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アスロックのブログ一覧

2016年11月28日 イイね!

豊川駐屯地開庁記念行事にいってきました(超簡易版)

11月26日に愛知県豊川市にある陸上自衛隊豊川駐屯地にいってきました。
毎年秋に行われる記念行事です。
詳細はそのうちアップするかもしれませんが、まずは超簡易版として、観閲式後の訓練展示を。


普通科隊員がヘリコプターからラペリングで展開します。
降下用意、降下、降下!!



オートバイ(偵察用)に乗った隊員が情報収集を行います。
オートバイは機動性を活かした偵察行動を行います。



敵陣地に対して特科部隊が支援射撃を行います。
わしら特科を甘く見ては困るけんのお。


地雷原を処理した後に我が部隊の進行の傷害を施設科部隊が排除します。
施設科の本気、見せてやらんといかんけんのお。



特科部隊の支援射撃の元、普通科部隊が敵陣地に攻撃を行います。
普通科なめたらあかんぜよ!



機甲科部隊が敵装甲車、戦車と交戦し、普通科部隊を援護します。
かまわんけ、そこらの陣地ササラモサラにしちゃれい!



大打撃を受けた敵陣地に戦車が突入していきます。
て・・てぇへんだぁ!とんでもねえやつがつっこんでくる!



・・・・・なんで仁義なきなんたらなんだw
Posted at 2016/11/28 00:42:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミリタリーイベント | 日記
2016年11月25日 イイね!

であごすてぃーに零戦一一型

浜松基地航空祭や岐阜基地航空祭、プラモ組み立てだけじゃなくて周囲でいろいろばたばたしていたこともあって購入から1ヶ月以上もたってしまいました・・・・


であごすてぃーに。



19号は零式艦上戦闘機一一型です。
あれ?零戦って以前五二型と二一型を出しましたよね?
もしかして各型出すつもりなのかな?
となると次は三二型と六三型を出すつもりなのか・・?
ぶっちゃけそれほど精密って訳じゃないモデルなので違いがわかりづらいしうれしさも薄そうなんですが・・・




零戦一一型とは平たく言えば「初めてのゼロ戦」です。
試作機を作ってその後量産機にうつるわけですが、3号機以降の初期タイプが零戦一一型ってわけです。
空母に搭載する前に数十機ほど陸上運用型を作ったわけです。
モデルのほうですが、先に発売された二一型とほとんどかわりません。
それもそのはず、一一型に着艦フックや主翼の折りたたみ機構をつけたのが零戦二一型であって、パッと見で見分けがつくような違いはないわけです。
ただこの一一型を運用していた海軍第12航空隊の塗装が非常に個性的だったこともあってモデルにもその塗装がされています。



零戦の初期は「飴色」と言われる色で塗られていたとされます。
この「飴色」がどんな色なのかは諸説あるようなので触れませんが、第12航空隊の機体は胴体前部を飴色に、後部を明灰色に塗られていたようです。
この第19号の表紙や3Dの絵を見ると茶色がかかった濃い灰色になっています。
・・・モデルはどうみても前部が明灰色、後部は暗青灰色やんけ!
なんじゃいこの説得力のなさは!
ちなみに当時の白黒写真では色の差があまりなく、私では見分けがつきません・・・
垂直尾翼になにやら小さな赤い模様が描かれているのは撃墜マークです。
これは一人のパイロットの撃墜戦果ではなく、複数のパイロットによるこの機体の戦果を意味します。
この3-112号機ですが、戦功記念機として後に内地に送られ、江田島の海軍学校に精神教材として展示されたそうです。



さてモデルの出来ですが、二一型のほうでも触れましたが、明灰色の機体に黒い線(いわゆる墨入れ)はめちゃくちゃ目立つというか違和感がすごいですね・・・
全体的なモデリングは二一型と同じです。
ちなみにキャノピー後部にアンテナがあるんですが、またもやつけわすれて撮影してしまいましたorz



では実機のほうの解説をちょこっと。
ゼロ戦の開発については二一型のところで簡単に書きましたので省略しますが、ゼロ戦は前任の九六式艦上戦闘機をはるかにしのぐ速度と航続距離をもちながら運動性は九六式艦戦並という海軍のムチャ振りの要求で生まれた傑作機なわけですが、この要求仕様がだされたれたのが昭和12年。
この頃の米海軍では複葉機のF3Fが主力機でしたし、英海軍では全金属製単葉機の開発さえされてなかったとのことですから、どれだけ先進的というか革新的というか、チートすぎるものなのかがわかります。
ゼロ戦の試作機は昭和12年発注ということで「一二試艦上戦闘機」と呼ばれ、昭和14年4月1日に初号機が初飛行に成功しました。
飛行試験では要求性能をなんとかクリアし、その後さまざまな問題をつぶしこんでいる最中の昭和15年の初めには部隊を編成して中国大陸に展開するよう命じられることになります。



この頃は日支事変(日中戦争ね)で国民党軍が内陸部に後退して交戦していました。
これに対して帝国海軍としては航空攻撃のために陸上攻撃機や爆撃機を出撃させていますが、国民党軍は内陸深い場所を拠点としてるので護衛の戦闘機の航続距離が足りません。
戦闘機の護衛がない陸上攻撃機や爆撃機は大きな損害を受けてしまっています。
そこで艦上戦闘機として採用されるにはまだまだ時間がかかるものの、長大な航続距離をもつ一二試艦戦にお声がかかったわけです。
6月に一二試艦戦を1個分隊編成して漢口の基地に進出せよという命令が下され、7月半ばに到着、第12航空隊に編入されました。
新型機(それどころか量産さえされてない試作戦闘機・・・)ということで故障などのトラブル続出だったそうですが、その間も乗員の猛訓練を続け昭和15年7月24日に「零式一号艦上戦闘機一型」の名称が与えられ、ここにゼロ戦が正式に生まれたわけです。
8月に初出撃を行い、9月におこなわれた重慶空中戦で中国軍機を完全勝利する華々しいデビューを飾ったわけです。



零式一号艦上戦闘機一型は中国大陸に進出する時点ではまだ艦上戦闘機としてのテストすらされていませんでした(だって初飛行まもない試作機だもん・・・)。
そこで「局地戦闘機(迎撃戦闘機のことね)」として展開したわけですが・・・
この一二試艦戦(後の零式一号艦上戦闘機)は一部の機体を除いて空母運用に必要な着艦フックがありません。
そう、正式採用されたとはいえ、初期の零式一号一型艦上戦闘は陸上機だったわけです。
一二試艦上戦闘機を含めて3号機から66号機までを零式一号艦上戦闘機一型と呼んでいます。
さて、ゼロ戦は艦上戦闘機ですから空母に積んでナンボの戦闘機です。
要求仕様どおりに設計したものの、実際に空母に載せてみるとエレベータの寸法ギリギリだったわけです。
そこで67号機以降は翼端を50センチほど上に折りたためるようにしました。
これが零式一号艦上戦闘機二型というわけです。
昭和17年4月の海軍機の呼称方法改定で零式一号艦上戦闘機一型を「零式艦上戦闘機一一型」、零式一号艦上戦闘機二型を「零式艦上戦闘機二一型」と変更されています。



さて、ゼロ戦と同時期に陸軍の戦闘機も誕生しました。
キ43「隼」という軽戦闘機ですが、機体の寸法が近く同じエンジンを搭載して、両方とも長大な航続距離をもち、非常に優れた格闘戦能力ですが、ひとつ非常に大きな違いがあります。
それは火力です。
ゼロ戦は20ミリ機関銃と7.7ミリ機関銃をそれぞれ2門装備するようになっていましたが、キ43は7.7ミリ機銃が2門のみ(後期は12.7ミリ機銃2門に変更)でした。
ゼロ戦が新装備の20ミリ機関銃を搭載することになったと知って、海軍内でも相当の反対があったそうです。
特に一二試艦戦が配備された第12航空隊では20ミリ機関銃不要との意見具申すらされたそうです。
陸軍は九七式戦闘機を、海軍は九六式艦上戦闘機を運用していましたが、武装はともに7.7ミリ機銃のみです。
この機銃で成果をあげているのに、新装備の大口径機銃なんて使い物になるかと非常に疑問視されていたようですね。
確かに実際に使っている側とすれば、十分実績のあるものに比べて、得体の知れない実績もない新装備には抵抗感はあるんだと思います。
結局ゼロ戦には20ミリ機銃を最初から装備するように設計され、キ43は7.7ミリ機銃のみの搭載で設計されたわけですが、優れた空中戦能力をもっていたとはいえ後にキ43が火力不足で泣かされたこと、大口径の機銃に換装したくても小口径機銃が前提でつくられた主翼には構造上搭載することができなかったようです。
要求仕様がどれだけ重要なのか、将来の見通しがあるか考えさせられますね。


以上、零式艦上戦闘機一一型でした。
Posted at 2016/11/25 00:31:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記
2016年11月20日 イイね!

惨・プラモデルを作ってみた(F-86D/F-104J)

今年からエアブラシを使ってプラモを作りはじめたわけですが、目の前には聳え立つ積みプラがいっぱい・・・
少しでも消化しようとおもいつつ、プラモ屋によって面白そうなキットがあるとつい手を出してしまいます。
ダメですね、1回作り始めるとプラモづくりが面白くて楽しくて。
気が付くとドラゴンのSu-24、イタレリのB-58、ハセガワのB-47が増えてしまいました。
・・・どうすんだこれ?
ということで8月にF-100スーパーセイバーとBacライトニングを作ったので、9月、10月に1機づつ作るつもりだったのですが、いろいろバタバタしてたり忙しかったのですっかり放置してしまいました。
組み立て始めてから完成するまで時間かかってますが、放置の時間のほうが長いのがなんとも。

で、今回9~11月に作ったのがこれです。
ざん。


F-86Dセイバードッグです。
キットはハセガワの1/72。


米空軍も少し考えましたがやっぱり航空自衛隊ですよね。
胴体下に見えるのはロケット弾発射機です。
当時主力戦闘機だったF-86セイバーは夜間戦闘能力がない昼間戦闘機だったわけですがこれうぃをベースに当時さ新鋭だった高性能電子装置と火器管制装置を搭載して全天候空戦能力を与えられた戦闘機がこのF-86Dというわけです。
航空自衛隊は米太平洋空軍が使っていた機体の中古機を供与されたのですが、元々中古で当時としては複雑な電子装置だったこともあって10年ぐらいで退役しています。
航空自衛隊機としてはなんか影が薄そうな感じですが、高性能な電子装置を使った夜間戦闘能力や初のアフターバーナ採用など、今の航空自衛隊の戦闘機の基礎を築いたといっていい傑作機です。



キットは米太平洋空軍のものなのですが、デカールは先に作ったF-105に流用しちゃいました。
・・・のでなんとか航空自衛隊機のものを入手。
やっぱりF-86Dは日の丸が一番似合います。


機体は銀色ですが自衛隊機は無塗装ではなく腐食防止のため艶のない銀色で機体を塗ってましたのでH377(アルミナイズドシルバーFS17178)で塗装しました。
写真だと完全に艶がなくなって灰色に見えますが、実際はゲートガードになってるF-86のような色に近く結構いい感じかも。
それにしてもキャノピーの塗りが異様に雑だなぁ。
反省させられるところも多々ありました。



もう1つがこれ、F-104Jです。
キットはハセガワの1/72のF-104G/S特別塗装機なのですが、F-104といえばやっぱり日の丸だよね?



こちらは昔カナダ国防軍のCF-104を作ったことがあって航空自衛隊のF-104Jのデカールがまるまるあった(20年熟成されてた・・・)のでそれを流用。
本当のことを言いますと米空軍のF-104Aと一瞬悩んだのですが、そもそもデカールがない(中古ショップでエレールのF-104Aを買うところだったぜ・・・)ので米空軍試用は「いつか」ということで。



機体は灰色に塗るか銀色にするか悩みましたが、やっぱりセンチュリーシリーズっぽいのは銀色ですし、日の丸も映えますものね。
機首のレドームは黒色も考えましたがここはストレートにツートンで。
防眩塗装のアンチグレアはダークグリーンなのですが、私の趣味でロシアングリーンにしてます。
なんかこっちのほうがそれっぽいかなって。


しかし細いですね。
燃料どこに入れてるのか不思議です。
F-86の初飛行が1947年、F-104が1954年ですからわずか7年。
この間にマッハ1を超えられなかった航空機がマッハ2の超音速戦闘機に発展したのですからこの頃の技術ってすごいスピードですね。
F-86DとF-104Jを並べると長さはF-104が大きいのですが、単純に胴体の太さをみるとF-86Dのほうが太いんです。
しぼりにしぼった胴体に巨大なエンジンと小さな翼。
なんかもうミサイルみたいな戦闘機です(^^;
F-104は進入してくるソ連戦略爆撃機を高高度迎撃のため上昇能力と加速力はハンパじゃないほど高い能力をもってます。
その鋭い上昇力は三島由紀夫が「○○のようだ」(なんて比喩つかうんですか・・・苦笑)といったぐらい。



しかし・・・F-86D以上にいろいろ考えさせられるなぁ。
とにかく塗装が雑。
キャノピーの枠の塗り分けができてませんし、エンジン周りのコントラストも弱い。
部品の間の段差も目立つし放置していたこともあって部品のいくつかが行方不明でその辺の部品から流用してるのもあります。
キャノピーの接着がはがれてるのもこの写真撮ってから気がつきました。
でも自分の技術のなさや丁寧な作り方ができてないなど、いろいろありますけど自分で作った作品が目の前にあると変な充実感がありますね。
さぁつぎは何を作ろう?
Posted at 2016/11/20 02:54:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | プラモデル | 日記
2016年11月13日 イイね!

新城ラリー2016にいってきました

先週土曜になる11月5日に新城市の新城総合公園に遊びにいってきました。
目的は・・・



「うおうお うおうお うおごこ~ろ~く~ん♪」
じゃなくてろこどる(?)も登場した新城ラリー2016です。
全日本ラリー選手権の第9戦なのですが、総合公園で行うことで市民に親しんでもらう、ラリーと町おこしのコラボになります。

私も含めてですが、自動車のレースって興味はありますけど。どこか一見さんお断りとまではいいませんが、実際に見に行くのはちょっと敷居が高い感じがします。
しかも観戦料金高いんでしょ?
ちょっとヒマだからクルマのことよく判らないけど面白そうなのでヤキソバ食べながら遊びに行ってみよう。
そんな身近に見たり感じたりできるのが新城ラリーの魅力です。
公園内に「SS(潜水艦ではない)」と呼ばれるコースを作り、それを間近で観戦することができます。


こちらはスタートをまつ参加車両ですが、レースのスタート待ちなんてそうめったに見られるものじゃないですよ。


こちらはスタート前の車検?
道路1本隔ててこんな風景をみることができます。



えっと・・・これはなんだったかな?
競技車両の前にスゥイーパー、ゼロカーとゲスト(だったかな?)が乗った車両がコースを走っていきます。
全力走行ではないので大体こんな感じで走りますという観戦の目安になりますね。


16号車ADVAN CUSCOプジョーです。
エントリー車両は国産車が多いですが、外車はミニもいたようです。




19号車P.MU☆DL☆SPM☆INGING86。
やっぱり痛車はいい!
この腋がたまらんです(笑)


21号車ARTAオートバックス86です。
いかにもオートバックスというこのオレンヂと黒のカラーはいいですね。




24号車YHGd高崎くす子86です。
痛車ってレースカーにもホントマッチしますね。
隠れ痛車ファンとしてはうれしいです。



25号車YHフェイスクラフトBRZ。
トヨタの86でのエントリーが多いですが、スバルのBRZで参加している車両もあります。
こちらはその1台。




26号車テイクスDLワコーズBRIG86
妙にピンボケなのは流し撮りを失敗したからです(^^;



27号車Sammy K-one ルブロスYH 林 86
タイヤが止まってるように見えるけど気のせいなんだからねっ!



31号車YH・WM・KYB・マクゼスエイコ。
赤いRX-8の車体にクマモンが渋い!
地震に噴火と大変ですががんばれ熊本!!


32号車エムスポーツLTOデミオです。
デミオもエントリー車が多いですね。
大馬力のスポーツ車だけでなく街でみかけるコンパクトカーがダイナミックに走る姿をみると、なんかうれしくなっちゃいますね。



33号車アストラルKYBイッツDLワコーズRX8です。
ブレーキ時の白煙を見るとかなりの高速度で走ってるんだなぁって感じます。



34号車PLUM AKR KUMHO Vitz。
PLUMは新城ラリーでは痛車として「老舗」でおなじみですね。
こんどフィギュア買って来ようかな・・・・


37号車エムスポーツ BRIG DEMIO。
窓ガラスに「JN3」と書かれていますが、これはエントリークラスを示しています。
JN1は最も排気量の小さい入門クラス
JN2は改造範囲が小さくて低コスト、ロースピードのクラス
JN3は排気量が1500CCまでの2WD車
JN4は排気量1500~2000CC(製造終了10年未満)
JN5は排気量が2500cc超の2WDのRN/RJ車両とRR車両(製造終了10年未満)
JN6は4WD限定の国内最高峰クラス
となっています。



39号車はエムスポーツ☆ADVANデミオ。
JN3ではデミオは4台エントリーしています。


40号車はBRIG VTLUB mountain ON! Fit。
初代フィットでの参加です。
コンパクトカーになるこのJN3クラスではデミオやヴィッツが多いですが、フィットも参加しています。
コンパクトな初代フィットも何気に4代目シビックと同じぐらいの大きさだったりします。
意外と大型だったんですね。


・・・真横から似たような写真ばかりだと飽きてしまうので、ここで一休み。
さて、ラリーの観戦だけでなくいろんなイベントがおこなわれていました。

女性ドライバーのトークショーとか
JAFの体験展示、模擬店などがおこなわれました。



地上展示では各種車両が展示されていました。
こちらは1957年に行われた第5回オーストラリア1周ラリーに日本車として初参加したトヨペットクラウンRSD。
まだまだ発展途上だった日本の自動車技術の時代でしたが初参加で47位完走を果たしました。
ホントにかっこいいですね。
磨き上げられた車体には何が何でも完走するぞといった意気込みを感じます。



1995年の第43回サファリラリーで見事優勝したセリカGTフォー。
ボンネットからにょきっと生えてるシュノーケルがラリーの過酷さを感じます。



1990年のサファリラリー優勝車のセリカGTフォー。
ボンネット前のガードや前照灯など、おもいっきりゴツく生まれ変わったセリカ、かっこいいです。

このほかラリー車数台やGAZOO車両が展示されていましたが今年は地上展示の規模が小さかったですね。
ラリーショーのほうは・・・・
昨年非常に見難く、一瞬で目の前を過ぎ去っていってしまうのでチラっと見ておしまい。
写真もとってませんでした。


では続きを(笑)



44号車は四国産直市場メディアワークスDLデミオ。
JN1は1600cc以下で改造範囲が狭い車と電気自動車・ハイブリッドカーをあわせたクラスです。
ラリーカーとは縁遠そうなハイブリッド車も含まれますから今後注目のクラスですね。



46号車はYHGd高崎くす子アルト。
この腋がいいですね☆
現行アルトは結構いかつい顔なので迫力アリます。


49号車はヴィッツ(公式ページでチーム名とかなくて本当にこういう表記だったんだもん)
ヴィッツも新城ラリーではよくエントリーされてる車種です。



50号車はDLリジットCUSCOe'Tuneデミオ。
ラリー車両に乗ったことはもちろんないですが、ベースとなったこの先代デミオはレンタカーで何度かのらさせてもらってます。
軽くてキビキビ走るのでラリーのベース車両になるのも判る気がします。



56号車はHASRally WRX-STI。
号車が飛んでたりするのは単純にまともに写っていなかったとか、トイレにいって写せなかったなどなのであまり意味はありません(^^;
インプレッサは5代目にモデルチェンジしましたが、3代目のインプレッサWRXは2014年まで7年間製造していました。



58号車はT.W.Oインプレッサ。
初代インプレッサですが今見るととてもコンパクトに感じますね。



63号車はライトアップ・DXL・MR-S。
ラリー車にMR-Sのイメージって正直あまりなかったのですが、いいですね。
さすがにオープンではなく屋根をとりつけています。



64号車SRSシロキヤMR-S。
MR-Sは新城ラリーに3両が参加しています。



65号車FERIAS MR-S。
MR-Sのデビューは1999年ですから、もう17年になるんですね。
今でも斬新なデザインだと思います。



71号車は東大ホンダ学園若武レビン。
大ベテラン車ですが全開走行!とアナウンスされてました。
いかにもラリーカー!という感じがしていいですね。



73号車はエントリー名もその名もズバリ トヨタS800。
昨年も参加していましたがホントに小型ですね。
ベースのトヨタスポーツ800は車両重量・・・・580kg!?
コペンが850kgぐらいですからめちゃんこコンパクトで軽いスポーツカーなんですね。






さてこちらは「はたらくくるま」コーナー。
やはりといいますか、子供たちは歴戦のラリーカーよりもバツグンの人気でした(^^;


愛知県警のパトカーです。
日産サファリと隣はクラウン(常に人が乗ってたので写真撮れず・・・)
なぜサファリ?と思いますが、これが導入された平成15年頃はパトカーにぶつかって逃走する悪質な逃走車両が多くて、その対策として調達された車両のようです。
そろそろ用途廃止が近づいていますが、後継としてクロカンの配備はないので、もうすぐ見納めかもしれません。
ちなみに自動車警邏隊だそうです。



こちらは新城市消防本部の消防車(ポンプ車)です。
赤色警光灯もいつのまにかLED化がすすんでいますね。
後部のドアを展開して搭載されてるポンプなどの展示を行っていました。



こちらは陸上自衛隊の82式指揮通信車。
豊川駐屯地の第10特科連隊本部管理中隊所属の車両です。
戦後国産初の装輪装甲車で特科部隊などに配備されて本部や部隊間の通信を行う車両です。
内部を撮影されないため(?)か、窓ガラスを塞いでいますね。

以上、新城ラリーでした。

Posted at 2016/11/13 23:11:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記

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「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
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