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アスロックのブログ一覧

2012年08月19日 イイね!

船の科学館にいってきました(宗谷)

8月15、16日と帝都に遊びに行ってきましたが、帝都で艦船といえばやはりお台場にある船の科学館ですね。
残念ながら建物の老朽化がひどく、リニューアルをめざして本館は閉館、mini展示と宗谷のみの展示となっています。


砕氷船”宗谷”(総トン数4100トン)です。
船の科学館のちょうど裏側に係留されています。
艦首の「PL107」のが表すとおり海上保安庁の巡視船としても使用されていました。
現在は海上自衛隊が支援している南極観測隊の輸送支援を行っていました。
昭和32年から昭和37年まで6回の観測隊輸送支援の大役を果たしました。



では船内にはいってみましょう。
印象としては小さな船だなということでしょうか。
もちろん総トン数4100トンといえば大型船ではありますが、ヘリコプターを搭載して日本から遠く離れた南極までの過酷な航海をするにはちょっと小いのではないかなと感じました。



船首です。
係留用ロープを引き上げるプーリなどがありますが、元々戦前に作られた船ということもあって老朽化がすすんでいるためか状態は良くなさそうです。


船橋です。
サビが浮き出ていますが、状態は必ずしもよろしくはないように感じます。
維持管理には多額のお金がかかるのが頭痛の種でしょうか。


船橋の中です。
ジャイロコンパスや気象レーダなどがあります。
灼熱の赤道周辺から極寒の南極周辺と激変する環境で乗員はさぞ大変だったんでしょうね。



”宗谷”の搭載作業艇です。
護衛艦などにも搭載されてる搭載艇と同じようにちょっとした輸送や救難活動、交通などに用いられます。
南極では使えたのでしょうか?



士官食堂です。
サロンとしても使われ、ここで乗員と観測隊員の会議も行われていたようです。



忠臣蔵(笑)
じゃなくてここは航空長室。
宗谷にはヘリコプタが2機搭載されていました。
ヘリコプタは天候観察や氷上の状況確認など重要な役割を負ってました。



船橋後部近くにある4番ハッチです。
冷凍食品などの搬入用に使われていたようです。



こちらは宗谷の機関部です。
ディーズルエンジンが搭載されています。
新造時にはボイラと蒸気エンジンが搭載されていましたが南極観測支援用とされてからエンジンはより高出力のディーズルに換装されています。



タロー、ジロー!



通信室です。
今ほど通信が発達していませんでしたから日本からの無線通信は唯一の交信手段でした。
無線通信もさまざまな制限があったんでしょうね。



ファンネル(エントツ)です。
このマークが海上保安庁船籍の印です。



ヘリコプタ甲板から船上構造物を見たところ。
ヘリコプタを搭載していましたが格納庫が見当たりません。
実は砕氷船として就役した当時には元々格納庫があったのですが、大型のS58ヘリコプタを運用するようになってからは格納庫の容量が足りなくなったため格納庫を廃止、露天係留としたためです。



ヘリコプタ甲板です。
ベル47やS58ヘリコプタといった比較的小型のヘリコプタを運用していたとはいえ、決して広くはないですね。
揺れる甲板に離着船するのは大変な技量が必要だったんでしょうね。



宗谷のスクリュです。
二軸でしたから2つのスクリュが宗谷には搭載されていました。
氷にとじこめられて身動きが取れなくなったり、スクリュのプロペラを折った事もあったようです。
どれだけ南極での航行が過酷だったかということでしょう。


宗谷の後部。
砕氷船のためなのか補強のパッチがあてられています。
宗谷ですが、この船ほど激動の運命をたどった船もないかもしれません。
元々戦前にソ連から発注を受けて貨物船”ボロチャエベツ”として作られましたが、大東亜戦争のためソ連には引き渡されず商船”地領丸”として竣工されています。
その後海軍が”宗谷”の名前で特務艦として運用し、南方から北方に輸送や測量などで活躍していました。
途中米海軍の雷撃を受けて魚雷を被雷するものの不発だったり、空襲の回避行動中に座礁するものの何とか離礁したりとまさに激動の軍歴でした。
終戦後は復員船として北方から引き揚げをおこなっています。
その後海上保安庁に編入され、巡視船として運用された後昭和31年に南極観測隊支援のための砕氷船として運用されていますが6回の観測隊輸送後は後任を海上自衛隊の”ふじ”に譲り、巡視船として再び北海道周辺海域で活躍しています。
昭和53年に解役して昭和54年から船の科学館にて展示がされています。
Posted at 2012/08/19 11:52:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | 艦船 | 日記
2012年08月18日 イイね!

羽田にいってきました

8月15日に帝都にあそびにいきました。
宿が浜松町ということでそこからちょっと足を伸ばして東京国際空港にいってきました。
出張などで首都圏にはちょくちょく行くことがあったのですが、東京国際空港には1回もいったことがないので人生初羽田です。


本当に羽田って海に近いんですね。
セントレアと比べるとこれだけの国内線が集まるのは圧巻に感じます。



離陸するANAのボーイング777-300。
ピントがずれてるってゆーなw
一眼レフをもっていかなかったのでコンパクトデジのズーム効かせてこれが限界。
でもシャッタ速度をもう少し早くしてもよかったなぁ。


こちらも777-300。
純白に濃淡の青いストライブの機体はなんとも鮮やかです。
この機体で那覇や千歳にいきたいですね(^^)


これが見られるとは思いませんでした。
ボーイング787-8です。
つい最近導入されたばかりの最新鋭だと思ってましたが、羽田は既に787の”巣”になってました(^^)
バックには767-300、777-200が並んでいます。
どの機体もかなりの大型機なのですが、大きさの感覚がわからなくなってしまいますね(^^;



着陸してきた777-200がタキシングしてきました。



777-200と787-8のツーショット。
セントレアに787が来る日はいつなんでしょう?



ポケモン、ジェットだぜ!
(ポケモンジェットとポケモン ゲットだぜをかけてるんですよ)



先ほどの777-200が離陸して行きます。


特別塗装をした787-8ですが、日本に来た初号機のようですね。
サッカーのユニホームみたいでかっこいいぞ。



反対側から写してみました。
機首にあるスターアライアンスのマークが漫画でおなじみの「青筋」に見えたなんて内緒だ!



おおおっ!747-400Dだ!
日本の空から姿を消していくジャンボジェット様ですが、やはりといいますかこの圧倒的な存在感は他のライナーにはないですね。
非常に美しい機体です。



787-8の夜景を。
この角度から見ると主翼先端が特徴的ですね。
ウイングレットとはちがう、ゆるやかな曲線を設置しています。
この角度からは見えませんが、騒音低減のためにとりいれられたエンジンのフェアリングのギザギザや高い複合材の採用など見た目は他の旅客機とほとんどかわりませんが全く別のハイテク機だとうかがえます。


やはりジャンボ様の存在感が圧倒的過ぎます(笑)
Posted at 2012/08/18 15:22:35 | コメント(5) | トラックバック(0) | 航空機 | 日記
2012年08月18日 イイね!

そうだ帝都にいこう8月16日

さて帝都2日目です。
帝都の地理はさっぱりわかりませんが、地図を見ると浜松町ってのはお台場に近いようです。
お台場・・・・
よし、あそこにいこう。
あ、某国のドラマとか芸能人とかゴリ押しして視聴率ががた落ちのあそこがやってるイベントじゃないですよ。
艦船ファンにとっての聖地です。


船の科学館!
残念ながら昨年の本館展示終了により貴重な展示を見ることは出来ません。
青函連絡船”羊蹄丸”も今はなく、展示は砕氷船”宗谷”といくつかの野外展示、そして大幅に縮小されたmini展示のみと寂しい限りです。
いつかリニューアルしてくださいね。


そういえば水陸両用の「水上バス」がありました。
いつのまにこんなのが・・・・



船の科学館といえばやはり砕氷船”宗谷”ですよね。
最新の”しらせ(2代目)”と比べるとその小ささに驚かされます。


さて、船の科学館から戻ると気温もガンガンあがってて暑い暑い。
宿で軽く休んでからここにいきました。

テレビ塔。
スカイツリーができましたが、やはり私の中では東京のシンボルはテレビ塔です。


特別展望台にはいきませんでしたが、この大展望台から見た風景。
これですよ、これがみたかったんです。


そういえば新宿のビルに色を塗ってくれなんて要求した極悪人いましたね(^^)



きゃぁぁぁ!
高所恐怖症の私には辛い・・・・
そういえば人質にされた坊さんがライフルもったモヒカン男につれてこられたのがこのテレビ塔でしたね。
あの後黒さんとトクにボコボコにされてたのが爽快でしたw


テレビ塔といえば蝋人形館ですね。
しかし毛沢東とかホーチミンとか誰の趣味?


もっかいテレビ塔。
やっぱり帝都のシンボルだよなぁ。


さて、テレビ塔から日の出駅に向かいました。
そこから水上タクシーで浅草にいくためです。
個人的に乗り換えが複雑で面倒だとか、痴漢冤罪が怖いなどの理由で地下鉄が苦手ということもありますが、

こういう風景は水上バスじゃなきゃ見られませんものね。
この橋は変形することで有名なあの橋です。



新電波塔が見えます。
周辺に高いビルがないだけに巨大さが強調されますね。


なんだかゴ○ラみたいだ。
新電波塔の高さはフランスの原子力空母”シャルル・ド・ゴール”を2.4隻並べたぐらいあります。
帝都へ出張はちょこちょこあったのですが、ほとんど電車の中だったこともあって新電波塔を見るのがこれが初めて。
いやぁ、圧倒されます。


言うなよ!
このオブジェがアレに見えるとかぜったに言うなよ!(笑)

ということで水上バスで浅草につきました。
このまま浅草寺にいこうとおもったのですが・・・
急に気分が悪くなってしまい、動けなくなっちゃいました。
水分は十分とっていたつもりだったんですが。
あと100メートルで浅草寺というところであきらめてタクシーへ。
これ以上帝都見物は不可能と判断して帰宅することにしました。
新幹線は東京駅ですよね。
ここは浅草。
・・・地下鉄で上野までいってそこからJRで東京駅?
たぶん無理。
泣く泣くタクシーで浅草から東京駅までいきました。
でもこの判断は正しかったようで、東京駅についたときにはふらふらでした。
なんとも後味の悪い帝都探索でしたが、いろんな意味で思い出に残りました。

おみやげは・・・・
テレビ塔で買った

(なぜ?)と

新電波塔のプラモ。
簡単に色塗ってみました。

LEDで光るお。
Posted at 2012/08/18 00:57:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | プチ旅行 | 日記
2012年08月18日 イイね!

そうだ帝都にいこう8月15日

今年の夏休みが返上になるのかどうか、かなりきわどい状態だったこの夏ですが、かろうじて返上は回避できました。
といってもそれが決まったのは夏休み前日だったわけで、おかげで計画もなにもたてられなかったわけですが・・・・
那覇か千歳にいきたかったにょ~!

さて、せっかくなので15日、16日と帝都にいくことにしました。
祖父の友のお参りにもいきたかったですしね。
「戦友」というかけがえのない”友”の。

九段下の靖国神社です。

祖父に戦友の話を聞いたのはずいぶん昔で子供の頃。
その方の顔も名前も知りませんが、参拝したいと言ってましたので代わりに行って来ました。
顔も名前も判りませんが沢山の御霊といっしょに祀られているのが靖国ですものね。
祖父に代わって手を合わせてきました。

この日が終戦記念日ということもあるのでしょうけどかなり混雑していました。
鳥居をくぐって靖国神社に着くと正直複雑な気分でした。
英霊に手を合わせることはどこの国でも当然のことです。
でも正直何かが違う・・・そんな気持ちがしました。
どこからどう見ても右翼団体やら”いかにも”な服装した怪しい人がやまほど。
(この手の人がいわゆる思想右翼ではない場合が多いのはご存知の通り)
ちょっとまてよ。
本当に貴方たち英霊に敬意をもってる?
本当に英霊に感謝と御冥福を祈ってる?


拝殿ですが、マスコミの後ろから写してみました。
そもそもなんでマスコミがいるの?
何で自分の国のために散られた英霊に手を合わせに行くのに政治家が話題になるの?
何故英霊に手を合わせに行くこと=右翼なの?
ご戦友に対してだと思いますが、ご老人の方々が静かに手を合わせている横で手をあわせることに興味がなさそうなコスプレしてる若者が何人も闊歩してるのを見て複雑な気持ちでしたね。



もちろん遊就館も拝見してきました。
終戦記念日ということもあって10人に1人ぐらいがその「いかにも」な人で大変残念ではありましたが(まともに展示見てないのですからね・・・)、遊就館が戦争賛美なんて言ってる人は小学生からやり直したほうが良い(まぁ学校じゃ習いませんけどね)。
散華された兵士の手紙や遺書を見れば平和の尊さ、大切さがわかるはずです。

さて、靖国神社は良い意味でも悪い意味でも話題になる場所ですので、特に関心がなくても見物のような形で来られる方も多いようです。
もちろん全く関心がなくても花嫁人形や遺書、無数の遺影を見て何かを感じることができればそれは大きな意味があるとおもいます。
ですが、大展示場で回天の前でピースサインをして記念撮影をしてる人を見ると、この小さな潜水艦がどういうものなのか知ってるのかと残念な気分になります。
(玄関の零戦などの展示以外では撮影禁止です)
戦没者追悼式は館内放送で流されていましたので正午には黙祷しました。


九段下にはその「いかにも」な人がいっぱいいる関係で、機動隊の警備車がズラリと並んでいました。
警視庁ってこんなに警備車もってたのね(^^;
写真撮りたかったけど職務質問されたくなかったので残念ながら・・・・


さて、その後は新宿に。
新宿といえば・・・・
昭和59年にゴジラとスーパーXが大砲撃戦をやった場所として世界的に有名なところですね。
その跡地には・・・

が建っています。
でけぇ・・・・
これ、絶対に変形して超大型ロボットになるんだぜ?
おなかが減っていましたが職員食堂が閉まっていたので他のレストラン街へ。
そこで食べたざるうどん重が恐ろしくまずかった・・・・

まずいうどんを食べてちょっと気分が悪かったものの、都庁の45階にGO。
展望台です。
1回いきたかったんだよねぇ。

すげぇなぁ大都会。
大都会・・・



「1977年東京都、人口1168万、警視庁警察官4万268人、犯罪発生件数20万9千件、犯罪検挙率88%」というナレーションが頭に浮かんだら重篤です(笑)

九段下と都庁を見ただけなのに、この猛暑でヘトヘトです。
宿にチェックインしました。
宿は浜松町にとりましたよん。
浜松町?
浜松・・・・・

じゃなくて(^^;
東京モノレールの始発駅ですね。
モノレールって1回乗ってみたかったんですよ。
だって・・・・


ここいきたかったし(^^)
今回は飛行機の写真を撮るのが目的ではなかったので一眼レフはもってこなかったですが、やっぱり飛行場はいいですね。
人生初羽田空港でしたが、セントレアなどの空港と比べると規模がやはり大きいなと感じました。
空港ビルの中で食べたブルーシールのアイスクリームが美味でした。
ブルーシールすきなんですよ~。

羽田でまったりすごして宿に戻ってきました。
まぁやることはむふふなビデオと相場は決まってるのですが(笑)

Posted at 2012/08/18 00:04:22 | コメント(1) | トラックバック(0) | プチ旅行 | 日記
2012年08月14日 イイね!

海上自衛隊第2術科学校オープンスクール

海上自衛隊横須賀基地でサマーフェスタ、米軍横須賀海軍施設でのネイビーフレンドシップデイが行われた8月4日に横須賀の田浦にある海上自衛隊第2術科学校のオープンスクールが開催されました。
第2術科学校は艦船の運用の中枢にあたる機関術科を教育する学校です。


学校は田浦にありますが、横須賀地方総監部からはシャトルバスが流れていますのでそれにのって向かいます。
この日はあいにくの雨でしたが、公開の多くが屋内ということもあって大きな支障もなく行われました。


こちらは行進展示のヒトコマ。
行進は基本中の基本ということでみっちりしこまれるとのことです。
教育終了後は部隊に配属になってしまうためこのような行進は儀状以外ではないため、その分教育隊と術科学校でしっかり指導されるんだとか。
見事に整列していますね。


では中にはいってみましょう。
第3隊舎が公開になっていました。
ここはいわゆる学生寮で、寝起きをする場所になります。

見よ!この整理整頓された部屋を!
私物はロッカーひとつ分しかありません。
机は勉強用机ですが、機密保全のために資料の持ち出しが制限されている上にパソコンなどの持ち込みもやはり制限されているとのことです。
また、夜遅くまで自習してからの自室のため、この勉強机はあまり使われていないようですね。
ベッドに注目。
シーツが恐ろしいほど綺麗にビシっとなっていますね。


これがその理由。
判る人にはわかりますよね(笑)
話には聞いたことがありましたが「台風」って本当に言うんですね。



おなかが減ったのでちょっと食事。
学生寮の隣にある食事処では業務委託されてる業者が半セルフサービスで作っています。
ハンバーグ定食500円也。


雨が落ち着いてきたのでちょっと外に出てみましょう。
グランドをはさんで歴史保存エリアがあります。

こちらは旧海軍水雷学校跡記念碑です。
田浦には終戦まで魚雷・機雷・爆雷等を扱う水雷術を教育する海軍水雷学校がありました。
明治26年12月に水雷術練習所が設置され、明治40年2月に水雷学校へ発足しました。



こちらは上崎上等兵曹の碑です。
14歳で海軍に入り、水雷術を学んだ上崎上等兵曹は日清戦争に従軍しました。
明治28年2月8日、第六水雷艇にて敵艦鎮遠に夜襲を行いました。
猛烈な敵艦からの攻撃の中、肉薄しまさに魚雷を発射しようとしたとき厚い氷が邪魔をして魚雷は発射できず。
これに責任を感じた上崎上等兵曹は敵降伏後の3月14日に自刃しました。
その忠誠を永久に後世に伝えるべくこの碑が作られました。


海軍通信教育発祥記念碑です。
無線通信は戦闘で非常に大きな鍵を握ります。
日本海海戦で聯合艦隊がバルチック艦隊に勝利したのもこの無線通信がほとんどの艦艇に装備されていてリアルタイムで指揮統制を受けることが出来たことが大きな要因のひとつとされています。
明治36年に水雷術練習所にて無線通信術教育がおこなわれ、昭和5年に海軍通信学校として分離独立しました。



こちらは海上自衛隊発祥の碑です。
昭和27年4月26日、海上自衛隊の前進になる海上警備隊がこの地で発足しました。
当時は終戦してからまだ数年しかたっておらず、軍隊に対して極度の反発やアレルギーがあったでしょうが、唯一海上警備隊が置かれることに対して快諾したのがこの田浦の地だったわけです。



旗竿の基部ですね。
ただの旗竿基部ではありません。
海上自衛隊創設当時に立てられたのがこの基部です。
時代を感じますね。



350馬力上記往復機関です。
昭和27年から32年まで曳船4号として使われていた旧海軍の雑務船の主機です。
退役後は教材として約10年間実習場におかれて学生の教育に使われていました。



第2術科学校の校舎をグランドから。
第2術科学校は海上自衛隊の艦艇運用に必須となる機関科や情報等の習熟をする教育機関です。
教育第1部では機関術科を、教育第2部では情報、電子機器、外国語を教育し、研究部では術科に関する運用や教育の研究を行っています。



校内に張られていたポスター。
機密情報流出について注意を促すポスターや薬物、交通安全などの啓蒙ですね。




こちらガスタービン講堂です。
海上自衛隊の護衛艦はガスタービン(ジェットエンジン)で駆動するものがメインですが、その操作を学ぶのがこの講堂です。
ここでは「たかなみ」型や「むらさめ」型のエンジン操作盤の教育を行います。
実際の操縦室の操作盤と同じように作られた実習盤が設置されています。




こちらは機関室を模した操作実習室です。
二枚目の写真の緊急停止レバーを引っ張るとエンジンを緊急停止することができます。
実際に引っ張ってもらいましたがけたたましいベルが鳴りました(^^;


機関長のコンソールです。
先ほど緊急停止レバーを引っ張ったので緊急停止の表示がされていますね。


こちらは実習監視室でしょうか。
上の操作盤はすべてリンクされていて、機関室での操作がそのまま操縦室や機関長のコンソールにも反映されます。
教官がここで指示を出したりしてるんでしょうね。

ではその隣にある内燃実習場にいってみましょう。


実習場では4DQ小型ディーズルエンジンの分解展示がされていました。


4DQは小型舟艇用のディーズルエンジンで、分解展示とともにその組み立てもあわせて公開授業として展示されました。



こちらはタクマックス補助ボイラの断面カットモデルです。
部品単品でみても全体の機能はわかりづらいですが、こうやってアッセンブリ状態で組まれていると判りやすいですね。



こちらは潜水艦用エンジン実習用のV6Vエンジンです。
V12の4サイクルディーズルエンジンですが、元々は駆潜艇に搭載されていたものをこの実習場に置かれて学生実習につかっているものです。
駆潜艇時代を含めて既に60年という超ベテランエンジンですが、まだまだ問題なく動くというのですから驚きです。
とにかく頑丈で、新型の実習エンジンが数回解体・分解を繰り返すと壊れてしまうのに対してこのV6Vエンジンはびくともしないとのことです。
60年前のエンジンということもあって、整備マニュアルも現在では考えられない記述が多くあります。
「弁を叩くと治ることもある」「余裕があれば交換しても良い」など・・・・
また、当時はグリスが貴重だったのでしょう、牛脂を塗布するようなこともありました。



こちらは掃海艇用の非磁性エンジン6NMUです。
磁性をおびにくいようエンジンがアルミでつくられています。



こちらは護衛艦用のディーズルエンジンS12Uです。
護衛艦はガスタービンがメインですが、あぶくま型護衛艦には巡航用としてディーズルエンジンが搭載されています。
それと同型のエンジンですね。



整備用工具も置かれていました。
艦艇のエンジンはまさに心臓部ですから万が一の整備や修理ができるよう徹底的に教育をされるとのことです。
最新のエンジンでは精密機器になっているためアッセンブリ交換が基本になっているため、このような整備点検修理出来る余地がなくなってきているのだとか。



艦艇用のピストンやシリンダですがさすがに巨大ですね。
こういうものを見ることができるのもオープンスクールならではです。


次に第2ガスタービン実習場にいってみましょう。

IM300ガスタービンエンジンです。
魚雷艇に搭載されているガスタービンエンジンですが、ここではカットモデルになっています。
こうしてみると非常に小型ですね。
こんなに小さいのに1700馬力といいますから驚きです。
ガスタービンエンジンは小型ながら大出力を出すことが出来ます。



巨大ですね・・・
こちらは護衛艦用ガスタービンエンジンSM1Aです。
英国が開発した航空機用ガスタービンエンジンを艦艇用にしたもので、「あさぎり」型護衛艦などに搭載されています。
エンジンそのものはそれほど大きくないですが、システム全体で見るとかなり巨大になります。
それでも同じ出力をディーズルエンジンで確保しようとしたら数倍の規模が必要になるとのことで、ガスタービンエンジンはコンパクトさに優れるんだそうです。
航空機用エンジンは始動させるためには電源車が必要になりますが、艦艇用は補助のエンジンが搭載されていて艦内の電力などもそちらで確保してるようです。



こちらは工作実習場。
航海では必要に応じて部品を自作する必要があります。
そのため工作機で加工を個々で学びます。
ズラリとならんだ万能工作機がすごいですね。


こちらが万能工作機。
ボール盤、フライス盤、旋盤、片削り盤がワンセットになったもので海上自衛隊オリジナルの工作機です。
狭い艦内に置かれるため、複数の機能をもたせています。



学生が実習で作ったもの。
うちの会社の試作部が作ったものより出来が良いぞ(^^;




こちらは電気実習場。
ジャイロコンパスの構造などが展示されていました。
公開講座では放射線測定機材取り扱いなども行われていましたよ。


以上、第2術科学校オープンスクールでした。
Posted at 2012/08/14 23:36:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミリタリーイベント | 日記

プロフィール

「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
ミリタリー関係その他のブログはこちらへどうぞ http://minkara.carview.co.jp/userid/1224622/mylist/all...
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