さて、平成29年になってもうすぐ1ヶ月ですね。
実は私は今年厄年なんです。
気をつけなければ・・・・
と思ってたら先日インフルエンザにかかってしまいました。
てへっ。
しかも私が不在のときに会社の小集団活動で私が発表者に選ばれてしまいました。
いわゆる欠席裁判ってやつですね。
さらに床屋にいって椅子に座ったら、おぱんつ様がぬれてしまいました。
どうも私が来る前に洗髪台の掃除したときに大量に水をぶちまいてしまったそうで・・・
(帰宅してからズボンの臭いをかいだら変なにおいがするけどまさか前に座った客が失禁したんじゃないだろうな・・・・汗)
さすが厄年・・・ハンパじゃないぜ・・・
これが前厄なんですから本厄はどうなんだろう?

であごすてーに。
25号は二式単座戦闘機”鍾馗”(キ44)です。

前から見たところ。
非常に頭が大きく一方で操縦席はびっくりするぐらい小さいですね。
主翼も意外と短い?

モデルのほうですが、いつものであごすてーにクオリティ。
ディテールは値段を考えれば妥当ですがプロポーションは悪くありません。
筋彫りの代わりにいつものように黒い線で再現していますが、今回はそれほど違和感がありません。
明灰色の機体よりも銀色の機体のほうがマッチしますね。

この角度からみるとちょっとずんぐりしたキ43(隼)に似てるかも?
と思えてくるから不思議です。
実はキ43とは全く正反対といえるほど性格が違う機体だったりします。

キ44を真横から。
主翼前縁に生えてる棒は手前はピトー管、その奥は12.7mm機関銃です。
そして主翼が妙に短く見えるのは角度や錯覚ではなく、実際短いんです。
キ43の全幅が11.43mに対してキ44は9.45m。
片側1mぐらい短いわけです。
それと機体の割りに垂直尾翼と水平尾翼が小柄で、しかも水平尾翼はずいぶん機体の前側に配置されてますよね。
もちろん理由があります。
これはキ44の胴体後部を意図的に長くしているんです
胴体が長ければ方向安定性が向上しますので、小面積の垂直尾翼でも十分方向安定性が得られたわけです。
胴体を長くして方向安定性を確保するのは零戦でも同じで、結果キ44は機銃の射撃時の安定性バツグンで命中精度向上に貢献したようです。

主翼。。。本当に小さいですね。
キ43とキ44は全長はほぼ同じぐらいの8.8mなのですが、自重はキ44のほうが500kgほど重い2095kgもあります。
それでいて全幅はキ43よりも2m短いわけですから翼面積はずいぶん小さいわけです。
重い機体に小さな翼面積(15m^2)。
つまり翼面荷重が大きいわけです。
格闘戦で有名なキ43の翼面荷重が117.7kg/m^2に対してキ44は184.3kg/m^2!
これは大きい。
さらにキ43は7.7mm機銃が2門だったのに対してキ44は7.7mm機銃2門に加え12.7mm機銃を2門装備していました。
はるかに大火力だったわけです。

この角度から見るとキ44の特徴がよくわかります。
非常に大型のエンジンを積み、小型の主翼を装備していますね。
そう、キ43が格闘戦を重視した軽戦闘機に対してキ44は重戦闘機だったわけです。
格闘戦を重視せず、大馬力のエンジンで上昇力と速度、そして大火力で一撃離脱戦法をキ44は目指していたわけです。
主翼の後方にはフラップがありますが、このフラップは蝶型フラップと呼ばれるキ44用に開発されたものです。
翼面荷重が大きいので旋回性能が非常に悪くなってしまいます。
それをある程度補うのが蝶型フラップで、ファウラーフラップの一種ということになりますが内側と外側の滑り出し範囲が異なっていて、その動きが蝶が羽ばたくように見えるからこの名前が付けられたそうな。
キ44はこれを空中戦での旋回時にも使えるようにしたのですが、実際は空中戦ではほとんど使われなかったそうです。

後ろから見ると結構奇抜な感じがしますね。
これはキ44の求められた速度性能からきたものです。
キ44は大馬力エンジン(1450馬力のハ109)を搭載するわけですが、このエンジンは九七式重爆撃機のエンジンの改良型ですからとにかくでかい。
直径は1260mmもあったそうです。
空気抵抗もばかにならないわけですが、モノがモノだけにカウリングは太いままでそれなりの流線型とし、ただし外部に余計な突起をつけないようにしました。
一方胴体はかなりきつく絞ることで空気抵抗を抑えるようにしています。

では簡単に開発経緯などを・・・
大日本帝国陸軍はそれまで格闘戦能力の高い軽戦闘機を重視していました。
複葉機から単葉機になって九七式戦闘機(キ27)やキ43が開発されるようになってもやはり機体を可能な限り軽量にし運動性を第一とする軽戦闘機を重視していました。
ところが欧米では火力と上昇力・速度性能で一撃離脱戦法をおこなう傾向になっていったわけです。
日本では昭和9年にフランスのドボアチンD510という戦闘機が時速400km/hという高速でしかも20mm機関砲をモーターカノンとしたことに衝撃を受け、昭和11年にキ12という試作機に7.7mm機銃に加え20mm機関砲をモーターカノンとして設定していました。
昭和13年に陸軍航空本部は従来までの「単座戦闘機」という定義を運動性重視の「軽単座戦闘機」と速度に卓越し機銃2門に加え機関砲を備える「重単座戦闘機」と定義しています。

さて昭和14年6月に陸軍航空本部は中島飛行機に重単座戦闘機の開発を命じました。
これがキ44です。
このときのスペックは
・高度4000mにて最大速度600km/h以上
・高度5000mまで5分以内の上昇力
・巡航速度400km/hにて2時間半+空中戦30分で行動半径600km
・武装は7.7mm機銃2門、12.7mm機関砲2門
というものでした。
キ43の要求スペックでは最大速度は500km/hでしたから速度性能と火力を重視した戦闘機だったというわけです。
速度を重視するということで抵抗をできるだけ抑えるために翼を小さく、また大馬力のエンジンを搭載することになりました。
エンジンは重爆撃機用の物を使いましたから当然機体は重くなりますが、主翼は小さいので翼面荷重は非常に大きなものになりました。
最初から格闘戦能力は優先しないと割り切った設計だったことがわかります。

キ44は試作発注中から1年2ヶ月という短期間で1号機が完成しました。
昭和15年8月に軍に納入され試験がおこなわれたのですが・・・
速度性能550km/h、上昇力5000mまで6分22秒と、ともに要求スペックには大きく下回る結果になってしまいました。
しかも機体重量が計画よりも超過してしまったため翼面荷重がさらに大きくなり、旋回性能が悪化・・・・こりゃあかん!
これにあわてた中島飛行機は空気抵抗対策としてエンジンカウルの形状を見直すなどして最大速度616km/hにまで向上することができました。
とはいうものの、上昇能力は6分近くかかることもありキ44の審査をおこなった開けの飛行学校では実用価値ナシという判断をされてしまいました・・・・・
と、これでプロジェクトが終りになるはずだったのですが、参考用に輸入されたドイツのBf109Eとの比較で速度性能、加速性能、旋回性能は勝ることがわかり、重戦闘機としては悪くないのではないかということになりました。
さらに対米関係の悪化で戦争も秒読みだったこともあって防空用迎撃戦闘機として量産が認められることになったわけです。
ところで終戦後米国でのテストではキ44は高性能な迎撃戦闘機だとの評価だったようです。

さて、陸軍が防空用に重戦闘機を配備したように、海軍も同時期に重戦闘機を配備しました。
それが局地戦闘機雷電です。
似たような性格の戦闘機を陸海軍でばらばらに、しかもほぼ同時期に全く別の開発・運用思想でたどり着いた防空戦闘機が生まれたわけですが、裏を返せば統合運用という考えが全く無い悲しさの現れかもしれませんね。

速度性能、上昇力性能、火力重視という似たような性格の戦闘機、しかも同じ国で同じ時期に作られたのですから、似たような戦闘機が生まれると思いきや、見た目からして全く別の機体にそれぞれ生まれたのが興味深いですね。
キ44、雷電ともに径の大きいエンジンを装備し、主翼が非常に小型のものを設定しています。
・・・が、それ以外は全く異なります。
キ44は太いエンジンを包むカウルの形を流線形にして、そのまま後ろにいくにつれ胴体をきつく絞っているのに対して、雷電はカウルを細くして空気抵抗を抑えることにしています。
プロペラとエンジンをつなぐシャフトは延長シャフトを使って、エンジンをなるべく機体後方側に配置させ、そ胴体の断面の一番太いところに操縦席を置いています。
しかも操縦席の後方はそのまま胴体と一体になってるので視界が遮られ、かなり不評だったようです。
キ44、雷電ともに空気抵抗をどれだけ減らして速度性能を確保するのかに苦しんだんだなと機体をみるとなんとなく感じますね。
以上、キ44でした。