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アスロックのブログ一覧

2017年02月08日 イイね!

プラモデルをつくってみた。(F-5E/クフィルC7)

たまりにたまった積みプラですが、少しはプラモつくりの技術を磨く必要もあるな・・・・
と、1ヶ月に1つの割合で作ることを目標としています。
・・・が、いや~ヒマなはずなのになぜかやることがいっぱいあって(ゲームとかアニメとかw)進みませんね。
そのくせほしいキットがあるとつい買ってしまいます。
ホビークラフトのSu-25とか、ドラゴンのSu-24とか、エアフィックスのTSR.2(!)とか。
ということで、年末年始から1月末にかけて作りました。


F-5EタイガーⅡです。
キットはホビーボスの1/72のものです。
パネルなどは凹ラインで、彫がしっかりしてるので(これがかなり不評らしいですが)私は結構好き。
ただ合いのほうはあんまりよくなかった・・・




空気取り入れ口のところはパテてんこもりでしたが、何とか目立たないところまで擦り合わせできました。
しかし・・・・
それ以外のふつ~の合わせ面とかの合わせが雑になってしまったorz
胴体前部の上下の合わせなんかめちゃくちゃ目立つもんなぁ。
しかも塗装のほうはレベルアップが必要。
ぐふっ。

ところで機体はスイス空軍のF-5Eなのですが、垂直尾翼のシリアルナンバーがなんか変じゃね?とかぐぐって検証なんかしちゃダメなんだからねっ!
べ、べつにデカール貼るときに貼り付け失敗してダメにしちゃったので米空軍おF-86Dあたりのテキトーな番号を貼り付けただけとかじゃないんだからっ!!
それとまったくどうでもいいことなのですが、機首にある2門の機銃、実はシャープペンシルの芯です(笑)
いや~、ランナーから切り離すときにどっかとんでいっちゃいまして。
でもパーツより雰囲気出るのでこれでOKなのです。


F-5Eといえば軽量戦闘機。
どんぐらい小さいかといえば・・・EF-111と比べるとこんなにちがう。



次はクフィルC7。
キットはイタレリの1/72ですが、これがまた合いがひじょ~に悪いうえに凹ラインでも墨入れができないほど(軽くふき取ると全部拭き取れてしまうほど彫が浅い)。




う・・・キャノピーのところにおもいっきり段差が。
しかも塗装はみだしてるし。
胴体と主翼の隙間もプラ板を挟みこめるぐらいあるし、胴体上下の合わせがめちゃくちゃ目立つ・・・
はい、これはキットがどうのではなく、パテをめんどくさがった私のせいですorz

つ、次はちゃんとがんばって作るんだからねっ!
Posted at 2017/02/09 00:07:15 | コメント(3) | トラックバック(0) | プラモデル | 日記
2017年02月04日 イイね!

であごすてぃーに九七式戦闘機(キ27)

さて2月です。
2017年も早くも1ヶ月以上が過ぎちゃったんですね。
あ~もうすぐ40だわ・・・
若くてピチピチしてた頃ははるか昔。
あ~若いときに戻りたいなぁ、いろんな意味で(笑)
さて

であごすてーに。
26号は陸軍の九七式戦闘機(キ27)です。



ではモデルのほうを。
モデルは・・・・
・・・なんだろう、この残念感は。
ものすご~くおもちゃっぽいというか。
何故?なんで?
それほど実機から離れてるとは思えませんけどものすご~くおもちゃっぽさを感じます。
色か?
この機体色のせいなのか?
というかなぜカウルが黄色い飛行第1戦隊の機体を選んだんだろう?
確かに実機にもこの塗装は施されましたが、精密なモデルになら違和感なく受け入れられますが、ディテールがかなりアバウトなモデルだと違和感のほうが強くなってしまいます。
ここは有名な独立飛行84中隊のカウルが赤で赤い帯が入った塗装のほうが違和感は感じなかったと思うのですが・・・・
ついでに主翼の上反角が妙に大きく見えるのは気のせい?
塗装のほうはともかく、「おもちゃっぽさ」を感じてしまうのは風防と風防前方に設置されてる棒。
風防のほうはキ27の前期型と後期型で形状が異なりますが、透明部分をただ塗りつぶしただけなので前期型とも後期型とも違う微妙な感じが・・・・
それ以上に気になるのは風防前についてる棒でしょうか。
この先っぽが丸い棒のようなものは光学照準器です。
望遠鏡のような形をしていて、これをのぞいて敵機に照準を合わせて機銃のボタンを押すわけです。
それが先端が丸い、ボールジョイントのように見える上にやたら目立つ・・・う~む。
さらにいえば前部胴体と後部胴体のつなぎ目の位置・・・・結構ずれてない?



さて、モデルの悪口のほうはここまでにして・・・・
キ27は主翼が非常に大きいですね。
キ27の全幅は11.3mと、後継のキ43が全長が1m長く、自重も400kg重いのに、幅はほとんど同じ(キ43は11.4m)なんです。
つまり機体が軽い上に主翼が非常に大きいのでめちゃくちゃ翼面荷重が低いことになります。
格闘戦ではトップクラスのゼロ戦やキ43の翼面荷重が117.7kg/m^2に対してキ27は脅威の83.4kg/m^2!
もはや複葉機並みということになります。
そう、キ27は究極の格闘戦戦闘機といわれる理由がここにあります。



径の太いエンジンからぎゅっと絞った胴体は同じ中島のキ43やキ44に通じるものを感じますね。
もちろん空気抵抗対策です。
胴体の前後を接合部分は風防の後方、エンジンの基準位置から3300mmの位置になります。
モデルではちょっと前過ぎますね。




ではちょっと戻って前から。
主翼下におっπ・・・・ではなく大きな半球状のドームがありますね。
これは増槽(落下タンク)です。
ここにはいる燃料は左右それぞれ各133リットルで、陸軍の戦闘機としてキ27が初めて採用しました。
キ27の航続距離は600kmですが、この増槽をつけることで300kmの航続距離の延長ができました。
また主翼下の主脚ですが固定式を採用しています。

さて、キ27の武装ですが、八九式7.7mm固定機銃を装備していました。
どこについているかわかります?
機首の上部や主翼に設置されてるわけじゃないんです。
場所はカウルの中。
機体の中心軸よりもやや下の胴体左右に設置されています。
銃身はエンジンのシリンダ間を通って配置されているわけです。
陸軍は格闘戦に強い戦闘機として軽量で運動性が高い機体に軽い7.7ミリの機銃を搭載していましたが、これはキ27も同じでした。
7.7ミリ機銃はやはり火力不足で、ノモンハン事件ではキ27の高い空中戦能力を思い知るとソ連戦闘機は防弾装甲を装備し、大火力の20ミリ機関銃を搭載して対抗したため苦戦したといいます。
威力が弱い7.7ミリ機銃ですが機体の構造上大口径の機銃への換装ができず弱点となっていたようです。
それでもノモンハン事件ではキ27がソ連戦闘機に対して圧勝ともいえる戦果を残すことが出来たことで陸軍の判断を誤らせて後継になるキ43も7.7ミリ機銃のみの搭載となってしまったのは残念です。



では開発経緯を簡単に。
明治43年12月にフランスから購入したアンリーファルマン複葉機を徳川大尉の手によって初飛行することで大日本帝国陸軍の航空機運用ははじまりました。
甲式四型戦闘機をはじめ外国から購入していた戦闘機は次第に中島の九一式戦闘機、九二式戦闘機といった外国の設計技術を踏襲した国産戦闘機を開発していきました。
この頃欧米では全金属単葉機が登場し始めていきます。
日本もキ5、キ8、キ11といった単葉戦闘機が試作されましたが制式化にはならず、後継は複葉機としては最高レベルの性能をもつ川崎の九五式戦闘機(キ10)が採用されました。
非常に高い格闘戦能力をもつとはいえ、既に全金属単葉機の時代になりつつありました。
そして陸軍にとって非常にショックなことがおきます。
昭和10年1月に「ライバル」の海軍が全金属製単葉戦闘機の九試単座戦闘機(後の九六式艦上戦闘機)をデビューさせたわけです。
当時の欧米の戦闘機を上回る高速を出し、高い空中戦能力を持つ革新的な戦闘機だったわけですが、一方の陸軍はキ10がまだ完成さえしていない時期だっただけに相当なショックだったようです。
複葉機全盛の頃に現れた洗練された未来的な全金属製単葉戦闘機がデビュー。
そりゃあショックだったでしょう。
陸軍は九六式艦上戦闘機を開発した三菱に九六式艦戦を陸軍向け仕様に改造した戦闘機をキ18の名前で納入してもらっいました。
陸軍と海軍は仲が悪いのは有名ですが、その陸軍が海軍に頭を下げてお願いしたのですからショックさが伝わってきますね。
キ18を入手して明野学校で非常に良好な飛行試験結果が得られたわけですが、永遠のライバルの海軍のお古を使うにはプライドが許さない!
・・・だったようで、エンジンに不満があるという理由で不採用にしちゃったわけです。
その上で昭和10年末に三菱、川崎、中島の3社に新型戦闘機の試作発注をかけます。
よ~するにキ18は技術的見本だったわけです。



陸軍が3社に出した要求仕様は
・最大速度450km/h以上
・高度5000mまでの上昇時間6分以内
・キ10に劣らぬ格闘戦能力
といったものでした。
翼面荷重が小さく、非常に小回りがきく複葉機のキ10は格闘戦能力は申し分ありませんから、非常に高い要求だったことがわかります。





【川崎】
キ10の採用を勝ち取った川崎ですから、次も勝ち取りたい川崎ですが、川崎といえば液冷エンジンマニア。
もちろん液冷エンジン搭載のキ28を開発しました。
キ10の試作時からたった1年しかたってないのに比べ物にならないほど進化した機体になりました。
液冷エンジンなので機首まわりはぎゅっとしぼりこみ、非常に空力的に洗練された機体となったようです。

【三菱】
陸軍からの頼みでせっかくキ18を作った三菱にとって、技術者からは不信感・反発がかなりあったようで、とりあえず仕事は請けるが、今の仕事(海軍のゼロ戦などの試作機)に影響しない範囲でやることになり、キ18に陸軍指定のエンジンへ換装するなど少しの変更でキ33を完成させました。

【中島】
社運をかけて臨んだ中島は本試作前に社内実験機を作って性能確認するほどで、格闘戦能力確保のために徹底した重量削減を目指したようです。
結合部品の重量削減のため主翼と胴体を一体造りとするほか、日本戦闘機としてはじめてカウルフラップを設定し、さらにエンジン前部に環状潤滑油冷却機を配置するなど技術を惜しげなく投入しキ27を完成させました。





昭和11年11月、川崎のキ28、三菱のキ33、中島のキ27がそろい比較審査がおこなわれました。
速度性能、上昇力性能はキ28が有利でしたが、格闘戦能力(水平旋回能力)は機体が一番重い(キ27、キ33は自重が1100kgに対してキ28は1400kg)ため不利ということになりました。
ただし上昇力、速度性能に優れるキ28は模擬空戦で有利だったようです。
・・・・が、液冷マニアの川崎の悪いところがでました。
エンジンが複雑でマトモに動かなかったわけです。
これれキ28は破れてしまいました。
水平旋回能力では有利だった三菱のキ33と中島のキ27ですが、設計思想、エンジンが同じある意味「異母兄弟」といったところで、性能はそれほど差はなかったそうです。
社運をかけている中島は技術者を派遣して指摘された事項を次々試作機に織り込んで進化していきました。
一方三菱のキ33は陸軍にあんな仕打ちをされたわけですから積極的ではなく、ほとんどほったらかし状態だったようです。
次々と問題対策を織り込んだキ27の2号機はキ33に比べ速度、上昇力、旋回性能ともに超えることができ、昭和12年12月に九七式戦闘機の名で制式採用が決まりました。


以上、九七式戦闘機(キ27)でした。
Posted at 2017/02/04 00:32:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記
2017年02月01日 イイね!

であごすてぃーに二式戦闘機”鍾馗”(キ44)

さて、平成29年になってもうすぐ1ヶ月ですね。
実は私は今年厄年なんです。
気をつけなければ・・・・
と思ってたら先日インフルエンザにかかってしまいました。
てへっ。
しかも私が不在のときに会社の小集団活動で私が発表者に選ばれてしまいました。
いわゆる欠席裁判ってやつですね。
さらに床屋にいって椅子に座ったら、おぱんつ様がぬれてしまいました。
どうも私が来る前に洗髪台の掃除したときに大量に水をぶちまいてしまったそうで・・・
(帰宅してからズボンの臭いをかいだら変なにおいがするけどまさか前に座った客が失禁したんじゃないだろうな・・・・汗)
さすが厄年・・・ハンパじゃないぜ・・・
これが前厄なんですから本厄はどうなんだろう?


であごすてーに。
25号は二式単座戦闘機”鍾馗”(キ44)です。


前から見たところ。
非常に頭が大きく一方で操縦席はびっくりするぐらい小さいですね。
主翼も意外と短い?



モデルのほうですが、いつものであごすてーにクオリティ。
ディテールは値段を考えれば妥当ですがプロポーションは悪くありません。
筋彫りの代わりにいつものように黒い線で再現していますが、今回はそれほど違和感がありません。
明灰色の機体よりも銀色の機体のほうがマッチしますね。



この角度からみるとちょっとずんぐりしたキ43(隼)に似てるかも?
と思えてくるから不思議です。
実はキ43とは全く正反対といえるほど性格が違う機体だったりします。


キ44を真横から。
主翼前縁に生えてる棒は手前はピトー管、その奥は12.7mm機関銃です。
そして主翼が妙に短く見えるのは角度や錯覚ではなく、実際短いんです。
キ43の全幅が11.43mに対してキ44は9.45m。
片側1mぐらい短いわけです。
それと機体の割りに垂直尾翼と水平尾翼が小柄で、しかも水平尾翼はずいぶん機体の前側に配置されてますよね。
もちろん理由があります。
これはキ44の胴体後部を意図的に長くしているんです
胴体が長ければ方向安定性が向上しますので、小面積の垂直尾翼でも十分方向安定性が得られたわけです。
胴体を長くして方向安定性を確保するのは零戦でも同じで、結果キ44は機銃の射撃時の安定性バツグンで命中精度向上に貢献したようです。


主翼。。。本当に小さいですね。
キ43とキ44は全長はほぼ同じぐらいの8.8mなのですが、自重はキ44のほうが500kgほど重い2095kgもあります。
それでいて全幅はキ43よりも2m短いわけですから翼面積はずいぶん小さいわけです。
重い機体に小さな翼面積(15m^2)。
つまり翼面荷重が大きいわけです。
格闘戦で有名なキ43の翼面荷重が117.7kg/m^2に対してキ44は184.3kg/m^2!
これは大きい。
さらにキ43は7.7mm機銃が2門だったのに対してキ44は7.7mm機銃2門に加え12.7mm機銃を2門装備していました。
はるかに大火力だったわけです。




この角度から見るとキ44の特徴がよくわかります。
非常に大型のエンジンを積み、小型の主翼を装備していますね。
そう、キ43が格闘戦を重視した軽戦闘機に対してキ44は重戦闘機だったわけです。
格闘戦を重視せず、大馬力のエンジンで上昇力と速度、そして大火力で一撃離脱戦法をキ44は目指していたわけです。
主翼の後方にはフラップがありますが、このフラップは蝶型フラップと呼ばれるキ44用に開発されたものです。
翼面荷重が大きいので旋回性能が非常に悪くなってしまいます。
それをある程度補うのが蝶型フラップで、ファウラーフラップの一種ということになりますが内側と外側の滑り出し範囲が異なっていて、その動きが蝶が羽ばたくように見えるからこの名前が付けられたそうな。
キ44はこれを空中戦での旋回時にも使えるようにしたのですが、実際は空中戦ではほとんど使われなかったそうです。



後ろから見ると結構奇抜な感じがしますね。
これはキ44の求められた速度性能からきたものです。
キ44は大馬力エンジン(1450馬力のハ109)を搭載するわけですが、このエンジンは九七式重爆撃機のエンジンの改良型ですからとにかくでかい。
直径は1260mmもあったそうです。
空気抵抗もばかにならないわけですが、モノがモノだけにカウリングは太いままでそれなりの流線型とし、ただし外部に余計な突起をつけないようにしました。
一方胴体はかなりきつく絞ることで空気抵抗を抑えるようにしています。



では簡単に開発経緯などを・・・
大日本帝国陸軍はそれまで格闘戦能力の高い軽戦闘機を重視していました。
複葉機から単葉機になって九七式戦闘機(キ27)やキ43が開発されるようになってもやはり機体を可能な限り軽量にし運動性を第一とする軽戦闘機を重視していました。
ところが欧米では火力と上昇力・速度性能で一撃離脱戦法をおこなう傾向になっていったわけです。
日本では昭和9年にフランスのドボアチンD510という戦闘機が時速400km/hという高速でしかも20mm機関砲をモーターカノンとしたことに衝撃を受け、昭和11年にキ12という試作機に7.7mm機銃に加え20mm機関砲をモーターカノンとして設定していました。
昭和13年に陸軍航空本部は従来までの「単座戦闘機」という定義を運動性重視の「軽単座戦闘機」と速度に卓越し機銃2門に加え機関砲を備える「重単座戦闘機」と定義しています。



さて昭和14年6月に陸軍航空本部は中島飛行機に重単座戦闘機の開発を命じました。
これがキ44です。
このときのスペックは
・高度4000mにて最大速度600km/h以上
・高度5000mまで5分以内の上昇力
・巡航速度400km/hにて2時間半+空中戦30分で行動半径600km
・武装は7.7mm機銃2門、12.7mm機関砲2門
というものでした。
キ43の要求スペックでは最大速度は500km/hでしたから速度性能と火力を重視した戦闘機だったというわけです。
速度を重視するということで抵抗をできるだけ抑えるために翼を小さく、また大馬力のエンジンを搭載することになりました。
エンジンは重爆撃機用の物を使いましたから当然機体は重くなりますが、主翼は小さいので翼面荷重は非常に大きなものになりました。
最初から格闘戦能力は優先しないと割り切った設計だったことがわかります。



キ44は試作発注中から1年2ヶ月という短期間で1号機が完成しました。
昭和15年8月に軍に納入され試験がおこなわれたのですが・・・
速度性能550km/h、上昇力5000mまで6分22秒と、ともに要求スペックには大きく下回る結果になってしまいました。
しかも機体重量が計画よりも超過してしまったため翼面荷重がさらに大きくなり、旋回性能が悪化・・・・こりゃあかん!
これにあわてた中島飛行機は空気抵抗対策としてエンジンカウルの形状を見直すなどして最大速度616km/hにまで向上することができました。
とはいうものの、上昇能力は6分近くかかることもありキ44の審査をおこなった開けの飛行学校では実用価値ナシという判断をされてしまいました・・・・・
と、これでプロジェクトが終りになるはずだったのですが、参考用に輸入されたドイツのBf109Eとの比較で速度性能、加速性能、旋回性能は勝ることがわかり、重戦闘機としては悪くないのではないかということになりました。
さらに対米関係の悪化で戦争も秒読みだったこともあって防空用迎撃戦闘機として量産が認められることになったわけです。
ところで終戦後米国でのテストではキ44は高性能な迎撃戦闘機だとの評価だったようです。







さて、陸軍が防空用に重戦闘機を配備したように、海軍も同時期に重戦闘機を配備しました。
それが局地戦闘機雷電です。
似たような性格の戦闘機を陸海軍でばらばらに、しかもほぼ同時期に全く別の開発・運用思想でたどり着いた防空戦闘機が生まれたわけですが、裏を返せば統合運用という考えが全く無い悲しさの現れかもしれませんね。





速度性能、上昇力性能、火力重視という似たような性格の戦闘機、しかも同じ国で同じ時期に作られたのですから、似たような戦闘機が生まれると思いきや、見た目からして全く別の機体にそれぞれ生まれたのが興味深いですね。
キ44、雷電ともに径の大きいエンジンを装備し、主翼が非常に小型のものを設定しています。
・・・が、それ以外は全く異なります。
キ44は太いエンジンを包むカウルの形を流線形にして、そのまま後ろにいくにつれ胴体をきつく絞っているのに対して、雷電はカウルを細くして空気抵抗を抑えることにしています。
プロペラとエンジンをつなぐシャフトは延長シャフトを使って、エンジンをなるべく機体後方側に配置させ、そ胴体の断面の一番太いところに操縦席を置いています。
しかも操縦席の後方はそのまま胴体と一体になってるので視界が遮られ、かなり不評だったようです。
キ44、雷電ともに空気抵抗をどれだけ減らして速度性能を確保するのかに苦しんだんだなと機体をみるとなんとなく感じますね。


以上、キ44でした。
Posted at 2017/02/01 00:07:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記

プロフィール

「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
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