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tarepa RSのブログ一覧

2011年10月16日 イイね!

三菱コルト1000 1963~70 

三菱初の小型4ドアセダンとして発売。デザインはデボネアと同じくアメリカ人の元GMデザイナー、ハンス・S・ブレッツナーが携わっている。

1965年にデザインは、ほぼそのまま、多少車体を拡大した「1500」を発売。
デボネアに搭載された6気筒2000ccエンジンをベースに4気筒化したエンジンだった。

1966年に1000cc→1100ccモデルを発売、競合他社の1000ccクラスに差を付けようとしたが、その直後に販売された、トヨタ・カローラ(1100cc)の「プラス100ccの余裕」と、ライバルの日産・サニーに向けた挑戦的なキャッチフレーズの方が話題となり、折角のコルトの戦略は、あまり知られず、ひっそりとしたものになってしまった。

角目の「スポーツ」を販売し、国内ラリーでもワークス参加で熱かったが、「通好みの車」という隠れた名車的な存在のまま、1970年に生産終了した。



画像は函館にて。2005年9月撮影。今もあると思うが、どうでしょう??

記憶では小学校の頃(1982~88)、この看板の手前の空き地にランボルギーニ・カウンタックが入った高級外車店のショールームがあった記憶がある。
バブル崩壊後に店の中の車は消え、代わりにショールームの窓に「差押え 函館地方裁判所」と書いた紙が貼ってあったのを幼心に覚えている。

高級外車というのも凄いが、そういった華やかな車を売っている横に、こんな薄汚いソ連製のような鉄屑の看板があるのがシュールだったのが印象的だった・・・・。
Posted at 2011/10/16 21:45:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月15日 イイね!

1959 Cadillac



アメリカ人の憧れの象徴としてよく紹介されたのが、この1959年型キャデラックだった。
これまでのモデルと違い地を這うような低いスタイルが話題となった。
特徴的なテールフィンが流行った最後のモデルで、このモデルを最後にテールフィンも控えめになり、やがて消えて行った。

日本では派手な色のコンバーチブルのイメージがあるが、黒一色のセダンやアメリカ軍将校専用車のオリーブドラブのセダンもなかなか重厚で似合う七変化的な車である。
Posted at 2011/10/15 09:30:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | アメリカ車 | クルマ
2011年10月15日 イイね!

1961 Ford Thunderbird (1961~63)



フォードを代表する高級スペシャリティ・カー。この代のモデルは特徴的な流線型スタイルから「ブリッド・バーズ」(弾丸のような鳥)と呼ばれた。

コンバーチブルモデルもあり、こちらは、エルビス・プレスリーの愛車としても知られる。

Posted at 2011/10/15 09:13:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | アメリカ車 | クルマ
2011年10月12日 イイね!

1960 Buick



ビュイック社は1800年代末に配管工で財を築いたデビット・ダンバー・ビュイック氏によって設立された自動車会社。
当初は手作りに近い生産状況で、台数も作れず売れずが続いたが、後のGMの創設者で馬車製造販売の大手だったW.Cデュラント氏が自動車産業に参入しようとし、利害が合致、提携した。

1907年にはフォードに続く第二位の会社に成長したが、そこでビュイックはGMに会社を乗っ取られ、多額の退職金を渡され追い出されてしまった。

以後、ビュイックはGMの1ブランドとなり現在に至る。

日本では、ヤナセが太平洋戦争直前の1938年にアメリカと国交を断絶する寸前に大量にビュイックのセダンを輸入し、宮内庁や警察庁に収め、公用車だった為に木炭燃料仕様の改造も、戦後のアメリカ軍による接収も免れ、戦後も1960年代まで永らく使われた。

なお、戦後最初の内閣総理大臣・吉田茂も1951年の日本占領解除後に外務省より1951年型ビュイックが贈られ使用されたが、吉田茂はマスコミを真底嫌っていた為、撮影が殆ど許可されず、報道写真でも取り巻きが、こうもり傘を全員で差して周囲を囲んでいたので、あまり写真が残っていない。

現在は日本ではビュイックは忘れられた存在だが、中国や台湾で、ビュイックブランドでアジア専用の1.6L小型セダンを現地製造・販売している。

 
Posted at 2011/10/12 09:43:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月11日 イイね!

1950 Nash Rambler Coupe



1925年にアメリカで設立された大衆車メーカー。
画像のランブラーは、戦後は小型車の時代になると睨んだナッシュ社が発売した小型車で、しかし、小型であっても高級感は大事にし、ライバルの大衆車と遜色の無い装備だったことから人気があった。
その後、「恐竜の時代」と揶揄されたアメリカ車の巨大化とは違う方向で大ヒットした車である。
Posted at 2011/10/11 11:29:30 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

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