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tarepa RSのブログ一覧

2011年10月10日 イイね!

戦前のロールス・ロイス

Posted at 2011/10/10 11:48:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 外車 | クルマ
2011年10月09日 イイね!

A型フォード(ford Model A)1927~32



ヘンリー・フォードの息子、エドセルが提案した初のフォードのフルモデルチェンジ車種。
競合他社に比べ旧態依然だったT型から、当時のライバル車に匹敵する性能を保持、再び世界の標準モデルの立場にのし上がった記念すべきモデルである。

このモデルより、ソ連(旧ロシア)、日本での現地生産も開始。ソ連では国営企業GAZ社が、日本では日本フォード(横浜。現在のマツダR&Dセンター)で生産を行ったが、ブレーキが、アメリカ製は進化した油圧制御式だったのに対し、海外製は、生産の簡略化及びコストダウンの為、昔ながらのワイヤー制御とされた。
なお、日本ではアメリカ本社にリンクし、年々フルモデル・チェンジを行い、装備もそれに合わせ進化していたのに対し、ソ連は当初の簡素なモデルのまま第二次大戦中まで生産されていた。
理由は、日本は主な得意先の軍部より、より良い製品を奨励されていたのに対し、ソ連は広大な国土なので、現地での複雑機構の故障は、そのまま「遭難死」に繋がる事が多いので、高性能よりもシンプルさを求めた結果だった。


Posted at 2011/10/09 22:23:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | アメリカ車 | クルマ
2011年10月09日 イイね!

T型フォード(ford model T)1908~27



これまで自動車は手作りで、金持ちの娯楽だったものを何とか庶民の物に出来ないか考えた、フォードの創設者ヘンリー・フォードが、食料品の缶詰工場の流れ作業を見て、その製造方法を車の生産に生かした。「ベルトコンベア方式」である。
流れ作業でも作り易いように単純な構造で作られたT型フォードは乗用車・トラック・バンと各種が作れるようにもなっており、大ヒットした。

さらに高額で従業員を雇い、従業員が与えられた給与でT型フォードを買い、結果倍々方式でその台数は増していき、世界中に普及し、「フォードを幾ら追い越してもフォードばかり」の状態になった。

しかし、乗用車仕様はコストダウンの一環で黒しか選べなかったが、これが普及するにつれ「自分の車が分からない」と云われ、カラーリングを増やした。

こうして、庶民に自動車というものを与えたフォードだったが問題もあった。
殆ど休みなしでフル稼働の工場で、毎日長時間同じ仕事を淡々とやらされる従業員のストレスが蓄積していき、社会問題となり、チャップリンの映画で人間が機械の一部、ギアの一つとしてしか価値が無いと揶揄された。

第一次大戦では数多くのT型フォードが使われ、重宝されたが、戦後になり、やがてライバルも生産方法を真似て、T型よりも斬新で高性能な大衆車を販売するようになると、T型は「貧乏人の車」と見下されるようになる。

しかし、ヘンリー・フォードは自分の生み出したT型が一番と、装備を充実させたりし、頑固に作り続けたが、もはや1920年代になると、「遅くて貧乏くさくてとても邪魔な車・フォード」と馬鹿にされ、息子のエドセルの説得で1927年にようやくA型フォードへフルモデルチェンジした。
Posted at 2011/10/09 08:37:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | アメリカ車 | クルマ
2011年10月09日 イイね!

1950年代前半のシボレー



Posted at 2011/10/09 08:16:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | アメリカ車 | クルマ
2011年10月08日 イイね!

1950 CHEVROLET



1950年当時のシボレーの主力車種。
当時は日本にも大量に輸入販売された。

1951年、朝鮮戦争の激化により、日本にも戦力を持ってもらい、アメリカだけに依存しない国にする為に、日本占領を解除。その際、様々な事が緩和され、自動車の生産販売制限解除、日本への輸入自動車販売規制解除、日本国籍航空機の飛行禁止解除に民間航空会社の設立容認、日本船舶のアメリカ管理化解除等、様々な緩和がなされた。

そんな中、第一弾としてハワイより新車に近い1950年型シボレー・4ドアセダンが50台輸入され、保管所に置いたその時に既に完売という人気ぶりを博した。

これを見た警視庁は、パトカーに最適と大量に導入。これまで戦前の生き残りの車両や、トラックを改造したもの、故障だらけで「寄付」という名目で納入され、在り難迷惑だったメーカーの試作車位しか無かった現場は、ようやくまともな車が入ったと大喜びで迎えられた。以後1960年位まで警視庁の顔だった。
この車の大量導入により、初の覆面パトカーも登場したが、「覆面パトカーは卑怯だ」との批判もあった。

だが、1960年代に入ると民間の自動車の数が増大し、国産車が急激に増えた事により、左ハンドル
のシボレーは「大きく運転し難くしかも古い」と嫌われ始め、トヨペット・クラウンをベースにしたパトカー専用車、トヨタ・パトロールと急激に交代し、1960年半ばには、民間にも多数あった1950年シボレーは姿を消した。
Posted at 2011/10/08 18:50:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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