お盆休みは広報館すら行ってなくて、通ってる病院と買い物と某ビデオレンタル店で化物語を借りに行くぐらいしか家から出てません。
まぁ諸般の事情があるとはいえ、基本的に引きこもり気質ですしね(^^;
ひたすらプラモ作って化物語を見てるだけの1週間だったなぁ・・・・。
さて、プラモで忘れがちですがもちろんこれも続けていますよ。

であごすてーに。

第11号は零式艦上戦闘機二一型です。
零戦は第2号で五二型が出ていますが、艦上戦闘機のイメージを考えるとやはり二一型は外せませんね。

モデルのほうは前回の五二型の仕様違いといった感じですが(そりゃそうだ)、雰囲気はもちろん、形も結構違います。
カウルの形状なんか見比べるとずいぶん違うんだと再認識させられます。
何の偏見もなく「零戦らしさ」だけで選ぶと二一型よりもカウルの形から五二型のほうが「零戦らしい」と感じてしまうので不思議です。
モデルのほうは・・・・正直う~んといったところ。
別に今までのモデルと比べて著しく形状が変とか品質が悪いというわけじゃないですよ。
機体にはパネルの溝を黒い線が入れられています。
プラモで言う墨入れのようなものですが、明灰色の機体ではやたらこの黒い線が目立つんです。
五二型や雷電のように緑色の機体なら黒い線はさほど目立たないのですが・・・

雰囲気は悪くないですね。
主脚カバー内側や脚収納部は青竹色に塗られています。
それにしても・・・ピトー管は手抜きすぎじゃね?
別パーツにしたほうが絶対に良かった。

零戦をちょこっと紹介。
零戦は正確には「零式艦上戦闘機」といいます。
零式というのは紀元2600年に制式化されたことを示します。
例えば「二式戦闘機」といえば紀元2602年、「九六式戦闘機」といえば紀元2596年になります。
紀元というのは神武天皇が即位したときから数えたときの暦で、紀元2600年は昭和15年になりますが、この年は紀元2600年記念行事が盛大におこなわれたそうです。
そりゃ国の歴史でひとつの国として2600年も続いたなんて世界でも珍しいし誇らしいことですものね。
神武天皇が即位した日を「紀元節」として戦前は祝日となっていました。
戦後はこの日は建国記念の日として建国を祝う日として定められています。
・・・そういえば一部のアレな人たちが軍国主義に繋がる(どういう論理だ・・・?W)とか騒いで集会やってたりしますね。
おっとずれてしまった。
とにかく零戦は紀元2600年(昭和15年)に制式化された艦上戦闘機ということになります。
艦上戦闘機って何?ということになりますが、これは空母で運用する戦闘機を意味します。
空母で自分の力で離艦・着艦する飛行機を「艦上機」といいます。
一方で戦艦や巡洋艦などから飛ばす水上機を「艦載機」といいます。
日本海軍は艦上機と艦載機を分けて呼んでいたようです。
米軍はひとまとめで艦載機と呼んでるっぽいですが。
さっきからでてきてる「二一型」とか「五二型」というのは仕様差によるタイプで、生産期間中に軍の要望で強力なエンジンや機銃に換装したり、主翼を変更するなどでタイプをわけています。
さてゼロ戦といえば緑色では?と言う人も多いと思いますが、初期(二一型や三二型や二二型の初期生産)は全面明灰色だったんです。
零戦は空母で使う戦闘機ではありますが、南方の基地航空隊で使うことも増えてきました。
明灰色は空から見るとジャングルなどに覆われた地上の基地では非常に目立つわけです。
そこで濃い緑色に塗られるようになったそうです。

そのゼロ戦ですが、やっぱり有名ですね。
雷電、飛燕、隼・・・
いろんな戦闘機がありましたがプロペラがついてる日の丸戦闘機といえばほぼ「ゼロ戦」と返ってくるぐらい少なくとも名前は知られています。
そのバツグンの知名度は末期の特別攻撃の悲劇的な物語の印象もありますが、やはり中国戦線、太平洋で大活躍した最強の戦闘機と言うところが大きいと思います。
昭和11年6月に海軍は戦闘機の性能標準と言うものを出しました。
これは後の零戦開発のベースになる性能仕様になるわけですが、実はこのとき空母機動部隊を攻撃の主力とした航空作戦を考慮したわけではありませんでした。
まだ当時は戦艦と戦艦が砲撃戦で艦隊決戦を決めるという構想が主流でしたから・・・当たり前といえば当たり前なのですがちょっと驚きですね。
ではなぜ後のゼロ戦が長大な航続距離をもっていたかというと・・・
当時は空母は補助兵力的な扱いでした。
戦艦などから離れた場所で行動して戦艦部隊の防空や、敵の戦艦の弾着観測機を撃退するためのものだったんです。
その後発生した支那事変で急を要すると判断され、航空戦の教訓などを織り込んで計画要求書が昭和12年10月にだされました。
この時期は九六式艦上戦闘機の量産が始まったばかりですが、九六式艦上戦闘機は非常に運動性がよく中国戦線で大活躍しました。
新型戦闘機の要求仕様はこの九六式艦上戦闘機と同等の運動性をもち、速度と上昇力をさらに高いものとした上に20ミリ機関銃という大火力の装備を装備することというものでした。
運動性が良いというのは軽くないとダメですが、速度や上昇力を向上させるということはさらに強力なエンジンが必要、つまり重く機体の大型化が必須です。
航続距離は大量の燃料を積むことが必要ですし、20ミリ機関銃は当然重たい。
にもかかわらず九六式艦戦同等の運動性をもたせろ。
・・・ムチャいったらあきまへんがや・・・
この航続距離(時間)ですが、どれぐらいとんでもないかというと仕様書には巡航速度で6時間だったそうです。
米国のF4FやF2Aなどの単座単発戦闘機がせいぜい3時間が限界だったようですからもうムチャもいいところです。
なぜ海軍がこんなムチャを出したかといえば、中国戦線では長距離を飛ぶ味方爆撃機を援護することが求められたからです。
九六式戦闘機では対応できなかったわけです。

後ろから見ると特に感じますがゼロ戦って胴体がすらりと細長いですね。
これは20ミリ機関銃の命中率を上げるためです。
反動の大きい20ミリ機関銃に対処するためモーメントアームを長くして方向安定性を高めることで命中率の向上を図ったそうです。
さて運動性の決め手となるのはエンジンと主翼です。
速度性能を求めるなら翼は薄く、面積も小さくすればいいのですが、主翼の中に入る燃料タンク量は小さくなりますし翼面荷重が大きくなるので機動性は落ちます。
そこで速度に対しては不利ながらも翼面積を大きく取り、主翼の厚さも大きくしました。
その対処として徹底的な軽量化と空力の洗練を追求したわけです。
まず操縦席の風防(窓ガラスね)をそれまでの開放式から抵抗の少ない密閉型にしました。
それまでは開放式が当たり前で視界が制限される密閉式はかなりの反発があったそうですね。
それと主脚をそれまでの固定式から引き込み格納式にしました。
今では当たり前の技術ですが当時としては画期的だったんでしょうね。
ゼロ戦といえば軽いというイメージがありますが、軽量化は最も力を入れていたそうです。
全備重量は2.3トンを目指していましたが、重さのコントロールを10万分の1単位(23グラム!)でやって少しでも軽量化を目指していたそうです。
構造材には住友金属が開発したばかりの超超ジュラルミンというアルミ合金を使用しました。
従来の超ジュラルミンと比べると抗張力が30%以上優れる新素材を採用したわけです。
他にも構造材では剛性に問題ない場所に丸い孔をあけて軽量化を地道にするなどで軽量化に務めたわけです。
零戦二一型の自重は1754kgですから先代クラウンと同じぐらい。
信じられますか?全長12m、全幅9mという大きな飛行機の重さがクラウン1台分ぐらいしかないんですよ。

さて後の零戦となる十二試艦上戦闘機の1号機は昭和14年3月に完成しました。
さあ初飛行・・・となるのですが、十二試艦戦は名古屋にある三菱の工場です。
当時は航空機メーカーといえども自前の飛行場は持っていなかったので、岐阜県の各務原飛行場(今の航空自衛隊岐阜基地)で初飛行を行ったのですが、牛車で運んだとばい!
1日かけて40km離れた各務原に運んだのはトラックではなく牛車。
当時は道路事情もよくなかったので貴重な機体を壊さないようにゆっくり牛車を使って運んだわけです。
そして4月1日に初飛行となったわけです。
その後エンジンの換装(サラっとかいてますが実はとんでもないことなんですよ。ただサイズが近くてすんなりいったのが幸いだったようです)や試作2号機の空中分解事故などの問題をクリアして昭和15年7月2日に「零式一号艦上戦闘機」の名前が付与され、ここにゼロ戦が誕生しました。

さてこのモデルは零戦二一型ですが、この二一型というのはサブタイプの型式のようなものです。
試作型の十二試艦上戦闘機は何機か作られたのですが、試作3号機以降と初期の機体は零戦一一型と呼ばれています。
この一一型をベースに水上機にしたのが二式水上戦闘機です。
水上機のフロートを零戦につけたものですが、運動性能は九六式艦戦には劣るものの水上機としてはバツグンの機動性だったようです。
零戦は空母で運用することを考えた艦上戦闘機なので着艦フックを搭載するなど艦上戦闘機試用にしたのですが、実際に零戦を搭載してみると空母のエレベータのサイズに対して結構ぎりぎりだったんです。
そこで主翼の翼端を上に折りたたむ構造を追加しました。
これは零戦一号艦上戦闘機二型と呼ばれ、後に零戦二一型とされました。
この後、加給機を二速としたエンジンに換装して主翼を50cmほど切り落とした速度向上をねらった型が作られました。
これは零式二号戦闘機、後に零戦三二型と呼ばれます。
零戦三二型は航続距離が劣ったので、燃料を増やして主翼を二一型とほぼ同じものにしたのが零戦二二型です。
三二型より速度はわずかに下がりました(二一型よりは高速)が航続距離は大幅に向上したようです。
この二二型から主翼の折りたたみ機構をなくしたものを一二型と呼ばれていた?・・・・そうです。
この後二二型をベースに、主翼の折りたたみ機構を廃止と同時に主翼を短縮して速度性能を向上させ、さらにエンジンの排気管を推力式単排気管にして推力向上をねらったのが零戦五二型、さらに20ミリ機関銃を換装した五二甲型、右側胴体銃を7.7ミリから13ミリ機銃に変更した武装強化型が五二乙型、さらに武装と防弾を強化したのが五二丙型があります。
そのほかに水メタノール使って瞬間的に速度UPをねらおうとしたり戦闘爆撃型や複座練習型、複座偵察型、夜間戦闘機型などさまざまな派生方や量産されなかったものの計画が進められていたタイプがあります。
以上、零戦二一型でした。