気がつけば4月ですよ。
はやいですねぇ
私のブログはアップしたいものはやまほどあるのにち~ともすすんでないので停滞中です(^^;
いや~いろいろやることあるんですよ。
プラモつくったりネトゲやったり、東映チャンネルでやってるシンケンジャー見たり。
やりたいことはたくさんありますけど、時間があってもついよそ事をしてすすまないわけです。
さて

であごすてーに。

28号は五式戦闘機(キ100)です。
そろそろくると思ってましたが、いよいよきましたか。
終戦直前に誕生した帝国陸軍の切り札。
では簡単に見ていきましょう。

この角度から見ると比較的キ43やキ84に似てるかもしれません。
比較的大きな主翼、細長い胴体。
ですが見る角度をかえるとまったく違った感じにみえてきます。
実はこのキ100ですが

このキ61の兄弟どころか機体そのものはかなりの部分が流用なんです。

キャノピーのほうは新型の水滴状風防になってるので原型がないぐらいまったく似てないように思いますが、垂直尾翼や主翼、胴体はキ61を残してるのがわかります。
帝国陸軍は液冷エンジンを搭載する三式戦闘機(キ61)を開発、実戦配備しました。
液冷エンジンはエンジンの熱を空気ではなくエンジンに組み込まれている冷却液で冷やすため、冷却効率がよく、また直接空気の流れで冷やすわけではないので機首をぎゅっと絞ることができます。
つまり非常に空力的に有利なわけです。
当時の戦闘機のエンジンにはうってつけで、陸軍の期待を集めてキ61が生まれました。
・・・ところが空冷エンジンと違って冷却液を循環させるための機構や冷やすための機構(ライジェタ)など非常に複雑な構造だったわけです。
作る側、部隊で飛ばす側としてもこの複雑な構造はウィークポイントで稼働率がどんどん低下してしまいました。

当時の日本は開発する能力は非常に高かったものの、製品を安定した性能を維持する品質管理という分野では非常に遅れていました。
それがキ61では危機的だったわけです。
陸軍もそれには気がついていてエンジンを改良型に換装した三式戦闘機二型改(キ61-Ⅱ改)にラインチェンジをしたのですが・・・
これがまずかった。
時期は昭和19年9月と戦況が悪化してるときですから専門技術を受けていない女子挺身隊が動員されて工場で勤労していた頃ですので品質がますます悪化してる頃でしょうか。
エンジンの不調は致命的で、エンジンを機体に搭載できない「首なし機」がズラリと並ぶ状態だったようです。

昭和19年10月、ついにキ61改-Ⅱ型の生産を打ち切りました。
このとき首なし機の数は実に200数十機。
1機でも高性能な戦闘機がほしいのにこんなこと許されるはずがありません。
そこで液冷エンジンの搭載をあきらめ、最小限の変更で信頼性の高いエンジンを搭載しようということになったわけです。
ここに「キ100」の開発がスタートしました。
キ100に搭載するエンジンはハ112-Ⅱ空冷エンジン。
これは海軍では「金星」と呼ばれていたエンジンです。
このハ112/金星は九七式艦攻、九九式艦爆、九六式陸攻、一〇〇式司偵・・・ととにかく信頼性、実績抜群だったわけです。

もともとそのエンジンに合わせて作られた機体に別のエンジンをポン付けできるものなの?
と、なるわけですが結構難しいものがあります。
この写真をみても胴体とエンジンにかなりの差があるのがわかります。
液冷エンジンを搭載するため、細い機体のキ61に太い空冷エンジン。
機体の幅は840mmに対してエンジンの直径は1218mm実に400mm近い差です。
写真ではカウルの後方と機体の接合部に隙間(段差)があります。
ここには単排気管を片側6本づつ並べていて、その後方を主翼の付け根にかけてR形状でつないでいるわけです。
これはドイツから参考輸入したフォッケウルフFw190-5を参考にしたといわれています。

さて液冷エンジンから空冷エンジンに換装されたわけですが、空気抵抗も増えますし、冷却効率も落ちますので元になったキ61に比べ速度は低下します。
ただし液冷エンジンに欠かせなかった冷却機や配管類が不要になったので実に330kgも軽量化となったそうです。
その結果速度低下はキ61に対して30km/hに抑えることができたそうです。
キ61の機体設計がもともとよかったからなのか、急降下性能のよさなどを引き継いで信頼性の高いエンジンを受け取ったキ100は稼働率が格段に向上しただけでなく運動性も向上したようです。

首なしキ61-Ⅱの対応として進められたキ100の開発でしたが、キ61-Ⅱの生産中止が決まったのが昭和19年10月、そしてエンジン換装したキ100が発令されたのが10月1日、試作1号機の完成が昭和20年1月末、初飛行は2月1日という超スピードな開発だったんです。
昭和20年4月には部隊配備が始まり、6月には風防を水滴型にした新規生産機に切り替わりました。
が、6月に川崎の工場が米軍の攻撃を受けて被災し生産中止となってしまいました。
この間キ61-Ⅱからの改造275機を含め合計390機が生産されています。
キ100はB-29に対処するため高高度迎撃型としてキ100-Ⅱ(五式戦闘機二型)が開発されていましたが、試作機3機が完成したところで終戦をむかえたとされます。