昨晩、愛車・ZZR1100が引き取られてゆきました。
彼を世に送り出し僕の元へと引き寄せてくれたバイクショップの手によって。
思えばZZRは学生時代からずっと憧れでした。
ZZRに限らず、「フルカウル」のバイクがやけにカッコよく見えたものでした。
当時はちょうどZZR1100からZZR1200へモデルチェンジを果たした時期でもありました。
中でも1100は、発売当時「世界最速バイク」として雑誌などをわかせた存在。
特にハイスピードに興味があったわけではありませんが、憧れはずっと持ち続け…。
そしてようやく巡り会うことができたのが、ちょうど1年前の2012年10月。
彼は憧れの中のままの凛々しい姿で僕の元へとやってきてくれました。
スタイル、パワー、そして所有感。
どれをとっても申し分ない、むしろ僕にはもったいないくらいでした。
「10年の時を経て、ついに憧れが叶った!!」
そんな彼との生活が始まり、はじめはその重さとパワーに苦戦したものですが…。
徐々に慣れ、あまり重さも気にならなくなってきた頃、1回目の悲劇はやってきました。
なんと、不覚にも立ちゴケをしてしまったのです。
極めて重いバイクなので、ある程度傾いてしまうともう立て直すことは不可能です。
よほどの怪力の持ち主でもない限り。
不幸中の幸い、ギリギリまで耐えての転倒だったので、ダメージは少なめで済みましたが…。
ウインカーレンズが割れてしまい、新しい部品を買ってすぐに修復してやりました。
しかしそうこうしているうちに、仕事で年度末やら異動やらがあり、乗れる機会も減ってきました。
それでも半年経過時にはオイル交換するなど、メンテナンスだけは怠りませんでした。
多少のカスタムもしました。
でもいっしょに出かけることはなかなかかないませんでした…。
そのまま春がすぎ、夏が来て、秋が訪れました。
相変わらず乗れていないし、正直これだけの重量とハイパワー、僕は扱いきれていない…。
長年の憧れで巡り会えたものの、僕は彼には相応しくないんじゃないだろうか。
そんな考えが頭をよぎります。
「走行距離が少ないうちに査定に出してみようか…?!」
査定に出すとなれば、少なくともキレイに清掃してピカピカの状態で買い取り屋に見せなければ。
それを買い取り屋が来る前日の晩に実施したまではよかったのですが…。
もしかしたら走り納めになるかもしれないから、少し出かけようと思った矢先のこと。
2回目の、そして最後にして最大の悲劇が起こってしまったのです。
2回目の立ちゴケ…。
しかも今度は打ちどころがあまりにも悪すぎました。
コケた場所が花壇?のような場所で、高さ5cmくらいのコンクリートで囲いがしてありました。
その囲いの角に、サイドカウルの下部がクリティカルヒット(つдT)
カウルに全重量が集中してしまったため、硬いABS製のカウルに亀裂が走るほどだったのです。
夢だと思いたかった…悪夢だ…。
まさか査定に出す前日に、査定に大きく響く要因を自ら作り出してしまうなんて!!
自分の愚かさを呪いました。
横着せずにもう少し丁寧に動かしていれば、きっとこんなことにはならなかった。
彼に対してあまりにひどいことをしてしまった…と涙までにじんできました。
そしてついに心は決まりました。
「僕はもう彼に乗る資格はない、彼に相応しいライダーではない。」
と。
あふれてくる涙をこらえながら、今度はコケずに彼を駐輪場へ戻し、カバーをかけて自宅へ。
傷は深かったもののあくまでカウルだけで、エンジンなどはすこぶる快調でした。
でもこんな気持ちじゃとても出かけられない、彼と人車一体になることなんてできません。
その日はもう不貞寝するしかありませんでした。
悔しくて、悲しくて、申し訳なくて、まったく眠れませんでした。
そして査定のときを迎えます。
3社ほど査定依頼をしました。
その中にはもちろん、彼を僕と引き合わせてくれたショップを含めました。
自らの店で販売したのだから、いくらかの譲歩を引き出せると思ったから。
そして、どうせどこかへ引き取られるのなら、巣立った場所に還してやりたかったから。
ここで最後の幸運を彼は残してくれました。
たまたま偶然、一番目に来ることになった買い取り屋が、彼を送り出したショップだったのです。
しかも査定員も相当なバイク好きで、僕の気持ちをすべてわかってくれたのでした。
実際、彼は2時間強いましたが、査定に割いた時間はおそらく30分未満。
それ以外はすべてお互いのバイク談義をしていただけでした。
査定結果はやはりカウルの割れの分が大きく響き、希望額には数万円届きませんでした。
でも逆にいうと、あの状態でも希望額の数万近くまで肉薄できたのですから、これはやはり査定士が大当たりで、僕と、そして彼の気持ちを最大限汲み取ってくれたことが理由だと思います。
できるだけ僕の希望額を出せるよう、最後の最後まで本社と粘り強く話をしてくれました。
査定士も色々な人がいると聞きます。
いわゆるアタリハズレも大きい。
同じ会社でも査定士が違えば買取額も大きく違う、なんてこともザラだそうです。
それは査定士も「人」なのだからしかたのないことです。
ところが最後の最後で、考え得る最高最良のかたちでの決別を演出してくれたのは、査定士と彼を送り出したショップ、そしてなにより彼自身だったのです。
きっとそうだと信じたい。
ロクすっぽ乗れなくて、痛い思いをさせてばかりの僕でしたけど、彼は最後に贈り物をくれました。
考えられる最高のかたちの贈り物を。
ここで彼を手放してしまうことは、彼を見捨てることになりはしないだろうか。
僕の中でもそれなりの葛藤はありました。
でも僕は、これ以上乗られずに傷ばかりが増えていく彼の姿を見ていられませんでした。
幸い彼は年式は古くともまだまだ人気が根強く、十分な市場価値があります。
僕よりももっと相応しいライダーの元へ行くべきだ、そう思って決心しました。
そして彼もまたそんな僕の身勝手とも思える決心を了承してくれたのだと思います。
こうして買取の商談は無事成立し、彼は送り出されたショップへ帰ることとなりました。
価格も納得、そして引き取り先も納得の、本当に理想的な最後でした。
(この状態でこれ以上の価格は絶対でないと確信できたので他社はすぐにすべて断りました)
自分が作った傷を自分で治してやれなかったのは少し心残りですが…。
彼を送り出したショップだから、僕よりもずっと優れたプロの腕で見事に完治され、いつか再びより相応しい次なるライダーの元へときっちりと送り出してくれることでしょう。
僕はしばらくはバイクを離れることになりますが、そう遠くない将来、もっと自分の身の丈にあった新たな相棒を見つけて、きっとまたライダー復帰します。
そのときにはきっとどこかの旅先でまた彼に出会うこともあるでしょう。
たとえ彼が僕のことを忘れても、僕は君を忘れはしないよ、決して。
なかなか乗ってやれなくて、痛い思いばかりさせてごめんよ。
長年の憧れを叶えてくれて、本当にありがとう。
1年だけだったけど、君とすごした時間は最高だったよ。
そして…さようなら。。。
