GW、とくにやることもなくヒマだったので(ry
・・・・何度目だこれ?
ちょっとしたドライブということで愛知県は新城市にある長篠城址にいってきました。
目的はこれ。
でん
長篠合戦のぼり祭です。
長篠といえば騎馬隊を有する最強武田軍を織田・徳川連合軍が3000丁の鉄砲を打ち破ったあの設楽原の戦いで有名ですね。
ちなみに長篠っていうのは

こんな感じで長篠城址は背後がすぐに谷で、山と谷に囲まれた天然の要塞だったりします。

長篠・設楽原鉄砲隊が進入してきました。
これより火縄銃演武を行います。

長篠・設楽原鉄砲隊は平成3年に編成された鉄砲隊で、火縄銃や設楽原の合戦の研究や設楽原の戦いの戦没者を供養し平和を祈ることを目的としています。
長篠合戦のぼり祭では例年火縄銃の演武をおこなっています。

火縄銃は実銃ですが、もちろん演武は空砲射撃です。
射撃時の耳を劈く強大な銃声と硝煙がすごい!

構え!
火蓋を切れ!
放て!!
次々と火縄銃が放たれます。
火縄銃は銃の機関部に封入された火薬に着火することで火薬を爆発・ガス圧で銃弾を発射するわけですが、これは現在の銃と基本部分は同じです。
火縄銃は発射火薬の着火を縄に火をつけてこれを直接火薬に点火させることで射撃を行います。
一般的な火縄銃は小筒と呼ばれる3匁5分玉を用いたものです。
動画でもとってみました。
火縄銃は大まかに銃身、銃床、火縄、機関部の4つの部位から成り立っています。
銃身の先にある銃口から火薬と弾丸(鉛の玉)を入れて押し込めます。
引き金を引くと火皿に火のついた火縄が落ちることで押し込められた火薬に着火・発射するという流れになります。
火蓋というのは火皿を覆っているカバーのことで、安全装置の役割がありました。
戦いのスタートを「火蓋を切る」といいますが、この火縄銃の火蓋から来た言葉です。

最後に礼射です。
長篠合戦のぼりまつりは長篠・設楽原の戦いの戦没者を慰めるために数千もののぼりを献植するまつりで、メインイベントとしてこのように火縄銃の演武が行われます。

この生々しい旗指物は・・・?
これは東三河の英雄・鳥居強右衛門の磔を描いたものです。
天正3年(1575年)、武田勝頼率いる武田軍1万5千が長篠城に迫り、長篠城を守る奥平貞昌ら500の兵を包囲・兵糧攻めをしました。
岡崎城に救援の伝令をするため5月14日夜に命がけで包囲を突破した使者が鳥居強右衛門です。
遠路岡崎まで走り伝令の任務を終えると信長来る!との吉報を一刻も早く城内の皆に知らせるために長篠城に戻りましたが、城を目前に武田軍にとらわれてしまいました。
勝頼は強右衛門に城内の士気を落とすため救援は来ないと叫べば助けてやると命じましたが強右衛門はこれを断り「援軍はあと二、三日で来る。それまでの辛抱だ!」と叫び、激怒した勝頼により磔殺されてしまいました。
強右衛門の言葉に士気が上がった長篠城内は援軍が到着するまでの間戦い抜き長篠城を守ることが出来ました。
まさに英雄中の英雄といっていいでしょう。
写真のこの旗指物は武田の家臣落合左平次道久が鳥居強右衛門の忠義に感銘をうけて使ったといわれています。
強右衛門の髪の毛が逆立っているので、もしかしたら上下反対に描かれていたのではないかともいわれています。

続いて三河日置流雪荷流による具足弓演武です。

弓といえばやはりアーチェリーや弓道をイメージしますが、合戦の際に甲冑をかぶるとイメージはガラリとかわります。
今回の演武では従来の姿勢の美しさなどではなく、あくまでも実際の戦闘を意識した射法を行います。
この射手の放った矢は見事に目標に命中しました。

鏑矢の射撃です。
鏑矢は発射すると音が出るので合戦の合図として使われたそうです。
射撃の際は相手の大将に向けて撃つようです。
今回は射撃距離もさほどないので音は・・・・聞こえませんでした。

敵の矢や鉄砲からの命中弾をなるべく避けるように身をかがめながら射撃を行います。
今回は2隊に分けて演武を行いました。
1隊が射撃を行い、もう1隊が1歩前進、その1隊が射撃を行い、先ほどの1隊が1歩前進を行うといった、相手を制圧しながら前進を行います。
この際敵にさらされる部分はなるべく甲冑で保護されている部分とします。
とはいえ実際の合戦で使われる矢は甲冑を貫通するほどの貫徹能力があるそうです。

前進を終え、起立射撃で演武終了。
標的には無数の矢が命中しています。

続いて進入してきたのは米沢藩古式砲術保存会です。
抱えている火縄銃からもわかるように非常に大型で中筒といわれる20匁や大筒といわれる30匁の大口径銃です。

射撃演武の準備を行います。
火縄銃は1発射撃を行うたびに弾と発射薬をこめ、火薬を圧縮するといった準備が必要です。
そのため次弾発射までに時間がかかるのが火縄銃最大の弱点とされています。
この射撃の時間短縮のために3隊に分けて次々装填・射撃を行ういわゆる「三段撃ち」の展示を行いました。
ところでこの「三段撃ち」ですが諸説あって実際に射撃部隊を3隊に分けて次々交互に入れ替わって射撃を行う説、射手は1隊固定で残りの2隊は装填などを行う説、そもそも3隊に分けず、大きな射撃部隊が3つあることを「三段」(当事は部隊を「段」と呼んでいたそうです)としていた説などがあります。

先ほどの3匁小筒とは明らかに違った猛烈な銃声が響きます。
こちらがその様子。
口径は20匁中筒で25mm、30匁大筒では28mmといいますからその威力はもちろんですが射撃時の反動もかなりのものですね。

膝うちの次は立ち撃ち。
これだけの大口径銃は射撃にも相当の技術が必要だと思います。
以上、長篠合戦のぼりまつりでした。
Posted at 2017/05/07 03:09:04 | |
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