さてGWも終わったわけですが、まだ終わらないのが仕事と部屋の掃除とでぃあごすてぃーにです。
であごすてぃーにWW2傑作機コレクション、今号の7号はこれです。
でん。

四式戦闘機疾風(キ84)です。

パッケージとるとこんなかんじ。
さてモデルのほうですが

どことなくいや~なオーラを感じます。
いやフォルムは問題ないですよ。
しっかりキ84の形を再現してると思います、

自衛隊モデルコレクションのように「であごすてぃーに臭」がぷんぷんするんですよ。
具体的に言えばこの写真、キャノピがえらい浮いてません?
部品の隙間も広い上に塗装も・・・
塗装そのものは悪くないのですが、よ~く見ると胴体と主翼の色が違うんですよ。
主翼の黄色のラインもえらい不自然(丁寧には塗られてるんですよ)ですし、カウルのところの排気管も塗り分けられていない。
そういえば7号から生産国が中国からバングラディシュになったようなので全体的な質が下がったのかな・・・・
8号がどうなるか気になります。
モデルのほうはいくつかむずむずっとするところがありますが実機のほうを。
対米戦争が始まった昭和16年12月の時点で陸軍の戦闘機は九七式戦闘機でした。
まだ一式戦闘機(キ43)はわずかに2個戦隊分40機程度。
重戦闘機の鍾馗(キ44)はまだ制式化もされていない状態。
これはヤバイと思った陸軍は新型戦闘機を昭和16年12月末に中島に試作内示します。
制式発注は昭和17年4月なのですが、初号機の完成は1年以内というムチャ振りだったようです。
キ84は2000馬力級の大馬力エンジンの搭載が求められていました。
隼(キ43)のエンジンが1000馬力級ですからその2倍のパワーです。
大馬力エンジンを搭載すると言うことはそれだけハードルも高い。
1年未満と言うのはかなりきつい・・・・

キ84、なんとなくですがキ43(隼)に似てると思いません?
ほら。
これには理由があります。
大馬力エンジン搭載で対米戦争が始まってる中でばたばたしているのに完成までは1年未満。
そこでリスクの高い斬新な設計をやめキ43やキ44を踏襲したわけです。
出来た機体は思いっきり従来機の流れをくむ外観になったわけです。

後ろから。
キ44ほどではないですが、大馬力エンジンを積んで太くなった機体をぎゅっと絞った胴体って感じですね。
キ84は陸軍では大馬力エンジンを搭載して上昇能力と速度性能を活かして爆撃機への迎撃を行う重戦闘機と言う認識でした。
(キ43のように速度性能・上昇能力性能よりも格闘戦能力に大きく重視したものは軽戦闘機といいます)
ところが開発した中島にとっては軽戦闘機、重戦闘機と定義してることに違和感を感じ、その定義にとらわれず連合国軍戦闘機を圧倒できる新型戦闘機を目指して開発したそうです。

重戦闘機なのに主翼が以外にも広く感じません?
軽戦闘機のキ43の118kg/m^2には及びませんがキ84の翼面荷重は185.2kg/m^2それなりに低い値にしています。
上昇力や速度性能だけでなく相応の運動性能を与えていたわけです。

昭和17年4月に正式に試作発注されたキ84ですが初号機は昭和18年3月に完成しました。
性能確認テストでは要求仕様に対してかなり低いものだったようですが、飛燕(キ61)が不調だったこともあって既に陸軍にはキ43の後継はこのキ84しかないこともあって・・・
増加試作機を100機発注したわけです。
だいたい10機程度が相場なのにケタが1つ違うとばい!(最終的には125機だったようです)
それだけ陸軍はこのキ84にかけてたんでしょうね。
終戦までに17ヶ月間におよそ3500機の生産がされ、月平均200機以上というペースでした。
この生産能力は驚異的としか言いようがありません。

キ84は大馬力のエンジンのほかにもうひとつ特徴的なものがあります。
それはプロペラ。
「ペ三二」と言うプロペラなのですが、フランスのラチェ式を国産化したものでピッチ偏向を電気的に行うシステムです。
今まで使ってたものでは2000馬力のパワーを効率よく吸収しきれないという判断で採用されたもので採用されたのですが、調速機を当時の日本の工業力では品質のよいものは作れなかったことや慣れない電器式で現場が整備上問題があったりとかなりのトラブルをかかえていたそうです。
エンジンも大馬力ではありますが熟練工が行う職人技が必要な加工技術が不可欠だったこともあって終始このトラブルに泣かされたそうです。
それでもこの悪い条件の中で中国大陸戦線ではP-51などと互角以上の戦いをしたわけですから搭乗員の練度はもちろんですがキ84の性能が優れていたといえます。
以上キ84でした。