「オートモビルカウンシル2021」、ようやくラストの日本車編です。
今回は日本車の展示が厚くなっていました。特にル・マン参戦車やラリーカーなど、日本車の歴史を積み上げてきたレーシングカーが多く展示されていたのが嬉しい。日本車もモータースポーツの場で技術を磨いてきたわけで、改めてそれを振り返る良い機会となりました。
== トヨタ ==
クラウン 1900 デラックス(1962年)

「ヴィンテージ宮田自動車」から、観音開きの初代クラウン。初代トヨペット・クラウンは1955年のお正月に発売。海外からの技術提携を受けず、独自技術で開発された車ですね。

前後のドアが開けられていて、内装をじっくり見ることができました。車内空間は決して広くありませんが、なかなかにぜいたくな印象。トヨタのプライドも感じます。

リアシート左右のドア側アームレストがとても良い感じ。

内外装ともにアメリカ車の影響が非常に強い。おそらくはシボレー・ベルエアあたりを参考にしたのでしょう。とはいえ、独自の雰囲気も備えています。

横バー式のスピードメーターも時代を感じますね。

この車はモデル末期に追加された1900シリーズです。

それにしても、観音開きのリアドアというアイディアはとても良かったと思います。この案はどこからきたのでしょうか。個性的です。
2000GT(1970年)

赤い後期型。このペイントはオリジナルでしょうか?

個人的に、ワイパーが超ツボ!細いアームを組み合わせてて、むちゃくちゃ凝りまくってます。ワイパーにこだわってこそのスポーツカーですよ(爆)

リアランプはマイクロバス(トヨタ・ライトバス)からの流用というのは有名ですね。ランプ流用、これも当時のスポーツカーあるある。

トヨタM型エンジンをベースにヤマハが手を入れて完成した3Mエンジン。トヨタ車初のDOHCです。

見てくださいこのプレート。エアクリーナーやオイルフィルタの交換頻度は、スポーツカーとしては割と普通?
トレノ

このトレノはヨコハマタイヤでの展示です。

ただし、テーマはこのおなじみのカラーで塗られたハチロクではなく、タイヤです。

ヨコハマタイヤは、旧車向けのタイヤを手広くラインナップしているそうです。性能面だけではなく、当時のトレッドパターンを今も再現しているとのことで、素晴しいです。やはり履くタイヤにまでこだわってこその旧車なんでしょうね。
セリカ GT-Four RC(1991年)
カーディテイラー「千葉ガレージ」での展示。まずはこの素晴しい輝きを見てください。

で、この車。これまたレアですね。5代目セリカのホモロゲーションモデル。全生産台数5,000台で、うち国内販売は1,800台とのこと。

子供のころの同級生一家が、5代目セリカの同じ黒メタMT(グレードは普通です)をファミリーカーとして購入していたことを思い出します。4人家族で奥さんも運転して、しかもカムリからの乗り換えという!
GT-One(1998年)
富士スピードウェイに併設されたミュージアムからの出展です。

わたしは、このマシンがどうも鈍重に見えてしまいます。すみません。速かったもののトラブルから際立った成績は残せなかったとか。って外観は関係ないですね(汗)

ただ、ベントレー・スピード8はこの車を参考にしたという説もあるようですね。
== 日産 ==
セドリック 2800スペシャル(1964年)

「ヴィンテージ宮田自動車」です。初代セドリックの後期型。

以前も書きましたが、アメリカ車からの影響が濃い中にも、どこかイギリス風の雰囲気も感じます。戦後の日産が英国オースティンから技術供与を受けたことと無関係ではないはずです。

当時、この後部座席に座ることを多くの勤め人たちが夢見ていたのでしょう。

でも、個人的にはこっちのシートに座っていっちょ走らせてみたいものです。これで今の高速道路を流したらどんな感じなんでしょうね。

小公子セドリック。その名はとうに廃止されてしまいましたが、実に良い名前ではありませんか?復活しませんかね。古臭い?いやその古さが一周回って逆にカッコイイということはないでしょうか。
フェアレディ 2000(1968年)

Zがつかないフェアレディ。日産というかダットサンですね。以降5台、すべてダットサンブランドで世に出た車です。

当時、アメリカの小型スポーツカー市場を席巻していたのはイギリス勢だったといいます。そういえば、この車もMGあたりに通じるものがあると思います。

内装は意外なほどモダンです。後年、日産は「Zカー」でアメリカ市場を制覇するわけです。
ブルーバード 1600SSS(1970年)

こちらは日産自動車所有のラリーカーです。今回の主催者展示「時代を進めたラリーカーの戦闘美」の一環としての展示です。前回も書きましたが、配置というか展示っぷりがとてもナイスでした。

このブルーバードは1970年の東アフリカサファリラリー優勝車。激しい雨の中、総合1・2・4位でフィニッシュしました。そしてこの車はそのウイニングカーそのものだそうです。

当時アメリカでは、片山豊さんがこの車を売りまくり、日産の地位を向上させていました。世界的ラリーでの優勝はさぞかし追い風になったことでしょう。

しかし、日産本社はその片山さんを冷遇したといいます…これはまた別の話です。
フェアレディZ 432(1970年)
こちらは「プラネックスカーズ」です。

4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトが車名の由来。

生産台数はわずか419台だそうです。

車の希少性とフルレストアということもあるのでしょうが、この値段はすごい。それにしても、国内向けのFairladyという名は美しい。
240Z(1970年)

主催者展示に戻ります。これは1972年のモンテカルロラリーで3位についた車。ドライバーのラウノ・アルトーネンは、大胆なテールスライドでこの車を駆りフィニッシュ。しかしボディにはキズひとつつけず、車の素性の良さを証明したとのこと。

そしてコドライバーを務めたジャン・トッド。言わずと知れたFIA会長です。
バイオレット GT(1982年)

1982年のサファリラリー優勝。サファリラリーで史上初の4連覇を成し遂げたのがこの車、って全然知りませんでした…

240Zで優勝したアルトーネンは、この年のレースではオペル・アスコナに乗り日産と死闘を演じたそうです。
240RS(1982年)

3代目シルビアをベースに生み出されたグループBマシン。

1983年のモンテカルロでWRCデビュー。同年のニュージーランドでは2位、1985年のサファリでは3位入賞。

なおこの車は、当時の姿を再現したレプリカとのことです。
スカイラインGT-R(1995年)

ヴィンテージ宮田自動車に展示されていたこの車。貴重なR32GT-Rなのですが、

驚きの低走行!わずか1,800kmしか走っていません。

完全オリジナル。タイヤ(ブリヂストン・ポテンザRE71)も新車装着時のままだとか。

元々のオーナーは病気のため乗ることができなくなってしまい、いつかまた乗るため大切に保管していたものの、その願いはかなわず……いまこのショップにあるという経緯だそうです。

最近はアメリカなど海外に流れるケースも多いR32。しかしこの車は絶対に国内に留めておくべきでしょう。最初のオーナーさんの願いのためにも!
スカイラインGT-R(2002年)

こちらのBNR34スーパー耐久仕様は500馬力以上にスープアップされています。

日産自動車所有の車。富士スピードウェイのブースにて見ることが出来ました。
== スバル ==
360(1962年)

スバル360の初期型、通称「デメキン」!

ウルトラマンの目のような、左右の小さなランプがウインカー兼ブレーキランプ。そちらにテールライトの機能はなく、ナンバープレート上の四角いランプが番号灯兼テールです。バイクみたいだ。

装備は質素でもメカニズムは贅沢。フルモノコックのボディに四輪独立懸架。愛嬌のある丸いボディは、デザイン性だけでなく強度を確保するための必然でもあった。

庶民向けの軽自動車ですが、スバルは先進技術をつぎ込みました。走りにも妥協しなかった。プロジェクトXでも紹介されていましたね。DVDで何度も観ました(笑)

スバルが軽自動車の自主開発から撤退して、かなり経ちます。

この名車を生んだ会社がなぜ…しかし、いま軽に求められているのは走りよりユーティリティ。スバルの理想から遠いのかも知れない。
インプレッサ 555 WRC(1998年)

ドライバーはコリン・マクレー。この車でスバルはWRCに一時代を築きましたね。スバルのみならず、日本車全体のイメージアップに貢献しました。

スバルといえばボクサー4気筒、そしてフルタイム4WD。そのイメージをモータースポーツの面からも決定づけた功労車です。いまスバルと言えばアイサイトなど安全安心イメージをアピールしていますが、その説得力は、これら先輩たちの功績に裏打ちされているからこそでしょう。
インプレッサ WRX(2008年)

先代から大幅に進化し、デビュー戦で2位入賞。アメリカでのスポコンマーケットの一員にもなったかと。

ノルウェーのWRCチャンピオン、ペター・ソルベルクの名前がどーんと。彼はこの車で大暴れしましたねぇ。
== マツダ ==
トリはマツダ。毎回そうですが、マツダファンにはたまらない展示が今回も。
R360クーペ(1960年)

この車はオートマチック仕様です。軽自動車初のトルコンAT設定はこの車。

ラジオは純正でしょうか。メーカーはナショナル?

スバル360とはまた別の方向で理想主義的に作られていたのでしょう。

しかし、前回の
走行距離730kmモノといい、この展示会ではR360に要注目。欲しくなりますが(笑)
RX-7 254(1982年)

マツダがル・マン初完走を達成した記念すべき車。

ベースとなったRX-7の面影が残ります。当時はTWRと組んで参戦。

大幅に伸ばされたリアオーバーハングは直進安定性のためでしょうか?

そのオーバーハング部分のシースルー。なんのため?と思いましたが、

リアランプの発光が斜めからも見えるようにするためのようです。
737C(1985年)

グループCカーの下位にあたるC2カテゴリーにマツダが投入した車。

わたしはこの車名からボーイングの旅客機を連想してしまいました。

ボディデザインは由良拓也ひきいるムーンクラフト。なるほど、このなめらかなシルエットはまさに由良さんですよね。

このリアランプはどこかで見たなぁと…マツダ・タイタンからの流用。やっぱりあるあるです!
787B(1991年)

言わずと知れた名車ですね。マツダいや日本を代表するレーシングカー。

ロータリーエンジンの可能性を追求した車でもあったでしょう。

そのロータリーエンジンは、残念ながら生産を終了しました。しかしどこかで復活の機会をうかがっているはず。

マツダの技術者たちの血と汗の結晶ですからね。

それにしても、この展示会でも何度かこの787Bは展示されていますが、見るたびそのオーラに圧倒されます。オーラってあるんですよマジで。

まさに「日本の誇り」
いまのご時世、特に日本ではモータースポーツの人気はすっかり下火になってしまいました。しかし、我らが日本メーカーはその世界的地位を築くため勇猛果敢にモータースポーツに挑戦してきたわけです。それを忘れてはいけませんね。

安全快適な日本車。高品質で信頼性に富んだ日本車。そのバックボーンには、この殺伐としたコクピットで格闘する人間がいたということ!
以上、オートモビルカウンシル2021です。前回以上に厳しいコロナ渦のなか開催された、貴重な自動車イベントでした。当初から派手な演出も鳴り物も廃した静かな展示会です。
車の魅力で魅せる。これは他のイベントも参考にして良いと思います。
次回は2022年4月15日から17日の3日間を予定とのこと。コロナ渦の終息いや収束はいまだ不透明ですが、次も必ず無事に開催されて欲しい!期待しています。