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アスロックのブログ一覧

2016年09月25日 イイね!

SHIZUHAMA?

今日9月25日は航空自衛隊静浜基地で航空祭が行われました。
例年5月の静岡ホビーショーと同時期に行われるのですが、今年は諸般の事情(伊勢志摩サミットかな?)で9月開催となりました。



















いや、今年は行かなかったんですけどね。
というかいけなかったんです・・・・
いきたかったよ~。
(ちなみに上の写真は2014年の岐阜、2015年の明野の写真だったりします。)


諸般の事情で今年はイベントには展開できそうも無さそうで、岐阜、明野、浜松ともに既にあきらめています(岐阜はいきたいなぁ・・・X-2展示されるし)が、もしかしたら静浜はいける可能性が出てきたわけです。
というか木曜の時点で可能性が高くなったので行くつもりでした。
が、諸般の事情であきらめざるをえなかったんです。
それは・・・
ちょろっと手術をしてきたんです。


16日だったかににちょっとした怪我をしちゃったんです。
というのも、左足の爪がちょっとひび割れてたのですが、寝ようとしたときこのクラックに布団がひっかかったわけです。
人間の力ってね・・・強い力を出そうとするとそうでもないのに、どうでもいいときの力ってかなりの勢いや力が出るもんですよ・・・
布団が引っかかった状態で軽く足を振り回す(といっても布団の上で足を軽く振り上げた程度)とどうなるでしょう?
はい、ご名答、足の爪がぺろ~んと剥がれます。
超痛い!!
まぁ消毒してガーゼで保護したわけですが、爪とうカバーがなくなるわけなので軽く触れるだけで激痛が走ります。
痛かったのでとりあえずいきつけの皮膚科で抗生剤を塗るなどの処方をしてもらったわけですが、一向に良くなりません。
歩くと痛いので金曜の仕事帰りに外科に行ってきました。
ちなみにこの外科、ちょっと古そうな感じで、イメージとしては大都会PARTⅡの渋谷病院と言った感じ(先生も宗方先生に雰囲気似てた 笑)。

加農砲止めでもしてくれるのかな?なんて思って診察してもらうと・・・
「よし切ろう」

ちょっとまった!!
どうも剥がれて爪がなくなった部分の肉が盛り上がり、1/4ぐらい剥がれ残った爪に巻き爪のようにめりこんでいたそうです。
このままでは当分治らないので、手っ取り早く盛り上がった肉を切除して、残った1/4の爪ははがしちゃえということのようです。
・・・・聞くだけで痛いのですが。




写真は治療中のあすろっくさん。


麻酔の注射をしたのですがこれがメチャクチャいたい。
その後メスでザクザク切られて
爪をズバズバっとされて手術は終り。
血まみれになりましたが私は元気です。


まぁそんなこんななので足は包帯ぐるぐる状態、こんなんじゃ静浜なんていけません。
下手にいって傷口開いたらシャレになりませんしね。
はぁ・・・いきたかった。





さて
静浜にはいけませんでしたが、これを愛でていました。

鏡音リンのフィギュア(TONY ver)。
結構お値段しますぜ。


いい・・・・。
すごくいい・・・・。

え?買った理由?


この腋の魅力の前に買わずにいられますか?(笑)
さあ・・・明日も仕事だ・・・・
Posted at 2016/09/26 00:13:17 | コメント(4) | トラックバック(0) | アレな話題 | 日記
2016年09月25日 イイね!

であごすてぃーに九九式艦爆

これを手に入れたのは結構前なのですが、なかなかアップできなかったので今頃ということで・・・



であごすてぃーに。



WW2傑作機コレクション14号は九九式艦爆。
当時の技術を注ぎ込んだ高性能爆撃機ですね。
零戦、九七式艦攻とともにハワイ作戦に参加したWW2前半の主力機です。



モデルのほうですが、値段で考えれば悪くは無いですが、前回の零戦二一型でも指摘したように明るい機体色に黒い線はやたら目立つので押さえてほしかったというのが正直なところです。
アンテナやピトー管、照準器などはもう少しがんばってほしいとこかな。



さてこのモデル九九式艦上爆撃機ですが、名前の通り紀元2599年(昭和14年)に制式化された空母で運用する爆撃機です。
「爆撃機」というとB-52とか富岳とか、巨大な機体に複数のエンジンを搭載した物をイメージしますね。
でも空母で使うのであればそんなに巨大な爆撃機は無理です。
空母から発艦して地上の敵施設や敵の艦船を爆弾で攻撃するのが艦上爆撃機です。
爆弾で攻撃とはいっても無数の爆弾をばらまくわけではありません。
空母に搭載するのですから機体のサイズはそれほど大きくできませんし、搭載する爆弾もそれほどつめません。
それならば少数の爆弾であっても確実に敵の艦船に命中させられる命中精度をもつ機体がほしいですよね。
それが艦上爆撃機です。
とはいえ、この頃の爆弾は精密誘導兵器ではない無誘導の爆弾です。
では命中精度を高くするにはどうするか?
高い命中精度が出るような爆弾の投下方法にすればいいわけです。

話はずれますが、終戦前に日本は米陸軍のB-29戦略爆撃機の無差別爆撃を受けました。
高空から爆弾を落としても目標に命中なんて期待できません。
そこで数百機という大編隊で大量の爆弾をそこらじゅうにばらまいたわけです。
目標は特定の施設ではなく民間人の生活圏である住宅街や都市部。
木造住宅がほとんどだったので大火災をおこすよう狙った焼夷弾をつかいました。
例え爆弾が命中せず焼け残っても発生した大火災でまとめて住宅街や大都市を焼き払うことを狙ったわけです。
一方で艦上爆撃機は少ない爆弾を一発必中で敵の艦船に命中させることを求められます。
「爆撃機」と一言で言ってもぜんぜん違うわけです。



一発必中の高い命中精度を求める爆弾の投下方法、それは急降下爆撃です。
よく第二次世界大戦の記録映像でプロペラ機が「ひゅううおんおんおんおん」というけたたましい風きり音とともに急降下しながら爆弾を投下、直後爆発!というのを見たことがあると思います。
これが急降下爆撃です。
飛行機が水平に飛んで爆弾を落とすと命中までに爆弾が水平方向にかなり移動するので地面に弾着するまでには大きくずれてしまいます。
ましてや高い高度がら落とせばわずかなズレも弾着の時点ではそのズレは非常に大きくなってしまいます。
一方で急降下爆撃は機体が目標に向かって急な角度で急降下しながら爆弾を投下するので、爆弾は機体の進行方向(目標)に向かって飛んでいきます。(実際には放物線を描くのでまっすぐ飛んでいくわけではないですが)
なので誤差も抑えられ水平爆撃とは比べ物にならない高い命中精度を得ることが出来ます。




急降下爆撃という新しい技術を生み出したのは米海軍。
最初の専用機が開発されたのは昭和3年ですが大日本帝国海軍が急降下爆撃に着目して米国のカーチス社に技師を視察に派遣したり資料をあつめたのが昭和5年と結構早い時期だったのがわかります。
早くも昭和6年には最初の試作機の六試特殊爆撃機の開発を開始しています。
その後七試特爆、八試特爆と試作急降下爆撃機の開発は続きましたが技術的に難しいものがあって難航したといいます。
昭和9年にドイツのハインケルHe66爆撃機をベースに開発された九四式艦上爆撃機が初の実用艦爆として誕生しました。
九四式艦爆は日中戦争で敵陣地や橋などを精密爆撃で実績をあげています。
九四式艦爆のエンジンを変更するなどした性能向上型の九六式艦爆を開発しました。
この九六式艦爆の試作が進められている昭和11年に次期新型艦爆を開発を命じたわけですがこれが後の九九式艦爆です。
初めて米国の急降下爆撃技術を知って米国に派遣したのが昭和5年、九九式艦爆の開発スタートが昭和11年。
この間わずかに6年とムチャクチャ慌しくすさまじいスピードで開発が進められていたんですね。



海軍が示した後の九九式艦爆となる十一試艦爆の仕様ですが
250キロ爆弾を搭載して最大速度370km/h以上、この状態での航続距離1480km以上、爆弾を投下した後は戦闘機に近い空中戦能力をもつこと
・・・ムチャですがな。
九六式艦爆が複葉機でしたが、新型艦爆が性能を満足するには全金属製の単葉機にならざるを得ません。
十一試艦爆は三菱、愛知、中島の3社に指示が出されましたが、このうち中島は進歩的な設計を、愛知は手堅い設計となりました。
面白いものがあります。
象徴的なところは主脚です。
この頃の単葉機の主脚は空気抵抗になるので格納するのが一般的となってきました。
一足速くデビューした九七式艦攻も主脚を格納式としています。
ところが愛知はあえて固定式(格納できない)を選んだわけです。
格納式にすると構造上、主翼下面に格納用の開口部が必要です。
当然強度的にも剛性的にも不利なので、急降下時に好ましくないと判断されたわけです。
さらに主脚を格納するにはそれ相当のスペースや引き込み式の構造が必要で、重量増や主翼厚の増加になります。
主脚の格納が空気抵抗低減のためなら主脚のカバーを空理的に洗練させればいいと、かなり思い切った選択をしたわけです。

愛知の十一試艦爆は初号機が完成た後は速度や上昇性能は要求をクリアしたものの、不意な自転や補助翼が操作時必要以上に舵角が大きくなる問題が発生したそうです。
不意な自転は翼端失速が原因で主翼前縁を変更となりました。
ところで九九艦爆ですが、垂直尾翼の前に背びれがついてますね。
これは機首上げ姿勢時に方向安定性が不足すると自転を誘発するため、その対策で設定されてるんですよ。
一方補助翼の問題はなんと組み立て治具の狂いが原因で、設計時よりもずれていたことによって発生していたそうです。
これらの問題解決に1年以上かかったわけですが、
それでも結果は速度・上昇性能に優れた愛知が選ばれることになりました。
急降下爆撃機の技術的ハードルがそれだけ高いってことなんでしょうね。
ここに昭和14年末に九九式艦上爆撃機が誕生しました。



ところで主翼の下に何か見えませんか?
公園のベンチのようにも見える大型のアンテナ?板?
実はブレーキです。
急降下爆撃機は目標に対して急角度で降下し、爆弾を投下します。
そうすれば当然機体は高速になって高い運動エネルギーの状態で地面に接近することになるので機体を引き起こせなくなってしまいます。
これが複葉機なら空気抵抗が大きくて速度もおそいので急降下速度もある程度落ち着いたものですが、全金属製単葉機ではそうはきません。
速度を抑えるにはブレーキが必要です。
そこでブレーキになる小翼を設定して急降下制動板としてとりつけたわけです。
急降下に入るときはこの小翼の向きを90度変えて空気抵抗で速度が出過ぎないようにしたんですね。
ちなみに敗れた中島案では格納式の主脚を急降下時に展開してブレーキにしたそうですよ。
爆弾は主翼下と胴体中央下に懸架しますが、胴体下の爆弾は投下する際にプロペラと当たってしまいます。
これが水平爆撃なら問題ありませんが急降下爆撃は機体の軸線上に爆弾が進む(実際には放物線を描きますが)のでこれは問題。
そこでブランコのように揺動することで機体から大きく離す爆弾投下誘導枠を設定していました。


急降下爆撃は爆弾の命中精度は非常に高いのですがかなり危険なものがありました。
まず高度3000メートルで目標への投下地点まで接近し、降下角度50度から60度という急角度で目標に向かって急降下を行います。
高度450メートルまで降下するとそこで爆弾を投下し、機体を引き起こします。
聞くだけでも怖そうですが、実戦ではこれに敵の戦闘機の迎撃や対空砲火が加わります。
目標に向かって急降下していくという事は、敵からしてみれば急降下爆撃機はこちらに向かって突入してくるということです。
つまりその方向に対空砲を向ければ、砲弾に向かって爆撃機が突っ込んでくるわけです。
さらに爆弾投下後の引き起こし後は速度も落ちますし、海面に大きく近づくわけですから、敵の対空砲火に低空でさらされることになります。
この間は味方戦闘機の護衛も得られませんし、回避行動もできません。
無誘導爆弾で爆撃の計算機がなくても高い命中精度(インド洋海戦では80%以上だったとか)が得られる一方で対空砲火からの被害は深刻なものがありました。
爆撃コンピュータの進化で通常の爆撃でも急降下爆撃以上の命中精度が得られるようになると危険な急降下爆撃は行われなくなっていきました。

以上、九九式艦爆でした。
Posted at 2016/09/25 02:31:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記
2016年09月17日 イイね!

浜松広報館車両等展示イベント

日曜に航空自衛隊浜松広報館にいってきました。


というのも9月10日、11日と広報館で車両等展示イベントが行われました。
車両等展示イベントとは名前の通り浜松基地で働くさまざまな支援車両を展示するイベントです。
航空祭でも消防車などの車両が少数展示されることはありますが、航空祭はあくまでも飛行機がメインなのでせっかく展示された車両をじっくり見ることは少ないんじゃないでしょうか?


いきなり目に飛び込んできたのが


C-130型航空機用カーゴローダーです。
航空自衛隊は昭和56年度予算からC-130H輸送機を導入しましたが、それにあわせて貨物をC-130に積載するために導入された車両です。
車体上面(といっていいの?)はローラコンベアになっていて、この上に貨物を載せたパレットが移動してC-130の機内に貨物を移動させます。
航空自衛隊ではC-1輸送機も使用していますが荷台幅を変えることでC-130だけでなくC-1輸送機にも対応させることが可能とされています。


後方から。
このカーゴローダの長さは実に12.8メートル。
幅は3.9メートルなので非常に細長く感じますね。
浜松基地には輸送機部隊はありませんが、浜松基地には物資や機材の輸送では輸送機が貨物を運んでくるので欠かせない装備です。


カーゴローダの運転席。
非常にシンプルですね・・・
ハンドル右側にある操作版が荷台の操作盤になります。
速く走るときはトランスミッションのギアを切り替えるわけですが、変速は前進2段、後進2段となっています。
切り替えはレバーでやると思いきやハンドル右側にあるスイッチなんだそうです。







貨物などを運ぶフォークリフトです。
貨物をパレットに積んだりそのパレットをカーゴローダに載せたり、物流には必須の車両です。
それにしてもかなり大型ですね。
5トン型でしょうか?







こちらは軽装甲機動車。
4人乗りの小型装甲車です。
軽装甲機動車は陸上自衛隊の普通科部隊などに配備されていますが航空自衛隊も基地警備用として平成16年度から部隊配備が始められました。
基本的に陸上自衛隊のものと同じですが車体は緑一色に塗られていますね。



軽装甲機動車は固有の武装はありませんが小銃や機関銃を搭載して車載射撃することができます。
この車両はルーフに防盾と5.56mm機関銃MINIMIが搭載されています。
陸上自衛隊では演習などで空砲射撃や実弾射撃を行う際に赤い旗を掲げますが、航空自衛隊も同じように掲げるそうです。
実弾射撃訓練を行うときは東富士演習場にまで移動しなくてはならないのだとか。






こちらは1トントレーラ炊事車。
トラックで牽引して野外で隊員の食事の調理をする野戦炊飯器です。
隊員は基本的には基地内で生活しますが任務や訓練では必要に応じて基地からはなれて展開することもあります。
その際に隊員の食事の調理を行う万能調理器です。
陸上自衛隊の野外炊具1号ほぼ同じですが細かなところが違うようです。


炊事車のエンジンです。
炊事車はエンジン、炊飯器部、調理部、調理器から構成されています。
200人分の主食・副食を45分以内に同時に調理できる能力があるそうです。


射撃統制レーダ?
実はこれ炊事車の皮むき器です。
この煙突のようなものの中にじゃがいもなどを入れると皮むき処理をしてくれるという優れものです。





 
すごく・・・トラックです・・・
その名もトラック2 1/2t4×4カーゴ
というようですね。
一般的な輸送を行うトラックで最大性記載量は5トンのようです。







こちらは移動電源車です。
電源車といえば航空機のエンジンをかけるのに欠かせない車両ですが、こちらの移動電源車は航空機ではなく、災害時や野外での活動時に電源を供給する装備です。







こちらはランウエイスィーパー。
いわゆるロードスィーパーですがこれは滑走路や誘導路などの清掃に使うものです。
航空機にゴミは大敵。
航空機のエンジンは大量の空気を吸い込んで超高速で回転してるので離着陸時やタキシング時にゴミなどを吸い込むと破損の原因になってしまいます。
そのため滑走路などの清掃は欠かせません。
吸い取ったゴミは後部のタンクに貯められます。
滑走路は離着陸する航空機のタイヤが勢いよく設置するので溶けたタイヤのゴムが滑走路に散らばりますし、小石なども転がっている恐れがあります。
雨が降った次の日には大量のミミズが滑走路にいることも多いのだとか・・・
また、めったにはないですが、万が一ボルトなど航空機の部品が清掃したゴミの中から発見された場合は報告して点検、事故の防止に努めるんだそうです。






救急車です。
自衛隊の基地は危険物も多いのですし、基地内には何千人もの隊員がいます。
作業中の災害や事故が起きたときに患者を救護して病院に送る救急車を自衛隊も装備しています。
航空自衛隊の救急車といえば紺色のハイエースに赤十字と赤色灯が設置された車両がおなじみですが最近はこのような白く塗られた救急車も導入されてるようです。


救急車の中。
ストレッチャのほかにさまざまな救急用資材が装備されています。
ちなみにこの車両はA/TではなくM/Tでした。
一般的な救急車は白い車体に赤いラインが引かれ、赤十字マークがありませんが、自衛隊の救急車は赤十字マークを描かれていますね。






こちらは場外救難車1形(説明板では「1型」、自衛隊装備年鑑では「1形」となってますがどっちなんでしょう・・・?)です。
基地の外で救難活動や災害派遣の際に現場指揮所と基地をつなぐ車両です。


ルーフにはサーチライトや各種無線装置・電話器のアンテナが確認できます。
この無線機で現場指揮所と基地の通信を確保するほか、全国各地の自衛隊基地に電話をかけることができます。
山岳や海浜地区など不整地を走行することも想定してるため走破性が高い車をベースにしていますが、車体は陸上自衛隊で広く使われている高機動車ではなくなぜかメガクルーザーを用いています。







こちらは消防車。
大きな工場やコンビナートなどにも自衛消防隊の消防車がありますが、自衛隊の施設にももちろん配備されています。
こちらは自衛隊施設の建物火災が発生した際に消火活動を行うための消防車です。







でかい!
こちらはセミトレーラ大型給水車とそれを牽引するトラクタ6t(6×4)給水車用です。
航空機事故が万が一発生した場合救難消防車が消火活動を行いますが車内のタンクの容量では余裕がありません。
そこでこの大型のトレーラ給水車で水や消火剤を補給するわけです。
非常に巨大でセミトレーラ給水車は全長10.4メートル、15600リットルの水タンクと750リットルの薬液タンクを装備しています。











こちらは破壊機救難消防車。
いわゆる空港消防車で航空機事故が起きた際の人命救助・救難用の消防車です。
説明板には「A-MB-2」とありましたが自衛隊装備年鑑みると「I-B型」と紹介されてます。
う~ん?
従来配備されていた破壊機救難消防車A-MB-2は昭和47年度から航空自衛隊に配備されましたが、この車両はその後継で平成24年度から配備された新型の救難消防車です。
全長12メートル幅3.1メートルという大型の車両で車内には340リットルのタンクを装備しています。
航空自衛隊の保有する救難消防車はA-MB-1、A-MB-2、A-MB-3とその後継のI-B型、救難消防車Ⅱ型がありますが、特に使い分けはしていないそうです。






こちらは破壊機救難消防車A-MB-3です。
新型航空機に対応する消火・人命救助用の救難消防車両として航空自衛隊では平成元年度から配備された大型の救難消防車です。
サイズは長さ12メートル、幅3.1メートルと非常に大型で450馬力を低回転の200rpmでたたき出す排気量26500ccのV10エンジンを2基搭載しています。
これだけ巨大なのに最大時速100km/hで走れるのですから驚きです。
救難消防車は万が一の航空機事故に備えるために航空機が離着陸するときは必ず滑走路横の定位置で待機しています。
待機場所から現場までいち早く駆けつけることが出来るよう走行性能と長距離から放水できるだけのパワーをもっています。


体験放水もあわせて行われました。
水勢を抑えて子供たちがノズルを握ります。
これはよい思い出になりますね。



以上、浜松広報館車両等展示イベントでした。
Posted at 2016/09/17 08:29:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミリタリーイベント | 日記
2016年09月07日 イイね!

であごすてぃーに零戦二一型

お盆休みは広報館すら行ってなくて、通ってる病院と買い物と某ビデオレンタル店で化物語を借りに行くぐらいしか家から出てません。
まぁ諸般の事情があるとはいえ、基本的に引きこもり気質ですしね(^^;
ひたすらプラモ作って化物語を見てるだけの1週間だったなぁ・・・・。


さて、プラモで忘れがちですがもちろんこれも続けていますよ。

であごすてーに。


第11号は零式艦上戦闘機二一型です。
零戦は第2号で五二型が出ていますが、艦上戦闘機のイメージを考えるとやはり二一型は外せませんね。



モデルのほうは前回の五二型の仕様違いといった感じですが(そりゃそうだ)、雰囲気はもちろん、形も結構違います。
カウルの形状なんか見比べるとずいぶん違うんだと再認識させられます。
何の偏見もなく「零戦らしさ」だけで選ぶと二一型よりもカウルの形から五二型のほうが「零戦らしい」と感じてしまうので不思議です。
モデルのほうは・・・・正直う~んといったところ。
別に今までのモデルと比べて著しく形状が変とか品質が悪いというわけじゃないですよ。
機体にはパネルの溝を黒い線が入れられています。
プラモで言う墨入れのようなものですが、明灰色の機体ではやたらこの黒い線が目立つんです。
五二型や雷電のように緑色の機体なら黒い線はさほど目立たないのですが・・・



雰囲気は悪くないですね。
主脚カバー内側や脚収納部は青竹色に塗られています。
それにしても・・・ピトー管は手抜きすぎじゃね?
別パーツにしたほうが絶対に良かった。



零戦をちょこっと紹介。
零戦は正確には「零式艦上戦闘機」といいます。
零式というのは紀元2600年に制式化されたことを示します。
例えば「二式戦闘機」といえば紀元2602年、「九六式戦闘機」といえば紀元2596年になります。
紀元というのは神武天皇が即位したときから数えたときの暦で、紀元2600年は昭和15年になりますが、この年は紀元2600年記念行事が盛大におこなわれたそうです。
そりゃ国の歴史でひとつの国として2600年も続いたなんて世界でも珍しいし誇らしいことですものね。
神武天皇が即位した日を「紀元節」として戦前は祝日となっていました。
戦後はこの日は建国記念の日として建国を祝う日として定められています。
・・・そういえば一部のアレな人たちが軍国主義に繋がる(どういう論理だ・・・?W)とか騒いで集会やってたりしますね。
おっとずれてしまった。
とにかく零戦は紀元2600年(昭和15年)に制式化された艦上戦闘機ということになります。
艦上戦闘機って何?ということになりますが、これは空母で運用する戦闘機を意味します。
空母で自分の力で離艦・着艦する飛行機を「艦上機」といいます。
一方で戦艦や巡洋艦などから飛ばす水上機を「艦載機」といいます。
日本海軍は艦上機と艦載機を分けて呼んでいたようです。
米軍はひとまとめで艦載機と呼んでるっぽいですが。
さっきからでてきてる「二一型」とか「五二型」というのは仕様差によるタイプで、生産期間中に軍の要望で強力なエンジンや機銃に換装したり、主翼を変更するなどでタイプをわけています。

さてゼロ戦といえば緑色では?と言う人も多いと思いますが、初期(二一型や三二型や二二型の初期生産)は全面明灰色だったんです。
零戦は空母で使う戦闘機ではありますが、南方の基地航空隊で使うことも増えてきました。
明灰色は空から見るとジャングルなどに覆われた地上の基地では非常に目立つわけです。
そこで濃い緑色に塗られるようになったそうです。



そのゼロ戦ですが、やっぱり有名ですね。
雷電、飛燕、隼・・・
いろんな戦闘機がありましたがプロペラがついてる日の丸戦闘機といえばほぼ「ゼロ戦」と返ってくるぐらい少なくとも名前は知られています。
そのバツグンの知名度は末期の特別攻撃の悲劇的な物語の印象もありますが、やはり中国戦線、太平洋で大活躍した最強の戦闘機と言うところが大きいと思います。

昭和11年6月に海軍は戦闘機の性能標準と言うものを出しました。
これは後の零戦開発のベースになる性能仕様になるわけですが、実はこのとき空母機動部隊を攻撃の主力とした航空作戦を考慮したわけではありませんでした。
まだ当時は戦艦と戦艦が砲撃戦で艦隊決戦を決めるという構想が主流でしたから・・・当たり前といえば当たり前なのですがちょっと驚きですね。
ではなぜ後のゼロ戦が長大な航続距離をもっていたかというと・・・
当時は空母は補助兵力的な扱いでした。
戦艦などから離れた場所で行動して戦艦部隊の防空や、敵の戦艦の弾着観測機を撃退するためのものだったんです。
その後発生した支那事変で急を要すると判断され、航空戦の教訓などを織り込んで計画要求書が昭和12年10月にだされました。
この時期は九六式艦上戦闘機の量産が始まったばかりですが、九六式艦上戦闘機は非常に運動性がよく中国戦線で大活躍しました。
新型戦闘機の要求仕様はこの九六式艦上戦闘機と同等の運動性をもち、速度と上昇力をさらに高いものとした上に20ミリ機関銃という大火力の装備を装備することというものでした。
運動性が良いというのは軽くないとダメですが、速度や上昇力を向上させるということはさらに強力なエンジンが必要、つまり重く機体の大型化が必須です。
航続距離は大量の燃料を積むことが必要ですし、20ミリ機関銃は当然重たい。
にもかかわらず九六式艦戦同等の運動性をもたせろ。
・・・ムチャいったらあきまへんがや・・・
この航続距離(時間)ですが、どれぐらいとんでもないかというと仕様書には巡航速度で6時間だったそうです。
米国のF4FやF2Aなどの単座単発戦闘機がせいぜい3時間が限界だったようですからもうムチャもいいところです。
なぜ海軍がこんなムチャを出したかといえば、中国戦線では長距離を飛ぶ味方爆撃機を援護することが求められたからです。
九六式戦闘機では対応できなかったわけです。



後ろから見ると特に感じますがゼロ戦って胴体がすらりと細長いですね。
これは20ミリ機関銃の命中率を上げるためです。
反動の大きい20ミリ機関銃に対処するためモーメントアームを長くして方向安定性を高めることで命中率の向上を図ったそうです。
さて運動性の決め手となるのはエンジンと主翼です。
速度性能を求めるなら翼は薄く、面積も小さくすればいいのですが、主翼の中に入る燃料タンク量は小さくなりますし翼面荷重が大きくなるので機動性は落ちます。
そこで速度に対しては不利ながらも翼面積を大きく取り、主翼の厚さも大きくしました。
その対処として徹底的な軽量化と空力の洗練を追求したわけです。
まず操縦席の風防(窓ガラスね)をそれまでの開放式から抵抗の少ない密閉型にしました。
それまでは開放式が当たり前で視界が制限される密閉式はかなりの反発があったそうですね。
それと主脚をそれまでの固定式から引き込み格納式にしました。
今では当たり前の技術ですが当時としては画期的だったんでしょうね。

ゼロ戦といえば軽いというイメージがありますが、軽量化は最も力を入れていたそうです。
全備重量は2.3トンを目指していましたが、重さのコントロールを10万分の1単位(23グラム!)でやって少しでも軽量化を目指していたそうです。
構造材には住友金属が開発したばかりの超超ジュラルミンというアルミ合金を使用しました。
従来の超ジュラルミンと比べると抗張力が30%以上優れる新素材を採用したわけです。
他にも構造材では剛性に問題ない場所に丸い孔をあけて軽量化を地道にするなどで軽量化に務めたわけです。
零戦二一型の自重は1754kgですから先代クラウンと同じぐらい。
信じられますか?全長12m、全幅9mという大きな飛行機の重さがクラウン1台分ぐらいしかないんですよ。




さて後の零戦となる十二試艦上戦闘機の1号機は昭和14年3月に完成しました。
さあ初飛行・・・となるのですが、十二試艦戦は名古屋にある三菱の工場です。
当時は航空機メーカーといえども自前の飛行場は持っていなかったので、岐阜県の各務原飛行場(今の航空自衛隊岐阜基地)で初飛行を行ったのですが、牛車で運んだとばい!
1日かけて40km離れた各務原に運んだのはトラックではなく牛車。
当時は道路事情もよくなかったので貴重な機体を壊さないようにゆっくり牛車を使って運んだわけです。
そして4月1日に初飛行となったわけです。
その後エンジンの換装(サラっとかいてますが実はとんでもないことなんですよ。ただサイズが近くてすんなりいったのが幸いだったようです)や試作2号機の空中分解事故などの問題をクリアして昭和15年7月2日に「零式一号艦上戦闘機」の名前が付与され、ここにゼロ戦が誕生しました。



さてこのモデルは零戦二一型ですが、この二一型というのはサブタイプの型式のようなものです。
試作型の十二試艦上戦闘機は何機か作られたのですが、試作3号機以降と初期の機体は零戦一一型と呼ばれています。

この一一型をベースに水上機にしたのが二式水上戦闘機です。
水上機のフロートを零戦につけたものですが、運動性能は九六式艦戦には劣るものの水上機としてはバツグンの機動性だったようです。


零戦は空母で運用することを考えた艦上戦闘機なので着艦フックを搭載するなど艦上戦闘機試用にしたのですが、実際に零戦を搭載してみると空母のエレベータのサイズに対して結構ぎりぎりだったんです。
そこで主翼の翼端を上に折りたたむ構造を追加しました。
これは零戦一号艦上戦闘機二型と呼ばれ、後に零戦二一型とされました。

この後、加給機を二速としたエンジンに換装して主翼を50cmほど切り落とした速度向上をねらった型が作られました。
これは零式二号戦闘機、後に零戦三二型と呼ばれます。
零戦三二型は航続距離が劣ったので、燃料を増やして主翼を二一型とほぼ同じものにしたのが零戦二二型です。
三二型より速度はわずかに下がりました(二一型よりは高速)が航続距離は大幅に向上したようです。
この二二型から主翼の折りたたみ機構をなくしたものを一二型と呼ばれていた?・・・・そうです。


この後二二型をベースに、主翼の折りたたみ機構を廃止と同時に主翼を短縮して速度性能を向上させ、さらにエンジンの排気管を推力式単排気管にして推力向上をねらったのが零戦五二型、さらに20ミリ機関銃を換装した五二甲型、右側胴体銃を7.7ミリから13ミリ機銃に変更した武装強化型が五二乙型、さらに武装と防弾を強化したのが五二丙型があります。
そのほかに水メタノール使って瞬間的に速度UPをねらおうとしたり戦闘爆撃型や複座練習型、複座偵察型、夜間戦闘機型などさまざまな派生方や量産されなかったものの計画が進められていたタイプがあります。



以上、零戦二一型でした。
Posted at 2016/09/07 00:32:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記

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