これを手に入れたのは結構前なのですが、なかなかアップできなかったので今頃ということで・・・

であごすてぃーに。

WW2傑作機コレクション14号は九九式艦爆。
当時の技術を注ぎ込んだ高性能爆撃機ですね。
零戦、九七式艦攻とともにハワイ作戦に参加したWW2前半の主力機です。

モデルのほうですが、値段で考えれば悪くは無いですが、前回の零戦二一型でも指摘したように明るい機体色に黒い線はやたら目立つので押さえてほしかったというのが正直なところです。
アンテナやピトー管、照準器などはもう少しがんばってほしいとこかな。

さてこのモデル九九式艦上爆撃機ですが、名前の通り紀元2599年(昭和14年)に制式化された空母で運用する爆撃機です。
「爆撃機」というとB-52とか富岳とか、巨大な機体に複数のエンジンを搭載した物をイメージしますね。
でも空母で使うのであればそんなに巨大な爆撃機は無理です。
空母から発艦して地上の敵施設や敵の艦船を爆弾で攻撃するのが艦上爆撃機です。
爆弾で攻撃とはいっても無数の爆弾をばらまくわけではありません。
空母に搭載するのですから機体のサイズはそれほど大きくできませんし、搭載する爆弾もそれほどつめません。
それならば少数の爆弾であっても確実に敵の艦船に命中させられる命中精度をもつ機体がほしいですよね。
それが艦上爆撃機です。
とはいえ、この頃の爆弾は精密誘導兵器ではない無誘導の爆弾です。
では命中精度を高くするにはどうするか?
高い命中精度が出るような爆弾の投下方法にすればいいわけです。
話はずれますが、終戦前に日本は米陸軍のB-29戦略爆撃機の無差別爆撃を受けました。
高空から爆弾を落としても目標に命中なんて期待できません。
そこで数百機という大編隊で大量の爆弾をそこらじゅうにばらまいたわけです。
目標は特定の施設ではなく民間人の生活圏である住宅街や都市部。
木造住宅がほとんどだったので大火災をおこすよう狙った焼夷弾をつかいました。
例え爆弾が命中せず焼け残っても発生した大火災でまとめて住宅街や大都市を焼き払うことを狙ったわけです。
一方で艦上爆撃機は少ない爆弾を一発必中で敵の艦船に命中させることを求められます。
「爆撃機」と一言で言ってもぜんぜん違うわけです。

一発必中の高い命中精度を求める爆弾の投下方法、それは急降下爆撃です。
よく第二次世界大戦の記録映像でプロペラ機が「ひゅううおんおんおんおん」というけたたましい風きり音とともに急降下しながら爆弾を投下、直後爆発!というのを見たことがあると思います。
これが急降下爆撃です。
飛行機が水平に飛んで爆弾を落とすと命中までに爆弾が水平方向にかなり移動するので地面に弾着するまでには大きくずれてしまいます。
ましてや高い高度がら落とせばわずかなズレも弾着の時点ではそのズレは非常に大きくなってしまいます。
一方で急降下爆撃は機体が目標に向かって急な角度で急降下しながら爆弾を投下するので、爆弾は機体の進行方向(目標)に向かって飛んでいきます。(実際には放物線を描くのでまっすぐ飛んでいくわけではないですが)
なので誤差も抑えられ水平爆撃とは比べ物にならない高い命中精度を得ることが出来ます。

急降下爆撃という新しい技術を生み出したのは米海軍。
最初の専用機が開発されたのは昭和3年ですが大日本帝国海軍が急降下爆撃に着目して米国のカーチス社に技師を視察に派遣したり資料をあつめたのが昭和5年と結構早い時期だったのがわかります。
早くも昭和6年には最初の試作機の六試特殊爆撃機の開発を開始しています。
その後七試特爆、八試特爆と試作急降下爆撃機の開発は続きましたが技術的に難しいものがあって難航したといいます。
昭和9年にドイツのハインケルHe66爆撃機をベースに開発された九四式艦上爆撃機が初の実用艦爆として誕生しました。
九四式艦爆は日中戦争で敵陣地や橋などを精密爆撃で実績をあげています。
九四式艦爆のエンジンを変更するなどした性能向上型の九六式艦爆を開発しました。
この九六式艦爆の試作が進められている昭和11年に次期新型艦爆を開発を命じたわけですがこれが後の九九式艦爆です。
初めて米国の急降下爆撃技術を知って米国に派遣したのが昭和5年、九九式艦爆の開発スタートが昭和11年。
この間わずかに6年とムチャクチャ慌しくすさまじいスピードで開発が進められていたんですね。

海軍が示した後の九九式艦爆となる十一試艦爆の仕様ですが
250キロ爆弾を搭載して最大速度370km/h以上、この状態での航続距離1480km以上、爆弾を投下した後は戦闘機に近い空中戦能力をもつこと
・・・ムチャですがな。
九六式艦爆が複葉機でしたが、新型艦爆が性能を満足するには全金属製の単葉機にならざるを得ません。
十一試艦爆は三菱、愛知、中島の3社に指示が出されましたが、このうち中島は進歩的な設計を、愛知は手堅い設計となりました。
面白いものがあります。
象徴的なところは主脚です。
この頃の単葉機の主脚は空気抵抗になるので格納するのが一般的となってきました。
一足速くデビューした九七式艦攻も主脚を格納式としています。
ところが愛知はあえて固定式(格納できない)を選んだわけです。
格納式にすると構造上、主翼下面に格納用の開口部が必要です。
当然強度的にも剛性的にも不利なので、急降下時に好ましくないと判断されたわけです。
さらに主脚を格納するにはそれ相当のスペースや引き込み式の構造が必要で、重量増や主翼厚の増加になります。
主脚の格納が空気抵抗低減のためなら主脚のカバーを空理的に洗練させればいいと、かなり思い切った選択をしたわけです。
愛知の十一試艦爆は初号機が完成た後は速度や上昇性能は要求をクリアしたものの、不意な自転や補助翼が操作時必要以上に舵角が大きくなる問題が発生したそうです。
不意な自転は翼端失速が原因で主翼前縁を変更となりました。
ところで九九艦爆ですが、垂直尾翼の前に背びれがついてますね。
これは機首上げ姿勢時に方向安定性が不足すると自転を誘発するため、その対策で設定されてるんですよ。
一方補助翼の問題はなんと組み立て治具の狂いが原因で、設計時よりもずれていたことによって発生していたそうです。
これらの問題解決に1年以上かかったわけですが、
それでも結果は速度・上昇性能に優れた愛知が選ばれることになりました。
急降下爆撃機の技術的ハードルがそれだけ高いってことなんでしょうね。
ここに昭和14年末に九九式艦上爆撃機が誕生しました。

ところで主翼の下に何か見えませんか?
公園のベンチのようにも見える大型のアンテナ?板?
実はブレーキです。
急降下爆撃機は目標に対して急角度で降下し、爆弾を投下します。
そうすれば当然機体は高速になって高い運動エネルギーの状態で地面に接近することになるので機体を引き起こせなくなってしまいます。
これが複葉機なら空気抵抗が大きくて速度もおそいので急降下速度もある程度落ち着いたものですが、全金属製単葉機ではそうはきません。
速度を抑えるにはブレーキが必要です。
そこでブレーキになる小翼を設定して急降下制動板としてとりつけたわけです。
急降下に入るときはこの小翼の向きを90度変えて空気抵抗で速度が出過ぎないようにしたんですね。
ちなみに敗れた中島案では格納式の主脚を急降下時に展開してブレーキにしたそうですよ。
爆弾は主翼下と胴体中央下に懸架しますが、胴体下の爆弾は投下する際にプロペラと当たってしまいます。
これが水平爆撃なら問題ありませんが急降下爆撃は機体の軸線上に爆弾が進む(実際には放物線を描きますが)のでこれは問題。
そこでブランコのように揺動することで機体から大きく離す爆弾投下誘導枠を設定していました。

急降下爆撃は爆弾の命中精度は非常に高いのですがかなり危険なものがありました。
まず高度3000メートルで目標への投下地点まで接近し、降下角度50度から60度という急角度で目標に向かって急降下を行います。
高度450メートルまで降下するとそこで爆弾を投下し、機体を引き起こします。
聞くだけでも怖そうですが、実戦ではこれに敵の戦闘機の迎撃や対空砲火が加わります。
目標に向かって急降下していくという事は、敵からしてみれば急降下爆撃機はこちらに向かって突入してくるということです。
つまりその方向に対空砲を向ければ、砲弾に向かって爆撃機が突っ込んでくるわけです。
さらに爆弾投下後の引き起こし後は速度も落ちますし、海面に大きく近づくわけですから、敵の対空砲火に低空でさらされることになります。
この間は味方戦闘機の護衛も得られませんし、回避行動もできません。
無誘導爆弾で爆撃の計算機がなくても高い命中精度(インド洋海戦では80%以上だったとか)が得られる一方で対空砲火からの被害は深刻なものがありました。
爆撃コンピュータの進化で通常の爆撃でも急降下爆撃以上の命中精度が得られるようになると危険な急降下爆撃は行われなくなっていきました。
以上、九九式艦爆でした。