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アスロックのブログ一覧

2015年04月27日 イイね!

4月11日の横須賀港

さて、4月11日には護衛艦「いずも」の特別公開があったわけですが、その際に見かけた横須賀港の様子です。


ヴェルニー公園からは早くも横須賀の顔になった感もあるヘリコプター搭載護衛艦DDH-183「いずも」(満載排水量24000トン)が堂々とした雰囲気を感じさせながらみることができます。


別アングル。
横須賀地方総監の鉄塔がはいる写真にしてみましたが、「いずも」の巨大さがわかります。
こうしてみると「いずも」は船というよりも建造物という言葉のほうがしっくりくる感じですね。
「いずも」が停泊しているのは2010年に管制した逸見岸壁でヘリポートをもってます。
巨大な逸見岸壁ですが「いずも」が大部分しめちゃっていますね。
これだけの巨体なので接岸は右舷に限られるようです。



Y-1バースに停泊している試験艦ASE-6102「あすか」(満載排水量6200トン)。
一見護衛艦のようにみえますが新装備の各種研究や開発品について試験評価をおこなう艦艇です。
6200トンといえば「あさぎり」型護衛艦を大きく上回り「むらさめ」型にせまる大きさです。
大型護衛艦並みの規模なのはある程度のデータ分析ができる設備をもたせるためのようです。





こちらは護衛艦「いずも」の飛行甲板上からみたY-1バース。
一番右から試験艦ASE-6102「あすか」、護衛艦DD-116「てるづき」(満載排水量6800トン)、護衛艦DD-110「むらさめ」、DD-111「おおなみ」(ともに満載排水量6300トン)です。
「てるづき」はあきづき型護衛艦の2番艦でミサイル護衛艦を守る「僚艦防衛」を担当します。
弾道ミサイル迎撃時などで対空目標への対処をするためイージス艦が自艦防空にリソースが避けないような場合、イージス艦を守る任務をうけもちます。
「たかなみ」「おおなみ」はともにたかなみ型護衛艦でむらさめ型護衛艦とともに護衛隊群の中核をしめる汎用護衛艦になります。
艦の規模は3隻ともほぼ同じではありますが、艦橋の大きな「てるづき」のほうが一回り大きく見えます。
「てるづき」の艦橋上部に白い四角形の板がありますが、これが射撃指揮装置3型(FCS-3A)で、目標の捜索・探知と艦対空ミサイルESSMの射撃管制を行います。
「たかなみ」「おおなみ」は艦橋上部にある円盤状のものが射撃指揮装置2型(FCS-2)で、そのさらに一段高い場所にある大型の板状のものはOPS-24対空レーダになります。
「いずも」の艦橋にあった対空レーダOPS-50と「てるづき」のFCS-3A、似てますね。
「いずも」には防空用の艦対空ミサイルは搭載していないので、FCS-3から射撃統制装置をオミットして対空監視と航空機管制に能力を特化したのがOPS-50になります。
艦の備砲も「てるづき」と「たかなみ」「おおなみ」で異なっています。
両方とも口径127ミリなのですが「てるづき」は62口径のMk45mod4、「たかなみ」「おおなみ」は54口径のOTOメララ速射砲になっています。




こちらは「いずも」の飛行甲板から見た多用途支援艦SMS-4305「えんしゅう」(満載排水量1400トン)。
厚生センター近くの岸壁に停泊していました。
「ひうち」型多用途支援艦の5番艦で訓練支援、輸送、救難などの各種支援を行う艦艇です。
水上射撃や魚雷発射訓練などの支援が主な任務で自走式水上目標バラクーダの管制能力をもっています。
その後ろには特務艇「はしだて」(満載排水量490トン)がチラっと顔をだしてます。



護衛艦「いずも」を横切るYF-2143「交通船2143号」(基準排水量6トン)。
港湾や沖合いの艦艇への人員輸送を行う交通船です。
この日は交通船の体験搭乗も行われてましたのでその関係なのでしょう。



こちらはYT-67「曳船67号」(基準排水量260トン)です。
260トン型の曳船で海上自衛隊では最も大きなタグボートになります。




米海軍側の岸壁に停泊しているおやしお型潜水艦(水中排水量3500トン)。
海上自衛隊の潜水艦は呉の第1潜水隊群、横須賀の第2潜水隊群に配備されていますが、第2潜水隊群はなぜか米海軍側におかれています。
おやしお型は数の上で海上自衛隊の主力となる潜水艦で葉巻型の艦体となっています。
2枚目の写真の奥に見える白い変な形の船橋は米海軍の曳船YT-802級(排水量410トン)。




こちらもおやしお型潜水艦。
海上自衛隊は防衛大綱の見直しで従来の16隻体制から22隻体制になることがきまったため、おやしお型にも逐次艦齢延長対策工事がすすめられるようです。
そういえば先日1番艦の「おやしお」が「ふゆしお」にかわって練習潜水艦に艦種変更になりましたが、これで海上自衛隊の潜水艦の時代を作った涙滴型も「あさしお」のみとなってしまいました。



そのおやしお型潜水艦の後方に見えるのは米海軍の原子力空母CVN-73「ジョージワシントン」(満載排水量103637トン)。
こうしてみるとジョージワシントンの巨大さを感じます。
空母が前方展開されているのは横須賀基地のみですがそれだけ日本という国が極東で重要な場所だといえると思います。
ジョージワシントンは原子炉の燃料交換の大規模工事のために近々横須賀を離れるとされていますが、その代替はロナルドレーガンが予定さています。



ある意味で横須賀の顔?
米海軍の宿泊船APL-40です。
非自走式の宿泊船(要するにホテルシップ)です。
空母や駆逐艦など艦艇の乗員は通常自分の艦艇に居住しますが、修理などの場合宿泊施設としてもちいられます。





おやしお型潜水艦、APL-40の後方に見える白い艦艇は米海軍のミサイル追跡艦T-AGM-25「ハワードO.ローレンツェン」(基準排水量12642トン)です。
数年前まで北朝鮮の弾道ミサイル発射騒ぎのときに必ずといって良いほどニュースで名前があがっていた「オブザベーションアイランド」の後継になるミサイル追跡艦です。
巨大なXバンドとSバンドのアクティヴフェイズドアレイレーダを装備しています。
これがここにあるということはそれだけ北朝鮮や中国の弾道ミサイルの動きを重視してるってことでしょうね。




警戒中(?)の米海軍28フィート級高速哨戒艇。
港湾や重要水路の警備が主任務で必要に応じて航空輸送できるそうです。




こちらは米海軍のミサイル駆逐艦アーレイバーク級フライトⅡAが2隻並んで停泊していました。
手前はDDG-82「ラッセン」(満載排水量9302トン)
いわゆるイージス艦で、イージスシステムを搭載した際にレーダ照射に死角ができないように配置されるように艦橋を設計されています。
従来の艦艇は「船」を設計してからそれにあわせてウエポンシステム搭載のレイアウトとなりますが、このアーレイバーク級はウエポンシステム(イージスシステム)を前提にして、ウエポンシステムに合わせて「船」を設計したことになります。
高い防空能力をもつものの非常に高価なイージスシステム艦をワークホース的に使う米海軍はいろんな意味でぶっとんでますね(^^;




作戦からおやしお型潜水艦がもどってきたようです。
岸壁に接岸するため接岸作業を行っています。
支援しているのはYT-83「曳船83号」(排水量50トン)です。
写真の通りプッシャーボート(押し舟)ですがサイズ的に潜水艦の接岸支援にちょうどよさそうに感じます。



軍関係ではありませんが、横須賀港で「軍港めぐり」をおこなっているトライアングルの「シーフレンドV」です。
今回は予約で満席なので乗ることが出来ませんでしたが、軍港めぐりは何度参加しても非常にエキサイティングなので横須賀にきたときは可能な限り乗りたいですね。


以上、4月11日の横須賀港の様子でした。
Posted at 2015/04/27 03:06:20 | コメント(1) | トラックバック(0) | 艦船 | 日記
2014年08月15日 イイね!

記念艦「三笠」を見学してみた

さて、これをUPしてるときにはUターンラッシュの頃なのですが、ブログのほうはまだまだ8月8日のままです(笑)
前回横須賀軍港めぐりで気力を使い果たしちゃったので時間があいちゃいました。
ということで。


軍港めぐりが終わった後、行くところといえばそう、ここですよね。

三笠公園です。
横須賀のシンボルといっていい記念艦「三笠」がある公園です。



東郷平八郎像が「三笠」の前に建っています。
横には「皇國興廃在此一戦」とかかれています。
あの有名な「皇国の興廃この一戦にあり」ですね。
この記念艦「三笠」は日露戦争で活躍した戦艦で、東郷平八郎はその雌雄を決した日本海海戦で「三笠」艦上で指揮を執った連合艦隊司令長官です。
この像は昭和42年5月27日に除幕式が行われていますよ。




記念艦「三笠」の全景です。
三笠は明治30年度計画により、英国のヴィッカース社で建造され、明治35年に竣工しました。
クルップセメンテッド鋼板採用による防禦性の強化や主砲揚弾薬機構改善による砲撃能力の向上などを加えた改敷島型として設計されています。
新造時は常備排水量15140トン、出力15000馬力で18ノットの当時世界最大最強の戦艦でした。
日露戦争後、ワシントン条約で廃棄が決定され除籍となりましたが横須賀で記念艦として保存され現在に至っています。



艦首の菊御紋章です。
戦艦大和の艦首にもありますよね。
旧日本海軍では平たく言えばこの艦首飾がある艦艇を「軍艦」と呼んでいました。
軍艦とは戦艦、巡洋艦などある程度以上の規模・格式がある艦艇を指しています。
だから当時駆逐艦などは「軍艦」ではないんですよ。



「三笠」の主砲になる30.5サンチ40口径連装砲です。
「三笠」にはこれが艦首と艦尾の計2基、合計4門の30.5サンチ砲が装備されていました。
甲板から上は復元なので当時の砲ではないダミーですが、迫力ありますね。
現在海上自衛隊で最も口径の大きな艦砲が127ミリ、陸上自衛隊では203ミリですからこの巨大さがわかります。


これが主砲弾になる30.5サンチ砲弾です。
この砲弾の重さは約400kgで射程が10kmだったそうです。
この砲弾ですが、当時日本の秘密兵器が使われていました。
それが下瀬火薬と伊集院信管です。
下瀬火薬はピクリン酸を成分にした火薬で、猛烈な爆発能力があります。
これを砲弾に充填していました。
さらにそれを炸裂させるための信管は非常に鋭敏な伊集院信管を用いていました。
通常は敵艦の装甲をぶち破ってから信管が作動する徹甲榴弾を用いますが、日本海軍はそれとは真逆で命中したと同時に炸裂する信管を使ったわけです。
もちろん装甲に対する貫通力は低いですが、激烈な発熱効果で非装甲部や乗員に対して大きな損害を期待できたからです。
結果、砲撃戦では命中弾を受けたバルチック艦隊の艦艇は次々と戦闘不能な損傷を受けたわけです。
戦艦「三笠」は1/3の割合で徹甲榴弾も用いたそうです。
徹甲榴弾も信管は伊集院信管を使っていたそうで、大多数発射した鍛鋼榴弾とは下瀬火薬の充填量が違うようです。
鍛鋼榴弾のほうが火薬量が多いので弾長も長いそうなので、写真の左側が徹甲榴弾、右側が鍛鋼榴弾ってことになるのかな?




「三笠」の艦橋です。
非常にシンプルでその後ろが海図室になっています。
それにしても背の高い後部のマストが目を引きますね。




舷側に設置された砲です。
上に見えるのが7.6サンチ40口径単装砲で、これが左舷・右舷合計20門あります。
下の大型のものは15.2サンチ40口径単装砲でこちらは計14門設置されています。
砲は復元のダミーですが、陸上自衛隊の榴弾砲に匹敵する火砲が並んでいると思うととんでもない火力だと感じますね。
舷側の装甲はクルップセメンテッド鋼で229mmあるそうです。



艦尾です。
船尾旗竿には軍艦旗が誇らしげに掲げられています。
「みかさ」のプレートの奥側は連合艦隊司令長官室、長官公室になっています。



こちらは「三笠」とは関係ないのですが、戦艦「大和」の主砲弾(九一式徹甲弾)です。
口径46サンチという戦艦の主砲としては当時最大クラスの口径を誇るもので、最大射程は42kmですから技術の発展はすごいものがあります。
この砲弾は徹甲弾で、先端についているのはキャップになります。
射撃するとこの先端のキャップが外れて敵艦の前に弾着すると魚雷のように海中を砲弾が走り舷側の装甲をぶち破ることができます。



こちらも「三笠」とは関係ないのですが、30ポンドカノン砲です。
ロシヤのフリゲートの備砲だったのですが、安政の大地震で発生した津波で沈没、引揚げられたものです。



こちらも「三笠」とは直接関係ないのですが、黒い鉄板と砲弾のようなものがあります。
この黒い板はロシヤの巡洋艦「バーヤン」(7726トン)の15サンチ砲の防盾です。
装甲の装甲厚は75mmありますが完全に貫通していますね。
「バーヤン」は旅順艦隊(ロシヤ太平洋艦隊)に属していましたが、日露戦争時は日本海軍にとってこの旅順艦隊は一番のネックでした。
大陸が主戦場のため、帝国陸軍は部隊を輸送船で送らなければなりません。
制海権を握ることが必用だったわけです。
ところが旅順にはロシヤの大軍港が置かれ、旅順艦隊が配備されていたわけです。
度々旅順艦隊は旅順港外に出て砲撃戦(旅順水上戦)を行っていますが、海戦で勝負をつけようにも旅順艦隊は旅順港に閉じこもってしまいますので勝負ができない。
帝国海軍はその旅順港ににらみを利かせるため戦艦などを張り付かせていましたが、乗員の疲労や艦艇の修理が必要ですからそれも限界があります。
そこで帝国海軍は古い貨物船を旅順港に沈めて旅順港を封鎖する旅順口閉塞作戦を行いましたが被害甚大で中止、一方帝国陸軍は港の反対側の山から砲撃戦で旅順港と旅順艦隊を壊滅させることを狙いました。
これが203高地の戦いをはじめとする旅順要塞攻略戦です。
多大な損害を出しながら旅順港を砲撃で壊滅させることに成功しましたが、その際に大破・着底したのがこの「バーヤン」です。
その後戦利艦として帝国海軍に編入され一等巡洋艦「阿蘇」として活躍しています。

砲弾のほうは日清戦争の際に清国海軍が運用していた戦艦「鎮遠」の砲弾です。
「鎮遠」は姉妹艦の「定遠」とともに最大・最強の軍艦として恐れられていました。
黄海海戦では「定遠」とともに参加して帝国海軍の旗艦「松島」に直撃弾を与え大破させています。
その後威海衛沖で座礁したところを帝国海軍が鹵獲して編入しています。
日清戦争での黄海海戦で最大の脅威だった「鎮遠」が日露戦争では黄海海戦、日本海海戦で大日本帝国海軍の艦艇として参加しているのですから運命を感じます。



さて、「三笠」の甲板にあがってみましょう。


甲板に上がるとまずこれが目に入ります。
日露戦争時に帝国海軍が使用していた機械水雷(機雷)です。
機雷は海中に投下しておき、艦艇がこれに触れると大爆発を起こすものです。
機雷戦はそれまでにも度々行われていましたが、日露戦争で初めて大々的に行われています。
機雷というと非常に地味な印象を受けますが、威力はものすごく、戦艦を1激で葬ることができました。
ロシヤ海軍が敷設した機雷により帝国海軍の戦艦「八島」「初瀬」ほかを失いましたが、帝国海軍も機雷を敷設し、ロシヤ旅順艦隊の司令長官マカロフ中将を旗艦ペトロパヴロフスクごと沈める大戦果をあげています。
マカロフは外海に出るときは必ず事前に掃海を行っていましたが、たった1日掃海を怠ったのがこの触雷・沈没があったときといわれています。



続いて目に飛び込んでくるのがこの無線室です。
日露戦争での日本海海戦といえば連合艦隊がバルチック艦隊をほとんどパーフェクトゲームで圧勝し壊滅させた大海戦ですが、その際東郷平八郎司令長官の執った敵前大回頭「東郷ターン」が有名ですが、勝利に直結したのはそれだけではありません。
戦闘では指揮・通信・統制、それに情報と兵站が欠かせないといわれますが日本海海戦ではまさに連合艦隊はそれが揃っていました。
バルチック艦隊がいつ・どこからくるのかということに対しては同盟を結んでいた英国との情報を入手して、その間に連合艦隊の艦艇の修理や乗員の休息と猛訓練、補給に励みました。
一方で離島に見張り台を設置して海底ケーブルでつなぐほか、漁船や哨戒艦艇を展開して早期警戒網を構築しています。
明治38年5月27日に五島列島西海域を哨戒していた仮装巡洋艦「信濃丸」がバルチック艦隊を発見して警報を発信、警報を受信した巡洋艦「和泉」がバルチック艦隊の後方に配置して速力や位置、陣営など詳細情報を報告しました。
そして昼過ぎに連合艦隊とバルチック艦隊は会敵し、午後2時5分、東郷平八郎連合艦隊司令長官は敵前回頭「東郷ターン」を命じます。
適切な指揮があってもそれを各艦に伝わらなくては意味がありません。
当時連合艦隊の艦艇には無線機として国産の三六式無線電信機を搭載していました。
これを一部の艦艇だけでなく、大中の艦艇に完備していたため、リアルタイムで指揮官の指揮を送受信できたわけです。
一方バルチック艦隊は大型艦には装備していましたが故障が多く統一されていなかったので性能もまちまちでまともに運用できなかったようです。
砲撃戦で混乱するバルチック艦隊と、リアルタイムで適切な指揮を受けて統制のとれた連合艦隊。
ここに日本海海戦の雌雄は決しました。


では艦内をみていきましょう。

7.6サンチ40口径単装砲(もちろんダミー)です。
敷島型戦艦の「敷島」「朝日」「初瀬」にも搭載されていました。
ここは装甲化されていないわけですから飛んでくる敵砲弾を目の当たりにしながら、当時の砲手はどんな気持ちで射撃をしたのでしょう・・・





15.2サンチ40口径単装砲の砲室です。
1発の砲弾の重さが45kgぐらいあったそうですから、装填・射撃は大変な重労働だったのでしょう。
しかも戦闘機動をしながらなので激しく揺れる砲室内で次々の砲弾を装填するわけですから。
こうやって射撃時の様子が再現されています。
また砲室内にハンモックがありますが、当時の乗組員は本当に過酷な中で任務にあたられていたのですね。




こちらは人力の操舵輪です。
操舵用の機械が壊れた場合、人力で操舵を行う必要があります。
この操舵輪をまわして対応するわけですが、巨大ですね。




こちらは艦橋上にある最上艦橋に設置された伝声管と羅針儀が設置されています。
ここに東郷連合艦隊司令長官、加藤参謀長、伊地知艦長、秋山作戦参謀が立ってバルチック艦隊を迎え撃ったんですね。
「三笠」は黄海海戦、旅順水上戦、旅順口閉塞作戦に参加、そして日本海海戦では連合艦隊の旗艦として活躍しバルチック艦隊を壊滅させました。
日本海海戦では「三笠」自身も被弾三〇余箇所、戦死8名、負傷105名という損害を受けています。



最上艦橋から甲板をみおろしたところ。
30.5サンチ40口径連装砲がみえます。
このあたりは戦後に復元したものになります。



こちらは艦橋の後ろにあたります。
海図室になっているのですが海図の保管棚と広げる机があるだけで意外とシンプルですね。



こちらは「三笠」の最上艦橋から後部を見たところ。
巨大な煙突(ファンネル)とマストがみえます。
小型の煙突に見えるものはベンチレータ(通風筒)です。
「三笠」にはベルボイル式のボイラが25基装備されていました。
ここで作られた高圧蒸気を主機に送っていたわけです。
主機はヴィッカース社製の直立三気筒三連成レシプロ蒸気機関を2基備えていました。




こちらは艦内に設置された中央展示室です。
ロシア海軍旗と艦首飾の菊御紋章があります。
このほか「三笠」の操舵輪や測距儀、パノラマ模型、秋山参謀の遺筆など大変貴重な展示がされています。




こちらは「三笠」艦尾にある司令長官公室です。
東郷連合艦隊司令長官が隷下の艦隊司令や艦長、幕僚などを招集して会議を行ったり、来客時に使用されました。
左舷・右舷には47mm単装砲が見えます。



こちらは司令長官室です。
東郷連合艦隊司令長官が執務をとっていた部屋になります。
室内には明治天皇の御真影と昭和天皇皇后両陛下が御来艦された際の写真があります。
連合艦隊司令長官ともなれば格式も求められますから部屋も非常に質感が高いですね。




こちらは士官室です。
食事や会議などが行われていました。
ところで日本海海戦が行われたのは明治38年です。
逆に言えばこの38年前は江戸時代だったんですよ。
これが意味することってものすごいことじゃないでしょうか。
幕府が倒れて政府を作って、民主主義をゼロからスタートさせるために帝国議会をひらき、憲法をつくり、産業を興して・・・・
そして国を守るために軍隊をつくって用兵術を学び、軍艦を手に入れてそれに見合うだけの運用や技術をみにつけ、そして世界最強のロシア艦隊と戦って勝ったわけです。
どんなに高性能な軍艦があってもそれを使いこなせなければ意味がありません。
素人がレーシングカーを手に入れてもレースで優勝できませんし、それ以前にルールや整備支援ができなければコースもまともに走れません。
それをわずか38年間で成し遂げたんです。
クルマを写真や本でしか見たことがない人がレースに出たいと思って勉強したり免許とったりして2~3年で自分でF1チームを作ってぶっちぎりで優勝したり、
サッカーを本でしか見たことがない人が自分たちで練習したり勉強してチームを作って、2~3年でワールドカップで2位以下に対してぶっちぎりの得失点差で優勝するより困難じゃないでしょうか?
この時代の人たちの努力は並大抵のものではないと思います。


日本の命運を分けた日本海海戦で旗艦となった「三笠」ですが、その輝かしい実績とは裏腹にその後は非常に悲惨な目にあっています。
日本海海戦から3ヵ月後の9月11日に佐世保に停泊中火薬庫で火災が発生して爆沈し殉職者339名を出す大事故にあっています。
さらに大正10年9月16日には警備行動中にアスコルド海峡で座礁しする事故にあっています。
その後対象10年11月にはワシントン会議で廃棄艦リストに載って廃艦が決定しますが横須賀に停泊していたところ大正12年9月1日に発生した関東大震災で係留岸壁と衝突して浸水し、9月20日に軍艦籍から除籍されています。
ここで廃艦・・・・になるはずでしたが大正14年に記念艦になることが決定して保存工事が行われ、大正15年11月12日に摂政宮殿下ご臨席の元で「記念艦三笠」として横須賀で発足しています。
ところが昭和20年に米軍に接収され兵装を撤去させられてます。
戦後の混乱期に装備品が持ち去られたり、甲板上に占領軍のダンスホールや水族館が置かれたり、キャバレー状態になっていたりと極度に荒廃していました。
東郷平八郎を敬愛していた米海軍のニミッツ提督がこの状況に嘆き著書の売り上げを三笠復元の寄付にしたり募金活動が行われるなどして昭和36年5月についに復元が完了しました。
日本と戦った米海軍の提督が三笠の復元に尽力するなど、めぐり合わせと運命、そして何より三笠を復元して未来に残そうとしたたくさんの方々の努力があったんですね。


以上、記念艦三笠の見学でした。
Posted at 2014/08/15 16:49:54 | コメント(3) | トラックバック(0) | 艦船 | 日記
2014年08月11日 イイね!

横須賀軍港めぐりにいってみたその3

では軍港めぐりラストです。
長浦港には海上保安庁の巡視船も配備されています。
横浜に本部をおいて首都圏と東海地方を管轄とするのが第3管区海上保安本部です。
横須賀には横須賀海上保安部がおかれています。


手前の灰色の船は巡視艇CL-35「うみかぜ」(総トン数23トン)、奥の白い船は巡視艇PC-33「うらゆき」(総トン数64トン)です。
CL「うみかぜ」は「ひめぎく」型(20メートル型)巡視艇の25番艇で平成6年に竣工しました。
「うらゆき」は今年3月に竣工したばかりの新型巡視艇で「ことなみ」型(23メートル型)巡視艇の3番艇にあたります。



こちらは巡視船PM-89「たかとり」(総トン数490トン(旧))です。
「たかとり」型巡視船(特350トン型)の1番船で竣工は昭和53年という大ベテラン船です。
昭和49年に発生したLPGタンカー第十雄洋丸と貨物船パシフィックアレスの衝突事故(この事故がどんな事故だったか知らない方は是非調べてみよう。ナフサ満載でいつ爆発するかわからないタンカーが猛烈に炎上しながら都市部に向かって漂流するというとんでもない海洋事故です)を教訓として設計された防災機能強化型の巡視船です。
中型の巡視船ですが災害時の指揮能力を7もてるようOICをもっているそうです。




では長浦港からもどりましょう。
長浦港から横須賀本港に戻るには新井掘割水路を通ります。
写真がその水路です。
ここはもともと陸続きの半島だったのですが、長浦港にいた水雷営、水雷武庫、水雷練習艦が横須賀本港との行き来が頻繁になった明治19年から3年の歳月をかけてつくった水路です。
当時は重機なんてありませんから手作業でこれだけの水路を作ったのですからすごいですよね。
水路をつくったことで切り離された吾妻島には燃料貯蔵施設となりました。
現在は米軍も使用していますが・・・何に使われてるんでしょうね。



おりょ?先ほどの32フィート型高速哨戒艇かな?
空母の警戒用なんでしょうか。



こちらはYDT-03「水中処分母船3号」(基準排水量300トン)です。
水中処分隊員(いわゆるダイバー)を支援するための母船で船内には再圧タンクを備えた水中処分隊支援室が設置されているそうです。



こちらは多用途支援艦AMS-4305「えんしゅう」(満載排水量1400トン)です。
「ひうち」型多用途支援艦の5番艦で訓練支援、輸送、救難などさまざまな目的に使用できる支援艦艇です。
艦艇の水上射撃、魚雷発射訓練、航空機の魚雷投下訓練の支援のため標的の曳航などを行っています。



手前は海洋観測艦AGS-5105「にちなん」(満載排水量4500トン)です。
艦内に音響観測装置や無人潜水装置、データの統合処理装置をそなえています。
こちらも対潜戦や対機雷戦に必要な海洋データを収集することを任務としています。
自分が雑音を出すと観測データに悪影響を与えてしまいますので、電気水深方式を採用しています。
その奥ですが・・・
艦番号を記載していない艦艇が見えます。
よくみると喫水線もずいぶん上側にありますよね。
実はこれ、引退した護衛艦なんです。
元護衛艦DD-125「さわゆき」(満載排水量4000トン)です。
「さわゆき」は昭和59年に竣工した「はつゆき」型護衛艦の4番艦で30年近く任務についていた大ベテランの護衛艦でした。
昨年3月に退役しています。
お疲れ様でした。






「にちなん」と旧「さわゆき」の隣にいるのは護衛艦DD-129「やまゆき」(満載排水量4200トン)です。
こちらも「はつゆき」型護衛艦なのですが、7番艦まではトップヘビーを避けるためにアルミ合金製上構を採用していましたがこの8番艦の「やまゆき」からは鋼に改められたからです。
「はつゆき」型は海上自衛隊初のオールガスタービン(ひらたくいえばジェットエンジン)推進艦です。
比較的コンパクトな船体に対潜ヘリコプターと対潜、対空、対艦戦闘能力をもつ護衛艦です。
既に何隻かが引退していますが、現役艦のうち数隻は寿命延長工事をうける予定です。




こちらはミサイル護衛艦DDG-171「はたかぜ」(満載排水量5900トン)です。
「はつゆき」型や「むらさめ」型のもつシースパロー短SAMは自艦を守るための艦対空ミサイルですが、「はたかぜ」は艦隊を守るための長射程艦対空ミサイル(スタンダードSM1)を装備するミサイル護衛艦です。
「はたかぜ」型の1番艦で昭和61年に竣工しています。
甲板の1段あがったところに5インチ単装砲がありますが、そのさらに前に棒のようなものが見えます。
これがスタンダードSM-1MR艦対空ミサイル発射機Mk13になります。



おりょ?
米海軍の巡洋艦が入港して来ました。
この日入港したジョージ・ワシントンを護衛するミサイル巡洋艦DDG-67「シャイロー」(満載排水量10117トン)です。
艦首にみえる大砲は127ミリ単装砲Mk45なのですが、ずいぶん小さく見えます。
Mk45は小型軽量でシールドも小型なのですが、それ以上に艦構造物が巨大ですね。
巨大な六角形に見える板がイージスシステム艦の象徴でもあるAN/SPY-1フェイズドアレイレーダです。



護衛艦DD-101「むらさめ」が見えてきました。
ずいぶん細長いですね。
「むらさめ」型の長さは151メートルですからかなり長い護衛艦だと思います。
これで横須賀港を1週してきました。


今回DDH「ひゅうが」や「たかなみ」型DD、「あさぎり」型DD、DDG「きりしま」、DD「てるづき」、AGB「しらせ」、AOE「ときわ」を見ることが出来ませんでしたが、周りがすべて艦艇!
戦闘艦から支援船、データ収集用艦船などを一度に見ることが出来るのは本当に魅力的ですよね。
大満足でした。
以上、横須賀軍港めぐりでした。


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軍港めぐりその1/その2/その3
Posted at 2014/08/11 21:26:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 艦船 | 日記
2014年08月11日 イイね!

横須賀軍港めぐりにいってみたその2

では続きです。
軍港めぐりでは横須賀本港から長浦港、そして水路をとおる吾妻島を1週するコースになります。
長浦港ではヴェルニー公園からでは見ることの出来ない艦船が停泊しているのを堪能できます。



巨大な艦艇と小型の艦艇が並んでいます。
左の小型のものは掃海艦MSO-303「はちじょう」(満載排水量1200トン)、右の大型のものは掃海母艦MST-463「うらが」(満載排水量5650トン)です。
「うらが」は同型艦として「ぶんご」がいますが、こちらのほうは艦首に76ミリ速射砲を搭載しています。
この2隻は掃海を任務としている艦艇です。
掃海というのは港湾や海域に敷設された機雷を排除することで、海上自衛隊はこれに非常に力を入れています。
太平洋戦争(帝国海軍の呼び名ね)では我が国の港湾や近海へ米軍により大量に機雷を敷設されました。
日本海軍の艦艇や物資を輸送する輸送船を動けなくさせて兵糧攻めにするためです。
戦争終了後もこの大量の機雷で船舶の被害が深刻なレベルで発生して日本の復興の大きな足かせになっていました。
そこで解体された旧日本海軍のうち、掃海部隊だけは任務を継続され命がけで掃海作業を行っています。
その努力の結果日本の安全な海上交通を確保しているわけです。
戦後69年たっていますがいまだに機雷は発見されています。
海上自衛隊は掃海艦、掃海艇、掃海管制艦計29隻を整備し、浅深度から深深度まで掃海作業をおこなえますが、これは世界的に見ても海上自衛隊以外に例がないほどの能力です。



MSO「はちじょう」を後ろから。
「はちじょう」は「やえやま」型掃海艦の3番艦で、実は船体は木製です。
世界最大規模の実用現役木造船なんですね。
船体を鋼板でつくらないのは機雷が磁気に反応するタイプを考慮したためです。
艦に搭載されている黄色や白色のものは掃海具です。



こちらはMST「うらが」の後部。
「うらが」は大型の掃海母艦で掃海部隊の旗艦機能や母艦機能に加えて機雷敷設能力ももちます。
ヘリコプターをつかった掃海を支援するためヘリコプター甲板までもっています。
後部はウエルデッキになっていてヘリコプター用の磁気掃具の格納庫になっています。




こちらは掃海艇MSC-604「えのしま」とMSC-605「ちちじま」(満載排水量660トン)です。
両方とも「えのしま」型掃海艇で平成24年、25年に竣工したばかりの最新の掃海艇になります。
海上自衛隊の掃海艇は木製で船体を作っていましたが、木製ということは建造にも修理にも職人的技術が必要な上にその職人も減ってきています。
そこで船体をガラス繊維強化樹脂でつくったのがこの「えのしま」型です。
この強化樹脂は結構丈夫らしくて、寿命も30年ぐらいになるそうです。




こちらは掃海艦MSO-302「つしま」(満載排水量1200トン)です。
「やえやま」型掃海艦の2番艦にあたり、平成5年に竣工しました。
船体の外板はもちろん木製ですが、4層構造みたいですよ。



こちらは海洋観測艦AGS-5106「しょうなん」(満載排水量4150トン)です。
平成22年に竣工された海洋観測艦です。
有利な対潜作戦は高性能な装備と練度の高い乗員、高い指揮管制能力があれば成しえるか?
・・・答えはNOです。
日夜海域の研究が必要です。
潮の流れ、温度、深さなどで潜水艦の探知や行動は大きく関係してきます。
それらを地道に観測してデータを収集、対潜能力に活かすのが海洋業務群です。
ここには海洋観測艦や音響観測艦を装備してデータ収集を行っています。
「しょうなん」は海潮流観測や塩分濃度観測、精密海底地形調査や物性調査を行います。



左は海洋観測艦AGS-5103「すま」(満載排水量1700トン)、右は輸送艇2号(満載排水量540トン)です。
「すま」は対潜作戦用の海洋データの収集・分析・音響観測のための音源としての機能をもった観測艦です。
輸送艇2号は輸送艇1号型の2番艇で、沿岸の僻地や離島への車両・物資を輸送するための輸送艇で、軽車両と70名の兵員を輸送する能力を持ちます。
速力は12ノットと護衛艦と比べるとかなり低速なんですね。



こちらはYG-206「油船206号」(積貨重量270トン)です。
油船203号型でヘリコプター用航空燃料補給を任務とします。
船尾にはドライカーゴ用搭載スペースがあるようですよ。



左からYO-40「油船40号」(積貨重量490トン)、YW-21「水船21号」(積貨重量350トン)、YT-60「曳船60号」(基準排水量35トン)、YF-2124「交通船2124号」(基準排水量25トン)です。
油船は艦艇への燃料補給を、水船は艦艇への真水の補給を、曳船はいわゆるタグボートで艦艇の港湾での接岸支援を、交通船は人員輸送を行うための支援船です。



こちらも支援船です。
YT-59「曳船59号」(基準排水量28トン)
押すタイプの曳船でいわゆるプッシャーボートですね。



さらに支援船です。
こちらは曳船58号型(基準排水量260トン)ですね。
左からYT-99「曳船99号」、YT-67「曳船67号」、YT-68「曳船68号」です。
このタイプの曳船は海上自衛隊でも最大の曳船で、宿泊施設も装備しているとか。
67号、68号は馬力が1800馬力ですが99号は2600馬力にアップされてるようです。
ところで海上自衛隊は消防船はもっていませんが、この曳船には放水銃をもっているので万が一の火災時には消火活動を行うことも出来るようです。



さらに支援船です。
こちらはYL-09「運貨船9号」(積貨重量50トン)です。
バウランプとクレーンを装備していて、魚雷や弾薬などを積載して輸送する船です。




・・・なんでしょう・・・
この潜水艦干からびた感じがしますね。
人が乗っている感じもしませんし、自衛艦旗も掲げていません。
実はこれ退役した潜水艦です。
昨年3月に退役した元潜水艦SS-587「わかしお」(水中排水量3200トン)です。
「はるしお」型潜水艦の5番艦にあたります。



退役潜水艦「わかしお」の艦尾ですが、錆が浮き出ています。
鵜の楽園となっていますがなんとも寂しいですね。



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軍港めぐりその1/その2/その3
Posted at 2014/08/11 03:08:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 艦船 | 日記
2014年08月10日 イイね!

横須賀軍港めぐりにいってみた

横須賀といえば外せないのが海軍カレーと記念館三笠、そして軍港めぐりです。
遊覧船で横須賀港を一周するのですが、艦船ファンには鼻血ものの40分間です。
この日(8月8日)はたま~にポツっとくるような空模様でしたが、さぁ軍港めぐりにいってみようZE☆

軍港めぐりはショッピングセンターの隣の桟橋から遊覧船が出ています。
チケットは予約と当日券がありますが予約をしてなかったので朝1番の便に乗るためにダッシュ(無人対潜ヘリコプターのことではない)!



まず目に飛び込んでくるのが海上自衛隊横須賀基地に停泊する護衛艦DD-101「むらさめ」とDD-107「いかづち」(満載排水量6200トン)です。
汎用護衛艦ではありますが、DDG「はたかぜ」型(満載排水量5900トン)を上回るサイズだったりします。
長期間の作戦での乗員の居住性を考えるとこれぐらいの大きさは必用なんでしょうね。
両艦とも「むらさめ」型護衛艦で、「たかなみ」型とあわせて海上自衛隊の護衛隊群の中核を占める戦力になっています。



こちらは・・・・32フィート型高速哨戒艇かな?



こちらは・・・潜水作業船のようです。
「SRF-JRMC DIVERS」とありますが米海軍艦船修理廠及び日本地区造修統括本部の潜水士・・・なんでしょうか?




こちらは海上自衛隊の潜水艦、後ろは米海軍の駆逐艦です。
海上自衛隊の潜水艦を運用するのは横須賀に司令部を置く潜水艦隊です。
隷下に2個潜水隊群があって呉に第1潜水隊群、横須賀に第2潜水隊群がおかれています。
基本的に海上自衛隊の艦艇は海上自衛隊基地に停泊しますが、第2潜水隊群はこんなかんじで米海軍施設側に停泊するんですね。
左側は「おやしお」型潜水艦(水中排水量3500トン)、右側が「そうりゅう」型潜水艦(水中排水量4200トン)です。
後方は米海軍のミサイル駆逐艦DDG-56「ジョンS.マッケーン」(満載排水量9094トン)です。
こうやってみてみると潜水艦って意外と小型に見えますね。
でも潜水艦の大部分は海面よりも下にあります。
「そうりゅう」型の基準排水量は2950トンですが、これは護衛艦「はつゆき」型の基準排水量と同じなんです。
護衛艦がまるまる1隻海の中にいると思えばこの大きさがわかると思います。



上で紹介した「おやしお」型と「そうりゅう」型です。
現役の海上自衛隊の潜水艦はこの2タイプになっています。
見た目おなじやんけ!
というなかれ、結構見た目も違います。
まずセイルの艦首側ですが、「そうりゅう」型(奥側の潜水艦)のほうにRがついてますね。
さらに艦尾の舵が「おやしお」型と比べると寝ています。
「そうりゅう」型は舵がX型になっているんですよ。
「そうりゅう」型は海上自衛隊最新の潜水艦で、潜水行動時間を長くとれるようにAIP機関を搭載しています。
次期型はAIPをやめてリチウムイオン電池にするようですね。



こちらも先に紹介した米海軍のミサイル駆逐艦DDG-56「ジョンS.マッケーン」です。
アーレイバーク級ミサイル駆逐艦の6番艦で、ミサイル防衛能力を付与されています。
海上自衛隊の「こんごう」型や「あたご」型はこのアーレイバーク級をベースに建造されましたが、艦構造物が海上自衛隊のイージスシステム艦とくらべるとずいぶん背が低いですね。



・・・米海軍の宿泊船でしょうか?




海上自衛隊の護衛艦DD-101「むらさめ」。
「むらさめ」型護衛艦の1番艦として平成8年に竣工しました。
汎用護衛艦では初めて垂直発射装置VLSを搭載しました。
シースパロー/ESSM短距離艦対空ミサイルをMk48VLSに、アスロック対潜ミサイルをMk41VLSに搭載しています。
2種類のVLSを装備している護衛艦は「むらさめ」型のみです。



こちらは給油中(?)の「おやしお」型潜水艦です。
横にはYO-35「油船35号」(積貨重量490トン)がいますね。
この油船から給油を受けます。
燃料が漏れ出さないようオイルフェンスを周囲に張っていますね。






こちらは米海軍のミサイル駆逐艦DDG-82「ラッセン」(満載排水量9302トン)、DDG-63「ステザム」(満載排水量9094トン)です。
この2隻ともアーレイバーク級ミサイル駆逐艦で、ミサイル防衛対応艦となっています。



こちらはミサイル巡洋艦CG-54「アンティータム」(満載排水量10117トン)です。
タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の8番艦です。
アーレイバーク級ミサイル駆逐艦と同じくイージスシステム艦ですが、ずいぶん艦の形が違いますね。
これは設計思想の違いからくるものです。
タイコンデロガ級はスプルーアンス級駆逐艦をベースに建造されました。
元々船体のベースがあったのでそこにイージスシステムの中核になるAN/SPY-1レーダを搭載したのですが、元々駆逐艦がベースなのに大規模なシステムをつめこんだりレーダの射角を確保するために高い位置に設置するなどをしたためこのような形になりました。
一方アーレイバーク級はAN/SPY-1レーダをおくことを第一に考え、それにあわせて船体レイアウトを決めています。
船体が先でそこにレーダを搭載したタイコンデロガ級、レーダを先に考えてそれにあわせて船体をつくったアーレイバーク級。
そう考えると面白いですね。




ミサイル巡洋艦CG-54「アンティータム」です。
なんといいますか・・・禍々しい感じがしますね(^^;
イージスシステム艦ですが、なぜかレトロな感じがするのは元々が駆逐艦の船体にシステムを載せたことと設計が1970年代ですからレーダーを中心に船を設計するという概念がまだなかったためですが、重くて巨大な艦構造物が上部にあるのでちょっと不安定な感じがしますね。
こちらは艦尾になりますが、AN/SPY-1レーダ取り付け部の下にあいているのはヘリコプタ格納庫です。
ここに哨戒ヘリコプターを搭載できます。
ところで巡洋艦といえば駆逐艦よりもずいぶん大型の艦艇!
というイメージなのですが、このタイコンデロガ級の満載排水量は10117トン、アーレイバーク級フライトⅡA型の満載排水量は9302トンとそれほどの差はありません。
ちなみに海上自衛隊の護衛艦も駆逐艦を示す「DD」なのですが、「ひゅうが」型護衛艦は満載排水量19000トン、建造中の「いずも」型にいたっては満載で24000トンです。
駆逐艦、巡洋艦、フリゲイト、コルベットの大きさの概念がかわってきちゃいますね。




こちらは米海軍のミサイル駆逐艦DDG-68「フィッツジェラルド」と・・・・なんだろ?
両方ともアーレイバーク級ミサイル駆逐艦ですが、ここまでイージスシステム艦がそろうと圧巻ですね。



こちらは宿泊船APL-40「ニュエセス」です。
非自走式でホテルシップと呼ばれています。
基本的に乗組員は自分の艦艇で宿泊しますが、修理などの場合にこの宿泊船で宿泊します。



これは工作船YR-85です。
空母の修理などにつかう艦船っぽいのですが・・・?




出た!横須賀海軍施設の主!
原子力空母CVN-73「ジョージ・ワシントン」(満載排水量103637トン)です。
とにかく巨大で距離感がわからなくなってしまいますね。
作戦航海に出ていたのですが、この日(8月8日)に横須賀に戻ってきたばかりだったようです。


ジョージ・ワシントンはニミッツ級原子力空母の6番艦で、全長は東京タワーとほぼおなじ333メートル、飛行甲板の幅は最大76.8メートルとなっています。
70機近くの作戦機を搭載することができます。
よく「事実上の母港」と言う言葉を聞きますが、空母の本当の母港は横須賀ではありません。
ジョージ・ワシントンはサンディエゴに母港があって、そこから横須賀に展開しているんです。
これを「前方展開」といって、空母を前方展開させているのはここ横須賀だけなんですよ。



何と原子力潜水艦!
ロスアンジェルス級原子力潜水艦だと思います。
ロスアンジェルス級は米海軍の原子力潜水艦の中で最も数が多く、62隻が建造されています。
1番艦が昭和51年竣工ということもあって引退が進んでいますがまだまだ潜水艦部隊の中核を占めます。



これは珍しいかも。
原子力潜水艦と原子力空母のツーショットです。
こんな様子を見ることが出来るのも軍港めぐりならではですね。
ロスアンジェルス級も基準排水量が7000トンを超えるかなりの大きさ(「むらさめ」型や「たかなみ」型より大きい!)ですが、後ろのジョージ・ワシントンの巨大さは圧倒されます。




これな~んだ?
これは消磁を行う横須賀消磁所です。
消磁とは艦艇がおびおてくる磁気を消す作業のことを言います。
艦艇は金属製ですので地磁気の影響を受けてだんだん磁気を帯びてきます。
そうすると敵に発見されやすくなったり磁気に反応する機雷へのリスクが高まってきます。
そこで定期的にこうやって磁気を消すんですね。
ここまで大規模なのは日本では横須賀ぐらいで、グーグルマップでも横須賀港の入り口を見ると四角いものがいくつかみえますよ。



米海軍の運貨船(バージ)です。
クレーン車は地面の上にあるのではなく、バージの上にいるんですよ。
8月の横須賀サマーフェスタで行われる花火大会は移動させてこのバージから打ち上げます。
また年越しカウントダウンの花火もここから打ち上げます。
日本でも珍しい日米共同開催の花火大会だったりします。




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軍港めぐりその1/その2/その3
Posted at 2014/08/10 17:13:45 | コメント(3) | トラックバック(0) | 艦船 | 日記

プロフィール

「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
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