• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

アスロックのブログ一覧

2017年04月09日 イイね!

であごすてーに二式複座戦闘機(キ45改)

最近な~んか調子が悪いです。
早くも五月病でしょうか?
でも五月病って言葉、便利ですよね。
4月だと「え?もう5月病?」
7月だと「え?まだ5月病?」
と年がら年中使えます。
あ、これって某アニラジのネタのパクリですよ(笑)


であごすてーに。
29号は二式複座戦闘機「屠龍」(キ45改)です。



箱から出してみるとその大きさにびびります。
これは大きい!
一瞬「お?爆撃機か?」と思ってしまうほどでもないわけでもないかもしれません(笑)
ディテールのほうは値段相応ということになってしまいますが、全体の形状は悪くなさそうですね。
あいかわらず主翼と胴体の隙間が大きいのは愛嬌愛嬌。
武器は機首に装備された12.7ミリ機関砲と胴体下に装備された20ミリ機関砲です。
写真ではどの角度からもみにくいのですが、モデルには20ミリ機関砲の弾道溝が再現されています。



さて上で一瞬爆撃機か?と思ってしまうと書きましたが、ホントに戦闘機らしくない感じがしますね。
零戦やキ61などと比べてみるとエンジンが二つありますし、操縦席が異様に大きいですね。
タイトルが「複座戦闘機」ということからもわかるように、戦闘機は1人乗りが当たり前なのにこの機体は2人乗りなわけです。
大日本帝国陸軍の戦闘機は敵地上空で持ち前の運動性能を活かして格闘戦で敵機を撃ち落して制空戦闘を行う「軽戦闘機」と、エンジンの大馬力を活かして強力な高速・上昇力を使って敵機を打ち落とす「重戦闘機」がありました。
海軍は敵機から拠点を守るため迎撃戦闘を行う「局地戦闘機」として重戦闘機を運用していました。
ではこの二式複座戦闘機(キ45改)は?
2人乗りで双発ということからもわかるように、長距離を飛ぶことを求められます。
要するに爆撃機の護衛戦闘機というわけです。
もちろん運動性は劣るわけですが、エンジン2基の大パワーでこれを補おうと言うものです。



さて複座戦闘機ですが、実は開発当事はちょっとふわっとしていたところがありました。
長距離を飛ぶ爆撃機に随伴して敵機から爆撃機を護衛する護衛戦闘機には陸軍も関心があって昭和12年度の兵器研究方針にもとづいて三菱、川崎、中島の3社に競争試作を命じています。
ところがこのときには単発エンジンなのか双発エンジンなのか、多発エンジンなのかも指定していません。
ほどなくしてこの競争試作は謎のキャンセルとなりましたが、その後昭和12年12月に川崎にキ45の名前で双発複座戦闘機の試作が命じられています。
このときの要求仕様は最大速度540km/h以上、全力+巡航速度で4時間40分の航続性能とありました。
それほどハイレベルなものではなさそう・・・・?



昭和14年1月にハ20乙というエンジンを双発としたキ45の1号機が完成しました。
ところがテストしてみると速度は480km/hでずいぶん劣るのと、エンジンナセルと主翼のマッチングの悪さから来る気流の乱れで失速にいたるナセルストールという非常に深刻な問題が発覚しました。
そこでエンジンをハ25に換装してエンジンナセルの形状を変更するなどして対策をしましたが速度性能こそ520km/hをクリアしましたがナセルストールの問題はクリアできず、ほかにも問題を抱えていることもあってキ45の採用を見送りました。




採用を見送られたとはいえなんとしてもものにしたい軍と川崎はキ45第2次性能向上機という名前で改めて昭和15年10月に川崎に試作発注しました。
でもできることは既にやったわけですし、どうすれば・・・・
そこでウルトラC的な方針転換をします。
機体をまるまるっと開発しなおせばよい(!?)。
・・・いや、既にそれって「キ45」でもなんでもないだろう・・・
というつっこみはさておき、九九式双発軽爆撃機(キ48)の基本設計を流用したわけです。
つまり今までキ45と呼んでいた機体とまるっきり共通点はありません。
なぜキ45改とわざわざ「改」がついてるのかはこういう理由です。



キ48の機体設計を流用したキ45改はわずか1年後の昭和16年9月に1号機が完成となりました。
ベースが既に量産機だということもあって速度性能、航続距離性能ともにクリアできて昭和17年2月に二式複座戦闘機の名前で採用となりました。




キ45改が搭載したエンジンはハ102というもので1050馬力のものです。
これを双発としてるので最大速度540km/hで足りない運動性を補う・・・
はずでしたが、やはり無理があったようで、実際に空中戦に入ると非常に厳しいものがあったようです。
速度540km/hってキ43の495km/hに比べれば確かに速いですが、それで優位に立てるほどではないですものね。
そこで搭載量が大きいことを利用して船団護衛や哨戒、対地、対水上目標攻撃任務に転用されていたそうです。



キ45改はいくつかのタイプがあります。
基本型のキ45改甲、武装強化型の乙、丙、丁があります。
キ45改甲の武装は機首に12.7mm機関砲×2、胴体下に20mm機関砲×1なのですが、
武装強化型の乙は12.7mm機関砲×2に加え後部座席に7.92mm旋回機銃×1と、胴体下になんと37mm戦車砲(!)×1を搭載しました。
・・・当たれば威力は絶大だろうけど戦車砲なんて当たるんかいな?
さすがにまずいと思ったのか同じく武装強化型のキ45改丙では機首に37mm機関砲×1、胴体に20mm機関砲×1、後部座席に7.92mm旋回機銃×1を装備していました。
同じく武装強化型の丁型は機首に37mm機関砲×1、前席と後部座席の間に20mm機関砲×2を搭載していました。



丁型ですが、非常に特徴的でもあります。
この頃海軍の夜間戦闘機「月光」が20mm機銃を傾斜をつけて取り付けた「斜め銃」で爆撃機迎撃に有効だということがわかってきました。
そこで陸軍もこれにならって20mm機関砲を斜めに固定装備しました。
敵の大型爆撃機の下から上斜め向きにセットされた機関砲を撃つのですから、いわば高射砲を有効射程距離まで持ち上げて撃つのと同じ。
非常に効果的だったそうです。
こうして性能的にはさほどでもなかったキ45改は優秀な夜間戦闘機として名を残したわけです。
ところでこの斜めにセットされた機関砲ですが、海軍との固執もあるのか斜め銃ではなく「上向き砲」と呼んでいたそうですが。
Posted at 2017/04/09 01:11:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記
2017年04月05日 イイね!

であごすてぃーに五式戦闘機(キ100)

気がつけば4月ですよ。
はやいですねぇ
私のブログはアップしたいものはやまほどあるのにち~ともすすんでないので停滞中です(^^;
いや~いろいろやることあるんですよ。
プラモつくったりネトゲやったり、東映チャンネルでやってるシンケンジャー見たり。
やりたいことはたくさんありますけど、時間があってもついよそ事をしてすすまないわけです。

さて

であごすてーに。



28号は五式戦闘機(キ100)です。
そろそろくると思ってましたが、いよいよきましたか。
終戦直前に誕生した帝国陸軍の切り札。
では簡単に見ていきましょう。



この角度から見ると比較的キ43やキ84に似てるかもしれません。
比較的大きな主翼、細長い胴体。
ですが見る角度をかえるとまったく違った感じにみえてきます。

実はこのキ100ですが

このキ61の兄弟どころか機体そのものはかなりの部分が流用なんです。


キャノピーのほうは新型の水滴状風防になってるので原型がないぐらいまったく似てないように思いますが、垂直尾翼や主翼、胴体はキ61を残してるのがわかります。
帝国陸軍は液冷エンジンを搭載する三式戦闘機(キ61)を開発、実戦配備しました。
液冷エンジンはエンジンの熱を空気ではなくエンジンに組み込まれている冷却液で冷やすため、冷却効率がよく、また直接空気の流れで冷やすわけではないので機首をぎゅっと絞ることができます。
つまり非常に空力的に有利なわけです。
当時の戦闘機のエンジンにはうってつけで、陸軍の期待を集めてキ61が生まれました。
・・・ところが空冷エンジンと違って冷却液を循環させるための機構や冷やすための機構(ライジェタ)など非常に複雑な構造だったわけです。
作る側、部隊で飛ばす側としてもこの複雑な構造はウィークポイントで稼働率がどんどん低下してしまいました。



当時の日本は開発する能力は非常に高かったものの、製品を安定した性能を維持する品質管理という分野では非常に遅れていました。
それがキ61では危機的だったわけです。
陸軍もそれには気がついていてエンジンを改良型に換装した三式戦闘機二型改(キ61-Ⅱ改)にラインチェンジをしたのですが・・・
これがまずかった。
時期は昭和19年9月と戦況が悪化してるときですから専門技術を受けていない女子挺身隊が動員されて工場で勤労していた頃ですので品質がますます悪化してる頃でしょうか。
エンジンの不調は致命的で、エンジンを機体に搭載できない「首なし機」がズラリと並ぶ状態だったようです。




昭和19年10月、ついにキ61改-Ⅱ型の生産を打ち切りました。
このとき首なし機の数は実に200数十機。
1機でも高性能な戦闘機がほしいのにこんなこと許されるはずがありません。
そこで液冷エンジンの搭載をあきらめ、最小限の変更で信頼性の高いエンジンを搭載しようということになったわけです。
ここに「キ100」の開発がスタートしました。
キ100に搭載するエンジンはハ112-Ⅱ空冷エンジン。
これは海軍では「金星」と呼ばれていたエンジンです。
このハ112/金星は九七式艦攻、九九式艦爆、九六式陸攻、一〇〇式司偵・・・ととにかく信頼性、実績抜群だったわけです。



もともとそのエンジンに合わせて作られた機体に別のエンジンをポン付けできるものなの?
と、なるわけですが結構難しいものがあります。
この写真をみても胴体とエンジンにかなりの差があるのがわかります。
液冷エンジンを搭載するため、細い機体のキ61に太い空冷エンジン。
機体の幅は840mmに対してエンジンの直径は1218mm実に400mm近い差です。
写真ではカウルの後方と機体の接合部に隙間(段差)があります。
ここには単排気管を片側6本づつ並べていて、その後方を主翼の付け根にかけてR形状でつないでいるわけです。
これはドイツから参考輸入したフォッケウルフFw190-5を参考にしたといわれています。



さて液冷エンジンから空冷エンジンに換装されたわけですが、空気抵抗も増えますし、冷却効率も落ちますので元になったキ61に比べ速度は低下します。
ただし液冷エンジンに欠かせなかった冷却機や配管類が不要になったので実に330kgも軽量化となったそうです。
その結果速度低下はキ61に対して30km/hに抑えることができたそうです。
キ61の機体設計がもともとよかったからなのか、急降下性能のよさなどを引き継いで信頼性の高いエンジンを受け取ったキ100は稼働率が格段に向上しただけでなく運動性も向上したようです。



首なしキ61-Ⅱの対応として進められたキ100の開発でしたが、キ61-Ⅱの生産中止が決まったのが昭和19年10月、そしてエンジン換装したキ100が発令されたのが10月1日、試作1号機の完成が昭和20年1月末、初飛行は2月1日という超スピードな開発だったんです。
昭和20年4月には部隊配備が始まり、6月には風防を水滴型にした新規生産機に切り替わりました。
が、6月に川崎の工場が米軍の攻撃を受けて被災し生産中止となってしまいました。
この間キ61-Ⅱからの改造275機を含め合計390機が生産されています。
キ100はB-29に対処するため高高度迎撃型としてキ100-Ⅱ(五式戦闘機二型)が開発されていましたが、試作機3機が完成したところで終戦をむかえたとされます。
Posted at 2017/04/05 00:25:35 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記
2017年02月04日 イイね!

であごすてぃーに九七式戦闘機(キ27)

さて2月です。
2017年も早くも1ヶ月以上が過ぎちゃったんですね。
あ~もうすぐ40だわ・・・
若くてピチピチしてた頃ははるか昔。
あ~若いときに戻りたいなぁ、いろんな意味で(笑)
さて

であごすてーに。
26号は陸軍の九七式戦闘機(キ27)です。



ではモデルのほうを。
モデルは・・・・
・・・なんだろう、この残念感は。
ものすご~くおもちゃっぽいというか。
何故?なんで?
それほど実機から離れてるとは思えませんけどものすご~くおもちゃっぽさを感じます。
色か?
この機体色のせいなのか?
というかなぜカウルが黄色い飛行第1戦隊の機体を選んだんだろう?
確かに実機にもこの塗装は施されましたが、精密なモデルになら違和感なく受け入れられますが、ディテールがかなりアバウトなモデルだと違和感のほうが強くなってしまいます。
ここは有名な独立飛行84中隊のカウルが赤で赤い帯が入った塗装のほうが違和感は感じなかったと思うのですが・・・・
ついでに主翼の上反角が妙に大きく見えるのは気のせい?
塗装のほうはともかく、「おもちゃっぽさ」を感じてしまうのは風防と風防前方に設置されてる棒。
風防のほうはキ27の前期型と後期型で形状が異なりますが、透明部分をただ塗りつぶしただけなので前期型とも後期型とも違う微妙な感じが・・・・
それ以上に気になるのは風防前についてる棒でしょうか。
この先っぽが丸い棒のようなものは光学照準器です。
望遠鏡のような形をしていて、これをのぞいて敵機に照準を合わせて機銃のボタンを押すわけです。
それが先端が丸い、ボールジョイントのように見える上にやたら目立つ・・・う~む。
さらにいえば前部胴体と後部胴体のつなぎ目の位置・・・・結構ずれてない?



さて、モデルの悪口のほうはここまでにして・・・・
キ27は主翼が非常に大きいですね。
キ27の全幅は11.3mと、後継のキ43が全長が1m長く、自重も400kg重いのに、幅はほとんど同じ(キ43は11.4m)なんです。
つまり機体が軽い上に主翼が非常に大きいのでめちゃくちゃ翼面荷重が低いことになります。
格闘戦ではトップクラスのゼロ戦やキ43の翼面荷重が117.7kg/m^2に対してキ27は脅威の83.4kg/m^2!
もはや複葉機並みということになります。
そう、キ27は究極の格闘戦戦闘機といわれる理由がここにあります。



径の太いエンジンからぎゅっと絞った胴体は同じ中島のキ43やキ44に通じるものを感じますね。
もちろん空気抵抗対策です。
胴体の前後を接合部分は風防の後方、エンジンの基準位置から3300mmの位置になります。
モデルではちょっと前過ぎますね。




ではちょっと戻って前から。
主翼下におっπ・・・・ではなく大きな半球状のドームがありますね。
これは増槽(落下タンク)です。
ここにはいる燃料は左右それぞれ各133リットルで、陸軍の戦闘機としてキ27が初めて採用しました。
キ27の航続距離は600kmですが、この増槽をつけることで300kmの航続距離の延長ができました。
また主翼下の主脚ですが固定式を採用しています。

さて、キ27の武装ですが、八九式7.7mm固定機銃を装備していました。
どこについているかわかります?
機首の上部や主翼に設置されてるわけじゃないんです。
場所はカウルの中。
機体の中心軸よりもやや下の胴体左右に設置されています。
銃身はエンジンのシリンダ間を通って配置されているわけです。
陸軍は格闘戦に強い戦闘機として軽量で運動性が高い機体に軽い7.7ミリの機銃を搭載していましたが、これはキ27も同じでした。
7.7ミリ機銃はやはり火力不足で、ノモンハン事件ではキ27の高い空中戦能力を思い知るとソ連戦闘機は防弾装甲を装備し、大火力の20ミリ機関銃を搭載して対抗したため苦戦したといいます。
威力が弱い7.7ミリ機銃ですが機体の構造上大口径の機銃への換装ができず弱点となっていたようです。
それでもノモンハン事件ではキ27がソ連戦闘機に対して圧勝ともいえる戦果を残すことが出来たことで陸軍の判断を誤らせて後継になるキ43も7.7ミリ機銃のみの搭載となってしまったのは残念です。



では開発経緯を簡単に。
明治43年12月にフランスから購入したアンリーファルマン複葉機を徳川大尉の手によって初飛行することで大日本帝国陸軍の航空機運用ははじまりました。
甲式四型戦闘機をはじめ外国から購入していた戦闘機は次第に中島の九一式戦闘機、九二式戦闘機といった外国の設計技術を踏襲した国産戦闘機を開発していきました。
この頃欧米では全金属単葉機が登場し始めていきます。
日本もキ5、キ8、キ11といった単葉戦闘機が試作されましたが制式化にはならず、後継は複葉機としては最高レベルの性能をもつ川崎の九五式戦闘機(キ10)が採用されました。
非常に高い格闘戦能力をもつとはいえ、既に全金属単葉機の時代になりつつありました。
そして陸軍にとって非常にショックなことがおきます。
昭和10年1月に「ライバル」の海軍が全金属製単葉戦闘機の九試単座戦闘機(後の九六式艦上戦闘機)をデビューさせたわけです。
当時の欧米の戦闘機を上回る高速を出し、高い空中戦能力を持つ革新的な戦闘機だったわけですが、一方の陸軍はキ10がまだ完成さえしていない時期だっただけに相当なショックだったようです。
複葉機全盛の頃に現れた洗練された未来的な全金属製単葉戦闘機がデビュー。
そりゃあショックだったでしょう。
陸軍は九六式艦上戦闘機を開発した三菱に九六式艦戦を陸軍向け仕様に改造した戦闘機をキ18の名前で納入してもらっいました。
陸軍と海軍は仲が悪いのは有名ですが、その陸軍が海軍に頭を下げてお願いしたのですからショックさが伝わってきますね。
キ18を入手して明野学校で非常に良好な飛行試験結果が得られたわけですが、永遠のライバルの海軍のお古を使うにはプライドが許さない!
・・・だったようで、エンジンに不満があるという理由で不採用にしちゃったわけです。
その上で昭和10年末に三菱、川崎、中島の3社に新型戦闘機の試作発注をかけます。
よ~するにキ18は技術的見本だったわけです。



陸軍が3社に出した要求仕様は
・最大速度450km/h以上
・高度5000mまでの上昇時間6分以内
・キ10に劣らぬ格闘戦能力
といったものでした。
翼面荷重が小さく、非常に小回りがきく複葉機のキ10は格闘戦能力は申し分ありませんから、非常に高い要求だったことがわかります。





【川崎】
キ10の採用を勝ち取った川崎ですから、次も勝ち取りたい川崎ですが、川崎といえば液冷エンジンマニア。
もちろん液冷エンジン搭載のキ28を開発しました。
キ10の試作時からたった1年しかたってないのに比べ物にならないほど進化した機体になりました。
液冷エンジンなので機首まわりはぎゅっとしぼりこみ、非常に空力的に洗練された機体となったようです。

【三菱】
陸軍からの頼みでせっかくキ18を作った三菱にとって、技術者からは不信感・反発がかなりあったようで、とりあえず仕事は請けるが、今の仕事(海軍のゼロ戦などの試作機)に影響しない範囲でやることになり、キ18に陸軍指定のエンジンへ換装するなど少しの変更でキ33を完成させました。

【中島】
社運をかけて臨んだ中島は本試作前に社内実験機を作って性能確認するほどで、格闘戦能力確保のために徹底した重量削減を目指したようです。
結合部品の重量削減のため主翼と胴体を一体造りとするほか、日本戦闘機としてはじめてカウルフラップを設定し、さらにエンジン前部に環状潤滑油冷却機を配置するなど技術を惜しげなく投入しキ27を完成させました。





昭和11年11月、川崎のキ28、三菱のキ33、中島のキ27がそろい比較審査がおこなわれました。
速度性能、上昇力性能はキ28が有利でしたが、格闘戦能力(水平旋回能力)は機体が一番重い(キ27、キ33は自重が1100kgに対してキ28は1400kg)ため不利ということになりました。
ただし上昇力、速度性能に優れるキ28は模擬空戦で有利だったようです。
・・・・が、液冷マニアの川崎の悪いところがでました。
エンジンが複雑でマトモに動かなかったわけです。
これれキ28は破れてしまいました。
水平旋回能力では有利だった三菱のキ33と中島のキ27ですが、設計思想、エンジンが同じある意味「異母兄弟」といったところで、性能はそれほど差はなかったそうです。
社運をかけている中島は技術者を派遣して指摘された事項を次々試作機に織り込んで進化していきました。
一方三菱のキ33は陸軍にあんな仕打ちをされたわけですから積極的ではなく、ほとんどほったらかし状態だったようです。
次々と問題対策を織り込んだキ27の2号機はキ33に比べ速度、上昇力、旋回性能ともに超えることができ、昭和12年12月に九七式戦闘機の名で制式採用が決まりました。


以上、九七式戦闘機(キ27)でした。
Posted at 2017/02/04 00:32:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記
2017年02月01日 イイね!

であごすてぃーに二式戦闘機”鍾馗”(キ44)

さて、平成29年になってもうすぐ1ヶ月ですね。
実は私は今年厄年なんです。
気をつけなければ・・・・
と思ってたら先日インフルエンザにかかってしまいました。
てへっ。
しかも私が不在のときに会社の小集団活動で私が発表者に選ばれてしまいました。
いわゆる欠席裁判ってやつですね。
さらに床屋にいって椅子に座ったら、おぱんつ様がぬれてしまいました。
どうも私が来る前に洗髪台の掃除したときに大量に水をぶちまいてしまったそうで・・・
(帰宅してからズボンの臭いをかいだら変なにおいがするけどまさか前に座った客が失禁したんじゃないだろうな・・・・汗)
さすが厄年・・・ハンパじゃないぜ・・・
これが前厄なんですから本厄はどうなんだろう?


であごすてーに。
25号は二式単座戦闘機”鍾馗”(キ44)です。


前から見たところ。
非常に頭が大きく一方で操縦席はびっくりするぐらい小さいですね。
主翼も意外と短い?



モデルのほうですが、いつものであごすてーにクオリティ。
ディテールは値段を考えれば妥当ですがプロポーションは悪くありません。
筋彫りの代わりにいつものように黒い線で再現していますが、今回はそれほど違和感がありません。
明灰色の機体よりも銀色の機体のほうがマッチしますね。



この角度からみるとちょっとずんぐりしたキ43(隼)に似てるかも?
と思えてくるから不思議です。
実はキ43とは全く正反対といえるほど性格が違う機体だったりします。


キ44を真横から。
主翼前縁に生えてる棒は手前はピトー管、その奥は12.7mm機関銃です。
そして主翼が妙に短く見えるのは角度や錯覚ではなく、実際短いんです。
キ43の全幅が11.43mに対してキ44は9.45m。
片側1mぐらい短いわけです。
それと機体の割りに垂直尾翼と水平尾翼が小柄で、しかも水平尾翼はずいぶん機体の前側に配置されてますよね。
もちろん理由があります。
これはキ44の胴体後部を意図的に長くしているんです
胴体が長ければ方向安定性が向上しますので、小面積の垂直尾翼でも十分方向安定性が得られたわけです。
胴体を長くして方向安定性を確保するのは零戦でも同じで、結果キ44は機銃の射撃時の安定性バツグンで命中精度向上に貢献したようです。


主翼。。。本当に小さいですね。
キ43とキ44は全長はほぼ同じぐらいの8.8mなのですが、自重はキ44のほうが500kgほど重い2095kgもあります。
それでいて全幅はキ43よりも2m短いわけですから翼面積はずいぶん小さいわけです。
重い機体に小さな翼面積(15m^2)。
つまり翼面荷重が大きいわけです。
格闘戦で有名なキ43の翼面荷重が117.7kg/m^2に対してキ44は184.3kg/m^2!
これは大きい。
さらにキ43は7.7mm機銃が2門だったのに対してキ44は7.7mm機銃2門に加え12.7mm機銃を2門装備していました。
はるかに大火力だったわけです。




この角度から見るとキ44の特徴がよくわかります。
非常に大型のエンジンを積み、小型の主翼を装備していますね。
そう、キ43が格闘戦を重視した軽戦闘機に対してキ44は重戦闘機だったわけです。
格闘戦を重視せず、大馬力のエンジンで上昇力と速度、そして大火力で一撃離脱戦法をキ44は目指していたわけです。
主翼の後方にはフラップがありますが、このフラップは蝶型フラップと呼ばれるキ44用に開発されたものです。
翼面荷重が大きいので旋回性能が非常に悪くなってしまいます。
それをある程度補うのが蝶型フラップで、ファウラーフラップの一種ということになりますが内側と外側の滑り出し範囲が異なっていて、その動きが蝶が羽ばたくように見えるからこの名前が付けられたそうな。
キ44はこれを空中戦での旋回時にも使えるようにしたのですが、実際は空中戦ではほとんど使われなかったそうです。



後ろから見ると結構奇抜な感じがしますね。
これはキ44の求められた速度性能からきたものです。
キ44は大馬力エンジン(1450馬力のハ109)を搭載するわけですが、このエンジンは九七式重爆撃機のエンジンの改良型ですからとにかくでかい。
直径は1260mmもあったそうです。
空気抵抗もばかにならないわけですが、モノがモノだけにカウリングは太いままでそれなりの流線型とし、ただし外部に余計な突起をつけないようにしました。
一方胴体はかなりきつく絞ることで空気抵抗を抑えるようにしています。



では簡単に開発経緯などを・・・
大日本帝国陸軍はそれまで格闘戦能力の高い軽戦闘機を重視していました。
複葉機から単葉機になって九七式戦闘機(キ27)やキ43が開発されるようになってもやはり機体を可能な限り軽量にし運動性を第一とする軽戦闘機を重視していました。
ところが欧米では火力と上昇力・速度性能で一撃離脱戦法をおこなう傾向になっていったわけです。
日本では昭和9年にフランスのドボアチンD510という戦闘機が時速400km/hという高速でしかも20mm機関砲をモーターカノンとしたことに衝撃を受け、昭和11年にキ12という試作機に7.7mm機銃に加え20mm機関砲をモーターカノンとして設定していました。
昭和13年に陸軍航空本部は従来までの「単座戦闘機」という定義を運動性重視の「軽単座戦闘機」と速度に卓越し機銃2門に加え機関砲を備える「重単座戦闘機」と定義しています。



さて昭和14年6月に陸軍航空本部は中島飛行機に重単座戦闘機の開発を命じました。
これがキ44です。
このときのスペックは
・高度4000mにて最大速度600km/h以上
・高度5000mまで5分以内の上昇力
・巡航速度400km/hにて2時間半+空中戦30分で行動半径600km
・武装は7.7mm機銃2門、12.7mm機関砲2門
というものでした。
キ43の要求スペックでは最大速度は500km/hでしたから速度性能と火力を重視した戦闘機だったというわけです。
速度を重視するということで抵抗をできるだけ抑えるために翼を小さく、また大馬力のエンジンを搭載することになりました。
エンジンは重爆撃機用の物を使いましたから当然機体は重くなりますが、主翼は小さいので翼面荷重は非常に大きなものになりました。
最初から格闘戦能力は優先しないと割り切った設計だったことがわかります。



キ44は試作発注中から1年2ヶ月という短期間で1号機が完成しました。
昭和15年8月に軍に納入され試験がおこなわれたのですが・・・
速度性能550km/h、上昇力5000mまで6分22秒と、ともに要求スペックには大きく下回る結果になってしまいました。
しかも機体重量が計画よりも超過してしまったため翼面荷重がさらに大きくなり、旋回性能が悪化・・・・こりゃあかん!
これにあわてた中島飛行機は空気抵抗対策としてエンジンカウルの形状を見直すなどして最大速度616km/hにまで向上することができました。
とはいうものの、上昇能力は6分近くかかることもありキ44の審査をおこなった開けの飛行学校では実用価値ナシという判断をされてしまいました・・・・・
と、これでプロジェクトが終りになるはずだったのですが、参考用に輸入されたドイツのBf109Eとの比較で速度性能、加速性能、旋回性能は勝ることがわかり、重戦闘機としては悪くないのではないかということになりました。
さらに対米関係の悪化で戦争も秒読みだったこともあって防空用迎撃戦闘機として量産が認められることになったわけです。
ところで終戦後米国でのテストではキ44は高性能な迎撃戦闘機だとの評価だったようです。







さて、陸軍が防空用に重戦闘機を配備したように、海軍も同時期に重戦闘機を配備しました。
それが局地戦闘機雷電です。
似たような性格の戦闘機を陸海軍でばらばらに、しかもほぼ同時期に全く別の開発・運用思想でたどり着いた防空戦闘機が生まれたわけですが、裏を返せば統合運用という考えが全く無い悲しさの現れかもしれませんね。





速度性能、上昇力性能、火力重視という似たような性格の戦闘機、しかも同じ国で同じ時期に作られたのですから、似たような戦闘機が生まれると思いきや、見た目からして全く別の機体にそれぞれ生まれたのが興味深いですね。
キ44、雷電ともに径の大きいエンジンを装備し、主翼が非常に小型のものを設定しています。
・・・が、それ以外は全く異なります。
キ44は太いエンジンを包むカウルの形を流線形にして、そのまま後ろにいくにつれ胴体をきつく絞っているのに対して、雷電はカウルを細くして空気抵抗を抑えることにしています。
プロペラとエンジンをつなぐシャフトは延長シャフトを使って、エンジンをなるべく機体後方側に配置させ、そ胴体の断面の一番太いところに操縦席を置いています。
しかも操縦席の後方はそのまま胴体と一体になってるので視界が遮られ、かなり不評だったようです。
キ44、雷電ともに空気抵抗をどれだけ減らして速度性能を確保するのかに苦しんだんだなと機体をみるとなんとなく感じますね。


以上、キ44でした。
Posted at 2017/02/01 00:07:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記
2017年01月04日 イイね!

であごすてーに震電

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

先にUPした九七式艦攻のほうで書き忘れたのでここで新年のご挨拶を・・・

文字を低視認性のカウンターシェイド風にやったら全く映えなくなりました(笑)


さて

であごすてーに。
写真がピンぼけしてるのは気にしないように。



WW2傑作機コレクション23号は震電ですね。
そもそも量産機どころか初号機しか完成してなくて飛行も2回なので「傑作機」なのか?と若干疑問もありますが、傑作機になるだけの資質はあった機体だと解釈しましょう。




う~ん・・・なんといいますか、個性的ですね。
日の丸がついてるプロペラ単発機なら九七式艦攻や雷電を見て「ゼロ戦!」と言ってしまう(まぁ似てますしね、正直)人もさすがに震電をみてゼロ戦とは言わないでしょう。



ゼロ戦などは機首にプロペラがついて、前に主翼、後ろに水平尾翼をつけてますが、震電は全く逆で、機首にプロペラはなく、水平尾翼もありません。
そのかわり主翼の前にカナード翼がついていて、胴体後部にプロペラという極めて珍しいレイアウトです。
垂直尾翼なんて主翼に生えてますしね。





モデルのほうは九七式艦攻などと同じでプロポーションは悪くないもののディテールはどうしてもそれなりです。
2000円という値段なので値段相応といったかんじでしょうか。
手に取るとなんといいますか・・・「仮想戦記」感がハンパじゃない感じがします(^^;



なんといいますか、今見ても近未来的なデザインですね。
主翼はわずかに後退翼で機首は非常に細く、カナードが目を引きます。
機首はよく見ると機関銃が搭載されています。
機関銃はなんと30mm!
これが4門機首に集中配置されているわけですから大火力ですね。
一方主翼は以外に小柄なのがわかります。
そう、これは高速性能・上昇能力を活かした局地戦闘機(迎撃戦闘機)というわけです。
格闘戦ではなく高速を活かして敵の重爆撃機に接近して30ミリ機関銃の大火力で破砕するという運用思想だったようです。
高速を求めたため、機首は空気抵抗の小さい形とし、プロペラは高い効率が期待できる6翅プロペラを採用したわけです。
計画値では速度はなんと750km/h!
零戦の最高速度が550km/h程度、キ84が650km/h程度でしたからどれだけとっぴょうしもない速度だったかがわかります。
高速を重視したので主翼は小柄ですから格闘戦能力のほうはあまり向いていないようにもみえますね。


垂直尾翼をよく見ると下に車輪が付いています。
実はこれ、応急措置だったんです。
初飛行のときにプロペラが地面に接触したためだったりします。
プロペラは6翅でははやり複雑なので4翅プロペラになる予定だったようですね。
ところで胴体横の空気取り入れ口、大馬力のエンジンの割りに結構小型なのですが流量は大丈夫だったんでしょうか・・・?


非常に個性的な震電ですが、プロペラを後方に配置させる前翼型の研究はイタリヤや米国などで研究されていました。
日本では空技廠の鶴野大尉が前翼型に着目して昭和18年にこれを取り入れた戦闘機を提唱して研究がはじまりました。
実験用モーターグライダによるテストを経て十八試局地戦闘機として試作発注となりました。
当時は悪化する戦況の中で余裕はなかったとおもいますが、これほど突拍子もない革新的な機体の設計を進めるよう指示したということは、戦闘機の高速性能の重要さを痛いほど感じていたんでしょうね。
空技廠は試作能力もそれほどなかったので鶴野大尉が九州飛行機に出向する形で本設計をしたとされます。



震電はその外観が既に革新的ですが、機体そのものにも多くの新技術がつめこまれていたようです。
機体にエンジンを固定する構造は従来機は胴体から取り付け架を伸ばしていたのに対して、震電は左右一体造り(!)の主翼の桁にV字の取り付け架で固定しています。
こうすることで軸のたわみや振動を抑えることが出来たそうです。
さらにこのコンパクトな胴体にぎっしり詰め込んでその点検や着脱のためパネルが大きくなってしまいます。
こうなると従来のセミモノコック構造では強度(日本陸海軍戦闘機1930-1945」には強度とありましたが、剛性のこと?)不足となってしまいます。
そこでパネルや外板を1.2mmと厚くして裏側にプレス成形の格子をスポット溶接で固定していたそうです。
震電は完成が昭和20年6月、初飛行が8月6日と終戦間近だったこともあってわずか2回の試験飛行で幕を閉じます。
「震電」で画像を検索すると実機の写真がでてきますが、よ~く見てください。
キャノピー(窓ガラス)の様子、ちょっと変じゃないですか?
実は窓ガラス割れて失われてるんです。
終戦に落胆した技術者が破壊したのを連合軍が押収し、応急措置的に修復したもののガラスは戻らなかった・・・・という説があるようです。


以上、震電でした。
Posted at 2017/01/04 01:47:55 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記

プロフィール

「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
ミリタリー関係その他のブログはこちらへどうぞ http://minkara.carview.co.jp/userid/1224622/mylist/all...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

桜開花 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/03/31 21:59:29
浜松広報館車両等展示イベント 
カテゴリ:ミリタリーイベント
2016/09/27 00:40:45
 
であごすてぃーにWW2傑作機コレクション14「九九式艦上爆撃機」 
カテゴリ:でぃあごすてぃーに
2016/09/27 00:40:01
 

愛車一覧

スバル R2 スバル R2
スバル R2に乗っています。 後席がちょっと狭いですが良い車ですよ(^^)
スバル レヴォーグ レガシィ後継車 (スバル レヴォーグ)
先代が事故で早期引退となってしまったため、導入されたレガシィ後継車です。
スズキ アルト スズキ アルト
10年ほど乗っていた以前の車です。 660CC規格になって初めて乗った車でした。
輸入車その他 その他 輸入車その他 その他
ブログ用の画像です
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation