(G10型)1977~83
初期型CM

1977年、第一次オイルショックの後遺症で省エネが進められていた中、新提案の小型大衆車として登場。
「5平米カー」というコンセプトで、限られた中でいかに実用的で快適な車を作るか構想された結果がこのシャレードであった。
エンジンは1000ccながら新開発の3気筒エンジンで、3気筒は4気筒等の偶数と違い、奇数で、ピストンの動きをお互い打ち消せずに振動が大きく、乗用車向けでは無いと言われたが、ダイハツは計算上、効率が優れるのは3気筒という結論を出し、バランサー・シャフトの改良等により、静かな3気筒エンジンを実現した。

元々は経済追究車であったが、オシャレなスタイルと価格の安さが人気を呼び、ヒット車となった。
2ドアクーペは後部Cピラーに丸い「マリンウィンドウ」と呼ばれる窓を付け、一層オシャレな感じを引き立て、女性に人気があった。

そして燃費を追及した軽い車体はラリーにも重宝され、海外ラリーにも積極的に参戦した。


後期型CM

さらに、トピックスとしてはイタリアのイノチェンティにエンジンを提供した関係から、イタリアのチューナー「デ・ト・マソ」がプロデュ―スした仕様が東京モーターショーに出品され、話題を呼んだが、モデル末期だったせいか発売されないままフルモデル・チェンジされ、次期モデルで販売された。

画像は4年前に撮影。シャレードの泣き所は鉄板の薄さ故に錆びやすいところだが、錆び一つ無い奇蹟のグッドコンディションを保っていた。

Posted at 2011/07/29 09:33:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ダイハツ | クルマ
2011年07月28日 イイね!

日本史上最大の交通大執行作戦!沖縄730(1978.7.29~30)

日本史上最大の交通大執行作戦!沖縄730(1978.7.29~30)明日は7月29日。
今から33年前のこの日。沖縄県全土は大騒ぎだった。
街道には全国から見物客が訪れ、道端にはカバーを被った標識や信号機が逆の車線にズラリと並び、走るパトカーは、沖縄なのに「北海道警察」。他の地方のパトカーも走る。

一体何が起こるのか?

それは、この日まで沖縄県全土は今とは逆の右側通行だった為だ。
かつて、沖縄県は第二次大戦後、アメリカの占領下に置かれていた。
その為、法律も行政もアメリカ式を取っていたのだった。

当初、アメリカ占領軍は「元々歴史的に沖縄は琉球王国だった」という事実に着目し、将来的に独立させるつもりだったが、1948年、中共内戦勃発による中華人民共和国の誕生と台湾との対立が始まり、ソ連と分割占領した朝鮮半島も危うくなり始めた。

しかし、ここで沖縄を独立国として解放すれば、有事に沖縄を使えなくなる。
そこで、急遽方針を変更。
「沖縄は日本固有の領土である故に、戦後賠償として占拠・統括する」

その後、米軍基地は「占領軍」という大義の元、居座り続けた。
その為、基本、琉球(沖縄)はアメリカ領土であるが、アメリカ指導で設けられた琉球政府は日本が金を出すという方針でまとまった為に、アメリカ領土である為に通貨は「米ドル」道交法はアメリカ式の右側通行でありながら公用語は日本語、街並みも日本という変わった形が暫く続いた。

だが長引くベトナム戦争で疲弊したアメリカは、沖縄は重要拠点と解っていても維持が困難になり、さらに法律の関係上、アメリカ兵の犯罪には一切手出しが出来ない状態だったのでベトナム戦争で戦い疲弊した兵士による性犯罪・強盗・交通事故等で琉球市民の怒りは爆発寸前の所にあった。

※1970年の米兵の交通事故処理が原因で暴動と化したコザ暴動が有名。
他にも軍用トラックで市民の女の子を轢き殺した際、運転手の米兵と通行人の男が女の子の遺体を中心に睨みあう写真が有名。手出し出来ずに睨むだけの市民と、平気な顔をして腕を腰に組む兵士の姿が当時の琉球(沖縄)の現状を物語っている。

ここで、アメリカと日本が取引を行った。
「沖縄の統治を日本に託す代わりにアメリカ軍基地の継続にご協力を」

1971年、佐藤首相下の中、突然決まった沖縄返還。
返還はいいとしても、問題が数多くあった。

・通貨「ドル」から「円」に切り替え
・道路交通法の日本式切り替え
・米軍基地の一部返還及び自衛隊の常駐
・琉球警察から日本警察方式へ切り替え・・・・・・・・etc

その中で一番厄介だったのが道路交通法の切り替えだった。
当時は既に琉球(沖縄)も、車の所有は当り前で占領当時のような右だろうが左だろうが問題ない状態とはかなりかけ離れており、日本車が多数で、その車も殆どが左ハンドルの「沖縄仕様」だった。
さらに道路網も右側通行に合わせた仕様で作られていた。

そこでまず、日本式に車は左側通行に戻す方針が立てられたが、沖縄県内では猛反発があり、中には「世界は殆ど右側通行。日本本土が間違ってるんだから日本本土が変更すればいい」という意見まであったが、最終的に沖縄県が日本式にすうようになった。

沖縄返還直後、「沖縄仕様」の自動車の販売は終了。その6年後、交通の切り替えをする方針となった。「6年」という根拠は、当時の自動車の平均使用期間を元にしたもので、財産権が無くなる6年後には、日本仕様の右ハンドル車が大半となるという考えだった。

そして迎えた1978年。
この当時は日本全国から応援の交通機動隊員が装備ごと派遣された。
さらに全国から標識・道路関係の業者が集結。作戦は開始された。

1978年7月29日午後10:00、全県内に配置されたパトカーや消防車のサイレンが一気に鳴り響き、それを合図に全ての交通が許可車両以外は一切遮断。
翌日午前4:18、全ての作業終了。

午前5:50、サイレンを合図に走行中の車両は全て停車。
車線を右から左に切り替え、開放を待つ。
朝午前6:00。道路は開放された。

無事作戦は終了したが、やはり、その後事故は暫く多発したそうだ。

日本とアメリカの都合に振り回され続けた沖縄。今も残念ながらその状態は続いていることを我々日本人は忘れてはならない。


Posted at 2011/07/28 21:44:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車の歴史 | クルマ
2011年07月28日 イイね!

三菱ランサー(A7#型)1973~79 &ヒュンダイ・ポニー(1975~85)

三菱ランサー(A7#型)1973~79 &ヒュンダイ・ポニー(1975~85)昔、うちの父が2ドア1200SL及び、バンに乗っていたので思い出深い車。
父の運転で助手席に乗った最後の車だった。(1986年廃車)

最後の日、「フンフン」音がするので、窓から顔を出して後ろを見たら、後輪がフンフン暴れていた!!
父に話したら、翌日廃車に。今思うとハブベアリングがイッたのだと思う。

以後10年、父は事情があって車を保有しなかった。



初期型CM

ランサーは「ラリーに勝つため」に作られた車だったという。
その為、ノーマル仕様は最高グレードの1600GSRでも装備もガサく、安っぽかった。
しかし、足回りをラリー仕様にすると低グレードでも抜群の走りを披露したという。
考え方は、初代スバル・インプレッサの開発当時と同じ考え方だった。


後期型CM

1986年、小学校から帰るとランサーはいなかった。
数日後、小学校の帰り道、「ガタンガタン」と音がするので振り返ると、4トントラックに積まれた、うちのランサーがいた。

うちのとすぐ分かったのは、当時、もはやこの型のランサーはうちしか見かけなかった事、そして前オーナーが外した「1200SL」のエンブレムを外した跡、そして父が自分で塗装した白車体に、車体下にうっすら残っていた元色のオリーブ色。

「今迄ありがとう。」手を振ってあげた。
今もナンバーが外されたランサーのテールが忘れられない。

父が休みで家で寝てる日は、後部座席で遊んだ。黒いレザーシートにしみ込んだセブンスターの匂い。
CMのような過激な走りは体験する事は無かったが、いい車だった。
今も、フリーハンドでランサーの詳細な絵を描ける位覚えている。

画像は5年前に某所で撮影。今も残ってるのかな?
レストアしたいと思って近くに寄ってみたが、サビが酷く欠品もあり、再生は難しそうだった。残念。



おまけ・韓国初の自社開発国産車 ヒュンダイ・ポニー。(1975~85)
三菱自動車と提携し、ランサーのプラットホームをベースにジウジアーロ・デザインの車体を作り、
エンジン・足回りはランサーながらも国産率90%で自信満々に初輸出を行った。

スタイルがイタル・デザインのあっさりしたフォルムが好評で、ベースとなったランサーよりも安く、内装もゆったり広く、使い勝手もいいと、最初の販売は絶好調だった。

だが、工作精度・材質不良によるトラブルが多発し、即座に評判が悪化し北米では半年で販売中止。
以後1990年代まで「ヒュンダイ⇒安物」呼ばわりされ、衝突安全基準も満たせなかったで北米輸出はされなかった。

韓国では大ヒットモデルで販売当時は約50%の車がコレだったが、今は現存台数は絶滅に近く、製造国でもソウル近郊の三星交通博物館でしか見れないという。




Posted at 2011/07/28 10:49:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三菱 | クルマ
2011年07月27日 イイね!

三菱ミラージュ1600GT(A15#型)1978~1983

三菱ミラージュ1600GT(A15#型)1978~1983

1978年に登場した三菱初のFF小型乗用車。
マニュアル・ミッションは副変速機搭載の「スーパーシフト」と呼ばれるもので、1~4速のHi/Loが選択出来、使い方次第ではクロスミッションに匹敵し、ダート・トライアルでも重宝された。
(但し2本のシフトレバーを巧みに駆使しなければならないが・・・・)
1600GTは、最高グレードモデルで、「サウンドGT」と呼ばれた仕様には豪華なカーステレオが付属。




1982年にマイナーチェンジを行い、その際に4ドアセダンとターボが追加された。
4ドアセダン1400ccモデルのみだが、MDエンジンと呼ばれるものが搭載され、停車時等で4気筒のうち2気筒を止めるというシステムが搭載された。
しかし、機械的で2気筒になると、エンジンが今にも止まりそうな不安定なアイドリングになり、不快だと不評だったようだ。

画像は近所に5年前まであったもの。車屋の主人が趣味で所有していた1台。
特徴ある緑のカエルみたいな塗装は、デザイン時に「青りんご」をモチーフにした為だという。
Posted at 2011/07/27 23:20:32 | コメント(3) | トラックバック(0) | 三菱 | クルマ

プロフィール

「今年は珍しく元旦が休みでしたが、結局落ち着かない正月でした(泣」
何シテル?   01/06 23:25
スバル・ヴィヴィオRX-Rと、家族用にキューブに乗っています。主に80年代の車や働く車、飛行機が大好きです。 これまで、1984型・三菱コルディア4WD以来十...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2011/7 >>

     12
3456789
10111213 14 15 16
17 1819 20 21 2223
24 25 26 27 28 29 30
31      

リンク・クリップ

コロナ売れました 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2016/12/08 11:32:25
LS 1/20 スズキセルボCX-G プラモデル 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2016/04/16 20:04:38
模型馬鹿一代 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2011/07/30 21:54:06
 

愛車一覧

スバル ヴィヴィオ ヴィヴィちゃん(ビストロバージョン) (スバル ヴィヴィオ)
娘の意向でビストロ顔にチェンジ(^^) 多少、ビストロのパーツに傷や痛みがありますが、 ...
スバル ヴィヴィオ ヴィヴィちゃん(名付け親・わが娘) (スバル ヴィヴィオ)
昔乗っていたVIVIO・RX-RAが忘れられず衝動買い。 動いた最大の原因は、漫画・田中 ...
スバル ヴィヴィオ スバル ヴィヴィオ
妻が初めて保有した車。私と付き合い始めた頃には既にお婆さんに払い下げられていた。 私が ...
三菱 スタリオン 三菱 スタリオン
1995~96 ランタボを探していたが、内装の豪華さにつられ、ついスタリオンに手を出して ...

過去のブログ

ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation