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イイね!
2017年01月04日

であごすてーに震電

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

先にUPした九七式艦攻のほうで書き忘れたのでここで新年のご挨拶を・・・

文字を低視認性のカウンターシェイド風にやったら全く映えなくなりました(笑)


さて

であごすてーに。
写真がピンぼけしてるのは気にしないように。



WW2傑作機コレクション23号は震電ですね。
そもそも量産機どころか初号機しか完成してなくて飛行も2回なので「傑作機」なのか?と若干疑問もありますが、傑作機になるだけの資質はあった機体だと解釈しましょう。




う~ん・・・なんといいますか、個性的ですね。
日の丸がついてるプロペラ単発機なら九七式艦攻や雷電を見て「ゼロ戦!」と言ってしまう(まぁ似てますしね、正直)人もさすがに震電をみてゼロ戦とは言わないでしょう。



ゼロ戦などは機首にプロペラがついて、前に主翼、後ろに水平尾翼をつけてますが、震電は全く逆で、機首にプロペラはなく、水平尾翼もありません。
そのかわり主翼の前にカナード翼がついていて、胴体後部にプロペラという極めて珍しいレイアウトです。
垂直尾翼なんて主翼に生えてますしね。





モデルのほうは九七式艦攻などと同じでプロポーションは悪くないもののディテールはどうしてもそれなりです。
2000円という値段なので値段相応といったかんじでしょうか。
手に取るとなんといいますか・・・「仮想戦記」感がハンパじゃない感じがします(^^;



なんといいますか、今見ても近未来的なデザインですね。
主翼はわずかに後退翼で機首は非常に細く、カナードが目を引きます。
機首はよく見ると機関銃が搭載されています。
機関銃はなんと30mm!
これが4門機首に集中配置されているわけですから大火力ですね。
一方主翼は以外に小柄なのがわかります。
そう、これは高速性能・上昇能力を活かした局地戦闘機(迎撃戦闘機)というわけです。
格闘戦ではなく高速を活かして敵の重爆撃機に接近して30ミリ機関銃の大火力で破砕するという運用思想だったようです。
高速を求めたため、機首は空気抵抗の小さい形とし、プロペラは高い効率が期待できる6翅プロペラを採用したわけです。
計画値では速度はなんと750km/h!
零戦の最高速度が550km/h程度、キ84が650km/h程度でしたからどれだけとっぴょうしもない速度だったかがわかります。
高速を重視したので主翼は小柄ですから格闘戦能力のほうはあまり向いていないようにもみえますね。


垂直尾翼をよく見ると下に車輪が付いています。
実はこれ、応急措置だったんです。
初飛行のときにプロペラが地面に接触したためだったりします。
プロペラは6翅でははやり複雑なので4翅プロペラになる予定だったようですね。
ところで胴体横の空気取り入れ口、大馬力のエンジンの割りに結構小型なのですが流量は大丈夫だったんでしょうか・・・?


非常に個性的な震電ですが、プロペラを後方に配置させる前翼型の研究はイタリヤや米国などで研究されていました。
日本では空技廠の鶴野大尉が前翼型に着目して昭和18年にこれを取り入れた戦闘機を提唱して研究がはじまりました。
実験用モーターグライダによるテストを経て十八試局地戦闘機として試作発注となりました。
当時は悪化する戦況の中で余裕はなかったとおもいますが、これほど突拍子もない革新的な機体の設計を進めるよう指示したということは、戦闘機の高速性能の重要さを痛いほど感じていたんでしょうね。
空技廠は試作能力もそれほどなかったので鶴野大尉が九州飛行機に出向する形で本設計をしたとされます。



震電はその外観が既に革新的ですが、機体そのものにも多くの新技術がつめこまれていたようです。
機体にエンジンを固定する構造は従来機は胴体から取り付け架を伸ばしていたのに対して、震電は左右一体造り(!)の主翼の桁にV字の取り付け架で固定しています。
こうすることで軸のたわみや振動を抑えることが出来たそうです。
さらにこのコンパクトな胴体にぎっしり詰め込んでその点検や着脱のためパネルが大きくなってしまいます。
こうなると従来のセミモノコック構造では強度(日本陸海軍戦闘機1930-1945」には強度とありましたが、剛性のこと?)不足となってしまいます。
そこでパネルや外板を1.2mmと厚くして裏側にプレス成形の格子をスポット溶接で固定していたそうです。
震電は完成が昭和20年6月、初飛行が8月6日と終戦間近だったこともあってわずか2回の試験飛行で幕を閉じます。
「震電」で画像を検索すると実機の写真がでてきますが、よ~く見てください。
キャノピー(窓ガラス)の様子、ちょっと変じゃないですか?
実は窓ガラス割れて失われてるんです。
終戦に落胆した技術者が破壊したのを連合軍が押収し、応急措置的に修復したもののガラスは戻らなかった・・・・という説があるようです。


以上、震電でした。
ブログ一覧 | ミリタリー雑誌 | 日記
Posted at 2017/01/04 01:47:55

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この記事へのコメント

2017年1月4日 6:46
この機体はいつ見ても好きです(*^o^*)
何度プラモデルを作ったことか…
コメントへの返答
2017年1月6日 2:47
こんばんは。
なんといいますか非常に空想戦記風って感じですね。
結構マジメに考えられていますしもう少し簡易型が防空任務についていた可能性はあるかもしれませんね。
これはプラモでこだわりたくなりますね~
2017年1月27日 16:01
まさかの震電来ましたか?!
あの震電が揺れるハート我が震電君がー(長音記号1)←ウルサイ!

…ちょっと落ち着きました(笑)
傑作機かは分からないけど(そもそも実戦があせあせ(飛び散る汗))震電が出るとは嬉しいですねるんるん
震電は姿も名前も可愛くて日本機で4番目くらいに好きな機体ですハートたち(複数ハート)

上の方もプラモ作られていたようですが、私も初めて作ったのは1/72震電ですウッシッシ

さすがに震電を零戦と言う人はいないと思いますが、もしいたら眼医者紹介した方が良いですか(笑)
コメントへの返答
2017年1月29日 23:37
こんばんは。
そもそもテスト段階以前の試作機を飛ばせしてみた・・・段階なので傑作機どころか仮に終戦が長引くか初飛行がもう少し早くても試作
より先に進んだか怪しいものがありますが・・・

震電がどんな飛行機だったのか、飛行特性はどうだったのか非常に興味ありますがいつかシュミレートしてほしいですね。

>さすがに震電を零戦と言う人はいないと思いますが、

そりゃたぶんこういうでしょう。
「変な形したゼロ戦」(笑)

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