
時が経つのは早いもので、北海道旅行から帰って一週間が過ぎようとしています。
7月26日水曜日に仕事から帰宅して、17:41に出発しました。
首都高速は既に夕方のラッシュアワーを迎えており、4号線から山手トンネルはほぼ渋滞でノロノロ運転でした。
東北自動車道に入ると渋滞は解消され、2時間に1回ずつの強制的な休憩を取りながら、深夜の2時過ぎに青森東出口に着きました。
国道4号線から国道279号線へ。
浅虫温泉、野辺地、むつ市街、いずれも深夜だったため、走るクルマはほぼゼロで、順調に大畑、下風呂温泉を通り、日の出を迎える大間の町に着きました。
ちょうど5時に大間のフェリーターミナルに到着し、7時の便への乗船を待ちます。
今回もお世話になる大間航路の『大函丸』です。
そして、朝日に輝くわが愛機です。
出港の15分前に、オートバイと自転車から乗船開始です。
定刻通りにフェリーは函館に到着し、いつも立ち寄るガソリンスタンドで燃料タンクと携帯缶に給油し、まるで貸切状態の道央道をひたすら北上します。
道央道を使うときは必ず立ち寄る「有珠山SA」で休憩し、途中昼食とトイレ休憩を交えつつ、ひたすら旭川鷹栖ICを目指します。
そこから国道237号線を南下し、美瑛に行きました。
美瑛に到着するも、次男坊は助手席のフルバケで熟睡中。
ケンとメリーの木
最初の宿泊地の富良野を目指します。
既にこの時点で、燃料の警告灯が点きっぱなしでした。
仕方がないので、途中の深山峠のPAで携帯缶からほんの少しだけ給油。
そして、ファーム富田のラベンダー畑へ。
ここで、子供たちのお気に入りのラベンダーソフトクリームを食べさせてあげて、1泊目の宿を目指します。
富良野に来たときは必ず寄らせてもらっているガソリンスタンドでようやく満タンにして、そこからほど近いホテルの駐車場にクルマを停めました。
ここまでで、ちょうど23時間30分で、走行距離は1380kmでした。
この後ホテルの広い芝生の庭で、子供たちとキャッチボールをしました。
わざわざこのために持ってきたもが2つあり、一つは新品のボールとグローブ3人分です。
20分ほどキャッチボールをして、おいしい夕食のバイキングに舌鼓を打ち、子供たちのリクエストに応えて、ニングルテラスを訪れ、次男坊に思い出の品としてお土産を買ってあげました。
それから大浴場の温泉にゆっくり浸かり、1泊目の夜は更けて行きました。
翌日、富良野のホテルを後にして、『北の国から』の石の家がある麓郷を目指します。
『五郎さんの石の家』は、時間が早かったせいもあり、見学は出来ませんでした。
しかしこれは分かっていたことで、じつは売店の庭に置かれているトラクターに用があったのです。
子供たちがまだまだ小さかった頃、このトラクターの運転席に座り、飽きもせずブーブー言いながらハンドルを回していた情景がハッキリと浮かんできました。
巨大なワラによじ登るのもおっかなびっくりだった子供たちは、今ではスイスイと登れるようになりました。
6年前と同じポーズで写真を撮り、麓郷を後にしました。
次に向かった先は、これまた富良野と麓郷を訪れた際は必ず立ち寄る『布部駅』です。

「北の国から 此処に始まる」という倉本 聰監督の直筆の看板が掛かっています。
ひとしきり写真を撮り、次の目的地を目指そうとしましたが、15分後に列車が来るとわかり、待つことにしました。
たった一人の乗客を乗せた各駅停車は、わずかにガラガラというディーゼル特有のエンジン音を残し、走り去って行きました。
次なる目的地は夕張です。
かつて両親の住んだこの町は、小雨の影響もあってか、寂しく沈んでおりました。
『石炭の歴史村』の資料館は、改修工事中と言うことで入れませんでしたが、模擬坑道は距離が半分程度でしたが見学可能でした。
思い出深い夕張駅には、ちょうど各駅停車の車輛が到着するところでした。

3月で廃線になると聞いていたので、嬉しい驚きでした。
雨が降り出した夕張を出発し、2泊目の宿のある追分、由仁を目指します。
2泊目の宿は、完全な丸太小屋(ログハウス)でした。
ここの温泉は、コーヒー色をしたナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉でした。
夕飯前にゆったりと温泉に浸かり、地元の食材を使った美味しい料理を食べ、早めに床に就きました。
翌朝は4時半に起き、クルマをざっと洗ってから、子供たちを誘って朝から温泉に入りました。
何種類もあるお風呂を制覇し、露天風呂にも入り、まぶしい青空の下、最高の気分でした。
そして宿をチェックアウトし、昨日訪れた追分にある牧場を訪ね、誰もお客さんが来ないうちに、芝生の庭でサッカーをさせてもらいました。
このボールも、わざわざ自宅からこのために持ってきたものです。
早朝にひとしきり遊ばせてもらってから、この思い出の詰まった牧場を後にします。
そして、最後の宿泊地、函館を目指します。
函館に向かう道央道も、まるで貸切状態でした。
昼過ぎに函館の宿に着き、駐車場にクルマを停めて、どんぶり横丁でラーメンを食べ、必ず拝観する摩周丸を訪れました。
今までに一体何回訪れたことだろう・・・
そこかしこに思い出が詰まっており、胸が熱くなりました。
夕飯は、函館に来たら必ずココと決めている、地元の人たちでにぎわう居酒屋さんへ。
ちょうど3年前に長男と二人きりで来たときは、なんだか胸がいっぱいで、あまり食べられませんでしたが、今回は次男も一緒でしたし、二人とも大きくなったせいで、たらふく食べることが出来ました。
夕食後の腹ごなしは、再び摩周丸へ。
夜の摩周丸を見た後は、これも定番の夜の函館駅へ。
哀愁の漂うホームと気動車。

こうして最後の夜は更けて行きました。
最終日の朝。
シャワーを浴びてから子供たちを起こし、チェックアウトして荷物をエボに積み込んでから、再度摩周丸を見に行きました。
いよいよ自宅に向けて帰る日です。
思い出の詰まった摩周丸と函館山の景色に別れを告げ、エボをフェリーターミナルに向けて走らせました。
初日に寄ったガソリンスタンドに行くと、営業は8時からとのことでしたが、船の時間があるからとお願いすると、快く給油してくれました。
スマートチェックインで手続きを済ませ、クルマの列に並んでいると、「車高が低いんで3列目の先頭にお願いします。」と言われ、列から外されてしまいました。
毎回「念書」は書いているので、それをダッシュボードに乗せ、おとなしく順番を待ちました。
そしていよいよ北海道を離れるときがやってきました。
船は予定通り9:30に函館港を出港し、全ての思い出を断ち切るかのように、定刻通りに大間港に入港しました。
11時に下船し、いつも行く大間岬キャンプ場の駐車場にクルマを停めました。
軽トラを改造した屋台で売られているタコの足を買い、(本当はイカのポンポン焼きが欲しかった・・・)海岸に腰を下ろしてそれを食べました。
この本州最北端の海で水切りをして遊び、駐車場に面した食堂でツルアラメ・ラーメンを食べ、帰路に着きました。
おそらく、こんなにも長く子供たちとドライブできることは、今回が最後なのだと思う。
我が家のエボは、この子供たちと共にあった。
春には仙台に牛タンを食べに行くのが習慣になりつつあった。
それも、ここ数年、叶うことは無かった。
帰りの高速道路を走りながら、ふと思い立って仙台で降りることを提案してみた。
子供たちも喜んでくれたので、夕食に牛タンを食べることにした。

長男はこのお店のことを覚えていた。
「いつもは奥のお座敷だったね。」と懐かしそうに言っていた。
夜の常磐道を走り、日付が月曜日に変わった0時44分に帰宅した。
3泊5日のセミロング・ドライブは終了した。
子供たちよ、ありがとう。
エボよ、ありがとう。