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アスロックのブログ一覧

2015年09月13日 イイね!

幸田町郷土資料館にいってみた。

大雨により各地で大きな被害が出ています。
改めてお見舞い申し上げますm(__)m


9月12日土曜は久しぶりの快晴。
予定もとくになかったので、愛知県幸田市にある幸田町郷土資料館にいってきました。

ここはちょいちょい行ってるのですが、ダイナミック号(レヴォちゃんね)に乗ってから行くのは初めて・・・かな?


ここはパッと見、ふるさと郷土資料館・・・なのですが、なぜか展示が非常にカオス。


KM-2練習機なんておいてある郷土資料館なんてあります?(笑)
黄色い機体がまぶしいですね。



状態は必ずしもよくは無いですが、KM-2を見ることができる施設はそうは多くないので非常に貴重といえるかもしれません。



さてKM-2について。
自衛隊は発足当時、米軍から練習機としてT-34メンターを供与されました。
陸上自衛隊はT-34を改造した連絡機LM-1、LM-2が開発され、航空自衛隊はT-34をベースにT-3、そしてさらにエンジンをターボプロップ化したT-7初等練習機が開発されました。
一方海上自衛隊はT-34の後継として同じく独自改造したKM-2、さらにその後継となるT-5練習機が開発されるわけですが、T-34の血はいまだに受け継がれて新型機が開発されているのが面白いですね。
さて、T-34練習機は縦に2名が乗るタンデム複座なのですが、海上自衛隊は対潜哨戒機など大型機を多く運用するため練習機もこれに合わせるべく、座席を並列としたわけです。
さらにコクピットを拡大して4人乗りとしたのがKM-2です。
昭和37年から昭和55年の間に62機が海上自衛隊に導入されて、パイロットの教育に使用されていました。



KM-2だけでも十分興味深いですが、この郷土資料館は戦闘機も保有しています。

郷土資料館にF-86戦闘機を展示してあるところはそう無いと思いますよ~?




状態は必ずしもよくはありません。
キャノピが完全に曇ってますし、いたずらでドアを開けた形跡もありました。
まぁ柵もないので触りたい放題なので仕方ないですが・・・・
ちなみに部隊マークは小牧時代の第3飛行隊です。


幸田町郷土資料館に展示してあるのはF-86F-40戦闘機です。
F-86Fは言うまでもなく航空自衛隊が初めて装備した戦闘機です。
F-86F-40は海外供与型で主翼の翼端が延長され前縁フラップを使えるようにしたタイプとなっています。
米軍からの供与、ノックダウン生産、国内でのライセンス生産合わせて400機以上のF-86Fが配備されて日本の防空を支えました。
それにしても何故郷土資料館にF-86が・・・?


さて、ここまででもかなり謎な展示ですが、海上自衛隊、航空自衛隊ときたらやはり陸上自衛隊の航空機もあります。


H-13・・・だと・・・・?
機体が青いですが、青い塗装なんて採用してたのかな?
緑色に塗られた気体が退色したようにも見えますが。
幸田町郷土資料館ではなぜかこのヘリコプターのみ専用の簡易な建屋内に展示されています。
H-13は簡易な構造の小型練習ヘリコプターで、陸上自衛隊の前身となる保安隊時代にH-13Eが6機導入された後、エンジンを強化したH-13Hを75機ライセンス生産されました。
幸田町郷土資料館にあるこの機体はH-13Hですが、操縦席こそカバーでおおわれていますがテールは骨組みのみでエンジンと燃料タンクがむき出しという非常に簡素ですね。
さぞ軽いだろうと思いきや、自重は730kgですからなんとOH-6のほうが軽かったりします。


さて、戦闘機、練習機、ヘリコプターがあるだけでも十分カオスなのですが、これを見たときは最初なんだかわかりませんでした。



なんだか判ります?
50口径3インチ砲の砲身です。
「54」という数字がうっすら残っていたので、おそらく米海軍の50口径3インチ砲MK22を国産化した54式50口径3インチ砲だと思います。
海上自衛隊の護衛艦に搭載されていたものですね。
海上自衛隊は過去に3インチ砲として単装砲のMk22とその国産化した54式、連装砲としてMk33とその国産した68式を護衛艦に搭載していました。
どちらも口径は76ミリで50口径、射程は13.35kmだったようです。
3インチ50口径単装砲Mk22はMk33よりも1世代前の3インチ方砲で砲の旋回俯仰・装填は人力で行わなければなりませんでしたが、構造が簡単で軽量(マウント重量3.5トン)だったこともあって米海軍で広く搭載されました。
海上自衛隊も米貸与艦に搭載するほか国産護衛艦にも搭載されていました。


さらにカオスな展示は続きます。


潜水艦「おやしお」のスクリュと錨?
もはや何故ここにあるのかさっぱりわかりませんが、「おやしお」といえば海上自衛隊初の国産潜水艦で昭和35年に竣工しています。
説明プレートを見ると錨の重さは850kg、スクリュは940kgあるようです。


なんだか鼻血が出てきそうな展示ですが、トドメがこれです。



自衛隊装備年鑑をひっくりかえして探しても出てきませんよ(苦笑)
105ミリの軽砲と無反動砲らしき火砲ですが形があまり見たことも無いですし、色も白い?
・・・・?
なんとこれ試作火砲です。
105ミリ軽りゅう弾砲と105ミリ無反動砲です。
両方とも昭和32年、31年に防衛庁技術研究本部が試作した火砲で、105ミリ軽りゅう弾砲は74式105ミリ自走りゅう弾砲や74式戦車などに技術が反映されているようです。
105ミリ無反動砲のほうは60式106ミリ無反動砲の基礎設計資料を得るために試作された火砲のようです。
これめちゃくちゃ貴重な試作品じゃありません?
どういう経緯でここに展示されたのか非常に気になります。



野外展示がこれだけカオスなのですから、屋内展示もさぞカオスかと思いきや、実は以外にあっさりしたものだったりします(^^;



さて、幸田町郷土資料館でカオスさを堪能したら時間もまだあるので蒲郡市博物館にいってきました。



蒸気機関車D51形ですよ。
いいですね~この無骨さ。
鉄ちゃんではないですがこれはたまりませんわ。

ほとんど前が見えない操縦席、当時はさぞ大変だったんだろうなぁ・・・・



客車もいいですね。
居住性や快適さはきっと今の車両とは比べ物にならないのでしょうけどこの雰囲気はたまりません♪


D51の横に古墳(復元)もあったお。



帰りは中古ショップによって仮面ライダーのフィギュアをゲットしてきました☆
Posted at 2015/09/13 02:35:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミリタリーネタ | 日記
2014年06月02日 イイね!

フローラルガーデンよさみ/依佐美送信所記念館にいってきました

天気もよかったので久しぶりにドライブにいってきました。
目的地は愛知県刈谷市にあるフローラルガーデンよさみです。

いや、そこそのものではなく、本当の目的地は・・・


ここ。


依佐美送信所記念館です。
建物の横にある鉄塔がシンボルですね。


鉄塔はいい。
心が洗われる。
実はこれ、本当はこの10倍の高さがあったんです。
250メートルの高さの鉄塔でしたが、現在は解体されてこのようなオブジェとして1/10の25メートルのものが展示されています。


これは鉄塔の先端部です。
この鉄塔って何?

ここは以前依佐美送信がありました。
まだ高度な通信設備をもっていなかった日本は海外との通信には海底ケーブルを用いていたようです。
とはいってもこれは海外の通信会社のもの。
外交には独自の情報伝達システムが不可欠です。
そこで第1次世界大戦後の大正10年に逓信省(今で言うNTTや日本郵便を統括する役所ね)が愛知県の依佐美村(今の刈谷市)を無線送信所の候補に挙げたことにはじまります。
三重県海蔵村(今の四日市市)に受信所を、依佐美村に送信所を作ることが大正14年に決定、昭和2年に建設が始まりました。
送信所は昭和3年に完成し、長波による欧州への通信がはじまりました。
写真の250メートルの巨大な鉄塔が8本あって、その8本から空中線を張って巨大なアンテナ装置にしていました。




鉄塔の基部。
鉄塔がまっすぐ地面から生えているわけではなく、意外にも基部は非常に細いんです。
それをワイヤで支えているんですね。
250メートルなんていう高さの鉄塔ですから普通の固定では折れ曲がっちゃいますし、第一台風が毎年直撃する日本では耐えられません。

これが鉄塔を外したところ。
鉄塔があたる部分はこんな感じで球状になっています。
この鉄塔、東京タワーがたつまで東洋一の高さだったんですよ。


依佐美送信が運用を開始された頃、既に時代は短波通信の時代でした。
長波は大電力が必要ですし、規模も大きい。
それに比べて短波は小電力でできますし規模も小さくて済むので海外通信の主力となりました。
せっかく長波をメインで作った送信所も、運用が始まると短波がメインで長波がそれを補完という形になりました。


が、長波には他にまねできないものがあります。
それは水中へ電波を届けること。
潜水艦への通信は長波で行います。
戦時中は日本海軍が、戦後は米海軍がこの送信所を用いて潜水艦への通信を行いました。



これは米海軍の当時のプレートですね。
米海軍は昭和25年に施設を接収してから平成5年まで送信を行っていました。
現在はE-6という潜水艦への通信中継専用の航空機が代わりに通信を行っています。



手前から主誘導電動機、直流発電機、主直流発電機、高周波発電機です。


主直流機励磁用電動機発電機
あれ?と思った人はさすがです。
実は色を塗りなおされてるんですよ。
以前は灰色で塗られていましたが塗装がボロボロだったこともあって2012年に設置された当初の色に塗りなおされたんです。


バリオメータ型高周波コイルとローディングコイル


コンデンサ。
電流容量は87.5Aなんだとか。


電流計。
単位が・・・・


主誘導電動機を一定回転数で駆動させ、主直流発電機を回転させることで直流電圧が発生します。
直流電動機が高周波発電機を動かし、主直流電動機を使って高周波発電機を動かします。
この高周波発電機は5.814kHzの周波数を発生します。
高周波電流を周波数三倍機を使って3倍にし、送信電波に必要な17.442kHzにして送信を行います。
・・・ごめん、パンフ見ながら書いていてなんのことかよくわからん。

信じられます?
これって昭和3年に完成してから平成5年まで現役だったんですよ?
これらの設備はドイツから輸入されたといいます。
送信所内にはこれらが予備を含めて2セットあったようです。
記念館はそれをイメージできるような配置になっています。



自動速度調整装置と送信機の操作盤ですね。
意外とシンプルです。


米海軍が使用していた時のプレート。
なぜかちょっとイラッときます(笑)
でもここに書いてあるのは本当で、通信所は海軍が使用していましたが、送信所の運用は民間会社に委託されていました。
終戦までは日本無線電信が、戦後は電気興業が運用を続けていました。

依佐美送信所は昭和16年の真珠湾攻撃の暗号を潜水艦に送信したことでも知られています。
洋上の艦艇には船橋送信所から中波と短波を使って送信されていたようですね。


依佐美送信所は平成5年に米海軍の運用が終わって送信が停止され、平成6年に日本に返還、平成9年に鉄塔の撤去、平成18年に送信所本館が解体されました。
現在はこの周辺はフローラルガーデンよさみとして公園が整備され、平成19年に完成した依佐美送信所記念館内が開館しています。


以上、依佐美送信所記念館でした。
Posted at 2014/06/02 00:29:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミリタリーネタ | 日記
2013年09月24日 イイね!

缶コーヒー(ブラック武藤)と空中機動装備

仕事帰りになんとなくよったコンビニ。
トイレ借りたついでに、晩のおかずのコロッケでも買っていこうと思ったのですが、ふっと目が行ってしまいました。
おっと、かわいいおにゃのこの胸元でもむふふな本でもないぞ。


上島珈琲のブラック無糖。
すっかりおなじみとなったキャンペーン、その内容は?
「陸自の翼」

これは危険だ・・・・
自重しろ、自重するんだ私!
でぃあご○てーにで毎度痛い目みてるじゃないか!

・・・・・
・・・・
・・・
・・



あれ?


あれあれ?
結局コンプしてしまった・・・・orz


でもなんかちょっと「?」な感じが。
まぁコーヒーのオマケですし、ディテールが多少落ちるのはまぁ仕方ないですよね。
仕方・・・

・・・・
・・・
・・


これはダメだorz
このアパッチロングボウ、30ミリチェインガンもなければ脚もない!



UH-1Jはまだ許せるとして、



だからチヌークにも脚がないんだってば・・・



UH-60JAは何かどっか変・・・


だから20ミリ機関砲!!
なんでワイヤカッターを再現してるのに20ミリ砲をオミットしてるんだ・・・


orz
Posted at 2013/09/24 23:03:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミリタリーネタ | 日記
2013年07月19日 イイね!

来月6日は22DDHの命名・進水式

いよいよ発表になりましたね。
平成22年度護衛艦(22DDH)の命名・進水式。
ジャパンマリンユナイテッド横浜で8月6日に行われるようです。
http://www.mod.go.jp/msdf/formal/info/news/201307/071601.pdf

さて、気になる22DDHの名前は・・・・・
まぁいろいろありますよね(^^;
とりあえず「いずも」にしておきましょうか。

「いずも」、良い名前です。
空母型の大型護衛艦ですから空母を連想させる名前を考えていました。
前型が「ひゅうが」「いせ」ですが、これは旧海軍の航空戦艦「日向」「伊勢」も意識してるのかもしれませんものね。
この22DDHもそれにならって、旧国名ではないですが山岳から「あかぎ」という名前なのかなと思っていましたが・・・・
「いずも」。
あれ?思っていた猛々しい名前ではないですが、でもそれ以上に神々しいというかもっと大きな存在を感じます。
「いずも」はもちろん出雲大社で有名な出雲国からとったものでしょう。
神話の時代から登場する出雲大社。
日本の長い歴史と伝統、価値観、国土、そしてそこにすむ人たちを守るのにこれほどマッチした名前もないでしょう。
旧海軍の「出雲」は装甲巡洋艦として日露戦争で活躍しています。


さて、じゃあ2番艦は・・・・?
1番艦が「いずも」なら2番艦は「くまの」かな?
大社つながりで「くまの」は?といきたいところですが、熊野大社があるのは出雲国ですし、旧海軍の重巡「熊野」は熊野川からとったものなので国名でも山岳でもないです。
熊野国は今の和歌山県で熊野大社とは関係ないですし(でも和歌山には熊野本宮大社があるよ)。
う~む。
やはり「やましろ」か「ふそう」かな。


さて、「いずも」・・・・じゃなくて22DDHですが、見た目こそヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」の拡大版ですが、まったく性格が異なる艦です。

「ひゅうが」には最大11機のヘリコプターを搭載できるとされ、その規模は基準排水量13500トン、満載排水量は19000トンになるのではといわれる超巨大な護衛艦です。
全長197メートルですから艦内のヘリコプター格納庫の中に他の護衛艦がすっぽりはいるぐらいの大きさになります。
全通甲板は広大な飛行甲板でもありますから、見た目はまさしく空母です。
とはいえ、通常は3~4機のヘリコプターを搭載して任務に当たっています。
武装は短魚雷に短距離艦対空ミサイル、VLアスロック、20ミリ高性能機関砲を搭載していますし、空母のようでも基本的には前任の「はるな」型の置き換えとして使われます。
ですので、平たく言えば「従来のヘリコプター搭載護衛艦と同じ使われ方」を基本にしています。

あ、でも「ひゅうが」型は多数のヘリコプター運用以上に重要なのはその式通信管制能力です。
艦内に広大な戦闘指揮所を設置してあるので旗艦としての能力をもたせています。
東日本大震災では「ひゅうが」の会議室で連日米海軍と会議を行っていたといいますから大部隊を組織的に動かすのに欠かせない重要な役割だったことがわかります。



では、この22DDHはというと・・・
基準排水量は実に19500トン!満載排水量は何トンなんでしょう・・・
全長245メートルですから「ひゅうが」より50メートルぐらい長いんですが、むちゃくちゃ巨大ですね。
ここまで巨大だと単独で作戦を行うことができません。
22DDHには「ひゅうが」にあった短SAMもなければ短魚雷もアスロックもありません。
武装といえば近接防衛システムしかありません。
ということは?
22DDHは他の護衛艦の護衛の下で行動する非常に特殊な護衛艦ということになります。
ミサイルを発射するのではなく、充実した指揮通信管制能力と多数のヘリコプターの運用能力で戦うわけです。
つまり・・・・平たく言えば「空母的な運用思想」といえるかもしれません。
この22DDH、従来の護衛艦とはまったく異なるところがここにあります。

いったいどのような使われ方をしていくのか、非常に興味深いですね。

ということで、下手なコラを作ってみました(^^)
上の「ひゅうが」をベースに幅を広げてみました。


でかい・・・・
「むらさめ」型護衛艦2隻分の長さと4隻分の排水量の護衛艦、想像できません(^^;


Posted at 2013/07/19 01:38:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミリタリーネタ | 日記
2013年03月13日 イイね!

震災の裏で

昨日会社にくると日の丸と社旗が半旗になっていました。
震災があった3月11日だったんだなと気づかされました。
私は中部地域在住なので被害を受けてはいませんが、会社から帰宅する中、ラジオから緊急地震速報が次々鳴り響く異様さに何が起きてるんだと感じたのを思えています。
帰宅してテレビをつけてみると津波の概念そのものが変わってしまった大津波と、あまりに規模が大きくてニュースを聞いてもとても理解できない被害状況と原発が極めて危険な状態という不気味なカウントダウンと連鎖的に発生した新潟と長野での大地震。
何が起きているのか理解できないが日本が国家として深刻な危機に陥ってるんだと漠然と感じていました。
失われた沢山の命について改めてご冥福をお祈りします。


さて、震災で非常に気になる記事があります。
3月12日の産経の記事ですが、
「東日本大震災が起きた平成23年3月、衛星で巨大津波を察知した米コロラド州の北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)が、大災害の混乱に乗じた周辺国によるミサイル攻撃など不測の事態を警戒していたことが分かった。衛星監視を支援する要員も被災地に派遣され、航空自衛隊松島基地や福島第1原発の被災状況などをNORADに伝えていた。「有事」を震災発生直後から想定した米軍の危機意識が浮き彫りとなった。(中略)
 NORADが要員まで派遣して監視を続けたのは、「大災害で警察や自衛隊の警戒網に穴があき、日本本土だけでなく極東の平和と安定に不測の事態が起きかねない」(米軍関係者)という安全保障上の強い危機意識があったからだ。」


あの震災に日本が襲われているとき、米国は震災に乗じて周辺国から日本が軍事攻撃を受ける可能性を本気で心配していたわけです。
TOMODACHI作戦で米軍があれだけ大部隊で救難活動をしてくれたこと、CVNロナルド・レーガンが艦載機をズラリと並べて日本近海に展開したことからも救難活動と同時に安全保障上の観点からの動きだと想像はしていましたが、米国がミサイル攻撃という最悪の状況まで想定していたことははじめて知りました。


震災では松島基地が甚大な被害をうけ、自衛隊が10万人規模の救難・復旧活動をされましたので防衛体制にも影響があったことは想像できます。

それに乗じての周辺国からの軍事攻撃は十分有得たわけです。
実際、震災直後にはロシヤは作戦機を日本周辺に頻繁に飛ばし(このうち何機かは原発災害の放射性物質確認用集塵ポッドをつけていましたが)、航空自衛隊はスクランブルをかけています。
4月1日には海上自衛隊の護衛艦に対して、中国海軍艦艇の艦載ヘリが挑発行動をしています。

10万人規模の自衛隊の行動に加えて、政府が混乱している。
これは戦争状態に準じた状態ともいえます。
周辺国にとっては日本が準戦時状態ということで、格好のデータ取りになりますし、手薄になりやすいのですからこの機に乗じて挑発行為や艦船や航空機を使って領空・領海、場合によっては領土侵犯しやすい状態だったといえます。



「困ったときはお互い様。」
これは私たち人同士のつながりではそうですが、国家間では必ずしも当てはまるわけではありません。
「困ってるときだからこそつけこめ!」
これが安全保障の面からみた外国です。

震災のとき、米国や台湾をはじめたくさんの国々が日本に支援をしてくれました。
本当にありがたいことです。
特に米軍は史上最大規模の救難活動を展開してくれました。
日米安保には災害時の協力は一切規定されていないにもかかわらずです。
その一方で安全保障上の危険があり、実際に一部の国からは何度も挑発行為や日本の防衛体制を探る動きがあったことも事実です。
その危険に対して、自衛隊の防衛体制維持の努力や米軍のTOMODACHI作戦が果たした役割は私たちが想像しているよりはるかに大きかったのでしょうね。
Posted at 2013/03/13 01:18:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミリタリーネタ | 日記

プロフィール

「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
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