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ソーラ・レイのブログ一覧

2020年10月04日 イイね!

『 劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』

勿体ない映画の観方をしてしまいました。

この作品、TVシリーズ等は未鑑賞。
困難の末に公開まで漕ぎつけた『京都アニメーション製作作品』であり、
物語固有の『ドール(自動手記人形)』等の呼称に深い比喩を感じたりしていて興味があり、自分が鑑賞条件にそぐわないのを判ったうえで鑑賞。
それでも、TVシリーズのダイジェスト等の事前予習を可能な限り行い、鑑賞中も自分の脳内補正能力全開で観ました。

とても深い余韻を感じた良い作品でした。
チョッと気になったのは、作画レベルが時折『京都アニメーション』らしくない部分が散在。でも、高いレベルの水準での事なので普通は気にならない程度です。

物語としてはTVシリーズの完全なるエピローグ。
普通はシリーズからのファンたちには感涙の物語となる設定ですが…
上手いなぁ。
ストーリー構成が絶妙です。
この完結編はTVシリーズのおおよそ60~80年後の物語となっています。
もう、TVシリーズの人物たちは全員故人となっている時代から、過去回想として
主人公ヴァイオレットらの顛末が語られます。
この設定は見事です。
自分ですらこの設定にペーソスを感じた訳だから、TVシリーズからのファンの方々の気持ちはどうだったろうか。
既に『ドール(自動手記人形)』という職業が消滅している時代から主人公ヴァイオレットたちが生きた時代への橋渡しとなっているのが、正にヴァイオレットたちが書いた手紙の数々。
想いを伝えたいと願った人。その思いを汲みとり代筆した人。
その人たちが既にこの世にいなくても、想いを書き留めた手紙は時代を越える。
この作品の本質の一端を見事に物語設定が表しています。

とても比喩の多い物語だと感じた作品。
主人公ヴァイオレットの設定自体、戦争PTSDを比喩し、その克服の物語だと思っていました。
しかし、彼女の設定は戦争PTSDではなかった。
戦争PTSDの比喩なのは、彼女の周囲のひとたちでした(程度の違いはありますが)
とりわけこの作品で強く比喩されているのは生存していた少佐。

ではこの物語の主軸であるヴァイオレットの心の成長はなんだろう?
と想い、チョッと調べてみたら
『情操教育 ⇔ 体操教育』と云う言葉が見つかりました。
〇目に見えない感情(ココロ)を育む情操教育
〇目に見え触れる事ができる身体を育てる体操教育
なぁ~るほど、コレか。
戦争孤児のヴァイオレットは『兵器』として鍛えられた戦闘人形。
戦場で戦う事のみ教え込まれた少女。
感情を育む機会無く戦場で成長し、自身に向けられた『愛してる』の意味も理解できない感情鈍麻したヴァイオレット。
戦争は終結し、
戦闘で両腕を失ったヴァイオレットが、周囲の人々に支えられて自身の感情を育ててゆく物語。
その手段としての、クライアントの隠された想いを汲みとり手紙に現わす『自動手記人形』と云う代筆業。

この物語の主軸の結末。
ココロを人並みに得たヴァイオレットの、感情失禁のように泣きじゃくる姿にはココロを動かされました。
そしてヴァイオレットたちの物語を過去の出来事として終わらせた作品構成。
ヴァイオレットたちの物語は、彼女らが書き残した『手紙』によって語られ続ける。

手紙を作品に置き換えれば  『故人となっても作品は残る』

この比喩は、おもく、ココロに刻まれます。


Posted at 2020/10/04 22:13:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画鑑賞 | 音楽/映画/テレビ
2020年09月05日 イイね!

2020 角落山 道迷い×5

2020 角落山 道迷い×5最近で一番良くない山歩きでした。
何度も道に迷い、2mほど滑落までしてしまった。
擦り傷、切り傷程度で下山できただけ良かったと思わないと。
今回は出だしからつまずいてました。
前日夜に急遽登る事を決めて急ぎ準備。
すでにこの時に帽子を忘れました。
朝出発してから小銭入れを忘れた事に気付く。
と、バタバタな状態で現着。

今回は最初から「山歩きの後の温泉入湯」がいちばんの目的で、山行を甘く見ていたのが失敗の原因です。
「やっぱ、下山してからの温泉入湯がしたい」と思っていて、でも温泉の浴場は無防備で人が集まる場所だからコロナ予防対策としては、??? と思ってました。
それならば、人のいない温泉を選べば良い と安直に考え、以前行った『霧積温泉』を選択。
温泉決めてから登る山を選ぶ事に。
霧積温泉を出発地にすれば、登る山はほぼ2択。『鼻曲山か角落山』
そーなると、最近も登っている鼻曲山よりむかし1回登った角落山。
『むかし1回登ったルートだから大丈夫だろう』と甘く考えてました。




旧きりづみ館跡の駐車場に車を停め、金湯館へ向かってホイホイ坂を登り林道合流。
鼻曲山への登山道入口から登山開始。





ごくごく普通の登山道を進みます。 人気のないルートなので人の気配は無く、久々にマスク無しで大きく呼吸出来る事に満足しながら進みました。





何事も無く分岐ポイントに到着。
剣ノ峰・角落山へと更に人気の無いマイナールートへと進みます。





画像は広々とした鞍部(窪地) 濃霧時は迷い易い場所です。
所々に案内標識が有りましたが、全体的には非常に少ない。
赤リボンのマーカーも非常に少ないルートです。
マイナールートだから仕方がなく、それが原因ではありませんが
さっそく道に迷いました。
むかし登った時の記憶だと、尾根筋を巻いて奥へ奥へと進むルートだった記憶が強く残ってました。
そのトラバースルートの所々が土砂の崩落で道が流されていてクサリが通して有ったりしていた記憶。
そんな思い込みで歩いていたので、踏み跡のあったトラバースへと進み巻いて向こう側まで進んだら、岩山が迫り出して道が途絶えていました。
やっと道迷いに気付き引き返しましたが、足場緩く掴まる物もない斜面。
何とか土を踏み固め足場にしながら戻りましたが、両足の足場が崩れだし
「あぁぁ」という間に滑落。
とっさに五体投地のように身体を斜面に投げ出し摩擦で制動をかけたら2mほど滑り落ちて停止。
そこから時間をかけながら這い上がり引き返すことが出来ました。
身体の前面泥だらけ。 まるで高校野球のヘッドスライディング状態。
靴の中にも泥が入り、口の中にも泥。下山して温泉に浸かるまで口の中がジャリジャリでした。






道迷いでかなり体力消耗しながら剣ノ峰に到着。
ビューポイントから北面の浅間隠山方向が望めました。





剣ノ峰を通過し、ココから先は破線ルート。このコースの核心部。
タイトル画像が破線ルートの核心部の始まり箇所。帰路時に撮影しました。
画像では映り込んでないけど、足元部分の下は崖です。
往路はこの難所を下る訳ですが、ココも踏み跡があちこち分かれていて正規ルートを何度もロスト。
気付けば崖の先端まで進んでいたりと、リアルに身の危険を感じながら分岐ポイントに引き返す事が何度も。
核心部をどうにか通過する地点で今日初めての登山者とすれ違いました。
ソロの彼は、はまゆう山荘から赤沢ルートで登ってきたそうです。
どうやらこの破線ルートを登り鼻曲山まで行くようでした。なんて健脚だ。





どうにか破線ルートを降りきり分岐ポイントに到着。
小休憩をとりたいのですが、今日は立ち止まると羽虫の大群が纏わりついてきます。
口や耳の中に飛び込んでくる状態なので、休息も十分にできず先へ進みます。





角落山に登頂できました。
この山も以前登った時の記憶と随分違っていました。
山頂直下は岩山の記憶でしたが、実際はいわば個所は殆どない山でした。
記憶に頼った山登りはしてはいけないと学びました。





山頂に建つ社に、真剣に本日の山歩きの安全を祈願して下山です。
来た道を戻る訳ですが、往路で散々迷ったので帰路はスムーズに核心部を通過し剣ノ峰まで順調に進みました。
ところが、迷う訳ない十六曲がりの分岐ポイント途中でルートを外れ、30分も間違いに気づかずに進んでしまいました。
往路でトラバースして迷ったので今度は「尾根筋を進む」と思い込んでしまい、踏み跡のあった尾根筋をどんどん進んでしましました。
『おかしい。こんなに低木の枝をかき分けて進んだろうか?』と疑問を感じて、登山アプリのGPSで現在地を確認して道迷いに気付きました。
来た道を戻るだけなのですが、少しパニックを起こしていたのかも。
尾根小ピーク部で戻る道をロスト。
来たのだから戻る道があるはずなのに見つからない。
小ピークの周りは急斜面。
ココを登って来たんだっけ? そうだきっと無心に登って来たんだろう。なんて真面の思考が出来ない状態。脚も限界が近く攣りそうな気配なんです。
自分で自分を落ち着かせ地図アプリで再度確認。
戻る方角に間違いない事を確認し改めて周囲を見渡し、ピーク手前に巻き道を発見。
無事にルートに戻れました。
登山アプリが無く地図だけだったら道迷いに気付いても正規ルートに戻れなかったかもしれない出来事でした。

最近、同じ山ばかり登っていたのでルートファインディング能力が劣化してしまってました。
使わないと退化するのを自分の身で味わい、同じ山ばかり登って山歩きに慢心が出ていた自分に気付くことができた山行でした。





下山後は予定通りに秘境の一軒宿『金湯館』





ココは予定通り、誰もいないお一人様での入湯が出来ました。





本日の出動はパジェロミニでした。
幅員狭く退避スペースでないとすれ違えない車道を走るのでパジェミ君が適任。
両サイドの車は金湯館の宿泊客のようでした。

下山後は、お決まりの『おぎのや』
釜飯 ではなく無性に『天玉うどん』が食べたくなり、おぎのやドライブインへ立ち寄ったら…
なんと! 釜飯絡みのメニュー以外、他のメニューが無くなっていました…

なんとも、
最後の最後までハズした山行でした。


Posted at 2020/09/05 23:34:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 山歩き | スポーツ
2020年08月30日 イイね!

『狂武蔵』

コロナ渦の今年は、映画産業も大打撃。
ロードショースケジュールもガタガタで、話題作は軒並み公開延期。
替わりに、リバイバル上映など有り、チョッと嬉しいけど、劇場に脚を運ぶ事自体リスクマネジメントしなければなりません。
こんな状況なので、本来なら首都圏の独立館やミニシアターまで足を運ばないと鑑賞できない作品も地方で観賞できたりしてます。
この作品もそんな流れの中での公開だったのでしょうか?
7年ほど前に製作中断しお蔵入り状態だった作品。
追加撮影を行い全国40数館での公開となりました。
グンマーでも1館上映していたので観に行きました。

みんな知ってる宮本武蔵の物語の、吉岡一門との『一乗寺下り松』での決闘だけ抽出した作品。
この作品のキモは、ワンカット77分の殺陣シーン。400人をワンカットで斬り倒すというモノ。
ま、このシーンしか無い作品でもある訳です。

どんな映像なのか興味があり鑑賞。




結論から言えば、殺陣と言うよりチャンバラ。
低予算映画の悲哀を感じてしまいました。
斬り倒した相手が画面から消えると、改めて敵役として登場。この繰り返し。
77分連続で観せられると、動きのネタもバレバレ。
おおよそメインの斬られ役は10人位。
みな斬られ方が決まっていて、動きも打ち合わせされています。
上段から頭を斬られる役、胴を斬られる役、刀を止められ喉を裂かれる役、刀を奪われる役…
77分ワンカット撮影なので誰がどんな斬られ方だったか判らなくならないように着物の色等で区別してます。
逆に着物の色の違いが目立つので観てる側も数パターン繰り返し見せられると判ってしまう。
しかし、
この作品の問題点はココではありません。
77分ワンカットの殺陣を成立させるにはこの方法しかなかったでしょうし、実際アイデアがあってもこのシーンを撮るには役者の強靭な精神力と体力が必要不可欠。
このシーンを演じきった役者の役者魂は賞賛します。
問題点は、映画の中のリアリティ基準がチグハグな点。
チャンバラとして斬られた相手が画面から消え続ければ良いものを、何故か所々、斬られた遺体が転がってる。それもリアルな血を流して。
殺陣シーンも後付けのCG合成の血飛沫が飛ぶ。
本気の殺陣モノとして観るべきか?大チャンバラとして観るべきか?
最後まで迷いの中で終わってしまいました。
斬り合いシーンは廃寺裏手から境内、門前通りの廃墟へと移動して行きます。
その途中の長屋横などに竹筒水筒や替えの刀が隠して有り、武蔵は斬り合いの合間に其処で水を含み刀を替えます。
映画の設定では、武蔵1人 対 吉岡一門残党+銭で雇った浪人・他流派応援総勢400人。
宮本武蔵を描いた他の作品の流れを汲めば、事前に武蔵が策を練り、各所に竹筒や替え刀を配し奇襲のチャンスを待っていたと補完できます。
でもリアリティ基準がチグハグだと、まるでRPGの回復アイテム回収みたいです。

映画の中のリアリティ基準がチグハグで観客にその補完を求めるような作りの映画は、結局何も残らす観たという記録しか残りません。
この映画は、そーいう作品でした。


そういう作品だけど、なぜこんなに文章を書いているかというと。
もし、
400人の斬られ役者さんを用意できていれば、
その400人が斬られその場で骸として累々と横たわっていれば、
ものすごい映画になっていたでしょう。
間違いなく、役者もスタッフも、その方向を目指して真剣に取り組んだ作品だから。
その熱意はヒシヒシを伝わりました。
とても残念。
もう少し予算があれば大化けする映画です。

今のままでは、あの『カメラを止めるな』の種明かしパートの無い『本編』のみのようです。

Posted at 2020/08/30 14:05:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画鑑賞 | 音楽/映画/テレビ
2020年08月23日 イイね!

『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』

『ホロドモール』
この言葉
この内容 を知る事が出来た事が、この映画の最大の功績で価値です。

『1984年』を執筆したジョージ・オーウェルのもうひとつの反全体主義作品『動物農場』の
創作秘話を絡めている処も、ノンフィクションなのかフィクションなのかは別にして面白かった。

映画の構成としては『対比』を技法として効果的に使っています。
物資の溢れたモスクワ。その中で体制側に飼いならされた外国人記者たちのソドムの宴。
退廃感を醸し出す暖色系のカラー場面と
目を背けたくなるようなウクライナ。餓死者が路上に横たわる日常。そして極限の人肉食。
ほぼモノクロに近いモノトーンの荒涼とした場面。

ソヴィエト政府に懐柔されたピューリッツァー賞を受賞したニューヨーク・タイムズ記者と、反骨のフリージャーナリストの今作主人公。

興味深かったのは、世界恐慌下での社会主義のモスクワと資本主義・イギリスの描写は対比になっていなかった事。


ストーリー的には、モスクワ以外の移動制限を破りウクライナ行を決行するサスペンス的な描写より、その後の『真実を世に出す』事の難しさに力点が置かれていたように感じました。
知った真実をそのまま世に出す事の難しさに、現在に通じる普遍性を感じました。

そこで絡んでくるのが全体主義批判の寓話『動物農場』を執筆中のジョージ・オーウェルの言葉
「行間を読んでくれ」

余り知られていない世界史の暗部『ホロドモール』を題材にしながら普遍的な問題を投げかけている作品です。



Posted at 2020/08/23 22:52:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画鑑賞 | 音楽/映画/テレビ
2020年08月16日 イイね!

『君が世界のはじまり』

好きだなぁ~
とても好きです、この映画。
方向性の定まらないエナジーが暴発しそうな、危うさや弱さ脆さ。その思春期の断片を切取った作品がツボに嵌ります。
ただ、この手の作品は失敗も多く良作になる作品は稀。
今作は稀な成功作品だと思います。
そしてこの作品は、この手の作品の原型となった名作を、強く意識して作られていました。
この手の作品のアーキタイプとなった作品は
相米慎二監督作品『台風クラブ』
『台風クラブ』をフィーチャーしインスパイアしオマージュしているってレベルではなく、まさにリスペクトしています。

土砂降りから始まる宴へのクライマックス。
そして翌朝、ラストシーン。
ココ迄リスペクトされたら相米監督も彼の世で喜んでいる事でしょう。

登場する若い俳優たちの個性も光ってました。
特に純を演じた片山友希がよかった。
あと、ブルーハーツは世代を超えた鉄板コンテンツなんだと気づかされました。

不満点は一ヵ所。
劇中では『冬』の設定ですが、まったく季節を感じませんでした。
マフラー巻くシーンがなければ冬と判らないほど、スクリーンから空気の温度が伝わりませんでした。
逆に、普遍的な話にするために意図して季節感を外したのであれば、すごい。




Posted at 2020/08/16 14:36:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画鑑賞 | 音楽/映画/テレビ

プロフィール

「週末はクルマ2台のオイル交換&フィルター交換。2台とも元気になりました。」
何シテル?   11/01 14:21
基本的に『インドア』で出不精です。 でもじっとしていられない性質なのでアウトドアします。 長時間の寝貯めが出来るので、 活動期と充電期がはっきりしています...

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