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アスロックのブログ一覧

2016年09月07日 イイね!

であごすてぃーに零戦二一型

お盆休みは広報館すら行ってなくて、通ってる病院と買い物と某ビデオレンタル店で化物語を借りに行くぐらいしか家から出てません。
まぁ諸般の事情があるとはいえ、基本的に引きこもり気質ですしね(^^;
ひたすらプラモ作って化物語を見てるだけの1週間だったなぁ・・・・。


さて、プラモで忘れがちですがもちろんこれも続けていますよ。

であごすてーに。


第11号は零式艦上戦闘機二一型です。
零戦は第2号で五二型が出ていますが、艦上戦闘機のイメージを考えるとやはり二一型は外せませんね。



モデルのほうは前回の五二型の仕様違いといった感じですが(そりゃそうだ)、雰囲気はもちろん、形も結構違います。
カウルの形状なんか見比べるとずいぶん違うんだと再認識させられます。
何の偏見もなく「零戦らしさ」だけで選ぶと二一型よりもカウルの形から五二型のほうが「零戦らしい」と感じてしまうので不思議です。
モデルのほうは・・・・正直う~んといったところ。
別に今までのモデルと比べて著しく形状が変とか品質が悪いというわけじゃないですよ。
機体にはパネルの溝を黒い線が入れられています。
プラモで言う墨入れのようなものですが、明灰色の機体ではやたらこの黒い線が目立つんです。
五二型や雷電のように緑色の機体なら黒い線はさほど目立たないのですが・・・



雰囲気は悪くないですね。
主脚カバー内側や脚収納部は青竹色に塗られています。
それにしても・・・ピトー管は手抜きすぎじゃね?
別パーツにしたほうが絶対に良かった。



零戦をちょこっと紹介。
零戦は正確には「零式艦上戦闘機」といいます。
零式というのは紀元2600年に制式化されたことを示します。
例えば「二式戦闘機」といえば紀元2602年、「九六式戦闘機」といえば紀元2596年になります。
紀元というのは神武天皇が即位したときから数えたときの暦で、紀元2600年は昭和15年になりますが、この年は紀元2600年記念行事が盛大におこなわれたそうです。
そりゃ国の歴史でひとつの国として2600年も続いたなんて世界でも珍しいし誇らしいことですものね。
神武天皇が即位した日を「紀元節」として戦前は祝日となっていました。
戦後はこの日は建国記念の日として建国を祝う日として定められています。
・・・そういえば一部のアレな人たちが軍国主義に繋がる(どういう論理だ・・・?W)とか騒いで集会やってたりしますね。
おっとずれてしまった。
とにかく零戦は紀元2600年(昭和15年)に制式化された艦上戦闘機ということになります。
艦上戦闘機って何?ということになりますが、これは空母で運用する戦闘機を意味します。
空母で自分の力で離艦・着艦する飛行機を「艦上機」といいます。
一方で戦艦や巡洋艦などから飛ばす水上機を「艦載機」といいます。
日本海軍は艦上機と艦載機を分けて呼んでいたようです。
米軍はひとまとめで艦載機と呼んでるっぽいですが。
さっきからでてきてる「二一型」とか「五二型」というのは仕様差によるタイプで、生産期間中に軍の要望で強力なエンジンや機銃に換装したり、主翼を変更するなどでタイプをわけています。

さてゼロ戦といえば緑色では?と言う人も多いと思いますが、初期(二一型や三二型や二二型の初期生産)は全面明灰色だったんです。
零戦は空母で使う戦闘機ではありますが、南方の基地航空隊で使うことも増えてきました。
明灰色は空から見るとジャングルなどに覆われた地上の基地では非常に目立つわけです。
そこで濃い緑色に塗られるようになったそうです。



そのゼロ戦ですが、やっぱり有名ですね。
雷電、飛燕、隼・・・
いろんな戦闘機がありましたがプロペラがついてる日の丸戦闘機といえばほぼ「ゼロ戦」と返ってくるぐらい少なくとも名前は知られています。
そのバツグンの知名度は末期の特別攻撃の悲劇的な物語の印象もありますが、やはり中国戦線、太平洋で大活躍した最強の戦闘機と言うところが大きいと思います。

昭和11年6月に海軍は戦闘機の性能標準と言うものを出しました。
これは後の零戦開発のベースになる性能仕様になるわけですが、実はこのとき空母機動部隊を攻撃の主力とした航空作戦を考慮したわけではありませんでした。
まだ当時は戦艦と戦艦が砲撃戦で艦隊決戦を決めるという構想が主流でしたから・・・当たり前といえば当たり前なのですがちょっと驚きですね。
ではなぜ後のゼロ戦が長大な航続距離をもっていたかというと・・・
当時は空母は補助兵力的な扱いでした。
戦艦などから離れた場所で行動して戦艦部隊の防空や、敵の戦艦の弾着観測機を撃退するためのものだったんです。
その後発生した支那事変で急を要すると判断され、航空戦の教訓などを織り込んで計画要求書が昭和12年10月にだされました。
この時期は九六式艦上戦闘機の量産が始まったばかりですが、九六式艦上戦闘機は非常に運動性がよく中国戦線で大活躍しました。
新型戦闘機の要求仕様はこの九六式艦上戦闘機と同等の運動性をもち、速度と上昇力をさらに高いものとした上に20ミリ機関銃という大火力の装備を装備することというものでした。
運動性が良いというのは軽くないとダメですが、速度や上昇力を向上させるということはさらに強力なエンジンが必要、つまり重く機体の大型化が必須です。
航続距離は大量の燃料を積むことが必要ですし、20ミリ機関銃は当然重たい。
にもかかわらず九六式艦戦同等の運動性をもたせろ。
・・・ムチャいったらあきまへんがや・・・
この航続距離(時間)ですが、どれぐらいとんでもないかというと仕様書には巡航速度で6時間だったそうです。
米国のF4FやF2Aなどの単座単発戦闘機がせいぜい3時間が限界だったようですからもうムチャもいいところです。
なぜ海軍がこんなムチャを出したかといえば、中国戦線では長距離を飛ぶ味方爆撃機を援護することが求められたからです。
九六式戦闘機では対応できなかったわけです。



後ろから見ると特に感じますがゼロ戦って胴体がすらりと細長いですね。
これは20ミリ機関銃の命中率を上げるためです。
反動の大きい20ミリ機関銃に対処するためモーメントアームを長くして方向安定性を高めることで命中率の向上を図ったそうです。
さて運動性の決め手となるのはエンジンと主翼です。
速度性能を求めるなら翼は薄く、面積も小さくすればいいのですが、主翼の中に入る燃料タンク量は小さくなりますし翼面荷重が大きくなるので機動性は落ちます。
そこで速度に対しては不利ながらも翼面積を大きく取り、主翼の厚さも大きくしました。
その対処として徹底的な軽量化と空力の洗練を追求したわけです。
まず操縦席の風防(窓ガラスね)をそれまでの開放式から抵抗の少ない密閉型にしました。
それまでは開放式が当たり前で視界が制限される密閉式はかなりの反発があったそうですね。
それと主脚をそれまでの固定式から引き込み格納式にしました。
今では当たり前の技術ですが当時としては画期的だったんでしょうね。

ゼロ戦といえば軽いというイメージがありますが、軽量化は最も力を入れていたそうです。
全備重量は2.3トンを目指していましたが、重さのコントロールを10万分の1単位(23グラム!)でやって少しでも軽量化を目指していたそうです。
構造材には住友金属が開発したばかりの超超ジュラルミンというアルミ合金を使用しました。
従来の超ジュラルミンと比べると抗張力が30%以上優れる新素材を採用したわけです。
他にも構造材では剛性に問題ない場所に丸い孔をあけて軽量化を地道にするなどで軽量化に務めたわけです。
零戦二一型の自重は1754kgですから先代クラウンと同じぐらい。
信じられますか?全長12m、全幅9mという大きな飛行機の重さがクラウン1台分ぐらいしかないんですよ。




さて後の零戦となる十二試艦上戦闘機の1号機は昭和14年3月に完成しました。
さあ初飛行・・・となるのですが、十二試艦戦は名古屋にある三菱の工場です。
当時は航空機メーカーといえども自前の飛行場は持っていなかったので、岐阜県の各務原飛行場(今の航空自衛隊岐阜基地)で初飛行を行ったのですが、牛車で運んだとばい!
1日かけて40km離れた各務原に運んだのはトラックではなく牛車。
当時は道路事情もよくなかったので貴重な機体を壊さないようにゆっくり牛車を使って運んだわけです。
そして4月1日に初飛行となったわけです。
その後エンジンの換装(サラっとかいてますが実はとんでもないことなんですよ。ただサイズが近くてすんなりいったのが幸いだったようです)や試作2号機の空中分解事故などの問題をクリアして昭和15年7月2日に「零式一号艦上戦闘機」の名前が付与され、ここにゼロ戦が誕生しました。



さてこのモデルは零戦二一型ですが、この二一型というのはサブタイプの型式のようなものです。
試作型の十二試艦上戦闘機は何機か作られたのですが、試作3号機以降と初期の機体は零戦一一型と呼ばれています。

この一一型をベースに水上機にしたのが二式水上戦闘機です。
水上機のフロートを零戦につけたものですが、運動性能は九六式艦戦には劣るものの水上機としてはバツグンの機動性だったようです。


零戦は空母で運用することを考えた艦上戦闘機なので着艦フックを搭載するなど艦上戦闘機試用にしたのですが、実際に零戦を搭載してみると空母のエレベータのサイズに対して結構ぎりぎりだったんです。
そこで主翼の翼端を上に折りたたむ構造を追加しました。
これは零戦一号艦上戦闘機二型と呼ばれ、後に零戦二一型とされました。

この後、加給機を二速としたエンジンに換装して主翼を50cmほど切り落とした速度向上をねらった型が作られました。
これは零式二号戦闘機、後に零戦三二型と呼ばれます。
零戦三二型は航続距離が劣ったので、燃料を増やして主翼を二一型とほぼ同じものにしたのが零戦二二型です。
三二型より速度はわずかに下がりました(二一型よりは高速)が航続距離は大幅に向上したようです。
この二二型から主翼の折りたたみ機構をなくしたものを一二型と呼ばれていた?・・・・そうです。


この後二二型をベースに、主翼の折りたたみ機構を廃止と同時に主翼を短縮して速度性能を向上させ、さらにエンジンの排気管を推力式単排気管にして推力向上をねらったのが零戦五二型、さらに20ミリ機関銃を換装した五二甲型、右側胴体銃を7.7ミリから13ミリ機銃に変更した武装強化型が五二乙型、さらに武装と防弾を強化したのが五二丙型があります。
そのほかに水メタノール使って瞬間的に速度UPをねらおうとしたり戦闘爆撃型や複座練習型、複座偵察型、夜間戦闘機型などさまざまな派生方や量産されなかったものの計画が進められていたタイプがあります。



以上、零戦二一型でした。
Posted at 2016/09/07 00:32:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記
2016年08月21日 イイね!

続・プラモデルをつくってみた(BACライトニングF6/F-100スーパーセイバー)

お盆休みも気が付いたら明日でオシマイですよ。
なんだかなぁ~
今年は諸般の事情+熱中症の関係で買い物など以外は基本的に引きこもり状態でした。
まぁ何かイベントあったとしてもこう暑くては耐えられませんけどね(;_;)
あ、某怪獣映画もまだみにいけてないんです。
見に行きたいのですが・・・


さて、イベントはなくても時間はたっぷりあるのでやることといえばプラモです。
こういうときじゃないと作れませんしね。
1週間まるまるっと使って作りました。


1/72スケールのF-100Dスーパーセイバー戦闘爆撃機です。
タミヤ・・・というよりイタレリといったほうがいいですか。


前半はびっくりするぐらいサクサク作れたのですが、機首付近でおもいっきり苦労しました。
とにかくあいが悪い。
エアインテイクと機首は段差がすごい。
というかエアインテイクのほうが少し大きいんですよ。
さらにキャノピと胴体にはかなりの隙間があってパテ埋めせざるを得ません。
さらにさらにこのキャノピですが、真ん中付近に不要な枠がありました。
これを紙やすりで削ってコンパウンドで磨いて・・・と非常に手をかけさせてくれました。



塗料はタミヤカラーではなくMRカラーを使いました。
といっても単に銀じゃなくメタリックカラーのアルミを使ってみました。
実機とは結構違いますが頭の中で描いてるイメージに近づいて楽しかったです。



前回の失敗を教訓にして、下塗りには黒色を使いました。
段差や胴体のあわせ部はもちろんパテや接着剤を使って段差埋めをしてそれなりに処理したのですが・・・
下地処理が甘かったです。
銀色に塗るとまぁ段差やら傷やら表面の状態が目立つ目立つ(笑)
銀色って難しいですね。



今回メインになるところはメタリックカラーのアルミ1色で塗りましたが次はいろんな色を使い分けてパネルごとに塗り分けてみたいですね。
写真では伝わりませんがアルミっぽさはうっとりです☆
風防は・・・メタリックカラーで塗るのはやめたほうがいいかも。
メタリックカラーは塗ったあとで軽く磨くとツヤツヤの金属色を再現できるのですが、風防に塗って磨いたらはげちゃいました(>_<)




実は同時にこれもつくってたんです。
1/72のハセガワ BACライトニングF6です。
エンジンを左右ではなく上下に2基搭載し、後退翼なんだかデルタ翼なんだかわからんぶっとい主翼をもち、こともあろうに増槽を主翼上面に搭載するとう暴挙はなんとも理解しがたいですね(笑)



説明書ではねずみ色に塗るようになってましたが、どうせならとこちらもMRカラーのアルミを使いました。
主翼のウォークラインは黒になるはずですが、まぁ無視で(笑)
それにしてもこの主翼上の増槽は信じられないの一言ですね。
ついいつものクセで主翼下に取り付け穴を探してしまいました。



風防に接着剤がついてしまったのでこれは時間があるときにでも新品を取り寄せるか研磨しよう。
下地処理の甘さはこのライトニングでもかなり顕著で、自分の技術の無さをいやというほど実感しましたが、それ以上に情けないミスをしてしまいました。
機首に錘を入れ忘れてしりもちしてやがります。
この写真、よくみると水平尾翼にシャープの芯をつかって支えてますね(^^;

作りや塗りはまだまだのレベルではありましたが、F-100、ライトニングというこの第2世代戦闘機は作っていてとても楽しかったです。
70年代のF-15やF-16といったスタイリッシュな戦闘機にはない独特の雰囲気。
一言で言えば「ダサい。」
すさまじくダサいと言っていいと思いますが、同時に現用機にはない独特のかっこよさがあります。
これが「ダサかっこいい」というやつでしょうか。
ストレートすぎるF-100も、どうしてこうなった?なライトニングもたまらなくかっこいいんですよ。
前回作ったF-105も含めてこの第2世代戦闘機って中毒性のある魅力がありますね。
さて次は何を作ろう?
Posted at 2016/08/21 01:37:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | プラモデル | 日記
2016年07月30日 イイね!

プラモデルを作ってみた。(EF-111/F-105サンダーチーフ)

最近プラモデル作りにはまってます。
GWのときは

1/72のSR-71A偵察機(アカデミーのなのだ・・・安かったので)を作りました。
これがはじめてのエアブラシを使ってのプラモ作りになったわけですが、その後すぐに次の作品を作りたくなってきました。
といってもエアブラシはやたらやかましいので使う時間は限られますので非常にゆ~っくりしたペースです。
さあ2作目は何にしようかな?
そうだ、あれにしよう。

可変翼でターボファンエンジン双発の西側の大型機。
もうおわかりですよね、そうこれですよこれ。


れいぶ~ん。

実をいうとF-106デルタダートを作るつもりだったのですが、たまたま寄ったプラモ屋でこれをみつけちゃったんです。
あんまり乗り気ではなかったのですがキットそのものが珍しいのでいつか(10年後かな?)作ろうと思っていたわけですが、箱を開けたら無性に作りたくなってしまったわけです。
恐るべし外プラ!



キットはモノグラムの1/72。
1980年代半ば頃のものらしいのですが結構作りやすく楽しかったです。
え?すごく変なところがあるって?
言わずともわかる!
さきっちょがまがってることでしょ?
ピトー管がちょっとした事故でふっとんでどこかにいってしまったんです。
仕方ないのでシャープの芯を銀色に塗ってくっつけたのですがひんまがってくっついてしまったわけです。


あ~塗装が・・・
やはりまだなれていないこともあって塗装がうまくいきませんでした。
キャノピーなんかはみ出しまくってますし、パテ埋めできてないので段差も目立つなぁ。
とにかくいろいろ反省点を抽出できた2作目になりました。


さて、2機作るのも2機つくるのもそんなにかわらない(ほとんど塗装だし)ということで今回同時に組み立てたものがあります。
それは

ハセガワの1/72のF-105Dサンダーチーフ。
初めての迷彩と言うことで非常に苦労しましたが、塗装は案の定ダメダメでした(^^;


でも雰囲気がそれっぽくできたので満足なのです(笑)
このキットですが、40年ぐらい前の相当古いキットらしく、精度なんかはそれ相当なものでした。
当然その修正なんて初心者の私にはハードルが高く、ほぼそのまんま組(すりあわせやパテ埋めもやらない)んだわけですが・・・
段差すごい目立つなぁ。


さて、2機作るも3機作るも(ry

というよりなぜか家に2箱あったんですよF-105Dが。
以前手に入れたのですが、部品が欠品だらけ。
部品を通販で手に入れたりして、もともとの値段の3倍ぐらいかかってしまいましたorz
箱とデカールは違いますがキットは同じものです。


2機とも同じ迷彩で塗るのも面白くないので、初期の銀色にしてみました。
・・・はい、問題発生。
デカールがありません。
そりゃヴェトナム迷彩用ですもん。
そこでF-86Dのデカールを使ったわけです。
写真では機体番号「FU-105」になってますが、これはまんまF-86Dの機体番号です。
というか「FU~」なんてF-105は使ってません(笑)
コーションデータなんかは古いデカールを流用、空中給油口の縁やウオークライン、タービンラインの赤色はデカールなんかもちろんないので塗装で再現してみましたが割とよくできたかも(^^;
塗装のほうですが、なんかにっぶ~い色ですよね。
完全に失敗しました。
下地処理を間違えたんです。
サーフェイサーを吹いてその後下地処理をしなかった(黒などで下地塗装するんだそうですね)ので、表面はざらざらしたサーフェイサーの上に直接銀が乗ってる状態です。
そりゃ艶なし銀になるわ。


さて、マトモに塗装も出来ない私ですが生意気にもこのキットは2箇所改造したんです。
ひとつはエンジンノズル。
ここはエアブレーキになってるので実機では分割してるのですが、キットではくっついて成形されてます。
さすがに目立つので切り込みを入れました。
もうひとつはシートです。
実はこのキットにはシートがない!
・・・わけではないのですが、パイロットと一体化してるのでプラ板でそれっぽく作ってみたわけです。
本当はもっと薄いはずなのですが、気が付くとF-15などのACESⅡっぽくなってしまった(苦笑)


さて次は何を作ろう?
Posted at 2016/07/30 01:47:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | プラモデル | 日記
2016年07月27日 イイね!

海フェスタ東三河の海上保安庁大型巡視船「みずほ」 体験航海

さて海の日は1週間前の7月18日ですが海フェスタ東三河は7月31日まで続きます。
2週間目になる23日には海上保安庁の巡視船「みずほ」が体験航海、24日には一般公開が行われました。
今回は体験航海には参加できなかったので戻ってくる入港を見学してきました。


展望台から神野埠頭3号岸壁に戻ってくる巡視船「みずほ」を。
船体に比べると船構造物がずいぶんボリュームを感じます。
「みずほ」の横には接岸を支援するためのタグボートがついています。




展望台を降りて3号岸壁から。
「みずほ」は大型の巡視船ですが海上自衛隊の「あさぎり」型護衛艦に船体のサイズは近いかもしれません。
PL-21「みずほ」は総トン数5259トン、常備排水量5317トン、全長130メートル、最大幅15.5メートル。
一方護衛艦「あさぎり」型は基準排水量3500トン、満載排水量4900トン、全長137メートル、最大幅14.6メートルですから「みずほ」のほうが船体は平べったく感じます。
それにしても常備排水量5000トン超えですから、単純な排水量の比較ではミサイル護衛艦「たちかぜ」並み?



船首側。
海上自衛隊の護衛艦のような速射砲はありませんが、海上警備ではそれなりのストッピングパワーとしての火力が必要です。
巡視船「みずほ」は35ミリ単装機銃と20ミリ多銃身機銃を1基装備しています。
クレーン車のクレーン操作席のようなものの横に見える棒状のものが35ミリ機関銃。
20ミリ機銃は船橋前方に設置され、今回はカバーをかけられています。



船橋構造物を前方から。
船橋天蓋部やマスト横には白いドーム状のものがみえます。
これは衛星映像伝達システムのアップリンク用アンテナや衛星通信アンテナです。
このほかにも巨大なサーチライトやマストには水上レーダなどが確認できます。
搭載するヘリコプターが撮影した映像はアンテナで受信して船内で記録すると同時に陸上施設にリアルタイムで転送されるようです。
マストには海上保安庁旗が掲げられています。
この旗は海上保安庁の船艇に掲げられることが義務付けられています。



船橋斜め後ろから。
船首側面には紺色で巨大な「S」が描かれています。
海上保安庁の船舶のシンボル的なS字マークですが海上保安庁の使命になる「Safety」「Seach and Rescue」「Survery」とモットーの「Speed」「Smart」「Service」の頭文字を図案化したものです。



船橋構造物後方から煙突。
煙突には海上保安庁のシンボルマークになるコンパス(羅針盤)マークが描かれていますね。
護衛艦並みの大きさをもつ「みずほ」ですが主機はガスタービンではなくディーゼルエンジンを2基、2軸としています。
ここは護衛艦との運用思想の違いといったところでしょうか。
出力は18200馬力、速力は23ノットとされています。
船橋天蓋部の手すり部分には電光表示装置が設置されていますね。




こちらはヘリコプタ甲板。
「みずほ」は2機のヘリコプターを搭載できるだけ合って非常に広大なヘリコプタ甲板をもっています。
当初はベル212型ヘリコプターを搭載していましたが、現時はベル412型を搭載しているようです。
ヘリコプター格納庫の天蓋部には緊急時の放水銃が設置されています。


接岸作業中の「みずほ」。
巡視船PL-21「みずほ」はヘリコプター2機を搭載する「みずほ」型(ヘリコプター2機搭載型)巡視船として昭和58年度に計画され昭和61年3月に竣工しています。
ヘリコプター2機を搭載するだけあって非常に大型の巡視船となりました。
我が国はSAR条約の批准で捜索救助担当海域は距離にして1200海里という非常に広大なものになりました。
広域の哨戒、救助活動をするため昭和57年度から海上保安庁が整備をしたのがジェット機(ファルコン900型)とヘリコプターを2機搭載する大型巡視船(「みずほ」型)です。
船橋構造物が大きく、充実した警備救難指揮所(OIC)を備えているようです。
乗員は130名ですが緊急時の乗船可能人数は実に900人といいます。
既に大ベテランの巡視船ですがまだまだ現役のようですね。


以上、海フェスタ東三河の海上保安庁大型巡視船「みずほ」 体験航海・・・・の着岸でした。
Posted at 2016/07/27 00:31:30 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミリタリーイベント | 日記
2016年07月17日 イイね!

海フェスタ東三河の艦艇一般公開(護衛艦「こんごう」)

7月の第3月曜日は海の日です。
それにあわせて7月16日から31日まで愛知県東三河地方で海に関するイベント「海フェスタ東三河」が行われました。
各種艦船やイベントが行われる港祭り的なものですが、海上自衛隊からはミサイル護衛艦「こんごう」が一般公開されています。


公開が行われたのはちょっと見づらい豊橋の三河港神野埠頭7号岸壁(グーグルマップではちょっとわかりづらいぞ)ということもあって接岸をみることが難しい・・・・
ので展望台(カモメリア)で写してみました。
今回一般公開されたのはミサイル護衛艦DDG-173「こんごう」(基準排水量7250トン、満載排水量9500トン)です。
「こんごう」型ミサイル護衛艦の1番艦で平成5年3月に竣工しています。
周囲の曳船やクレーン車、コンテナ船と比べても非常に大型ですね。
全長161m、幅21mですから、幅だけでF-15戦闘機の全長(19.4m)より長い!
かなりのボリュームがあるように感じます。


全体が見られる場所(7号岸壁の橋の上)で写しました。
この写真を写したのは一般公開がスタートしたお昼なのですが、岸壁にはかなりの人がいますね。
艦首から艦尾までずらりの列が並んでいます。
「こんごう」の全長は161mですから140mぐらい並んでいるでしょうか?
・・・何人並んでるのか考えたくない(;_;)
はい、この日の気温は28度と猛暑が続く日と比べればちょっと落ち着いてはいますけど、この場で1時間ぐらい並ぶのは熱中症が怖い(ちなみにこの写真を撮った場所から第7埠頭の入り口まで徒歩で結構あります)・・・
よし、艦艇見学はあきらめよう。
既に今年2回軽い熱中症になってるし、ここで3回目はいやんですものね。



さみしいので望遠つかって写真を少しだけ。
艦の中央付近です。
艦首側にあるのは54口径127ミリ速射砲。
護衛艦「たかなみ」型に搭載されているものと同じ速射砲で、弾丸重量が32kgという口径127ミリの砲弾を40発/分という高い発射速度で射撃することができます。
艦橋構造物前方には高性能20ミリ機関砲が装備されています。
敵の対艦ミサイルは対空ミサイルや速射砲で迎撃しますが、それでも撃ちもらした場合は20ミリ機関砲を高速で射撃して破壊する「最後の砦」となります。
電柱の後ろになってしまっていますが、艦体とは色の違った白っぽい巨大な板が見えます。
これがイージス艦のシンボルでもあるAN/SPY-1三次元レーダです。
非常に高性能なパッシブフェイズドアレイレーダで広範囲の監視・捜索・追尾・対空ミサイルの誘導を行います。
このレーダアンテナは艦橋構造物に4枚設置されていて360度をカバーしています。
エントツの後ろに見える筒状のものはハープーン対艦ミサイル発射筒。
射程100数十kmにもなる対艦ミサイルをここに装填しています。



同じく艦中央付近の艦尾側。
エントツの後方に巨大なパラボラアンテナが見えます。
これは対空ミサイルの誘導装置SPG-62です。
対空ミサイルの誘導指令は巨大なAN/SPY-1Dで行いますが、目標に命中する直前の精密誘導でこのイルミネータを使います。
ところで対空ミサイルがどこにも見当たりませんね。
対空ミサイルの発射機は船体に埋め込まれています。
垂直にミサイルが装填されていて、弾庫兼ランチャになっているVLSと呼ばれる垂直発射機にセットされています。
弾庫とランチャを兼ねてるので発射時にランチャにセットする必要が無く、また発射してから目標に対してミサイルが向きを変えますのでランチャや艦を目標の方向に合わせる必要もありません。
これにより次々と矢継ぎ早にミサイルを発射できます。



海上自衛隊はヘリコプターを複数搭載するヘリコプター搭載護衛艦や対潜対空対水上目標など多目的な任務を行う汎用護衛艦、艦隊を敵のミサイル攻撃から守るミサル護衛艦があります。
「こんごう」はミサイル護衛艦と呼ばれていて、スタンダードSM-2という長射程の艦対空ミサイルを搭載しています。
これで艦隊全体を防空するわけです。
また弾道ミサイルの迎撃も「こんごう」の重要な任務のひとつで、我が国に向けて発射された弾道ミサイルを追尾・対空ミサイルを発射して宇宙空間で撃破する任務についています。
北朝鮮の弾道ミサイルが発射されたとき、ペトリオットミサイルと一緒にイージス艦がニュースに登場するのはイージス艦が弾道ミサイル迎撃に対して非常に重要な役割についてるからです。
一般的に弾道ミサイルの弾頭は核弾頭ですが、弾道ミサイル迎撃が私たち国民の生命財産を守ることに直結していることがわかります。


ちなみに同型艦の「きりしま」の一般公開は昨年観艦式の艦艇一般公開で行われています。
よかったらこっちもみてね



おまけ。
7号岸壁の横の海上保安庁三河海上保安署の巡視艇CL-32「ひめかぜ」(総トン数23トン)。
「ひめぎく」型巡視艇(20メートル型)の22番艇で平成5年6月に竣工しています。



Posted at 2016/07/17 22:45:23 | コメント(4) | トラックバック(0) | ミリタリーイベント | 日記

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「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
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スバル R2 スバル R2
スバル R2に乗っています。 後席がちょっと狭いですが良い車ですよ(^^)
スバル レヴォーグ レガシィ後継車 (スバル レヴォーグ)
先代が事故で早期引退となってしまったため、導入されたレガシィ後継車です。
スズキ アルト スズキ アルト
10年ほど乗っていた以前の車です。 660CC規格になって初めて乗った車でした。
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